第170話 どこまでが人間か―世界設定

 今日はSFなお話。

 現代では既に『考えた通りに動く義肢』なんてのもつくられ始めています。かつては創作の中にしかいなかったサイボーグの実現も、そう遠い未来ではないでしょう。

 ではそうなった時、どこまで身体を機械化しても人間だとするのか。


 例えば、歯を入れ歯にしたぐらいで「お前は人間じゃない」と言われても困ります。

 腕や脚でも、事故や病気、先天的な理由でない人間はいますし、それを義肢で補っても人間だと言い切って良いでしょう。


 じゃあ、もっと多くの部分を機械に置き換えたら?

 『サイボーグ009』では、メンバーの一人が重傷⇒治療ついでに強化改造された時に見た目の変化が大きかったので「人間じゃなくなってしまった」と悲しむシーンがあります。それに対する仲間からの慰めが「おれはもっと改造されてるぜ。人間じゃなくても強いからいいじゃん」的な感じなのですね。落ち込んだメンバーもそれで立ち直るあたり、一定程度を超えると人間ではなくなる、という思考がかつてはあったと言えるのかなと。……石ノ森先生だからだ、って気もしなくはないですが。


 これが『攻殻機動隊』になると、生身の部分は脳だけの少佐も立派に人間扱い。

 自分の記憶や思考が脳でなされているのだとすれば、脳が変わっていなければ自分は自分のままだというのは一つの理屈として成り立ちます。


 では、脳が生身でなくなったら?

 グレッグ・イーガンが複数の作品で肉体は生身のまま脳を〈宝石〉と呼ばれるコンピュータチップに取り換える世界を書いています。

 『銃夢 LastOrder』は肉体も脳も機械に置き換えたキャラが複数登場。捨て去ったはずの肉体が勝手に使われたり、取引の道具にされたり……


 肉体全てが機械になってしまった時、何をもって人間を、自己を定義するのか。

 スワンプマンが人間かどうかというところとも関わってきますね。


 明確に一つの答えがある内容ではないのですが、個人的には完全機械もスワンプマンも人間で良いのかなぁなんて思ってます。

 しかし、あえてどこかで線引きされた世界というのも面白いですね。

 ものすごく厳しく、ちょっとでも欠損があるとアウトって世界は結構書かれていそう。

 機械化率50%を超えてはいけない世界とかにして、どの部分を機械化するかの戦略が問われるなんてのもありかもしれません。

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