第7話 鏡

「ところで、この部屋から出るとなるとその髪を何とかしないとね」


 里穂は自分の頭に手をやった。ケガの治療のために右半分はかなり短く切ってある。左側も肩までもないくらいだ。確かにこのままで人前に出るのは恥ずかしい。


「伸びるまではスカーフを巻くか帽子を被るかだなあ。どうする? 傷もかなり目立たなくなったし、とりあえず鏡を見てみるかい?」


 ここに来てからというもの里穂は一度も鏡を見たことがなかった。右半身の傷からいって顔もかなり酷い状態だったのだろうが、最近では手で触ってもそんなに違和感がない。普通なら鏡を見たがる頃だろうが、里穂は現実と向き合うことが怖かった。しかし、いつまでも逃げてはいられない。里穂は思い切っ         て鏡を見せて貰うことにした。


 気を利かせたユアンが出ていくのを待って、里穂は渡された手鏡をベッドの上でそっと持ち上げた。そしてそれはすぐさま里穂の手から滑り落ちた。鏡の中に自分とは少しも似ていない見知らぬ少女を見たからだ。心臓はかつてないほど鼓動を速め、呼吸が追いつかず胸が苦しくなった。受け入れがたい現実に嗚咽と共に熱い涙がとめどなく溢れ出す。


 しかし、本当はどこかでわかっていたのだ。そもそも体は痩せこけひと回り小さくなった気がしていたし、頬の輪郭も自分とは違うように感じていた。ほぼ寝たきりのせいだと思い込もうとしていたが、もし自分がこの国の人たちと見かけが違うなら彼らは別の扱いをしたはずだった。けれど、誰も里穂を異国の者としては扱わないどころか近くの町で家族を捜すと言った。それはすなわち、里穂が彼らと同じ見た目をしているということだった。


 ひとしきり声を殺して泣いた後、里穂は改めて鏡を覗いた。里穂よりは若い、恐らく十代半ばくらいだろうか、痩せた顔に泣き腫らした大きな目が目立つ女の子が里穂を見つめていた。顔の右半分にはまだかさぶたがあちこちに残っていて痛々しい。右半分だけ乱雑に刈り取られた髪も見苦しい。けれど意志の強そうな美しい顔立ちをしていた。


 どういう経緯で彼女の体に自分の魂が入り込んだのかわからない。彼女の魂が今どこにあるのか、何なら自分の肉体がどうなってしまったのか今は何もわからない。ただ里穂の心がこの少女の体に宿ってしまったという現実はもう動かしようがなかった。


 私はこれからこの顔で彼女として生きていくしかないんだ。


 里穂は改めて鏡の中の少女と目を合わせた。真っ直ぐな眉、青みがかった薄茶色の瞳、すっきりと筋の通った鼻、引き締まった口元。初めて見る顔のはずなのにとても愛おしく思えた。里穂は涙を拭って背筋を伸ばした。


「はじめまして、飯田里穂と言います。あなたの体を使ってしまってごめんなさい。大事にするって約束します。だからこれからはリホとして生きてください。よろしくお願いします」

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