第33話 お嬢は早くノクス殿のところへ

「あっ、ヤバ……!」

「お嬢! ここは私にお任せを。耳栓準備!」


 アリシアの肩からレオナルドが華麗にぴょーんっと跳び上がった。空中で一回転するとパッと手足を大きく広げ、真下にいるヴァンパイア二人めがけて思いきり絶叫した。


「くらえ! 終わりなき死者の子守歌ララバイ! ルララララァァァァンッ!」


 暗い地下には不釣り合いな、驚くほど澄んだ美声が響き渡った。おまけにしっかり完璧なビブラートまでかかっている。それはもうマンドラゴラの絶叫などではなく、誰もがうっとり聞き惚れるほどの歌声だ。

 しかしどんなに美しい声でも、やはりマンドラゴラの絶叫である。レオナルドが命名した不気味な技名の通り、ヴァンパイアたちは揃って意識を失い、バッタリと床に倒れて眠ってしまった。そのうち、一人のヴァンパイアの頭にスチャッと着地したレオナルドは、「どうだ」と言わんばかりに小さな胸を張っていた。


「レオナルドさん、すごい。いっぺんに……ふたりも!」

「私の美声がヴァンパイアにも効いたのはセドリック殿のおかげですよ」

「コイツラ、ドウスル?」

「途中で目覚められても困るし、私のステッキに吸い込んでおきましょうか」


 アリシアの持つ黒水晶のステッキもセドリックによって強化されている。試しにステッキを振ってみると、鈍く光った黒水晶の中へヴァンパイアたちが吸い込まれていった。

 ……かと思ったが、どうやら容量が超えたらしく、片腕だけが黒水晶から飛び出してしまった。


「キモッ! 気持ち悪いですぞ、お嬢!」

「うえぇぇ!? ヴァンパイアも吸い込めるってお父様言ってたのに!」

「パパさん……たしか、ひとりくらいなら……って、言ってた気がする」

「イッテタ、イッテタ!」

「えぇぇ……。ど、どうしよう、これ」

「ひとまずそのままがいいかと。出した衝撃で目覚められても困りますからな」

「そ、そうね! 今はノクスを探すほうが先だわ」


 そうしてヴァンパイアの片腕が飛び出した黒水晶のステッキを持ったまま、アリシアたちは暗い地下牢の奥へと進んでいった。


 石造りの地下に、硬い靴音が響いていく。思っていたより地下の空間は広く、通路の脇にはたくさんの牢が並んでいた。けれど牢の中に囚人らしき姿は誰もおらず、不気味なほど静かな空間にどこからか滴る水音が聞こえてくるだけだ。


「ノクスさんの気配は……この奥、だよ」


 ウィルが示した先には、今まで通り過ぎた牢とは明らかに違う、灰色の鉄扉が立ち塞がっていた。

 鍵穴もなければ取っ手もない、不思議な扉だ。恐る恐るステッキの柄で突いてみると、衝撃を感じた扉の表面がゆるくさざめいて一瞬だけ赤い魔法陣を浮かび上がらせた。


「この扉、どうやって開けるのかしら」

「ワタシ、ヤッテミル!」


 そう言ったメアリーが、先程と同じくバスターソードを扉めがけて振り下ろしてみる。鈍い音が響いたが、扉はまた魔法陣を一瞬揺らめかせただけで、元の灰色の鉄扉に戻ってしまった。


「何か、術が施されているようですな。赤い魔法陣が、結界となって扉を守っている。しかしわざわざ地下牢に捕らえているわけですから、奴らもノクス殿の命までは取るつもりはないはずですが」

「ごはん抜きで……餓死、させる気かも」


 一番純粋なウィルから物騒な言葉が飛び出した。純粋すぎて逆にどこまでも残酷になれるのかもしれない。


「それはないでしょう。初めからノクス殿を殺すつもりなら、捕らえた時点でそうしているはずです。ここに捕らわれているということは、奴らはノクス殿を殺すつもりはない。だとすれば食事も当然与えるでしょうし、そのためにはこの扉も開かれるはず。どこかに鍵となる仕掛けがあると思うのですが……」


 レオナルドの推測が本当だとするなら、ノクスが生きていることに安心するのが当然だ。もちろんアリシアもホッと胸を撫で下ろしたが、それと同時に心の奥にまでべっとりと張り付く気持ちの悪い不安も押し寄せてきた。


 ノクスは子供の頃、ヴァンパイアたちに拷問に近い仕打ちを受けていた。ヴァンパイアたちがダンピールであるノクスを虐げることに愉悦を感じていたとするなら、ノクスはこの扉の向こうで一体どれほどまでに傷つけられているのだろう。想像するだけで血が凍り、瞼の奥から涙が滲み出した。


「早く助けないと……!」


 焦った拍子に黒水晶のステッキが扉に触れた。また赤い魔法陣が揺れて浮かび上がったが、今度は少し様子が違っていた。

 魔法陣の真ん中に、手形が浮かび上がったのだ。


「お嬢! それです! 黒水晶のステッキです!」


 レオナルドが何かに気付いたのか、アリシアの持つステッキについている黒水晶を指差した。そこには吸い込みきれなかったヴァンパイアの腕が力なくぶら下がったままだ。


「牢番のヴァンパイアの手を、手形に合わせるのです!」


 言われるがまま、黒水晶からはみ出したヴァンパイアの手を扉に浮かび上がった手形に合わせてみる。すると赤かった魔法陣が灰色に変化して、鉄扉と混じり合いながら消えていった。


 がちゃり、と低い音が聞こえたかと思うと、灰色の鉄扉が錆びた音を立ててわずかに開く。いてもたってもいられず、すぐに飛び込もうとしたアリシアを、レオナルドの落ち着いた声が制止した。


「お嬢。おそらくノクス殿はひどい状態だと思われます。気を確かに持つのですぞ」

「……わかったわ」

「ステッキ、アズカル」

「え?」

「せっかくの再会に、野暮なヴァンパイアは必要ないでしょう。私たちはしばらくここで敵が来ないか見張っておりますゆえ、お嬢は早くノクス殿のところへ」

「でも、怖いから……ちょっとだけで、ごめんね?」

「みんな……ありがとう。五分だけ待ってて」

「あぇっ!? い、一分くらいじゃ……お嬢? お嬢ー!」


 レオナルドの声が聞こえなかったふりをして、アリシアは扉を開けて中へ滑り込んだ。


 真っ暗だと思っていた室内は、薄くぼんやりとオレンジ色の光で照らされていた。壁に備え付けられた燭台に、ろうそくの炎が揺れている。

 冷たい石造りの部屋だ。他の牢と違って、質素だがちゃんとしたベッドも置いてある。床には薄い絨毯が敷いてあって、その上には食事をするためだと思われるテーブルもあり、この部屋で最低限暮らせるだけの設備が整っていた。

 けれど、室内の空気は澱んでいる。濃い血のにおいが充満していた。


「……ノクス」


 ろうそくの炎は弱く、部屋の奥までを照らすには至らない。ひとまず壁にかかった燭台を手に取ろうと進んだところで――ぐしょり、と足元から湿った音が聞こえた。

 絨毯を踏んだアリシアの靴に、血が飛び散っていた。よく見れば絨毯の赤い色は模様などではなく、たっぷりと染み込んだ血液だ。鮮やかな赤もあれば、くすんだ黒に近い色もある。それが全部血なのだと理解した瞬間、アリシアは息を呑んで立ち尽くしてしまった。


 薄闇に慣れた目が部屋の惨状をありありと映し出す。

 血に濡れた絨毯。正面の壁から垂れる鎖の手枷。部屋の隅に置かれたベッドのシーツはぼろぼろに破れていて、そこにもおびただしい量の血痕が残されていた。


「ノクス……っ!」


 見渡した限りで死角になっている場所はベッドの向こうだけだ。ろうそくの明かりも届かない暗闇へ目を向けると、ベッドと壁の間に澱む闇がわずかに揺れた。


 そこにノクスがいると確信した。これほどの血を流しているのだ。もしかして動けず、床に倒れ込んでいるのかもしれない。

 不安ばかりが押し寄せて、アリシアがベッドのそばへ駆け寄ろうとしたその瞬間。


「それ以上、近付かないでください」


 暗闇の中から、なつかしいノクスの声がした。

 


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