第12話 悪い……助かった
軽やかに障害物を飛び越えて、ケット・シーが森の更に奥へと駆けていく。ただでさえ闇に溶けあう黒い体だ。少しスピードを上げられただけで、アリシアはケット・シーを簡単に見失ってしまった。
けれどアリシアが不安に立ち止まる前に、その手をノクスに掴まれる。
「こちらです」
ノクスはまだかろうじてケット・シーの姿を追えているのか、アリシアの手を引いて進む足取りに迷いがない。それどころかアリシアが走りやすいように、できるだけ地面に障害物のない場所を選んで進んでいる。そうしているうちに少し先で白猫が立ち止まっているのを見つけ、その隣で同じように走るのをやめて前方を注視しているケット・シーの姿も確認できた。
「いるぞ。あそこじゃ」
声を落としたケット・シーの視線の先、立ち並ぶ木々の隙間から見えたのは、二体のワーウルフの攻撃を躱しながら銃を構えるフレッドの姿だった。
射程内のワーウルフに弾丸を撃ち込もうとしても、もう一体が邪魔をしてきてなかなか銃が撃てないでいるようだ。牽制するためにあえて撃つこともあるが、それをしないということは手持ちの弾が底をつきかけているのかもしれない。それならさっきノクスに渡した銃弾が役に立つはずだ。
「ノクス。銃弾をお願い」
「承知しました」
改めてそうお願いすると、ノクスは銃弾をしまっていた胸ポケットに手を触れて小さく頷いた。
「レオナルドとウィルはお嬢様のそばを離れないように。ケット・シーは周囲を常に警戒しておいてください」
「過保護じゃの」
「当たり前です。それに元々の依頼はワーウルフ二体の討伐だったものが、知らぬ間に数を増やしている。もしかしたら、ということもありますので」
「まだ何体か潜んでおると?」
「その可能性も捨てきれません。ですのでケット・シー、あなたにはその嗅覚で周囲に別のワーウルフが潜んでいないか警戒していてほしいのです。マタタビ、欲しいのでしょう?」
「欲しいに決まっとるわ! 任せよ!」
「利害が一致したようで何よりです」
腰のベルトにかけていた黒鞭を手に取って、ノクスがフレッドのほうを注視しながら身を低くする。加勢に入るタイミングを見計らっているのか、ノクスの纏う気配がピリッと張り詰めたような気がした。
――気をつけて。
そう声をかけたかったけれど、集中しているノクスの気を乱すわけにもいかなくて、アリシアはやわく唇を噛んで我慢した。
なのにノクスは振り返って、一瞬だけ、本当に注意して見ないとわからないくらいに淡く微笑んだのだった。
「ご心配には及びません」
「……っ。これ、持っていって」
半ば押し付けるようにして、アリシアは腰に下げていた毒の刃のダガーをノクスに差し出した。邪魔になるだけかもしれないと思いはしたが、アリシアが手を引き戻す前にノクスの手がダガーを受け取っていく。
「では、お守り代わりにいただいていきます」
そう言うとノクスは今度こそ気配を消して、闇に紛れながらフレッドたちのほうへと進んでいった。
***
完全にしくじった。
二体のワーウルフの攻撃を避けながら、フレッドはもう何度目かわからない舌打ちをこぼした。
ワーウルフ討伐の依頼を受けたあと、ティーヴの森へも足を運んで入念に下見はおこなった。森の中に残されたワーウルフの痕跡は確かに二体分だけで、依頼内容との差違はなかったはずだ。予備も含めて用意した銃弾も、ワーウルフ二体を倒すにはじゅうぶんだった。
けれど、フレッドの手持ちの銃弾は二丁あわせて残り五発。やみくもに撃っていい弾数ではない。
射程圏内に捉えられれば、確実に仕留められる自信はある。けれど群れで攻撃されれば狙いを定めにくく、今までの三体を倒すのにかなりの銃弾を使ってしまった。
(いつの間に五体も集まりやがったんだ……っ!)
一人で討伐に向かう以上、想定外の事態にも対処できるよう準備はしておくべきだった。銃弾の数さえ気にしなければ、残り二体くらい何とか退治できるはずなのに。
最悪逃げることも考えたが、少ない弾数と疲弊した体では森を抜け出すことも難しいだろう。身を隠して一体ずつ狙うにしても、二体のワーウルフがフレッドをこの場から逃してはくれない。せめてどちらかの動きが一瞬でも止まってくれたなら――。
「フレッド!」
闇を揺らして響き渡る声音にハッと顔を上げると、ものすごい勢いで小さな何かが飛んでくるのが見えた。反射的に身を捩ったが、飛んできた「何か」を取りこぼすことはしない。聞こえた声がフレッドの知る男のものなら、渡されたそれは今の状況を打開するものに違いはない。
受け取った小袋の感触だけで、フレッドは中身が銃弾であることを確信した。
どうしてノクスがここにいるのか疑問は浮かんだが、今はワーウルフを倒すほうが先だ。見ればワーウルフのうち一体はノクスの黒鞭に捕らわれて、地面に膝をついている。
ノクスの扱う黒鞭には使用者の意図を汲み取る魔晶石とは別に、属性を付与した魔晶石も装着できると聞いたことがある。拘束されたワーウルフが小刻みに震えていることから、今回装備してきた魔晶石は麻痺の効果があるものなのだろう。
「もう一体も拘束しましょうか?」
「言ってろ!」
受け取った銃弾を素早く弾倉に詰めて、襲い来るワーウルフに狙いを定める。弾の残数はじゅうぶんだ。けれど無駄撃ちはしない。視界の端に映るノクスの涼しい顔に、一発で決めてやるのだと子供じみた対抗心が燃え上がった。
***
ズガァンッと二度響いた銃声に、二体のワーウルフがほぼ同時に崩れ落ちた。どちらも動かないことを確認してから、ようやく安堵したのかフレッドがその場にぺたんと尻餅をつく。
周囲を見回していたノクスの視線がこちらで止まったので、アリシアはやっと茂みの間から顔をのぞかせた。案の定、フレッドが呆れとも怒りともわからない表情を浮かべている。
「もしかしてとは思ったが……やっぱりお前も来てるよな」
「急だったから、無茶しないって約束でノクスも同行を許してくれたの。でも、無事でよかった」
「本当なら諫めるべきなんだろうけど……。悪い……助かった」
「立てる? 森の入口に馬車があるから、一緒に帰りましょう」
「歩けなければ私が引きずっていきますが?」
そう言ってノクスがわざとらしく黒鞭で地面を叩いた。まさか鞭で縛って、そのまま引きずっていくつもりだろうか。さすがにそこまで冷徹ではないだろうとノクスを窺ったアリシアだったが、彼の表情を見てもその想像を完全に否定することは難しかった。
「そんなこと言わないで、ノクス」
「……善処します」
「もう……」
「いやよいやよも好きのうち! ノクス殿の愛情表現はこの上なくわかりにくいですが、そのぶん胸焼けするほど濃厚ですぞ。だからご安心を、フレッド殿」
「いらねぇ」と呟くフレッドと、絶対零度の視線をレオナルドに浴びせるノクスに挟まれて、アリシアは困ったようにため息をこぼした。
協力してワーウルフを倒したというのに、二人の間に流れる空気は変わらず刺々しい。気を利かせたつもりのレオナルドのせいで周囲の温度も少し下がった気がするが、こうしていつも通りの光景を目にすることができるのも無事にワーウルフを倒せたからだと思えばホッとする。
「さ、もう帰りましょう。正直、ワーウルフの死体に囲まれていると落ち着かないわ」
「私の美声を披露できずに残念です」
「あなたの悲鳴を聞いたらみんな死んじゃうでしょ」
「そこはご安心を! 私まだ声変わりしておりませんので」
「え!? あなたいくつなの!?」
「百二十……」
「二人とも気を緩めすぎです。帰るならさっさと帰りましょう。……ケット・シーはどこですか?」
そういえばいつの間にかケット・シーの姿がどこにも見えない。フレッドとノクスがワーウルフを退治した時までは、確かにアリシアのそばにいたはずだ。
アリシアが隠れていた茂みのほうを見ても、ケット・シーはおろか白猫もいなくなっていた。
不気味な静寂が肌にべったりと張り付くようだ。ざわ、と木の葉を揺らして風が吹き抜けたと思った瞬間、森の奥から静寂を切り裂く甲高いケット・シーの声が木霊した。
「もう一体おるぞ!」
響く声に茂みから飛び出したのはケット・シーだけではなかった。
低いうなり声を上げて、アリシアの頭上――木の上から新たなワーウルフが躍り出る。一瞬翳った視界にたたらを踏んだ体が、そのままくんっと真後ろに引っ張られ、アリシアは後ろ襟を鷲掴みにされ、そのままワーウルフに引きずり倒されてしまった。
「きゃっ」
ノクスとフレッドが動くよりも早く、ワーウルフはアリシアを掴んだまま森の奥へと走り去る。
乱暴に引きずられ、体のあちこちが痛んだ。必死になって伸ばした手の先で、ノクスの姿が木々の向こうに消えていく。わずかに差し込んでいた月明かりも木々の天蓋に遮られ、アリシアの視界は完全に絶望の闇に呑み込まれていった。
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