第30話 支配の指輪が完成する

 フレッドにセドリックを背負ってもらい、ティーヴの森を出ると、ちょうどレオナルドたちを乗せた馬車が到着した。

 メアリーは頭から黒いフードを被っていて、一応その姿を他の人間に見られないように気を使っている。けれど黒いフード姿の御者は逆に不気味だ。加えてランタン代わりにウィルの青い炎がぼぉーっと揺れているものだから、何だか黄泉の国へ走る馬車と思われてもおかしくない。明日の新聞に、「死神の馬車、現る!」と見出しが載らないこと祈るほかないだろう。


 屋敷についたあと医者を呼んで診てもらったが、とりあえず命に別状はないということだった。目立った外傷もないし、呼吸も安定している。ちゃんとした明かりの下で改めて見た顔色も悪くはなさそうだ。

 ノクスは捕まえることができなかったが、セドリックが戻ってきたことは大きな安心感となってアリシアの心を軽くした。


 その夜はフレッドも屋敷に泊まることになり、アリシアと共にセドリックの目覚めを待つことになった。

 起きてからすぐに話せる状態ならいいのだが、もしかしたら目に見えない呪いのようなものをかけられているかもしれない。フレッドが屋敷に留まったのは、何かあった時すぐに対処できるように、という思いも込められていた。――のだが。


「いやぁ、よく寝た! ……って、おや? ここは懐かしの我が家じゃないか」


 翌朝セドリックは、アリシアたちの不安を吹き飛ばすくらいの晴れやかな笑顔で目を覚ました。


「お父様!」

「親父さん!」

「アリシアに、フレッド? ……ということは、私はもしかして戻ってきたのかな? あれ? でも、どうやって戻ってきたんだろう? うーん?」


 寝惚けているのか、それとも意識が混濁しているのか。セドリックは口元に手を当てて、うんうん唸りながら昨夜のことを必死に思い出そうとしている。


「お父様。体の具合はどう? どこか変なところはない?」

「ん? あぁ、それは大丈夫だよ。軟禁状態だったけど、食事はちゃんと出たしね」

「食事って……そもそもお父様はどこに行っていたの? 勝手にいなくなったりして、私たちがどれほど心配したか……!」

「いやぁ……すまなかったね。目の前にいきなり扉が現れたものだから、体がつい」

「つい、じゃないわ! ヴァンパイアの血を採りに行ったんでしょう!? 無謀にもほどがあるわ!」


 アリシアがそう叫ぶと、それまでのんびりと笑っていたセドリックの表情が一変した。秘密がバレた後ろめたさのような、あるいは秘密を知った者への牽制のような。柔和なセドリックにしてはめずらしく、彼の纏う空気がわずかにピリッと緊張する。


「アリシア。その話を誰から聞いた?」

「ノクスよ。……ねぇ、お父様。私たち、もう全部知ってるの。薔薇の花嫁のことも、支配の指輪のことも。そして……ノクスのことも」


 戸惑いと覚悟の間で、セドリックの瞳が揺れている。アリシアと同じ、曇りのない青空のような色だ。


「だからもう秘密にしないで」

「アリシア……」


 セドリックの手をギュッと掴んで懇願する。久しぶりに触れたセドリックの手は大きくて、ノクスともフレッドとも違う安心感にアリシアの視界がかすかに歪む。


「あぁ……そうか。私をヴァンパイアの城から連れ出してくれたのはノクスだったのか。昨夜の記憶が少し曖昧だから、おそらく眠らされたんだろう。……ノクスは?」


 泣くのを堪えて俯いたアリシアから視線を移して、セドリックがフレッドに答えを求めた。何となく嫌な予感がしているのか、セドリックの表情はさっきよりもなお険しくなっている。


「あいつは、ここを去っていった」


 端的に告げられた言葉に、セドリックが愕然と項垂れる。今になってようやく、セドリックはこの屋敷にノクスの気配がないことを知った。



 ***



 ひとまず場所を応接室に移動して、アリシアたちはお互いの状況を説明することにした。

 セドリックが失踪してから、魔物退治をしつつ情報を集めていたこと。夢魔に襲われ、ノクスがヴァンパイアの混血ダンピールだと知ったこと。そしてノクスがこの屋敷を去って、行方知れずになったこと。

 すべてを静かに聞いていたセドリックは、ノクスが去った話になると、また額に手を当てて落胆のため息をついていた。


「ノクスはまだ、過去を捨てきれていないんだね。だから自分を愛せない」

「ねぇ、お父様。小さい頃のノクスに何があったの?」

「それは私も詳しくは聞いていないよ。本人が話したくないだろうし……それに無理をして聞かなくても、何となく想像はできるからね」

「……ヴァンパイアは特にプライドが高い。人間との混血なんて、あいつらにとっては一族の汚点でしかないんだろ」


 そう言ったフレッドも、苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。


「だからだろうね。ヴァンパイアと同じ血が流れている自分を、ノクスはずっと呪っているんだ。家族になることでその心を癒やすことができればと思ったが……。アリシア、お前が薔薇の花嫁だとわかったことで、あの子は更に殻に閉じこもってしまったんだ」

「それって……ノクスがいなくなったのは、私の……」

「お前のせいじゃない」


 アリシアの言わんとすることを、セドリックが強めの口調で遮った。じっとアリシアの目を見て、大丈夫だと伝えるようにしっかりと首を横に振る。


「ノクスは一度、我を忘れてお前に襲いかかったことがあるんだ」

「うそ。そんなの全然覚えてない」

「お前はまだ小さかったし、恐怖で一時的に記憶を閉ざしたんだろう。お前が薔薇の花嫁であることは、その時に確信した。ノクスが裏庭に薔薇を植えて欲しいと言ってきたのもその頃だ」


 裏庭の枯れない薔薇。

 単に薔薇が好きなのかと思っていたけれど、あれはヴァンパイア領に咲くという人工血液でできた薔薇の模倣品コピーだったのだ。

 そもそもノクスは人の食事もちゃんと摂れていた。混血であるし、血を飲まなければ生きていけないわけではないだろう。

 ならば裏庭の薔薇は――ノクスの戒めでもあったのだろうか。それともアリシアが知らないだけで、吸血衝動が抑えきれない夜もあったのかもしれない。


「それから私は支配の指輪を作り始めたんだ。お前がヴァンパイアに狙われないようにするためでもあるし、指輪があることでノクスの心が少しでも落ち着けばと思ってね」

「それで親父さんは単身で異界に行っちまったってわけか。あいつが言ってたけど、最後の材料はヴァンパイアの血なんだろ?」

「そうよ。お父様! 大体ヴァンパイアに捕まっていたのに、どうしてそんなに元気なの? いや……元気なのはありがたいんだけど」


 人間を蔑んでいるヴァンパイアだ。捕まったセドリックは、きっとひどい拷問を受けているに違いないと、そう心配していたアリシアだったが、目の前のセドリックはやつれた様子もなく肌の血色もいい。目の下にクマはあるものの、とても拷問を受けて憔悴しきっている感じには見えなかった。


「そりゃあ、私は腕のいい魔石職人だからね」


 そう言ったセドリックは、悪戯が成功した子供のように無邪気に笑った。


「ヴァンパイア領に咲く血の薔薇を更に強力に作り替えられると言ったんだ。異界は質のいい魔晶石の宝庫だからね。時間さえあれば、薔薇の質を高められる魔法具を作るくらい朝飯前さ」

「えぇ!? ヴァンパイアに自分を売り込んだの!?」

「殺されるよりはいいだろう? おかげでヴァンパイアの城に潜り込めたし、念願だったヴァンパイアの血も手に入れた。これで支配の指輪が完成する」


 セドリックがポケットから取り出したハンカチを開くと、赤い液体の入った小瓶が現れた。裏庭に咲く薔薇と同じくらいに、それは濃く鮮やかな色をしていた。


「次の新月の晩までには指輪を完成させよう。だからアリシア。お前は心を決めなさい」

「心って……?」

「支配の指輪は魔物を操るものだ。それはダンピールのノクスであっても例外ではないだろう。純粋な魔物と違って効果は薄いが、ノクスにも影響はある。……私が何を言いたいのか、わかるかい?」

「……ノクスが魔物の血を引いている事実を、認めるということ?」


 アリシアの答えを聞いて、セドリックがさみしげに微笑んで頷いた。

 ノクスを家族として迎え入れたはずなのに、魔物を操る指輪を作ることはセドリックの思いに反するものだ。

 そんなセドリックを、ノクスはどういう思いで見ていただろう。セドリックの思いはじゅうぶんに理解していたはずだ。けれど自分さえ操ることのできる指輪を作るセドリックの背中に、越えられない種族の壁を感じていたかもしれない。

 そしてそんなノクスの思いもわかっていて、セドリックは指輪を作り続けるしかできなかったのだ。


 自分をじっと見つめるセドリックの瞳に、父親としての深い愛と、義父としての葛藤が垣間見える。

 セドリックにとって、アリシアもノクスも大事な子供に違いない。けれど支配の指輪を作ったことで、アリシアのほうを選ばざるを得なかったのだ。


「わたしはもう、ノクスがダンピールであることを知ってる。それでもこの家に戻ってきてほしいし、これからもずっとそばにいてほしい。正直わたしはノクスがどっちでもいいの。だってノクスはノクスで、大事なひとに変わりはないから」

「それを聞いて安心したよ。私が与えてやれなかったものを、お前ならノクスに与えられるだろう」


 そう言ったセドリックは、今度こそ心から安心したように笑った。


「さて、それじゃあ私は指輪作りに専念するとしよう! あぁ……そうだ。ひとつ確認したいんだが……アリシア。彼らは一体何者なのかな?」


 笑顔は絶やさないまま、どこか面白がるように訊ねてきたセドリックの視線の先。応接室の入口にはメイド服を着たメアリーと、その両肩に乗るレオナルドとウィルの姿がある。

 話に夢中になって、紹介するのをすっかり忘れていた。アリシアと目が合うと、小さな魔物たちはやっと呼ばれた喜びに、我先にとセドリックのほうへ駆け寄ってきたのだった。








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