第16話 家族
思いがけない言葉だった。あまりのことに言葉が出ない。確かにナギの家族は皆優しくて、里穂をまるで家族のように大切にしてくれてはいたが、それと実際に家族になるのとでは天と地ほどの差がある。困惑する里穂の様子を見て、マナが言った。
「今すぐという話ではないのよ。ゆっくり考えてくれたらいいの。新しいお部屋を用意したから、先はどうあれこの家にいる間は我が家と思って過ごしてちょうだい。これは私とナギの強い希望なのよ」
「……ありがとうございます」
里穂はお礼を言うのが精一杯だった。そんな里穂にナギがしがみついた。
「お姉ちゃま大好き」
「私もナギちゃん大好きよ」
ナギの頭を撫でながら、できることならここにずっといたいと里穂は思った。
「ところで」
トーヤが再び口を開いた。
「リホにもうひとつ頼みがある」
「頼み?」
「昨日の話を聞いたんだが、何でも三日でスキア文字を覚えたそうじゃないか」
「ええ、まあ」
スキア文字とは里穂が解読した表音文字で、いわばこの世界のひらがなである。
「正直なところ、私も古い人間でね、女性は勉学など必要ないという考えだったんだよ。しかし、昨日コウに言われたんだ、ナギをリホのような賢い女性に育てるべきだと。仕事以外のことであんな熱心なコウを初めて見たよ。コウがそこまで言うならと私も考えを改めたんだ。リホ、どうだろう、ナギの教育係になってもらえないだろうか」
ナギが嬉しそうに里穂を見上げた。マナもユアンもレイまでもが深く頷いている。
「教育係? 私がですか? でも私はこの世界のことは何も……」
「もちろん君自身も教育が必要なことはわかっている。そこはユアンに任せようと思う。ただ、誤解しないで欲しいんだが、教育係になることがこの家にいられる条件ということではない。君は君のままで私たちの家族だ」
里穂は胸が熱くなった。自分にできることがあるなら全力で応えたい、そう思った。
「私に何ができるかわかりませんが、少しでもお役に立てたら嬉しいです」
全員の顔がほころんだ。
「ありがとう、リホ。よろしく頼むよ。さあ、君の新しい部屋を見ておいで」
里穂は皆の笑顔に送り出され、ユアンについてティールームを出た。少し奥まったところにある階段を上ると、階下とは違って飾り気のない薄暗い廊下があり、左右にはたくさんのドアが並んでいた。
「三階は主に物置として使っているよ」
ユアンは長い廊下の突き当りまで来ると里穂をドアの前に立たせた。
「ここがリホの新しい部屋だ。なかなか素敵に仕上がってるよ。開けてごらん」
里穂は少し重いドアを開けた。いちばんに目に飛び込んできたのは、目の前の大きな窓から見える青い空だった。窓際には小さなテーブルとロッキングチェアが置いてある。読書にはもってこいだ。左手にはベッドやクローゼット、右手には大きな木の机と椅子があり、机の前にも大きな窓がある。桜色のカーテンといい丸みを帯びた家具といい、落ち着いた中にも少女らしさに溢れていた。
「可愛い」
「気に入ったかい? 家具やカーテンはマナが選んだんだ」
「はい、とても」
「もっといいものがあるよ。リホ、後ろを見て」
その言葉に従って振り向くと、驚いたことに入り口のドアを囲んで壁一面の本棚があった。しかも半分ほど埋まっている。口をぽかんと開けた里穂をユアンは楽しそうに見ていた。
「君は僕に本が欲しいと言っただろ。ただし、これはコウからのプレゼントだ」
「コウさんから?」
「そう、朝のうちに職人を呼んで急遽しつらえたんだ。本はコウの図書室から運ばせていたよ」
「どうしてコウさんが」
「リホが本を読めるようになったお祝いじゃないかな? さあ、全部君の物だ、手に取ってごらん」
里穂は端から順に本に触れてみた。色も大きさも様々な本が並んでいる。そのうちの一冊を開くと、色とりどりの花の絵に里穂が覚えたばかりのスキア文字が添えられていた。
「それは子ども向けの植物図鑑だね。コウが小さい頃よく手に取っていたと思うよ」
「そんな大切な本……」
「なあに、今は全部頭の中に入っているさ。遠慮なく貰っておけばいい。それともうひとつリホに見せたいものがある」
そう言うと、ユアンは扉の正面の窓へと里穂を
「さあ、窓の外を見てごらん」
ユアンが窓を開けたので、里穂は一歩踏み出して身を乗り出した。青く澄み渡った空のもと、青々とした畑がどこまでも広がっている。民家らしきものが点在し、遠くには川や湖も見える。久しぶりの外の空気を里穂は胸いっぱいに吸い込んだ。
「あー、何て素敵な景色。空気が美味しい」
ユアンが隣に立った。
「いい景色だろう? ここから見える殆どがこの家の管理する薬草園だよ」
「ええっ!」
手広く商売をしているとは聞いていたが想像の遥か上をいくスケールだ。里穂が目を丸くしている横でユアンはこの国の成り立ちを説明し始めた。里穂は物語のようなそれを聞きながら、これから自分が本当にこの世界で生きていくのだと改めて感じていた。
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