第三話:勇者の息子と愛猫と

 ほぼ明かりのない闇の中、薄っすらと見える影。

 俺は緊張しながら、その姿を見つめている。


 この場を乗り切れって言われたけど、今までに実戦を経験なんてしてこなかった。

 そりゃそうだ。

 日本で暮らしてて、誰かと戦うのですら父さんとの稽古くらい。

 それはある意味で実戦。だけど、命のやり取りなんてないわけで。


 異世界転移して、初の実戦……。

 緊張で喉が渇き、ごくりと生唾を飲み込む。


  ── 「もし一人の時に命の危機を感じた場合は、君自ら切り抜けてもらうしかない」


 デルタさんの言っていた命の危機……。


 この危機を乗り切れるのか?

 生き残れるのか?


 そんな自問自答をしながら、緊迫した空気の中なんとか身構えたその時。ふと耳に届いた鳴き声に、俺は思わず首を傾げた。


「グルルルルル……」


 それは唸り声……だと思う。多分。

 いや、何でこんな反応かって言うと、その声があまりに可愛らしい、高い鳴き声だったからだ。


 シルエットから判断する限り、それは多分大きめの四つ足の獣。そして今の反応からすると、虎か狼か辺りだと目星を付けている。

 だけど、唸り声ってのはもっとこう、はっきり威嚇を感じさせる、低い声を出すだろ?

 聞いた鳴き声が、どうにもイメージに合わなくって。


 想定外のギャップに拍子抜けし、緊張の糸が切れた俺は、完全に油断した。

 唸り声が止み、一瞬背筋をピンっと伸ばした相手がすっと身を低くした、その刹那。


「……はっ!?」


 跳躍──って、でかっ!

 俺くらいの大きさの何かが、勢いよく飛びかかってきたけど、虚を突かれたせいで、その場で立ち竦み動けない。

 こ、このままじゃ──。


「うわっ!」


 まともに動けなかった俺は、そのままそいつにのし掛かられ押し倒されると、


「ミャウミャウ!」

 

 ざらついた何かで、ペロリと舐められた。


 え!?

 ちょっと待て。この鳴き声は!?


「お前、ミャウか!?」

「ミャウ!」


 俺が目を丸くした瞬間、喜びの声と共に、あいつは舌でペロンペロンと激しく顔を舐めてきた。


「ちょ! ミャウ! 落ち着け! 落ち着けって! ちょっと! く、くすぐったいから!」


 再会できた喜び以上に、俺は普段以上に激しい舐められっぷりにくすぐったくなり、必死に抵抗したんだけど。

 普段より図体がでかいあいつを押し退ける事もできず。

 結局俺は、しばらくくすぐったさを味わいながら、ミャウになすがままにされるしかなかった。

 

   § § § § §


 少しして、やっと落ち着いたミャウが、俺からゆっくりと退いてくれた。


 顔があいつのよだれでベトベト。だけど、それだけ再会を喜んでくれたんだよな。

 そんな気持ちで自分をなだめつつ、よだれをハンカチで拭う。


「ミャウ。他には誰もいないのか?」

「ミャウ」


 暗いとはいえ、ここまで顔が近ければ、こいつが頷いたのも流石にわかる。普段より顔も大きいしさ。


 誰もいないなら大丈夫か。

 だったらスマートフォンの明かりより、こっちの方が落ち着くだろ。


 俺は意味もなく周囲を確認した後、魔術、光明ライトを無詠唱で発動した。

 術の効果で頭上に現れた淡い光の球が、俺達の周囲を柔らかな光で照らし出す。


 ……ほんと。

 魔法は便利だよな。不用意には使えないけど。


   § § § § §


 見ての通り、俺はさっきの女子達が使っていたような魔法を使えるんだけど、あの時彼女達の前で使わなかったのには、色々と理由があった。


 ──実は。

 この世界では、種族に関係なく、男は魔法を使えないけど身体能力が高め。女子は魔法を使える代わりに身体能力が低めっていう特徴がある。

 この話を聞くと、俺は男だから魔法を使えないんじゃ? って思うかもしれないけど。

 そんな世界の例外が、異世界から転移してくる俺のような存在、通称来界者フォールナーだ。


 別世界の人達はこの世界のことわりの外にあるからこそ、男子でも魔法が使えるようになるし、女子でも屈強な力を手にできる。

 つまり、魔法が使えても問題はないんだけど。


 俺が住んでいた現代世界の日本じゃ、本来魔法なんてのは空想の世界の産物であり、存在もしなきゃ学ぶ機会だってない。

 勿論、神様の力で異世界転移させられて、力や魔法を授かるなんて都合のいい事なんてのも起きなかった。

 実際、俺がそんな経験をしていないのがその証拠。


 つまり、初めて異世界に来ながら、いきなり魔法を使えている俺は異端って事になる。


 じゃあ、何故俺が魔法を使えるのか。

 それは、俺の父さんである結城ゆうき龍司りゅうじこそ、異世界ディアローグを救った勇者であり、母さん結城ゆうきエリナが、愛した父さんと共に邪神と戦い、向こうの世界に移り住み結婚した、霊魔族エルファの賢者だったから。


 幼い頃から、何かあった時の為にって、元いた世界で父さんから剣術や体術を学び、賢者だった母さんからも、色々な魔法を教わったからこそ、俺は魔法を使えるし知識もあるってわけ。


 ちなみに、魔法を使うには本来詠唱が必要なんだけど、俺は何故か魔法を無詠唱で発動する事ができる。

 まあ、これは試してみたら、たまたまできただけで理由も分からないんだけど、流石に特異すぎて両親にも内緒にしていたりする。


 とまあ、そういう訳で。

 これが俺がこの世界を知っていて、一応こういった適性もある理由だ。

 さっきエスティって子の詠唱を聞いただけでその術を当て、そこから異世界ディアローグが転移先だって分かったのも、両親から色々学び、聞いていたからに他ならない。


 でも、さっき話した通り、俺はここまで魔法を使わなかっただろ?

 それは何故かっていうと、父さんが以前話してくれた、こんな教えがあったからだ。


  ──「いいか? お前が万が一異世界転移しても、できる限り力を見せるなよ。もしもの時に、勇者に担ぎ上げられるかもしれないからな」


 勇者として、邪神ヴァーザスを倒す。

 その旅路の中で、父さんは大事な仲間や世界の人達が傷つき、命を落とすのを見て。

 それでも世界を救うため傷を負いながらも必死に戦い、時に誰かを殺す。そんな経験をした。


 多くの人に感謝される。

 それは嬉しかったけど、同じくらい辛く哀しい思いを沢山経験したからこそ、勇者になんてならない限るって、口酸っぱく言われたっけ。


 さっき女子寮で俺が強引にいかなかったのも、そんな教えがあったのも理由のひとつ。

 生い立ちも力も隠しておかなきゃ、父さんの心配が現実になるかもしれない。そう思ったからだ。


   § § § § §


 っと。それより今はミャウの事だ。

 照らし出されたあいつは、元の世界と同じ真っ白で愛らしい猫の姿。

 だけど、体長は身長百七十五センチの俺と同じくらい。

 これだったら、こいつの背中に乗って移動できるかな……って。今はそういうのは後。まずは事情を確認しないと。


 前足だけまっすぐに床に突き、ぴんっと身体を起こし礼儀正しく俺の脇に座るミャウ。


「なあ、ミャウ。何でお前は俺を異世界転移させたんだ?」


 尻尾をゆらゆらさせ、嬉しそうな顔をしていたあいつにそう問いかけると、彼女はきょとんとした後に首を傾げる。


 ミャウは人の言葉がわかるから、こうやって話しかけて反応を見る事で、ある程度意思疎通できるんだけど。

 首を傾げたって事は、こいつが俺をこっちに連れてきた訳じゃないって事か?


「ここに飛ばされる前、公園内の森に入ったのは覚えてるか?」

「ミャーウ」


 質問に首を横に振るミャウ。

 ん? 違う……って、どういう事だ?


「もしかしてお前、ここに飛ばされるまで時の事、覚えてないのか?」

「ミャーウ……」


 これにはあいつも、申し訳なさそうに首を縦に振る。

 って事は、誰かに操られていたのか。

 はたまた無意識に潜在的な力を使ったのか。


「お前が大きくなった理由も分からないのか?」

「ミャーウ」


 これまた困った顔で頷くミャウ。


 うーん。

 こういう時、直接話を聞けないのは、ちょっともどかしいな。

 けどまあ、今それを知ったからって、この反応じゃ異世界転移した理由まではわからなそうだし。今はあまり気にしないでおくか。


「……ふわぁ……」


 っと。

 こんな形とはいえミャウと再会できたし、命の危険もないってわかったからか。ほっとして眠気が襲ってきた。

 俺の欠伸あくび感染うつったのか。ミャウもふわぁーっと欠伸あくびをしてる。


 ……本当は色々考えなきゃいけないことはあるし、この先どうなるかも分からない。

 でも、今はこうやって、屋根のある部屋で寝泊まりできるだけでも感謝するか。


「ミャウ。今日は休もう。明日何があるかも分からないし」

「ミャウ」


 こくりと頷いたあいつは、そのままするりと歩きだすと、俺の頭側でくるりと背を丸め横になる。


「ん? もしかしてお前、枕代わりになるつもりか?」

「ミャウミャウ」


 そうだよと言わんばかりに目を細め、にっこりするミャウ。

 確かに普段も俺のベッドで一緒に寝たりしてたけど、何時もなら俺の腕が枕代わりだったもんな。

 もしかしたらこいつなりに、恩返しができるとでも思ってるのかもしれない。


「そっか。じゃ、お言葉に甘えるよ」

「ミャーウ」


 どうぞって言ったっぽいミャウに微笑みかけると、俺はゆっくりとあいつの身体にもたれ掛かる。

 大きくなったせいか。普段以上に心地良い毛ざわりの良さと柔らかさ。良い意味で、普段触れているのとだいぶ違うんだな。


「じゃ、おやすみ。ミャウ」

「ミャウミャウ」


 光明ライトを消し、身体にもたれかかった俺の頬をペロッと舐めたあいつは、尻尾を毛布のように俺の上に乗せてくれたんだけど。そのぬくもりが、俺をあっさりと眠気にいざなっていく。


「ふわぁー」


 ぼんやりとした頭で、俺はひっそりと願う。

 寝て起きたらこれが全て夢で……ミャウとまた、向こうの世界で……一緒に、のんびり……できたら……いい、な……。

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