第28話 新月の夜が勝負だ

 それから更に二日が経った夜。ロウンズ邸にはアリシアたちをはじめ、ケット・シーとフレッドも顔を揃えていた。

 みんなが囲むテーブルの上、それこそ王様のようにデーンッと座ったケット・シーが得意げに胸を張ってこう言った。


「結論から言うと、あやつの居場所はわからん!」


 あまりにも堂々と言うものだから、アリシアは一瞬「」がどの場所を指しているのかを本気で考えてしまった。


「はぁ!? お前、自信満々に出て行ったじゃねーか。ちゃんと探したんだろうな?」

「探したわっ。でもな、良く考えてみろ。あやつ、ダンピールじゃろ? 上位の魔物が本気で気配を消したら、いくら王のワシでも捕らえることはできまいて」

「なに開き直ってんだよ」

「この街にはまだいると思うんじゃがなー?」


 そう言って、ケット・シーはテーブルの上にごろんと寝転がった。お腹を見せてごろごろと身をくねらせているので、そうした愛らしい姿を見せることで話題を逸らそうとしているのだろう。


「まぁ……あいつがまだこの街にいるってのは、俺もそう思うが」

「フレッド殿。そう思う根拠がおありで?」


 ケット・シーのお腹に早速ダイブしていたレオナルドが、やわらかい毛並みを享受しながらフレッドを見上げてくる。

 真面目な話をしているのに、相変わらずの魔物たちだ。呆れてため息は出るものの、彼らのゆるい姿に心が救われているのもまた事実。アリシアの顔にも笑みが浮かんでいるので、もしかするとノクスがいなくなってからの一番の功労者は彼らなのかもしれないと少しだけ嫉妬した。


「何だかんだ言って、あいつはアリシアのそばから離れられねぇんだよ。心配すぎて、今でもどっかで様子窺ってるんだと思うぜ」

「ソウ、オモウ! ノクス、ムッツリ!」

「確かにノクスさん……いつも目がムッて釣り上がってるもん、ね?」


 誰よりも純粋すぎるウィルが、ふふ……と青い炎を揺らして小さく笑った。


「ノクスはたぶん、新月の夜に動くと思う」

「新月というと……ノクス殿は異界へ向かうつもりだと?」

「ヴァンパイアの城に捕らわれてる親父さんを助けに行くつもりだ。元々あいつはそこから逃げ出してきたんだろう? どこに何があるか、ヴァンパイア領には詳しいはずだからな」


 一度は逃げ出した場所へ、再び戻ろうとしているかもしれない。もしノクスが他のヴァンパイアに見つかったら、子供の頃に受けた仕打ちをまた繰り返されるのだろうか。

 何もできなかった子供時代に比べると、今のノクスは一人でも戦えるくらいに強いとは思う。けれど真のヴァンパイアを前に、ノクスの力がどこまで通用するのかアリシアには見当がつかない。

 それにヴァンパイア領は、ノクスにとって深いトラウマを植え付けられた場所だ。そんなところに一人で乗り込んで、無事でなどいられるはずがない。


「新月の夜が勝負だ」


 そう言って、フレッドがアリシアを見つめた。


「あいつはダンピールで、力は上位の魔物とそう変わらない。なら、自分の近くに扉を引き寄せることもできるだろう」

「扉をくぐる前に、ノクスを捕まえるってこと?」

「間に合う確率は限りなく低いけどな。でも今の俺たちにできるのはそれくらいしかない」

「新月の夜に、どこに開くかわからない扉を見つけてノクス殿を確保する。いやはや何とも勝算の少ない賭けですな。でもそれしか手立てがないのなら、精一杯遂行するのみ!」


 がばりと身を起こしたレオナルドが、今の今まで寝転がっていたケット・シーのお腹を小さな手でぺしぺしと叩いた。


「ケット・シー! ほら、出番ですよ。この中で扉の場所を目視できるのは中級のあなただけなんですから。マタタビが欲しいのなら全力で働いてください!」

「下位の魔物がワシを使おうなど百年早いわ! じゃがマタタビは欲しい。ついでにまろやかなミルクも追加してくれるなら動いてやってもよいぞ?」

「サカナノ、ホネモ、アル」

「ワシに任せよっ!」


 金色の目をカッと見開いて、ケット・シーが身を翻す。その拍子に彼のお腹に乗っていたレオナルドが、テーブルの上にぽてんっと転がり落ちてしまった。

 マタタビとミルクと魚の骨に釣られたケット・シーは既にやる気を漲らせており、善は急げと言ったようにぴょんっと窓辺へと飛び移っていく。自ら窓を開けると、アリシアたちを振り返って、自信満々に笑った。


「おぬしらは新月の晩までゆっくりしているがよい。大船に乗ったつもりで待っておれ」


 にゃーん、と。犬の遠吠えにはほど遠いが、彼なりの意気込みを鳴き声に乗せて、ケット・シーは風のように颯爽と走り去っていった。




 そうしてケット・シーだけを頼りに五日が過ぎた。

 夕焼けを深い夜が覆い隠して、空には魔晶石を砕いたような細やかな星の明かりが瞬いている。儚い光だ。けれども星々は、我こそはと精一杯に静かな光を競い合って煌めいていた。


 月光に邪魔されない夜。

 待ちに待った、新月の夜が訪れた。


「扉は街の中に二つ、街の外に三つじゃ。しかしこの中からひとつを特定するのは至難の業じゃぞ。わかったところで、あやつは既に扉をくぐっておるやもしれんしな」

「そうだろうな。でも……じっとしてられねぇんだよ。俺も、こいつも」


 フレッドと目が合って、アリシアも強く頷いた。

 ノクスがどの扉の前にいるのかがわかっても、それから移動を始めたのではきっと間に合わない。それはアリシアにもわかっている。

 でも、無駄足だと頭ではわかっていても、心はまだそこに追いついていないのだ。動いていないと、また思考が暗く落ち込んでしまう。今は少しでも体を動かして、儚い希望に縋りたい。

 そんな気持ちに同意して共に動いてくれるフレッドや小さな仲間たちに深い感謝を抱きつつ、アリシアは月の昇らない夜空を落ち着きなく見上げていた。


「んん? 何じゃと?」


 配下の猫と隅の方で話していたケット・シーが、突然尻尾をピンッと立ててこちらを振り返った。


「朗報じゃ! 街の外にある扉のうち、ひとつがティーヴの森へ移動しておるぞ!」

「それって……」


 フレッドと目が合って、アリシアは頷いた。

 異界への扉を自分のほうへ引き寄せられるのは上位の魔物だけだ。ならばティーヴの森にいるのはノクスの可能性が高い。


「アリシア。来い!」


 そう言ってフレッドが自分の愛馬を呼んだ。馬車で行くより馬を走らせたほうが断然早い。フレッドはアリシアを愛馬に乗せると、残る魔物たちを一瞥して即座に判断する。


「お前たちも来るなら馬車で来い。御者はメアリー、お前がしろ!」

「ワタシ、ギョシャ!」


 任せろと、メアリーが胸を叩いて御者台に飛び乗った。誰も馬車の扉を開けられないから、みんな揃って御者台に乗り込んでいる。


「みんな、気をつけて来てね!」


 既に走り出した馬上から叫ぶと、小さな仲間たちも思い思いに声を上げてアリシアたちを激励した。


「ワタシノ、ウデマエ、ミロ!」

「お嬢! ノクス殿をガッチリ捕まえるのですぞ!」

「お姉ちゃん……がんばって!」

「にゃーん」


 彼らの思いに胸が熱くなる。

 魔物と人間。種族は違えど、誰かを大切に思う気持ちは変わらない。そこに種族の壁はないのだと、レオナルドたちが教えてくれた。


 ノクスも一緒だ。

 ヴァンパイアとの混血であろうと、今までノクスと過ごした時間はアリシアの大事な一部になっている。家族だという思いも、ひとりの男性として想っていることも、なにひとつ変わらない。


 アリシアの、レオナルドたちの思いを伝えなければ。

 逸る気持ちを更に追い立てるかのように、耳のそばで風が鳴く。

 凄まじいスピードで夜を駆けていく馬から振り落とされないように、アリシアは前に座るフレッドの背中にぎゅっと強くしがみついた。



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