第11話 お嬢、緊張しておりますな

 ティーヴの森へ向かう馬車のなか、アリシアは焦る気持ちを紛らわせようと持ってきた道具の確認をおこなっていた。


 黒水晶のステッキはアリシアが一番使い慣れたものだ。ワーウルフを吸い込めるかどうかはわからないが、最悪の場合は棍棒代わりに使おうと考えている。

 もうひとつの武器として、毒の効果を持つ魔晶石から作られたダガーナイフ。軽いのでアリシアにも使いやすく、腰のベルトに差し込んでも気にならないので持ち歩くのに適している。

 あとは小瓶に入った魔晶石の粉がひとつと、小さな炎の蝶を生み出す指輪を両手の中指にひとつずつ嵌めた。魔晶石の粉は振りまけば煙幕代わりに使えるし、指輪は互いの石を弾き合うことで炎を纏った蝶を呼ぶ。火打ち石と似た原理だ。そしてフレッド用に彼の武器である二丁拳銃の弾丸をいくつか持ってきた。

 武器以外は血止めの薬や消毒液、包帯と言った救急道具を詰められるだけ詰め込んできた。おかげで肩から提げたバッグはパンパンに膨らんでいる。


 そして最後にハンカチに包んだ転移石を、バッグの隙間にぎゅっと押し込んだ。

 マラカイトみたいな濃いグリーンの転移石の片割れは、屋敷に残ったメアリーに渡してきた。これで万が一なにかあってもアリシアが持っているほうの石を割れば、その時近くにいた者はみんなまとめてロウンズ邸へ一瞬で戻ることができる。


「お嬢、緊張しておりますな」

「そりゃぁ、ね。怖いのものは怖いわ。でもフレッドが危険だってわかってておとなしく待つこともできないし」


 馬車の中にはアリシアとレオナルドだけだ。ノクスは御者として手綱を握っていて、ウィルはランタンの代わりに夜道を照らす役割を与えられている。


「でもノクスが譲歩して連れてきてくれたんだもの。足手まといにならないように、しっかりしないと」


 指先がかすかに震えている。じわりと膨れ上がる恐怖に気付かないふりをして、アリシアは黒水晶のステッキをぎゅっと握りしめた。そんなアリシアを励まそうと肩によじ登ったレオナルドは、耳元にそっと体を寄せると「大丈夫ですぞ」と蕩けるような美声でささやいた。


「お嬢は私の葉っぱにかえても守りますぞ」

「ありがとう、レオナルド。でも私も無理言ってついて来たんだもの。自分の身は自分で守らないとね。ノクスにもあまり心配はかけられないし……できれば一緒に戦えたらとは思うんだけど」


 魔物から父親の情報を得るという、無謀なことを試そうとしている自覚はある。けれどもうアリシアにはそれくらいしかできる手立てが思いつかないのだ。

 ノクスに無理強いをさせているのなら、せめてアリシアは彼の邪魔にならないように注意深く行動するべきだと心に刻む。

 ノクスのように戦う術は持たないし、魔晶石の知識だってセドリックには遠く及ばない。だからアリシアは自分の身の丈を理解し、状況を判断して、ノクスたちが戦いに集中できるようにサポートできたらと考えていた。


「そういえばノクス殿はハンターでもないのにお強いですな。執事にしておくのがもったいないくらいですぞ」

「お父様に同行して魔晶石を集めにも行っていたから、魔物と戦うのは慣れているのよ」

「確かに初めて墓場で会った時も、容赦なく鞭打ちされましたな。いま思えば懐かしい快感……ごほん、痛みでした」


 アリシアの生ぬるい視線を感じたのか、レオナルドは何か追求される前に「マ~、マ~」とよく通る声で発声練習を始めた。元々の美声がのど飴効果で更に洗練されている。目を閉じれば、まるでオペラ歌手がアリシアの耳元で歌っているような、そんな錯覚さえした。


 ガタン、と馬車が大きく揺れて止まる。窓を開けて窺い見ると、ちょうどこちらを振り返ったノクスと目が合った。


「ティーヴの森に着きました」


 満月の強い光に照らされて、ティーヴの森が闇より濃い影を浮かび上がらせていた。


 馬車を降りて周囲を見回すと、森の入口に一匹の白猫が座っているが見える。ケット・シーの使いだろうか。アリシアたちを見つけると、ついてこいと言わんばかりに「なぁん」と鳴いて森の奥へ消えていった。


「お嬢様はここに……。いえ、私のそばを離れないように」


 ワーウルフが潜む森の中へ連れていくのは本意ではないが、一人でここに残すほうが危険である。そう判断したノクスは苦渋の表情を浮かべながらそう言った。


「私の前に出ないこと。私が使えと言ったら、すぐに転移石を使うこと。危険が迫れば雑草を盾にして逃げること。いいですね?」

「レオナルドを盾にするのはかわいそうよ。でもノクスが言いたいことはわかる。無茶はしないわ」

「私の信頼を裏切らないでください」


 最後にもう一度だけ釘を刺して、ノクスは先頭に立ってティーヴの森を進んでいった。



 ***



 暗い森のなかを、白猫の影が闇を縫うように走っていく。夜を強く照らす満月も、さすがにその光が森の奥にまで届くことはない。木々の途切れた部分からは月光が差し込んではいるものの、基本森の中は夜の闇に満ちていた。

 アリシアたちの足元を照らしているのはウィルの青い炎だ。敵に気取られないよう、その光は弱く小さいものだったが、進むぶんには問題はない。ウィルを連れてきたのは正解だった。


「お、来たか」


 立ち止まった白猫のもとまで辿り着くと、横の茂みからケット・シーが顔だけをのぞかせた。体が黒いので茂みが揺れただけかと思ったが、闇に浮かぶ金色の目のおかげでケット・シーの体をようやく認識できる。


「こっちじゃ」


 そう言ってまた茂みに隠れたケット・シーを追って進むと、ほんの少しだけ開けた場所に出る。木々の天蓋をすり抜けた月光にうっすら照らされているのは、体に銃弾を受けて絶命している血まみれのワーウルフだった。

 まさかこんな近くで死体を見るとは思わず、アリシアの体が本能的な恐怖に震える。無意識に声を漏らしそうになってしまったが、幸いにも悲鳴を出すことは免れた。ノクスが背後から抱きすくめるように腕を回し、アリシアの口元を右手で塞いでくれたからだ。


「ご、ごめん。ちょっとびっくりしちゃって……。ありがとう」

「見ていて気持ちのいいものではありませんから。お嬢様は私の後ろに」


 そう言ってノクスは、アリシアの視界からワーウルフの死体を隠すように前に進み出た。死体を確認するためでもあるのだろう。そばにしゃがみ込んで、傷跡や体に残された熱の有無などを調べている。


「銃弾の痕が残っているので、倒したのはフレッドで間違いないでしょう。けれど一体を仕留めるのに少々手間取っている。群れで襲われ、うまく狙いを定めきれなかったのかもしれません」

「向こうのほうにも、二体のワーウルフが死んでおった。一人で戦ったにしてはなかなかの健闘じゃ」

「ということは、残りのワーウルフは二体ってこと?」

「そうなるの。ニオイがするのは更に奥のほうじゃ。ここから先は、より慎重についてくるんじゃぞ」


 今度はケット・シーが先頭に立って、アリシアたちを導き進んでいく。毛が黒くてどこにいるかわかりにくかったが、白猫も並んで歩いてくれたので道に迷うことはなかった。


「ノクス。これを渡しておくわ」


 今のうちにと、アリシアはバッグの中から銃弾の入った小袋を手渡した。

 さっきのノクスの分析が本当なら、フレッドの手持ちの銃弾はもうほとんど残っていないはずだ。持ってきた銃弾は特別大きな効果が付与されているものではなかったが、フレッドの銃の腕とノクスの補助が加われば普通の銃弾でもワーウルフを倒すのに問題はないだろう。


「弾の価格はいつも倍でよろしいですか?」

「もう、ノクスったら」

「せっかくですので、深夜の出張費も加算しておきましょう」


 ノクスにしてはめずらしい冗談を口にする。緊張をほぐそうとしてくれているのが手に取るようにわかって、アリシアの頬がほんの少しだけ緩んだ瞬間。

 静寂を掻き乱す銃声が、ティーヴの森全体を震わせて響き渡った。



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