狐の嫁入り

今日は一段と強い。

梅雨に入り毎日陰鬱な雨が空気と地面を湿らせる。

御堂みどう先輩と出会ってもう二か月になるのか。

奇妙な人で眺めてるだけで飽きない。

今日も難しそうな本を読んでいる。

雨を眺めているとどうしても先輩と初めて会った日を思い出す。


以前語ったことがあるように、先輩と初めて出ったのは一年生の必修科目の講義室だ。

すらりとした姿勢にセミロングの黒髪を後ろで纏めている姿は絵になっていた。

ジャージではあったが。

羽虫程度の学習意欲で教室に入ってきた先輩の持ち物はボールペンのみだった。

教室に一人でいた僕は先輩に目を付けられ、教科書を見せることとなった。

講義が終わると先輩はお礼も言わずにそそくさと教室を去っていた。

「愛想の悪い美人」それが僕の第一印象だ。


講義が終わると多くの人たち教室で駄弁っていた。

多くの新入生は入学前にSNSで同級生の友人を作る。

僕がそのことを知ったのはつい最近のことだ。

「このままではまずい、受け身で友人なんてできるわけない」焦燥感に駆られた僕は近くの四人組のグループに声をかけた。

今考えると話しかけるグループを間違えたなと思う。

僕を加えわざわざ素数にすることもないわけだ。

今ではほとんど付き合いのない四人だ、便宜上名前はそれぞれABCDでいいだろう。

「このあとK駅の近くでやってる春祭りに行こうぜ」

お調子者なAが僕たち四人を誘い数駅離れたK駅に行くこととなった。


駅で停車中の電車の中で雑談しているとふと気になり僕は外を見た。

雨? 空を見ると雲一つない。

「天気雨だ、祭りは大丈夫かな?」

四人は各々外を見るが大したことないという顔で雑談に戻った。


駅に着くと人がごった返していた。

今年からこちらに越してきた僕は知らなかったがKはそこそこ歴史ある町らしい。

桜花で染まった川を舟で下る遊びや、江戸時代のような扮装をした人たちの出店など盛り上がっている。

K駅はかなり都会だが少し歩くとあちこちに自然が残っている。

景観も古都を思わせる古い建物が多い。

五人で屋台で少し早い夕食を買い公園で食事を済ました。

「この時間だと舟遊はもうおわってるのか」

「映えそうな写真撮って帰るか」

まだ来て三十分も経ってないのに既に解散の気配がする。


それからしばらく観光していたがAが帰り、Bが帰り、また一人また一人と帰り僕一人となっていた。

皆はすぐ帰ってしまったが祭りに誘ってもらえたことは僥倖だった。

古い街並みに桜、これだけで来た価値は十分だろう。


桜並木を見上げながら歩いていると神社が見えてきた。

そう大きくはない。

「狐、稲荷神社かな」

社頭には狐の像がある。

周囲を確認するとどうもおかしい。

いくら古い街並みとはいえ現代的な建築物が一つも見あたらない。

それに誰もいない。


チリン

どこからともなく鈴の音が聞こえる。

反響して音の出処がわからない。

唯一の光源である石灯篭に照らされて鳥居が不気味に赤い。

チリン

吸い寄せられるように鳥居をくぐる。

本堂の前を横切るように和装の行列が見えた。

集団の前には二人だけ衣装が違いおそらく行列の主役であることがわかる。

まるで婚礼行列だ。


あれ、おかしい。

この神社の本堂、小さい。

通常の半分以下だ。

ということはこの集団は少なくとも僕の身長の半分以下ということになる。

チリン

ピタリと小人の集団は行進を止めた。

先頭の花嫁に当たるであろう白無垢を着た小人がこちらを振り返った。

綿帽子を被り俯いているため顔は見えない。

いや、違う。

チリン

衣服と同じ色で気が付かなっただけだ。

小人の顔には白い狐の面が付いていた。


がむしゃらで走った。

境内から出て道なりに真っすぐと走り続けた。

「見てはいけないものを見た」そう直感したのだ。

この世のものではない何か。

わき腹が痛む、ふくらはぎが攣りそうにうなる、滲んだ汗が目に入り視界がかすむ。

それでも走り続けると街灯が見えた。

足を止め恐る恐る視線を動かすと信号、コンビニ、スーツを着た中年、さらに遠くを見るとビルの群れ。

「帰ってこれた」


緊張が切れたのと疲労とで足が言うことを聞かない。

すぐ近くにベンチしかない無駄に広い公園があったため休憩することにする。

聞いたことがある、あれは『狐の嫁入り』だ。

でもそんなの怪談や伝説の類であろう。

夢か幻かそれとも本当に。


「日に二度も会うとは奇遇だな」

混乱していると後ろから女性に声をかけられた。

振り向くとジャージ姿の女性がそこに立っていた。

教科書を見せた人か。

女性は公園の桜を見ている。

「ここの春祭りは室町時代から姿形を変えて存続してるらしい」

この祭りの講釈をしてくれてるらしいが頭に入らない。

歴史とか民俗学とか好きなのかな、もしかしたら。

「あの、狐の嫁入りって知ってます」

女性は不意を突かれたのか驚いた表情で僕を見た。

「何を見たんだい?」

その時、御堂先輩は確かにほほ笑んだと思う。


「連れてかれるよ」

僕が見たものを説明するとあっさりと女性は口にした。

「連れてかれるって?」

「端的に死ぬってことだな、君が言ってた通り見てはいけないものだった」

死ぬ? あれだけのことで? 

「君からすればこれだけのことでと思うかもしれないが、狐たちからすれば大事な儀式を邪魔されたんだ。怒るだろうよ」

「僕はどうすればいいんですかね?」

逃げる? それともお祓い? そもそもそんな迷信じみた話無視するか。

「謝ればいいだろ」

それだけ?


コンビニでありったけの油揚げと稲荷寿司を購入し神社に戻る道を探す。

真っすぐに走ったはず、なのにそれらしい場所に全くたどり着けない。

「嘘じゃないですよ」

無言の圧に耐えきれず狼狽えてしまった。

「何も言ってない、それに疑ってもいないよ」

スマホを取り出し地図アプリを開くが、近くに神社はない。

それほど長い距離走っただろうか。

「それ見せてみろ」

スマホを女性に貸すとじっと眺めて黙ってしまった。

「これ北のほうに移動するにはどうすればいいんだい?」


結局来た道を引き返すことになった。

「なぁ君はこういう経験何回もしてるのかい?」

町の中心部から大きく外れた一画ですれ違う人もいない。

「いやいや、初めてですよ」

まさか都会じゃこれが当たり前ってことでもないだろうに。

それを聞くと女性は楽しそうに喉を鳴らすように笑った。

「じゃあ私のせいだな。教科書見せてもらったときにうつったかな」

「うつるって何がですか?」

「怪奇を引き寄せる体質」

そんな風邪じゃあるまいし。


そのまましばらく歩いていると元居た公園まで戻ってきた。

結局あの神社は何だったのだろうか。

僕はベンチに腰を下ろすと一時間ほどの記憶をたどる。

しかし時間が経つにつれ、自分の記憶に自信が持てなくなる。

新しい環境や新生活の不安が見せた春の夜の幻だったのだろうか。

女性は広い公園をぐるっと一回りするとベンチにそばに来た。

「なんだ、灯台下暗しとはこのことだな」

女性に連れられて入ってきた時とは反対側の入り口に向かった。


入口のすぐ横には小さな祠がぽつんと佇んでいた。

「君が見たのはこれだろ」

そんなわけない、確かに通常の神社よりずっと小さかった。

だが祠と神社を見間違えるなんて。

それにあれだけ走ったのに公園の中にあったなんて到底信じられない。

「まんまと化かされたな」


コンビニで購入したお詫びの品を祠に供える。

一緒についてきたおしぼりで申し訳程度に祠の汚れを落とし、手を合わせる。

何を謝っていいか正直わからない「邪魔してすみませんでした」どうかこれで許してください。

「神の使いも保存料で怒ったりしないだろう」

「稲荷神社って狐の神様じゃ無いんですか?」

「伏見稲荷大社では否定されてる。なんで狐が神の使いかって考えたことあるか?」

ない、そういうもんだって思い込んで考えたことはなかった。

「もともと稲荷神社は食物・穀物の神なんだ。稲荷は稲成りからそして稲を背負う姿から稲荷となった。稲の食い荒らすネズミの天敵として狐様の登場だ」

「猫やほかの動物でもよさそうですけどね」

「猫が日本に来たのは思ってるより最近だよ、だが君の言う通り狐の前は蛇を信仰していたんだ。現に稲荷山は蛇神信仰の中心地だ。それが時代を経て狐へとお役を譲ったわけだ」


「詳しいですね」

ほとんど聞いたことのない話だった、それに得心がいく説明だった。

祭りもたけなわとなり僕たちは駅へと向かう。

湿気た空気に祭りの余韻が溶け込んでいる。

急にAたちは今何してるのか、突拍子もないことを考えたりした。

「この祭りもあと一週間続くらしいな」

「たぶん今年はもう来ないと思います」

「だろうな、それじゃあ私はここで失礼するよ」

そういうと自分とは異なる改札へと消えていった。


駅のホームへと降りると街並みの明かりの多くは既に消えている。

ホームの端まで歩き空を眺めると雲一つなく星がよく見える。

ぽつんと額に水滴が落ちた気がした。

再度空を見上げるが雲などない。

春夜の天気雨、不思議なことは続くもんだ。

「あの先輩の名前、聞いてなかった」


翌週教室に入るとあの女性がいないか探すが見当たらない。

仕方なしに席に着き講義が始まるのを待つ。

講義が始まって十分ほどたった時後ろの扉から先輩が入ってきた。

それから一時間半講義はただ耳を掠めていただけだった。

時間になるや否や先輩は教室を後にした。

追いかけようとした時Aたちに声をかけられたが一言詫びてすぐ教室を出る。


先輩を追いかけると旧館の空き教室に着いた。

「なんだストーカーかい? いい趣味だな」

「もしストーカーならもっとうまくやりますよ、先週のお礼をしようと思いまして」

カバンからスーパーの袋を取り出し先輩に手渡す。

「僕ミチルって言います、まだ名前窺っていなかったんで」

先輩は答えようともせず袋の中を確認する。

「……なんでこのチョイス?」

「スーパーで買ったんでたぶん保存料とか入ってないと思いますよ」

僕がお礼に買ったものは稲荷寿司だ。

「お気に召さなかったですか?」

しばらく呆れ顔で僕を眺めていたが諦めたように微笑む。

「御堂だ、よろしくなミチル君」


これが二か月前のお話。

そういえば伏見稲荷大社は縁結びの御利益もあるらしい。

「御堂先輩、来年も春祭り行きましょうか?」

「うん」

先輩は相変わらず本から目を動かさず、上の空で返事を返す。



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