第11話「十八年に及ぶ腐れ縁を、ようやく断ち切るときが来た」ざまぁ回
数日後。
クロリスの提案で婚約破棄の話し合いは、伯爵家でなくホテルの会議室を貸し切って行われた。
クロリス曰く、
「伯爵家で婚約破棄の話し合いを行わない方がいいわ。
ゲルラッハ子爵夫妻が、
『(カトリーナがカトリーナにとって不利な書類に)サインするまで、帰らない!』
とか言い出して、彼らに伯爵家に居座られたら面倒でしょう?」
とのことだ。
確かに子爵家の人間なら、それくらいやりかねない。
「学園を卒業したばかりの女性と、弁護士だ
けで話し合いの場所に行ったら舐められるわ。
話し合いの決め手は、数と肩書と経験と実績と顔の濃さよ!」
クロリスの提案で私の後見人だったコニー叔父様と、
クロリスが手配してくれた優秀な弁護士三人(全員顔が濃い)と、
子爵家の次男以下で構成された屈強な護衛五人(全員顔が怖い)と、
クロリスが国王陛下に頼んで手配してくれた高官一人(眼力と威圧感が半端ない)と、
当事者の私を入れて、
総勢十一人の物々しいメンバーで、子爵家との話し合いの場に行くことになった。
クロリスのお母様は元第三王女で現国王の妹に当たる。
クロリスが陛下に頼めば、高官の一人や二人派遣してくれるかもしれないが、これはやりすぎでは?
やりすぎだとは思ったけど、ゲルラッハ子爵家とサクサク縁を切りたかったので、クロリスの用意してくれた人材をありがたく使わせてもらった。
話し合いの場所に遅れてやって来た子爵夫妻とアデルは、部屋に入った途端、中にいたメンツに睨まれ泣きそうな顔をしていた。
彼らは、私と叔父様と弁護士の一人ぐらいなら、煙に巻けると思っていたのだろう。
十一人から無言の圧をかけられ、アデルの浮気の証拠を次々に提出され、子爵夫妻は涙と鼻水を垂らしながら、アデルの有責で婚約を破棄する書類にサインした。
あとはアデルがサインすればいいだけ。
「……お前、ズルいぞ。
たかが婚約を破棄をするのに、こんなに大勢を雇うなんて……」
アデルが震えた声で言った。
「私はそう思いません。
話し合いの場に最高のメンバーで臨むのは当然でしょう?
それに私は不正はしていませんよ。
コニー様は私の叔父、
三人は私の弁護士、
五人は私の護衛、
一人は不正がないか確認するため出向いてくださった国のお役人。
全員、婚約破棄の話し合いの場に同席することを許されている人たちです」
「護衛なんて必要ないだろ!
僕たちは長い付き合いだろ!
君は僕たちのことを信用していないのか?!」
「アデル様は、私に卒業パーティで婚約破棄を突きつけたことをもうお忘れですか?
さらにアデル様は去り際に、
『僕はお前との婚約を絶対に破棄しないからな! 必ずお前と結婚して伯爵家の婿養子に入ってやる!!』
という不穏な言葉を残していかれました。
私はあなたの言葉に身の危険を感じ、護衛を雇ったまでです」
「くっ……!」
アデルは言葉に詰まっている。
「『君は僕たちのことを信用していないのか?!』とおっしゃいますが、異母妹と浮気をして卒業パーティで婚約破棄を宣言される方の、何をどう信用しろとおっしゃるのですか?
子爵夫妻についても同様です。
アデル様が私に暴言を吐いていることを知りながら、
『アデルにはよく言って聞かせるから』
『好きな子に意地悪をしているだけだから』
と言ってのらりくらりとこちらの追求を躱し、何年もアデル様の教育を放棄し続けた。
そんな方たちの何を信用しろとおっしゃるのですか?」
彼らは「信用」から一番遠いところにいる存在だ。
「婿養子に入る身で、婚約者にそんな暴言を吐き、浮気をする者がいるのかね?」
官吏の方が私に尋ねてきた。
「はい、残念ながら。
アデル様はご自分が伯爵家を継げると思い込み、幼い頃から私に暴言を吐き続けました。
アデル様に『お前は、次の伯爵になる僕に黙って従っていればいいんだ!』と何度罵られたかわかりません。
子爵夫妻に苦情を言ってものらりくらりと躱すだけ。
その上、アデル様は私の異母妹と浮気をし、肉体関係まで持っていました」
「それは由々しき事態だね。
ゲルラッハ子爵家は、ウェルナー伯爵家の乗っ取りを企てていたと指摘されても文句を言えまい」
官吏の方に睨まれ、子爵夫妻は青ざめた顔をしていた。
国の高官に睨まれたゲルラッハ子爵家は、現当主の代で終わりかもしれない。
「お前こそ浮気してるじゃないか!
卒業パーティのあと、なんで伯爵家に帰ってこなかった!
僕と両親は伯爵家で、何時間もお前の帰りを待っていたのだぞ!
浮気相手の男の家にでも行っていたのではないのか!」
「どうしてそのような発想になるのでしょう?
ご自分が浮気なさっているから、周りも同じだとは思わないでください。
私は身の危険を感じ、自宅には帰らずホテルに泊まっていたのです。
自宅に帰らず正解でした。
先触れも出さずに他家にやってくる方と、その方たちを当主の許可なく屋敷に上げてしまう使用人がいる家になど、危なくて帰れませんから。
伯爵家の乗っ取りを企てた方々が、私にどんな無体を働くかわかりませんもの」
父を当主だと思いこんだ使用人が、父の命令で彼らを屋敷に上げたのかしら?
そんな使用人は今すぐ馘にしなくてはね。
「ぐっ……!」
アデルはさっと私から視線を逸らした。同時に子爵夫妻も私から顔を背けた。
おそらく図星をつかれたのだろう。
クロリスの助言を聞いておいて正解だったわ。
本当に油断も隙もない人たちだわ。
「アデル様、書類にサインしてください。
ここでサインをしないなら裁判になります。
裁判になれば子爵家の恥を王都中に晒すことになりますよ」
アデルはそっぽを向いたままだ。
どうやってこのあんぽんたんにサインをさせようかしら?
「裁判になれば、裁判費用は子爵家に請求します。
わかりやすく言うと、アデル様がごねればごねるほど、子爵家の評判が下がり、裁判費用がかさみ、あなたが受け継ぐ財産が減ると言うことです」
子爵夫妻が次男のアデルに幾ら残すかわからない。
もしかしたら問題を起こした彼を無一文で放り出すかもしれない。
でもこうでも言わないと、アデルは書類にサインしないだろう。
「……わかった」
観念したのか、アデルは面白くなさそうな顔で書類にサインをした。
アデル様から書類を受け取り、弁護士が確認する。
「書類に問題はありません」
「これで私とゲルラッハ子爵家との縁は完全に切れたのね」
生まれてすぐに結ばれた子爵家との縁が切れて、私は心の底から嬉しかった。
生まれて初めて清々しいまでの解放感を味わった。
「そんなに嬉しそうな顔をしなくても……」
子爵家の誰かが口にした気がしたが、そんなことはもうどうでもいい。
「ごきげんよう。
ゲルラッハ子爵、ゲルラッハ子爵夫人、ゲルラッハ子爵令息。
もう二度とお会いすることはないでしょう」
卒業パーティに参加した生徒たちが親に報告したので、子爵家の悪評は国中の貴族に広がっている。
彼らは今後、肩身の狭い思いをして生きることになるだろう。
もっとも彼らがどうなろうと、私には関係ありませんけど。
私は秋の澄んだ青空のように、晴れ晴れとした気持ちで、会議室をあとにした。
☆☆☆☆☆
あとは伯爵家に居座っている、父と父の愛人と異母妹を追い出すだけだ。
こちらには契約書があり、なおかつ優秀な弁護士が三人もついている。
彼らは、お金がないので弁護士を雇えない。
彼らを追い出すのは、ゲルラッハ子爵令息との婚約を破棄するより簡単だった。
元々彼らなど簡単に追い出せたのだ。
ゲルラッハ子爵令息との婚約を破棄する為に、今まで屋敷に住まわせてやっていただけ。
用が済んだら追い出すのみ。
父と父の愛人と異母妹は恨み言を吐きながら、屋敷を出ていった。
「あたしにこんなことしたらアデル様が黙ってないわよ!
彼はとっても頼りになるんだから!」
去り際に異母妹がそんなことを言っていた。
アデルはすでに子爵家を勘当されている。
彼は子爵に「伯爵家へ慰謝料として支払った金を、鉱山で働いて返せ!」と言われ、鉱山に送られた。
そんな彼を頼ってもどうにもならないと思うが、父と父の愛人と異母妹もこのあと鉱山に行く。
彼らが行く鉱山が、ゲルラッハ
そういう意味でなら、彼は異母妹の言うとおり「頼りになる」存在なのかもしれない。
そんなことを考えながら、父と父の愛人と異母妹を乗せた粗末な馬車が遠ざかって行くのを、私は部屋の窓越しに眺めていた。
父を伯爵家の当主だと勘違いし、私の許可なく子爵夫妻を通した使用人は全員馘にした。
使用人には私が伯爵家の当主で、父とその付属品は居候に過ぎないと、常々説明していた。
「知りませんでした」「聞いてませんでした」なんて、そんな言い訳は通らない。
ゲルラッハ子爵一家は婚約破棄を阻止するために、伯爵家に乗り込んで来た。
彼らはゲルラッハ元子爵令息に私を襲わせ、私との間に既成事実を作るつもりだった。
その手助けをした人間を許すことはできない。
主に仇を為す使用人は馘にする。そうでなくては伯爵家の当主など務まらない。
特に私は成人したばかり。
「若い伯爵は使用人への処罰もぬるい」と周囲に舐められたら終わりだ。
ゲルラッハ子爵家の危険性について教えてくれたクロリスには、感謝しかないわ。
彼女には後できちんとお礼をしなくてはいけないわね。
彼女は私の恩人だもの。
だがこのときの私は、クロリスのことを何もわかっていなかったのだ。
クロリスの正体を知るのは、この数日後のこと……。
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