第16話 お前が狙われる――って、そういうことだ

 アリシアが玄関に向かうと、ノクスが扉を押してフレッドを閉め出そうとしているところだった。


「何しやがるっ。俺はお前の言葉通りに来ただけだぞ!」

「何も言った覚えはありませんが?」

「わざとらしいんだよっ。昨夜はアリシアが寝ちまったから、話は今日するって言っただろーが!」

「夢でも見たのでは? 昨夜はあなたもワーウルフに散々翻弄されていましたから、疲弊しきって夢と現実の区別がついていないのでしょう。それともワーウルフごときにコテンパンにしてやられた現実を忘れたくて記憶を塗り替えているとも考えられますね」

「テメェ……ッ」


 大の男二人に両側から押されて、もはや玄関の扉のほうが先に逝きそうである。慌てて止めに入ると、フレッドは安心したように息を吐き、ノクスからはなぜか冷ややかな視線を浴びせられてしまった。


「そんなに睨まないで、ノクス。それに私だって覚えているのよ。ワーウルフが言ったこと」


 そう言うとノクスは眉を寄せて、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「薔薇の花嫁って何のこと? ノクスはそれを知ってるの? 前にケット・シーも同じことを言っていたわ。それが私にかかわることなら、隠さずに全部教えてちょうだい」


 腕を掴んで、ノクスを見上げる。いつもはすげなく見返してくるネイビーブルーが明らかに戸惑いの色を浮かべていて、その揺らぎを悟られまいとするように瞼が閉じられた。

 一瞬の沈黙に、ノクスの躊躇いが滲み出る。それでも辛抱強く待っていると、やがて根負けしたようにノクスはため息をひとつ吐き落とした。


「その件については、セドリック様に口止めをされております」

「お父様に!?」

「オイッ、その話くわしく」


 詰め寄る二人を一瞥して、ノクスは眼鏡のブリッジをあげる。薄いレンズの向こうの瞳はもう覚悟を決めたように、さっきの戸惑いを覆い隠して静かな夜の色に戻っていた。



 ***



 応接室のソファーにアリシアとフレッドが向かい合って座り、アリシアの隣にノクスがゆっくりと腰を下ろした。

 ノクスが口を開く前に扉がノックされ、メアリーが三人分の紅茶を持って入ってくる。彼女なりにメイドの自覚があるらしい。フレッドの前にお茶を置くと「ワタシ、メイド!」と得意げに呟いてから退室していった。


「薔薇の花嫁について話す前に、セドリック様が長年研究し続けてきた魔法具についてお伝えしておきます」

「お父様が研究を? そんな素振り一度も見せなかったけれど」

「その魔法具を作っていると知られれば、セドリック様の身に危険が及ぶ可能性がありましたので……知っているのは私だけです」

「なんでお前が……」


 思わず不満げな声を漏らしたフレッドだったが、セドリックがノクスにだけ伝えている状況は客観的に見ればどこにもおかしいところはない。

 頭ではわかっているのにおもしろくない気持ちがつい口に出てしまって、フレッドはお茶を飲むことでせり上がる不満をむりやり腹の底に押し戻した。


「どんな強力な魔物でも自由を奪い、意のままに操れる。セドリック様が作ろうとしていた魔法具は、支配の指輪です」

「魔物を……支配、する?」

「そんな物騒なもん、あの親父さんが作るわけねーだろ!」


 驚きに声を荒げたフレッドに、今回ばかりはアリシアも同意した。

 魔晶石を掛け合わせて魔法具や武器を作っているとはいえ、セドリックは魔物も人間も基本同じ生き物だという認識だった。人間同士でも争いは起こるし、それは他種族に限ったことではない。わかり合えない相手もいれば、生涯の伴侶として異種族婚をするものもいるのだ。種族が違うからといってすべてを排除しようという強硬派の考えに、セドリックはいつも難色を示していた。


 そのセドリックが、強制的に魔物を隷属させる魔法具を作るはずがない。そう思いたいのにノクスの瞳には偽りの色が一切なく、彼の言葉が真実であることをアリシアは認めるしかなかった。


「作らざるを得なかったのです」

「どういうことだよ」

「セドリック様には何に代えても守らなければならないものがある」


 ノクスのネイビーブルーがアリシアをまっすぐに見つめた。


「支配の指輪は、アリシアお嬢様のために作られています」

「えっ?」

「は?」

「ですので、扱えるのもお嬢様だけです。これが何を意味するのか、おわかりですね?」


 そう問うたノクスの視線に、アリシアは乾いた笑いを浮かべるしかできなかった。その反面フレッドはすべてを理解したのか、「そうか」と短く呟いて何やらブツブツと思考に耽っている。


「魔物を操る支配の指輪……。んなもんができたら、ハンターはおろか貴族の中にも魔物を捕まえようとする者が現れるだろうな。良質な魔晶石は金になる。加えて強い魔物を護衛につけりゃ怖いものなしだ」

「魔物を操る指輪なら、魔物のほうにこそ脅威なんじゃないの?」

「お嬢様は相変わらず人を疑うことを知りませんね。無垢な純粋さは美徳でもありますが、時に自分自身をも滅ぼしかねないと覚えておいてください」

「褒めてるの? けなしてるの? どっち!」

「両方です」

「そして相変わらずお前は言葉が足りてねぇよ、ノクス」


 アリシアに余計な心配事をさせたくないなのだろうが、肝心なところをはぐらかしてしまうノクスには、さすがのフレッドも呆れて苦笑してしまう。ここまで話したのなら逆に全部話してくれたほうがすっきりするし、何よりアリシアは真綿でくるんで守ってやらねばならないほど弱い女ではない。現状をしっかりと見据えていたほうがアリシアのためになるだろうと、フレッドはそう思った。


「魔物を操ることで私腹を肥やそうとする人間は残念ながらどこにでもいる。そんな奴らに支配の指輪の存在がバレれば、お前が狙われる――って、そういうことだ。支配の指輪はお前しか扱えないんだろ? だったら欲に溺れた奴らが、お前ごと指輪をを手に入れようとするだろうな」

「もちろん操られたくない魔物も脅威です。ですのでお嬢様は、今後はより一層魔物に対して警戒心をお持ちください。もちろん人間にも」


 セドリックが作っていたという、魔物を操る支配の指輪。その指輪を欲する人間と、操られたくない魔物の両方に狙われるという危機が、自分の身に降りかかろうとしている。

 今までそんな予兆はなかったし、正直実感もあまりない。けれどノクスとフレッド二人の言葉の重みは、アリシアの心に深く鉛のようにのし掛かった。


「本当に、そんな指輪をお父様が……? もしかして、もう完成しているの?」

「いいえ、まだです。最後の材料が手に入らず、数年間ずっと未完のまま、セドリック様が厳重に保管されています」

「そんなに昔から……。でも私のために作ってるって言ったけど、魔物を操ろうなんて……そんなこと考えたこともないわよ」

「魔物を操るというより、お嬢様において支配の指輪はご自身を守る防具のようなものです」

「そりゃまたおかしな話だな。そもそも指輪を作らなければ、アリシアが狙われることはなかったはずだ」

「いいえ」


 まるで敵を見据える時のような熱のない瞳を眼鏡の奥に光らせて、ノクスがフレッドの言葉を即座に否定した。


「薔薇の花嫁」


 その言葉にアリシアとフレッドが申し合わせたようにはっと顔を上げた。

 魔物たちが揃ってアリシアをそう呼ぶ名前に、一体どんな意味が込められているというのか。話の流れから、支配の指輪も無関係ではなさそうだ。


「数百年に一度、生まれるか生まれないかと言われている稀少な血を持つ者。それが薔薇の花嫁――アリシアお嬢様です。その血のにおいは魔物を引き寄せ、なかでも夜の支配者ヴァンパイアにとっては、自身の力を何十倍にも高めてくれる唯一無二の魅惑の血として知られています」


 異界の頂点に立つヴァンパイア。魔物図鑑で見た彼らの挿絵と共に、アリシアの脳裏に見たこともない薔薇の庭園が浮かび上がる。

 人間を蔑み、その血を啜ることさえ嫌悪するヴァンパイア。彼らの領地に咲き乱れる、人工血液で作られた真紅の薔薇。


 薔薇は血液。

 血液は食物。

 ならば、薔薇の花嫁とは――。


「彼らにとって、お嬢様はかぐわしいにおいを振りまく至高の餌。薔薇の花嫁とは、ヴァンパイアの生贄という意味が込められているのです」


 淡々と語られるノクスの言葉に、アリシアの背筋が震えた。無意識に腕をさすると、服の下で昨夜の傷がじくりと疼く。もう血を流していないはずなのに、アリシアはその傷を手のひらでぎゅっと強く押さえつけてしまった。



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