第32話 フレッド……エッチ

 城の城門には誰もいなかった。門番など立てずとも侵入者など即座に排除できるという意味なのか、それともヴァンパイアの城に侵入する命知らずなど端からいないのか。どちらにしろ見張りがいないのは助かった。


 薔薇の垣根に身を潜め、アリシアたちは慎重に周囲の様子を探っていた。しばらくすると鉄門の奥から青い炎が抜け出してくるのが見える。ウィルだ。どこか侵入できそうな場所がないか、先に調べに行ってくれたのだ。

 あの泣き虫だったウィルが一人で行くと言った時は正直びっくりしたが、アリシアの知らないところで彼もずいぶんと成長しているのかもしれない。大きな瞳は潤んでいて少しべそもかいていたけれど、前みたいに声を上げて泣くことはしなかった。


「えっとね……このお城はいま、ヴァンパイアの中で一番強いひとが住んでるっぽい、よ? 桁違いの魔力がひとつ、お城のなかにあった。ノクスさんの気配は、ずっと……下のほう、かな」

「罪人を閉じ込めるには地下牢がセオリーだからな」

「では、ウィル。その地下牢への最短ルートはわかりますかな?」

「お城のなかに入ったら、もっとちゃんとわかる……と思う」

「それじゃあ善は急げです。ノクス殿をちゃちゃっと連れ戻して、みんなで一緒に帰るのです!」


 張り切ったレオナルドが、先陣を切って生垣から飛び出した。かと思うと硬い木の幹にぶつかって、べちょんと地面に転がってしまった。


「アイタタタ……。何ですか、この木は。さっきは生えてなかったは……ず」


 打ち付けた顔をさすりながら見上げたその先に、にょきっと生えた大きな木――ではなく、ヴァンパイアの男が立っていた。


「あぁ? 何だお前、どっから来た?」

「ヒョファイッ!?」

「マンドラゴラがこんなトコに何の用……」


 レオナルドを爪先で蹴りつけていたヴァンパイアが、話も途中に突然バタリと地面に倒れ込んだ。びっくりしたアリシアがフレッドを見ると、ちょうど構えていた銃を下ろすところだった。


「さすがは親父さんだな。これなら他のヴァンパイアにも気付かれずにすむ」


 セドリックがフレッドのために作った無音の銃弾。それは前の夢魔退治の際に使った銃弾より、更に無音性が高まっている。空気の振動も最小限に抑えられているようで、弾の発射をヴァンパイアに気取られる心配も少なそうだ。


「フレッド殿。助かりましたぁぁ」


 銃弾で眠らされたヴァンパイアの下敷きになっていたレオナルドが、情けない声を上げながら這い出してきた。手を掴んで引き出してやると、レオナルドはそのままアリシアの腕をよじ登って肩にちょこんと腰を下ろした。

 地面に倒れたヴァンパイアは、フレッドが足で強めに蹴っても起きる気配がない。眠りの効果には個人差もあるだろうから、ここからはいかに素早く動けるかが鍵となってくる。


「他の奴らが出てこないとも限らない。さっさと行くぞ!」


 そう言って、今度はフレッドが先陣を切る。職業柄、こういう状況には慣れているようだ。

 ヴァンパイアのいないルートを選び、城の周りを慎重に進むこと数分。アリシアたちは、ようやく城の内部へ侵入することに成功した。


「地下に行くにはこっちをまっすぐに行って……」


 探知機能を使って、ウィルがより鮮明に地下までのルートを割り出す。アリシアたちがいるのは一階だから、地下へ行くのにもそう時間はかからないはずだ。城内も思っていたより静かで、ヴァンパイアの姿を見たのも一、二度くらいだった。

 このまま何事もなく地下へ行けるのではと、そうアリシアが思っていると、先の角を曲がろうとしていたウィルをフレッドが厳しい声で引き止めた。


「待て」


 フレッドの制止に合わせて、角を曲がった先の廊下からヴァンパイアたちの声が聞こえてくる。声の感じから若い男が二人のようだ。


「おい、聞いたか? どうやら侵入者がいるらしいぞ」

「ヴァンパイアの城に侵入するとは、とんだ命知らずもいたもんだな。どこの魔物だ?」

「いや、たぶん人間だってさ。うまそうな血のにおいがするって言ってた」

「血のにおい? ……そういや、夢魔の使い魔が言ってたよな。薔薇の花嫁が生まれてるかもしれないって」

「侵入者が薔薇の花嫁とでも言うつもりか? 冗談だろ」

「でも……何か、イイにおいがしないか?」

「……確かに、うまそうなにおいがするな」


 ぎくりと身を震わせたアリシアの手を取って、フレッドが近くの部屋に滑り込んだ。幸いにして空き部屋だったようで、室内には夜の闇が沈殿している。


「さすがにお前の血のにおいまでは防げなかったな」

「指輪で眠らせてみる?」

「いや、時間が惜しい。……俺が囮になる」

「えっ!? でも……」

「俺たちが侵入したことがバレてるなら、きっと他の奴らも動いてくるはずだ。目の前の敵を相手にしている間に、背後から襲われるとも限らない。俺たちの目的はノクスの奪還だ。早いとこ連れ出して、ここから逃げ出したほうがいい」


 銃弾の装填を終えた銃を腰のホルダーにしまって、フレッドが扉の向こうの様子を窺う。先程のヴァンパイアたちは反対側の方へ歩いて行ったようだ。


「ウィル。ここから地下牢まではどれくらいだ?」

「そんなに遠く……ない、よ。まっすぐ行って、突き当たり……右に曲がって、ちょっと……いったくらい」

「お前たち、そこまでアリシアを守れるか?」


 フレッドの視線を受けて、レオナルドとメアリーが姿勢を正した。レオナルドは小声で「ンマァ~」と喉の調子を確かめて、メアリーは手にしたバスターソードを「ムンッ!」と振り上げている。そんな二人に負けじと、アリシアも黒水晶のステッキを握りしめて大きく頷いた。


「私だって自分の身は自分で守るわ。だからフレッドも無茶しないで」

「そりゃ頼もしい限りだな。……アリシア、マントを脱げ」

「えぇっ!? なっ、なん……」

「フレッド殿! それはさすがにマズいですぞっ。子供ウィルの目の前です」

「フレッド……エッチ」

「お前ら、馬鹿か! アリシアのにおいの付いたマントで目眩ましするんだよっ。勘違いすんなっ」

「そのわりにはフレッド殿……耳が赤いですぞ」

「ごちゃごちゃとうるさいんだよ、お前らは。ほら、アリシア。マント……貸せ」


 アリシアもちょっと勘違いしてしまったが、その後にレオナルドたちが盛大に誤解してくれたのでひとまずホッとする。

 何事もなかったようにマントを脱いでフレッドに手渡すと、身を守るものがなくなった気がしてほんの少しだけ体が震えた。その不安をフレッドが感じ取ったのかはわからない。けれどマントを受け取ったその手で、フレッドはぎゅっとアリシアの体を抱きしめてきた。


「フレッド!?」

「マントの残り香だけだと不安だからな。こうしたら直接においも移るだろ」


 そう言ってしばらくの間アリシアを抱きしめたあと、フレッドはマントを羽織ってフードを目深に被った。背の高さは誤魔化しようがないが、顔が隠れていれば少しの間くらいはヴァンパイアたちもマントに残ったアリシアのにおいに惑わされてくれるだろう。


「俺はある程度奴らを巻いたら、そのまま城を出て親父さんのところへ戻る。だからお前たちは、ノクスを見つけたら俺を待たずに転移石でまとめて親父さんのところへ飛べ」


 外の気配を窺いながら、フレッドが扉をそっと開いた。一人で出て行く前に、もう一度振り返って、アリシアをじっと見つめる。


「支配の指輪と転移石があれば、お前は大丈夫だ。どうしてもヤバくなったら……ノクスは諦めて転移石を使え」

「……わかったわ。フレッドも気をつけて」


 返事はせず、軽く腕を上げて、フレッドはするりと廊下へ飛び出して行った。しばらくすると、扉の向こうが急に騒がしくなる。入り乱れる足音と、おぞましい欲望を吐き捨てるヴァンパイアたちの声が大きくなって――そして遠ざかっていく。


「さ、お嬢。フレッド殿が囮であるとバレるのも時間の問題です。行きましょう」


 ウィルが外の気配を探り、誰もいないことを確かめてから廊下に出る。

 その後はもう無我夢中で走った。ヴァンパイアが出てくるかもしれない恐怖を原動力に変えて、アリシアは全速力で廊下を駆け抜ける。多少音が響いても構わない。今は一刻も早くノクスのもとへ辿り着くことが重要だ。


「お姉ちゃん! あの扉! その先にノクスさんがいるよぅ!」


 ウィルが教えてくれた扉は、けれど頑丈に鍵がかかっていた。


「そんな……」


 ここまで来て、愕然とする。扉に鍵がかかっていることくらい前もって予想できたはずなのに、一番肝心なことが頭からすっぽりと抜け落ちていた。


「どうしよう。何か……鍵を開けるもの……」

「ドイテ。ワタシガ、ヤル!」


 アリシアが振り返るより先に、ヒョォッと凄まじい風が肌を撫でていく。次の瞬間、ドゴォッと鈍い音が響いたかと思うと、目の前の扉がメアリーの振り下ろしたバスターソードで物の見事に砕け散っていた。


「えぇっ!? メアリー、何その怪力!」

「バスターソードノ、チカラ。パパン、スゴイ!」

「感心するのは後ですぞ。今の音で奴らに気付かれたかもしれません。お嬢、急ぎましょう!」

「そうね。メアリー、ありがとう!」


 地下へと続く階段は暗かった。けれどアリシアに明かりはいらない。前を進むウィルの青い炎がある。

 もしかすると牢番がいるかもしれないが、今のアリシアに恐怖はなかった。メアリーも、レオナルドもいる。一人じゃないということは、こんなにも心を強くするのだと実感した。


 だから、この思いを早くノクスに伝えたい。

 ノクスは一人なんかじゃない。こんなにもたくさんの仲間が、友達が、家族がいる。もちろんアリシアも、絶対にノクスを一人きりにはしない。

 だから手を伸ばしてほしい。ノクスが求めてくれるなら、アリシアは絶対にその手を離しはしないから。


 ――ううん、違う。


 ノクスが手を伸ばさなくても、アリシアはノクスの手を引いていく。多少の無理はしても、ノクスをこんな暗くさみしい闇の世界から引きずり出さなくてはいけない。


 ノクスの生きる世界は、アリシアの生きる世界だ。


「ノクス!」


 階段を下りきった先に続く地下牢に向かって、アリシアは強くノクスの名前を呼んだ。

 血のにおいの充満する湿った地下牢の奥、わずかに闇が揺らめく。その気配を探る前にアリシアの目に映ったのは、驚愕の表情を浮かべてこちらを振り返った牢番のヴァンパイアの姿だった。



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