「親の気持ちもわからなくもないけどね。作家とかって不安定な職業だから。あたしにも未だにうるさいですもん、親の小言」

「また電話来たんですか?」

「うん。芳野さんには何回か話したよね。健康面の心配はありがたく受け取るけど、その次には今付き合ってる人はいるの、絵を描いてなんて一人で食べていけないよ、いい加減いい男見つけろ。そんで嫁に行きなさい。そんなんばっかですよ」


 ユキナは饒舌だ。しかし、文字を追う目は真剣そのもので、私はいつも彼女の集中力には驚かされている。

 こんな風に話しながらなのに、内容の確認に漏れを生じたことはこれまでただ一度もない。次々と紙をめくりながら、それでね、と続ける。


「もし彼氏がいたとしてもさ、あたしの仕事が不安定だからって理由で嫁に貰ってくれって、どう考えても頭おかしいですよね。そこらへんわかってないのが問題」


 そしてあっと言う間に確認は終わる。はい、と私に返してきた。


「彼のクセはわかった。ありがと。萌えも必要かもしれないけど、そこまで振り切らなくてもよさそうですね」


 ずずーっとレモンスカッシュを吸い込む。この早さも彼女の特徴だ。


「芳野さんは親から何か言われる?」

「え」

「会社やめて、フリーの編集になったじゃないですか」

「あー……実は親には言ってなくて」

「マジ!?」

「仕事内容は変わらないし、まぁ言わなくてもいいかって……」

「その手があったか! へえ、芳野さんってキッチリ親に報告タイプだと思ってましたよ」

「いやぁ……隆介さんとのことでもうるさいので、それ以上面倒な事になるのは……」


 つい正直に答えてしまった私を、ユキナはあぁそうかもね、と軽く流す。


「……ま、結婚だのなんだの、あたしの場合はそれ以前の問題ですけどね」

「問題っていう表現は違うんじゃないんですか」


 ユキナの声に被せるように、つい声が出てしまった。ユキナは少し驚いたように目を見開くと、肩を竦めてふふっと笑う。


「芳野さんは優しいから、そんな風に言ってくれるだけだよ」

「違います」

「ま、一生親には言うつもりないですけどね。これ以上親に精神的負担与えるわけにはいかないっしょ」


 何てことのないようにユキナは笑う。やるせない気持ちになってしまったのが伝わったのだろう、「やだなぁ」と明るく肩を叩かれた。


「てかさ。それより何があったの? 倒れてたって」

「えっ」

「だって普通じゃないよ。気づいたら倒れてるとか。芳野さん貧血持ちでしたっけ?」

「え、いえ、違いますけど……」

「本当に病院行かなくてよかったの?」


 純粋に心配の言葉をかけてくれるユキナの声が、自分の心臓の音でかき消されそうになっていく。目の前にいるのはユキナなのに、部屋に戻される気がした。ここは喫茶店で、今は打ち合わせ中で、ノートパソコンは持ってこなかった。あのため息だって、聞こえてこない。


「芳野さん? ちょっと、どうしたの。すごい汗」


 息が荒くなっているのは自覚していた。

 俯いてしまった私の顔を、ユキナが心配そうにのぞきこんでくる。視界の端で、老紳士マスターがこちらの様子を窺っているのもわかった。

 大丈夫です、とようやく顔を上げたところで、ヒッと喉の奥が引き攣る。

 ユキナの顔が、真っ黒だった。


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