第二話:転移の理由
衛兵二人に連れられ、女子寮の建物を出た俺は、敷地裏手の庭の脇を通り抜けると、暗がりの先に見える塔を目指し歩き出した。
あれだけバタバタしてたから全然意識してなかったけど、今は夜。空には満点の星空が広がっている。
しかも、ここが異世界だと主張するように、二つの三日月が半分重なり存在している光景は、やっぱり強い違和感だ。
女子寮を見ると、古き良き雰囲気を残す、西洋感のある建物。
まあ、こういう所は露骨に異世界ファンタジーらしいって感じるな。
灯りが漏れる部屋の窓からは、未だ一部の女子達がこっちの様子を伺っている。
見世物みたいになってるけど、まあこれも仕方ない。運がなかったんだし。
とはいえ、さっきより人の目が遠くなり、あまり気にならなくなったのもあったけど。
外が思ったより肌寒くって、頭が妙に冴えてきたからだろうか。
何で俺はこんな事になっているんだろう?
そんな疑問が、むくむくと頭をもたげだす。
俺が異世界に来る直前、何をしてたかっていうと……そうだ。
夕方。学校帰りにうちで飼っている白猫が、ふらふらと何処かに歩いて行くのが見えて、それを追いかけたんだ。
俺の家で買っていた
すらっとした身体の可愛いメス猫で、何時もなら俺が声を掛けたら振り返って、嬉しそうに駆け寄ってくる、そんな人懐っこい奴なんだけど。
あの時は俺が呼び掛けても、こっちを無視してすたすたと歩いていっちゃってさ。
いつもと違う反応に、急に不安になって走って追いかけたら、ミャウも急に駆け出したんだ。
あいつの足の疾さに必死に付いていって、何とか近くの森林公園の森の中に走って行くのまでは見えた。
それで急いで追いかけたんだけど、公園の中であいつを見失って。
暗くなっても見つからないあいつを必死探してたら、人気のない暗い森の奥でやっとその姿を見つけたんだっけ
で、ほっとして駆け寄ったら、突然ミャウが変な光に包まれて──そこまでしか記憶にないって事は、そこで意識が途切れたって事か。
つまり、あの光が異世界転移のきっかけなんだろうか?
でも、もしそうだとしたら、何で今?
どんな理由でだ?
浮かび上がる数々の疑問。
でも、これまでを振り返っても、その理由がさっぱりわからない。
ミャウとはもう十年以上、同じ家で一緒に暮らしてきた。
父さん達が言うには、あいつは俺が二歳くらいの時、無意識に召喚した召喚獣だって言ってたけど。確かに今でも全然若いときのまま元気だし、そこに嘘はないと思う。
でも、召喚獣がわざわざ俺を、異世界に転移させようとするのか?
しかもあの時のミャウは、絶対何かおかしかった。
今まであんな姿、見たことなかったってのに……。
──「あの世界に異世界転移者が増えると、世界に危機が起こるなんて言われてるんだよ」
そういや以前、父さんがそんな話をしてたけど……。
ふと思い出したその言葉が、意味もなく俺を不安にさせる。
もし今、この世界がそんな事態に見舞われていたら──。
「止まんな」
思考の沼に
はっとして顔をあげると、目の前に高くそびえる塔の入口まで来ていた。
こうやって見ると、思った以上に高いな……。
塔を見上げながら、思わず唖然としてしまう。
俺の脇を抜け、後ろにいたお爺さんが前に出ると、扉にかかった鍵を開け、女性の衛兵に向き直った。
「サラ。君にはこのまま女子寮に戻り、聞き取りを頼みたい。いいかな?」
「ああ、任せときな。デルタ爺さんも無理すんなよ。そいつが暴れたら大声出しな。飛んで帰ってくるから」
「ええ。叫び声だけなら自信がありますので。聞こえたらお早めにお願いします」
「ははっ。楽しみにしてるよ」
互いに笑顔でそんな会話を交わしてるけど、俺はこの二人の会話に強く違和感を感じていた。
年齢差をはっきりと感じる二人。
会話からすると、サラさんの方が実力が上っぽい感じだけど……。
「坊主。妙な事はするんじゃないよ。もし爺さんに何かあったら、あたしが承知しないからね」
「は、はい」
こっちに睨みを利かせたサラって人は、そのまま俺の脇を抜け、女子寮の方に戻って行き、ここには俺とデルタって人だけが残された。
「では、青年。行くとするか」
「はい」
デルタさんに続いて、塔の中に入って行くと、壁にかけられたランタンに照らされた一階の広間と、外壁に沿って上に向かう螺旋階段が見えた。
こんなの日本じゃ早々見られないから、ちょっと新鮮だな。
思わずきょろきょろと部屋をしていると、デルタさんは俺に構わず螺旋階段を進んでいく。
それに続いて階段を上っていったんだけど、途中で彼から声を掛けられた。
「青年。ひとつ聞いてもいいかい?」
「あ、はい」
「何故、あの場を己の力で切り抜けようとしなかったんだい?」
振り返らず歩くデルタさんの質問に、俺は思わず目を
その言葉は、俺にそれなりの実力があるって分かっているって事なんだから。
でも、同時にその言葉は、俺の推論が正しい事を証明したって事でもある。
「……突然の事に戸惑いもありましたし、彼女達が悪い訳でもなかったので、下手な事をして傷つけたくなかったのもあります。ですが、一番の理由は……あなたが、強すぎるからです」
「……ほう」
その言葉に、デルタさんが足を止めこっちを振り返ると、どこか感心した顔をする。
「何故そう思ったんだい?」
「えっと、あなたからの圧、でしょうか。サラって方は気づいてなさそうでしたけど」
俺の言葉を聞き、皺の多い顔が緩むと、再び前を向き階段を登り始めた。
「状況を鑑み、実力差を見抜き、正しい判断を下す。そんな君が、不埒な理由で女子寮に侵入するとは思えないが。とはいえ、女子寮に迷い込んだのは真実。済まないが、拘束については勘弁してもらえるかい?」
「はい。それは仕方ない事ですから。お手数おかけしてすいません」
そんな返事をすると、少し申し訳無さそうに、デルタさんが言葉を続ける。
「……まあ、君のような実力者なら大丈夫だと思うが。この塔で牢代わりに使用している部屋はひとつしかなく、生憎既に捕らえられているものがいてね」
「捕らえられている者、ですか?」
「そうだ。私やサラが一緒の時は手助けもする。が、もし一人の時に命の危機を感じた場合は、君自ら切り抜けてもらうしかない」
……え? 命の危機?
それって、誰か危険人物が捕らえられているって事だよな!?
予想しなかった言葉に内心動揺したけど、牢に入るのは確定している以上、断りようもないか。
「……とりあえず、死なないように頑張ります」
そう言ってはみたものの。
俺、やっぱり絶体絶命なのは変わってないじゃないか……。
何ともいえない気持ちになりながら、俺は重い足取りで、彼の後を付いて行った。
§ § § § §
螺旋階段は緩やかだったとはいえ、結構な時間を歩いたと思う。
これでも身体は鍛えてるし、息切れこそしなかったものの、同じような光景を見ている内に、どこまで歩いたかの感覚が希薄になっていく。
そして、塔の中の景色に飽き始めた頃、やっと階段が終わりを迎えた。
「ここが、今日君が過ごす牢だ」
塔の最上階のフロア。
その奥にある部屋の前まで案内された俺は、予想以上に豪華な扉を見て、思わず首を傾げる。
「えっと、ここが牢なんですか?」
「そう。とはいえ、正しくは先程話した通り、牢代わりに使用している部屋にすぎないがね」
「どうしてこんな豪華そうな部屋を、そんな風に使用しているんですか?」
俺の質問に答えず、デルタさんは扉の錠前に宝石のような物をかざす。
すると、カチャリと扉の鍵が開いた。
「こうやって、専用の鍵がなければ開けられないからさ。勿論内側からもね。しかもここは地上二十階ほどの高さで、窓から逃げるのも至難の業。普段は使われない部屋だからこそ、悲しいかな。牢としてうってつけという訳さ」
そこまで話すと、彼はくるりと俺の方に向き直り、俺の手に嵌められていた手枷を外した。
「いいんですか?」
「本来ならダメなんだがね。流石に君の命が掛かっている」
そこまで言ったデルタさんは、俺に真剣な顔を向けてくる。
「青年。名は?」
「え? あ……えっと……」
問い掛けに思わず言い淀む。
俺としては、理由があって今はまだ話したくない。
でも、それじゃより不審がらせちゃうだろうか?
迷ったまま何も言えずにいると、デルタさんは、
「無理に名乗らずとも構わないよ」
そう気を遣ってくれた。
「すまないが、君を牢に入れたら、私は寮の警備に戻らなければならない。明日の早朝には迎えに来るから、まずはそこまで何とか生き延びなさい」
「……わかりました」
彼の言葉に、緊張しながら頷いた俺は、ゆっくりと扉を開けたデルタさんに促され、部屋に入っていった。
薄暗い室内。
窓に掛かったカーテンの裏から月明かりが入っているものの、壁や天井に明かりがないため、ほぼ闇に近いこの中は、ただただ薄気味悪さしかない。
「では。君の無事を祈っているよ」
背後から聞こえたデルタさんの声と共に、扉がゆっくりと閉められ、鍵が掛かる音がする。
……さて。ここにどんな奴がいるんだ?
緊張しながら周囲を見回すけど、薄暗い室内にそれっぽい人影はない。
部屋中央には、何かを置く台座のようなシルエットが見えるけど……。
まずは灯りを確保するか。そういや、あれは……あったあった。
暗がりの中、上着の内ポケットに手を伸ばすと、そこにあるスマートフォンを確認する。
俺はほっとしつつ、それを手にしようとしたんだけど。ふと台座の裏から、のそっと何かが起き上がる影が見えて、思わずその動きを止めた。
ぱっと見、そのシルエットからわかったのは、人じゃない何か。
ってことは、捕らえられている物って、まさか獣や
ま、まあ、相手できなくはない。ないけど……。
俺は嫌な汗を掻きながら、緊張した面持ちでじっとその影を見つめていた。
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