そもそも絶望的な片想いだと思っていたから、今こうしていることが夢みたいで幸せだ。付き合ってまだ長くはないが、今はもう、こういう人なんだと半ば諦めも伴って、私からは返信を期待しないメッセージを三日に一回ほど送るに留まっている。

 寂しくないと言えば嘘だ。本当はとても寂しい。私が会社を辞めた今、毎日顔を合わせることがなくなったから尚更寂しい。

 朝の挨拶だけでも、ランチを食べているとでも、帰宅したという旨だけでもいい。隆介が何をしているのか知りたいし、私も教えたい。

 髪を切った、映画を観た。今こんな本を読んでいる。

 本当は何てことのない会話を望んでいる。

 でも、出来なかった。怖かった。『髪切ったよ!』と写真を送って、返信がなかったらと思うだけで身が竦んだ。『似合ってる』とすぐ返信をくれるよりも、数週間後に全く関係のない話を送られてくることの方が簡単に想像できたからだ。とても勇気が出なかった。

 頼んで『してもらう』のは意味がない。隆介が望んでいないのなら、そんなのはすべて私の一人相撲にしかならない。

 友人には遠慮しすぎだと同情されたり、連絡頻度は話し合ってお互いに譲り合わないといつか無理が生じるよと諭された。だから私も、本当は寂しいと伝えてみようと何度も思った。

 でも、どうしても出来ない。怖い。どうしても、怖かった。今の私が一番怖いのは、隆介の心が離れてしまうことだ。編集者の多忙さは、同業だった私が誰より理解していると思いたかった。連絡が遅くなることについて彼も謝ってはくれる。悪いとは思ってくれていると信じている。

 時折かかってくる電話だけで嬉しくて泣きたくなるのに、たまに会える時間くらい不平不満をぶつけることに当てたくなかった。私の「寂しい」は我儘だ。

 所詮あんたは都合のいい女でしかないと、陰で揶揄されていたことも知っている。そうかもしれない。どんなに連絡がなくても不満を言わず、すべての都合は彼に合わせ、会えばセックスをする。生理中は口でしてあげることも珍しくない。……こうして挙げてみると、なるほどそうかもしれない。

 好きな人の理解ある恋人でいたくて振る舞っているだけで、心の中はこんなにも真っ黒だというのに。

 それでも、焦がれて焦がれて仕方なかった隆介を手に入れた充足感を手放す勇気はなかった。

 だから私は、いつだってこう返信する。


『スケジュール調整するね。時間はまた空いてる時にでも連絡ください』


***


 視界がオレンジ色で満たされた、夜のトンネル。

 私はこの世界が昔から好きだった。父親の車の後部座席で眠気と闘いながら、窓の外を眺めていたのを覚えている。夜の高速道路はトラックも多くてひやりとすることもあるが、それでもはやり、トンネルに入るたびに不思議と満たされるのだ。

 時間を確認する。もうすぐで深夜零時を回る。

 浜松へ向かっている時は、現地でホテルを探す予定だった。しかし隆介と日曜に会う予定が入った瞬間、帰らないといけなくなった。日曜の夕方、私が担当している小説の挿絵作家とアポを取っていたからだ。日程変更が可能か否かを連絡すると、『もしかして、またあの人ですか』と呆れたように笑った声が返ってきた。挿絵作家――ユキナにはすべて知られている。元々の彼女の担当が隆介であり、私が彼に恋心を抱いたその瞬間からどうやらバレバレだったようだ。

 まぁいいですけど、と続けたユキナは『でもそうすると私、明日の十時からしか空いてませんよ』と言う。明日は金曜日。今の状態では夜はろくに眠れないだろう。朝早く起きて、高速を運転する自信はない。帰るしかなかった。


「……大翔くんは、もういいかなぁ……」


 自然と口からこぼれ落ちる。

 彼をこれ以上追う意味はないだろう。いつの間にか戻ってくるブックマークは確かに不気味だが、彼は遠ざけている。家の外であれを感じることはなくなっていると言っていた。きっとそのうち消え失せてしまう。紗和のように。

 あれだけの恐怖にさらされていた紗和は、今は「何もないんです」と話をしめた。どうしてなくなったんだと思いますかと聞くと、「さあ」と首を傾げていた。

 ――



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