第20話 わかってて勝手に惚れてんだ

 翌日、再び屋敷を訪れたケット・シーは、いつになくご機嫌だった。尻尾は大きく揺れていて、誰も撫でていないのに喉をゴロゴロ鳴らしている。

 よほどいいことがあったのかと思ったが、ノクスを見るなり「マタタビィ!」と叫んだので、おそらくマタタビと引き替えになり得る貴重な情報を手に入れたのだろう。


「ワシはついに掴んだぞ。おぬしらが喉から手が出るほど欲しがった上位魔物の情報をな!」

「え、本当!?」

「ありがたく聞けぃ! そして例のブツを渡すがよい」

「情報が先です」

「くっ……融通の利かぬ男じゃな。まぁ、よい。焦らされれば焦らされるほど旨みも増すというもの」


 猫らしからぬ笑みを浮かべて、ケット・シーが軽やかに窓辺の縁に飛び乗った。陽光をバックにしたケット・シーはまるで後光が差しているかのようで、ほんのりわずかに王様らしく見える。


「エディラック通りの十三番地に住むバイルン夫妻は、互いに若い愛人を囲っておっての……」

「野良猫に期待した私が馬鹿でした」

「最後まで聞けぇ! その愛人が双子の夢魔なのじゃ! 夫婦揃って夢魔に生気を奪われておる。まぁ……自業自得のような気もするが、あのままではそう長くは持たんじゃろうから、助けるなら早めがよかろう」


 人間を性的に堕落させる魔物、それが夢魔だ。元々は位の低い魔物だったらしいが、ヴァンパイアの配下につくことで上級にのし上がったのだと、アリシアが以前ノクスに渡された図鑑には記されていた。

 夢魔は自らの美貌で誑かした人間をヴァンパイアへ献上しているとも聞く。表立って人間の血を飲みたくないヴァンパイアにとって、代わりに人間を狩ってきてくれる夢魔の存在は優秀な手駒のひとつなのだ。


「奴らの体には異界のにおいが濃く残っておったから、こちら側に来て間もないんじゃろうな。おぬしの父が異界へ迷い込んでいるというのなら、もしかしたら奴らが何か知っておるかもしれんぞ。どうじゃ? このうえなく有意義な情報であろう?」

「確かに最近まで異界にいたのなら、異界へ迷い込んだ人間の情報は伝わっているかもしれませんね。セドリック様が異界へいるという前提ですが」

「異界へ迷い込んでいないのならそれでいいじゃない。探す範囲が人間界へ絞られるんだもの」

「そうですね。やっとまともな情報を得ることができました」


 昨夜のことがあったので、正直アリシアは普段通りにノクスと接することができないでいた。けれどケット・シーがもたらした情報のおかげで、二人の間にあった微妙な空気がゆっくりと薄れていく。

 目が合うとノクスは口元を緩めて微笑んだので、アリシアの心はようやくいつもの落ち着きを取り戻すことができたのだった。



 ***



 その日のうちに現場の下見と武器の準備を終えたノクスはいま、フレッドと並んで夜の闇に沈むバイルン邸を見上げていた。

 時刻は深夜。他の屋敷の明かりもすっかり消えた夜の街に、静かな月明かりが降り注いでいる。


「とりあえず、生け捕りでいいんだよな?」

「あなたの手に余るようでしたら始末していただいても構いませんよ。ケット・シーの情報だと双子のようですし、狩り場も同じ場所を選ぶほどなので、互いの情報も共有しているでしょう。どちらか一人が生きていればじゅうぶんです」

「お前って、相変わらず魔物には容赦ねぇよな」

「こちらに牙を剥く者に手心を加える必要などないでしょう。――あなたには、これを渡しておきます」


 ノクスが渡したのは、透き通った赤色の弾丸だ。


「銃声のしない弾丸です。深夜の住宅街ですし、できれば静かに捕縛したいので」

「気が利くな。ありがたく使わせてもらうが……こないだみたいに法外な値段ふっかけてこないだろうな?」


 ワーウルフ討伐の際に、ノクスから弾丸と深夜の出張費を請求されたことは記憶に新しい。結局のところ請求はノクスの冗談だったのだが、助けに来てくれた恩もあるので、フレッドは弾丸のぶんだけはちゃんと支払いをしたのだった。


「弾丸はアリシアお嬢様のご厚意です。あなたには、そのぶんの働きを期待します」

「……アリシアは?」

「変わりありません。レオナルドたちと一緒におとなしくしているでしょう。屋敷の周りにも結界の魔晶石を設置しているので、何かあればすぐにわかります」

「そうか。今回は夢魔が相手だし、あいつには刺激が強すぎるだろうからな」

「お嬢様を性的な目で見るのはやめてください」

「今の会話のどこにそういう要素があった!?」

「普段からあなたの視線にはいかがわしいものを感じます。お嬢様には然るべき時に、然るべき相手と結ばれるよう計らいますので、あなたは傷の浅いうちに身を退いた方がよろしいかと」

「……は?」


 いつもの憎まれ口だと、そう思えればよかった。けれど淡々と語られた内容を無視することもできず、フレッドは一人で歩き出したノクスの肩を強めに掴んで自分のほうへと引き戻した。


「……何だよ、今の」

「言葉通りの意味ですが」

「違うだろ!」


 深夜なのも忘れて、つい語気を荒げる。ノクスの美しい顔が一瞬歪んだが、それは静寂を掻き乱したことについて苛立っているのではない。眼鏡の奥に巧みに隠されたノクスの感情をむりやり引きずり出して、フレッドはなおも責め立てるように言葉を続ける。


「然るべき相手って誰だよ」

「お嬢様が何不自由なく暮らせるだけの地位と財力のある方が望ましいですね。年が近ければなおいいですが、多少の年上は我慢していただくしか……」

「っざけんな! あいつの気持ちも無視して勝手に決めてんじゃねーよ!」

「あなたには関係のない話です」

「そうだろうよ! 結局俺はいつだって蚊帳の外だ。どんだけ思っててもあいつの視界に俺が入ることはない。わかってんだよ! わかってて勝手に惚れてんだっ。でもっ……でも、お前は違うだろ!」


 はじめてアリシアを見た時から、心惹かれていた。けれどアリシアのそばには常にノクスがいて、彼女の青空みたいな澄んだ瞳にフレッドの姿が特別な存在として映ったことは一度もない。

 アリシアの視線は、いつもノクスを追っている。同じまなざしでフレッドもアリシアを見ているから、彼女の気持ちは手に取るようにわかった。


 おそらくはノクスも同じ気持ちなのだろうと確信した。本音を上手に隠すノクスでも、言動の端々にアリシアへの思いが見え隠れしている。同じ女を好いているのだ。表面上はどんなに取り繕っていても、ノクスの秘めた感情をフレッドが見落とすことはない。


 アリシアとノクス。二人の間にフレッドが入り込める余地はどこにもない。わかっていてもアリシアへの思いを断ち切ることはできず、かといってノクスに勝てる自信もなく――。フレッドは恋心を秘めたまま、二人を静かに見守ろうと決意していたのだ。


 それなのに、ノクス自身が手を離そうとしている。誰もがしあわせになれないやり方で、アリシアから、自分の思いや立場から逃げだそうとしている。


 それが許せなくて、無性に腹立たしくて。

 フレッドは激情のままに、ノクスの胸倉を掴んだ。


「お前はあいつの気持ちに気付いてるはずだ! なのにそれを全部なかったことにして、あいつの思いを無視して他の男に差し出そうとしてんだぞ」

「私は一介の執事に過ぎません」

「執事が何だ! お前がやろうとしてることは、薔薇の花嫁をヴァンパイアに差し出す魔物と同じだ!」


 眼鏡のレンズ越しに、ネイビーブルーの瞳がハッと見開かれる。胸倉を掴んだフレッド手にも、わずかな震えが伝わった。


「お前があいつを手放そうとするなら、俺はもう遠慮はしない。なんかにあいつが守れるはずもねぇしな」


 突き放すようにして手を離してフレッドはノクスを一瞥すると、そのまま一人で屋敷へと歩き出した。


「あいつは俺が守る。俺がしあわせにしてやるから、お前はそこで指でもくわえて見てろ」


 ここまで言っても、ノクスは何も答えない。

 言い争いで初めてノクスを黙らせた瞬間だったが、フレッドの心はいつまで経っても晴れることはなかった。



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