第17話 理解が早くて何よりです

 気持ちを落ち着かせようとして飲んだ紅茶はすっかりぬるくなっていた。自分で思う以上に動揺していたのだろう。テーブルに戻したカップがかちゃかちゃと耳障りな不協和音を響かせた。


「薔薇の花嫁って……そういう、こと」

「何だよ、それ。アリシアがヴァンパイアの生贄? ふざけてんじゃねーぞ、ノクス。確証はあるのかよ!?」

「今ここに、あなたでもわかるような目に見える証拠はありませんが、お嬢様が薔薇の花嫁であることに間違いはありません。薔薇の花嫁は体が成熟する成人後に、そのにおいがより強くなる。ケット・シーやワーウルフたち鼻の利く魔物が気付いたのはそのせいです」


 そういえば前に魔晶石で怪我をした時、メアリーも甘いにおいがすると言っていたことを思い出す。あの時は直前に食べたチョコレートのにおいかと思ったが、もしかするとメアリーもアリシアの血のにおいに反応していたのかもしれない。

 それにノクスもどこかいつもと違う様子だったから、アリシアが血を流したことに焦っていたのだろう。


「セドリック様はお嬢様が成人するまでに、指輪を完成させようとしていました。けれど指輪は未完のままで、お嬢様はもうすぐ二十歳の誕生日を迎えようとしている。私が必要以上にお嬢様の身を案じる理由を、これでご理解いただけたでしょうか?」


 セドリックを探すための魔物退治も、レオナルドたち下位の魔物と馴れ合うことも、アリシアが魔物と関わることを良しとしなかったノクスの真意はすべて薔薇の花嫁に端を発していた。

 わかってしまえば、今までのノクスの言動もすんなりと腑に落ちる。

 思い返せば、ノクスは常にアリシアのそばにいて危険が及ばないように守ってくれていた。セドリックが失踪したあとに、その心配性が度を増したのもそのせいだったのだ。


「お父様はどうして秘密にしていたの? 確かにびっくりはしてるけど……最初から言ってくれてたらよかったのに」

「余計な心配をさせたくなかったのでしょう。それにお嬢様は嘘が下手なので、どこでうっかり口を滑らすかわかりません。秘密を知る者は最低限にしたほうが、結果的にお嬢様を守ることに繋がるのですよ」

「アリシアの嘘が下手なのは認めるが……どうして今になって俺たちに話す気になった? 俺たちが問い詰めたところで、いつものお前なら飄々とはぐらかすことくらい簡単だっただろ?」


 教えて欲しいと詰め寄ったのはアリシアたちのほうだったが、本当に内緒にしておきたい話ならノクスは絶対に口を割らなかったはずだ。口止めされているとも言っていたし、セドリックの意向を強く前面に出されれば、アリシアもフレッドもそれ以上追求することはできない。

 なのに、今回に限ってノクスは雇い主でもあるセドリックとの約束を破って、アリシアたちに真実を伝えてくれた。その気持ちはありがたいと思うが、何がノクスの心境を変えたのかはわからない。


「ケット・シーが余計なことを言いましたし、お嬢様も成人に近付くにつれて血のにおいがどんどん濃くなっている。今回はワーウルフでしたが、今後は獣以外の魔物にもそのにおいは届いてしまうでしょう。周りから受け取るつぎはぎだらけの情報が正しく伝わるとも限りませんので、私から正確にお伝えさせていただきました」

「他の魔物も、こいつの血を狙ってやがるのか?」

「生贄という意味で欲しているのはヴァンパイアだけです。他の魔物がお嬢様の血を飲んでも、力が増幅することはありません」


 アリシアの生死に関わる話を淡々と語るノクスの表情は、まるで血の通わない仮面のようだ。けれど落ち着いているように見えて、眼鏡の奥のネイビーブルーには静かな怒りの炎が揺らめいている。説明することに意識を向けて、あふれ出す感情を必死に押し殺しているように感じた。


「だったらアリシアはできるだけ屋敷から出ないようにして、今後は魔物と関わるのをやめた方がいいだろ」

「そうしていたのですよ。誰かさんが勝手に魔物退治のビラを貼るまでは」

「うぐっ……。だ、だって知らなかったんだもの!」

「いまお伝えしたので、今後はもう安易にハンターの真似事をするのはおやめください。お嬢様の血を欲しているのはヴァンパイアですが、他の魔物は薔薇の花嫁の情報を売ってヴァンパイアに取り入ろうとするものも多くいます。魔物はすべて敵だと、そう思っていたほうがいいでしょう」

「レオナルドたちも?」


 いま裏庭に埋まって治療中のレオナルドも、食堂でごはんを食べているウィルも、アリシアがワーウルフに攫われたとき果敢に立ち向かってくれたのだ。そんな彼らでも薔薇の花嫁のことを知ったら、アリシアをヴァンパイアへ献上しようとするのだろうか。

 レオナルドたちの顔を思い浮かべると、胸の奥がちくりと痛む。ノクスには甘いと言われそうだが、それでもアリシアは彼らのことだけは信じたいと思った。


「とりあえず、セドリック様の情報は私とフレッドで集めます」

「しれっと話を進めんな! ……つっても親父さんのことは気がかりだし、仕方ねぇからお前と手を組んでやる」

「秘密を共有したのですから、お嬢様を守るためにあなたの力を存分に利用させていただきます。不本意ではありますが……」

「俺もお前と手を組むなんざ願い下げ……って言いたいとこだが、ここはお前の提案に乗ってやるよ。アリシアが生贄とか、んなのどう考えても馬鹿げてるしな。それに親父さんが見つかれば支配の指輪が作れる。指輪が完成すれば、ヴァンパイアだってアリシアに手は出せない。そういうことだろ?」

「理解が早くて何よりです」

「親父さんが見つかれば、話は早いんだろうけどな。……ホントにどこ行っちまったんだよ」


 セドリックが失踪した新月の夜。異界の扉が一斉に開く夜に、誤って異界へ迷い込んだのかもしれないと思っていたが、ノクスの話を聞いてアリシアは別の可能性に気がついた。


「ねぇ、ノクス。指輪の最後の材料って何なの?」

「それは私にもわかりません」

「もしかしてお父様はその材料を探しに、自ら異界へ行った可能性もある?」

「……私もその可能性は考えていました」


 魔物を操る力を付与するなら、希少価値の高い魔晶石が必要になるだろう。魔晶石でないにしても、高い魔力を持つ指輪の材料はおそらく異界にしか存在しない。


「もしそうなら、次の新月の夜に戻ってくるかも」

「だとしたら十五日後だ」


 セドリックに関する光明がほんの少しだけ見えた気がして、アリシアはフレッドと目を合わせて頷き合う。

 薔薇の花嫁に関して怯える気持ちはあるものの、さっきよりもアリシアの心は落ち着いている。セドリックが無事かどうかは現時点ではわからないが、それでもやっと掴めた手がかりにアリシアはホッと気の抜けたため息をこぼした。


「逸る気持ちに水を差すようで申し訳ありませんが、お嬢様は新月の夜も自宅待機でお願いします」

「えぇ!?」

「当たり前でしょう。さっき話したことをもうお忘れですか? 今のお嬢様は外を出歩くのでさえ危険な状態です。セドリック様が戻るまで、屋敷から一歩も出ませんように」

「そんなのほぼ監禁状態じゃない。一緒に買い物するくらい、いいでしょう?」

「退屈しない相手が屋敷には三人もいるではありませんか」

「それって……」


 魔物はすべて敵だと言いきったノクスが、レオナルドたちは仲間として認めている。はっきりと言葉にはしていないけれど、アリシアの相手を任せるくらいだから、少なくとも他の魔物よりは信頼しているのだろう。そう思うと、アリシアは胸の奥がほっこりとあたたかい熱に包まれるのを感じた。


「でも、直接害を及ぼすことはないにしても、そいつらだってアリシアの血のにおいに反応するかもしれないんだろ?」

「血のにおいより、彼らはお嬢様の身の安全を優先しました。理由としてはそれでじゅうぶんです。それに……」


 わずかに声を落として、ノクスが人差し指を自身の唇に当てた。静かにするようにと無言で訴えると、ノクスはゆっくりとソファーから立ち上がり、そのまま応接室の扉を勢いよく開け放つ。


「キャンッ!」

「ぴょふぁ!?」


 奇声を上げて応接室の床に転がり込んだのはメアリーとウィルだった。うつ伏せに倒れたメアリーの背中で、皆の視線を一斉に浴びたウィルが所在なさげにおろおろと揺れている。


「どうやら盗み聞きするほどお嬢様のことが心配のようですので、屋敷にいる間は彼らに任せようと思います」

「そ、そうだよ! 僕、お姉ちゃんが悪い奴に攫われないよう見張れるよ!」

「メイド、シュジン、マモル! シンパイ、ナイ!」

「あなたたち……」

「レオナルドさんも、元気になったらお姉ちゃんの味方になってくれるはずだよ。ワーウルフに立ち向かったとき……かっこよかったもん。……僕も、あぁなれるようにがんばるから、ね」


 メアリーはすっかりロウンズ邸のメイド頭として意気込んでおり、本来は迷子だったはずの泣き虫ウィルでさえ異界へ戻ることよりアリシアを優先してくれている。


 種族は違えど、そこに確かに芽生えているのは、あたたかな友愛の絆だ。

 ワーウルフやヴァンパイアのように人を害する魔物がいる一方で、人に寄り添い、共存の道を歩く魔物だっている。

 正直なところ、自分が薔薇の花嫁として狙われる存在であることに対しては不安と恐怖しかない。けれどアリシアのそばには、小さな友人たちとゴーストハンターのフレッド、そして何よりも誰よりも信頼しているノクスがいる。

 ならば恐れるものは何もないのだと、アリシアは心の底からそう思った。



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