第4話 数日前から見るんですよ
ガタゴトと揺れる荷馬車が、街を出て郊外へ向かう街道をゆっくりと進んでいた。お世辞にも綺麗とは言えない荷台には、上品に日傘を差した令嬢と不機嫌な顔をした執事が座っている。二人の間には売れ残りのニンジン……ではなく、たっぷりと給水を終えた瑞々しいマンドラゴラが、荷台の縁に身を乗り出して流れる景色を楽しんでいた。
「気持ちのいい行楽日和ですね! 太陽の熱い視線が肌に染み入るようです」
異界の住人なのに陽の光が気持ちいいとは、魔物のくせにずいぶんと植物らしい。光合成といわんばかりに、頭の葉っぱをいっぱいに広げている。
「どうしてあなたまでついてくるんですか」
「お嬢とノクス殿を二人きりにしては、どこでまた夫婦喧嘩を始めるかわかりませんからね。私という緩衝材があった方が、お二人には都合がいいかと思いまして」
「必要ありません」
「またまた。お嬢のことが心配でたまらないのに、口では上手く言えないノクス殿のお気持ち、よくわかりますよ。本当は瓶詰めにして宝箱の中にしまっておきたいくらい大切なんでしょう?」
「無駄口はそこまでにしてください。細切れに刻んで鍋で煮詰めますよ」
「私のダシは良い媚薬の原料になりますよ」
マンドラゴラが媚薬になるかどうかはわからないが、ノクスはもう彼の戯れ言に付き合う気はないらしい。短く息を吐くと、荷物から一冊の本を取り出してアリシアに手渡してきた。
「夜までにこの本の内容を頭に叩き込んでください」
「何これ。……『ハンター入門書。初心者向け魔物図鑑』?」
「読まないよりはマシでしょう。魔物に対する知識があるのとないのでは、対峙した時の判断に差が生じます」
本と一緒に、黒水晶のステッキも渡された。屋敷を出るまでは散々渋っていたのに、出かけると決めた後はアリシアに危険が及ばないように準備してくれている。魔物図鑑は分厚くて読む気が失せるほどだったが、魔物退治に付き合ってくれたノクスへの礼も兼ねて、アリシアは馬車が目的地に着くまではおとなしく本を読むことにした。
「今更だけど、付き合ってくれてありがとう」
「依頼がきてしまった以上、受けないわけにもいきませんから」
「そうよね。困ってる人を見過ごすことはできないし」
「今回だけですからね」
「でも他にも依頼が入るかも……」
「ビラの回収は骸骨に任せてきました」
そういえば屋敷を出る時に、ノクスが骸骨に余っているメイド服を着せていたことを思い出す。骸骨が女だったことにびっくりしてその理由まで頭が回らなかったが、ちゃっかりとビラ回収を指示していたとは、やっぱりノクスは油断ならない。
せっかく作ったビラを回収されるのは悔しかったが、今はそれよりも骸骨メイドの正体がばれないかどうかの方が重要だ。せめて彼女が被っていたつばの広い帽子が、ちゃんと仕事をしてくれることを祈るしかない。
「それで、例の青い人魂が現れる場所はどの辺りですかな?」
いつの間にかマンドラゴラが依頼人の男性の肩によじ登っている。男性はというと突然耳元で聞こえた美声と得体の知れない生き物に驚きすぎて、手綱を変な方向に引っ張ってしまった。馬車が大きく左右に揺れ、荷台から振り落とされそうになったアリシアをノクスが素早く引き寄せる。
「ひぃぃっ! な、なんですか、コレ……っ!」
「すみません! えぇと……助手? みたいなものです。特に悪さはしないので安心して下さい。ほら、あなたも勝手に動き回らないで」
アリシアが手を伸ばすと、マンドラゴラが男の肩からぴょんっと跳ねて降りてきた。
「あなたは一応魔物なんだからおとなしくしていてちょうだい。あんまり目立つと、そのうちハンターに狩られてしまうわよ」
「むむっ。それはいけませんな。お嬢を悲しませるわけにもいきませんし、ここはおとなしくニンジンのふりでもして荷台の隅に転がっておきましょう」
「そのままシチューの材料にされてくれるとありがたいのですが」
「辛辣!」
ノクスの毒舌にも心なしか嬉しそうに返事をして、マンドラゴラは荷台の隅に転がったままピクリとも動かなくなってしまった。本当にニンジンになってしまったのかと心配したが、しばらくすると「すぴー」と気の抜けた寝息が聞こえてきたので、アリシアは思わず声を漏らして笑った。
「ずいぶんと暢気な魔物もいるのね」
「無害そうに見えますが、あまり気を許しすぎないように。所詮、魔物は魔物です。いつこちらに牙を剥くかわかりません。人と魔物は住む世界が違うのですから」
「でも異界には人間に好意的な種族もいるとお父様が言ってたわ。エルフや妖精なんかも異界の住人でしょう? 世界が違うからわかり合えないって、最初から決めつけるのもどうか思うわ」
「お嬢様もセドリック様も、魔物に対する認識が甘すぎるんですよ。話のまったく通じない最悪の魔物がいることも忘れないようにしてください」
ノクスの言葉にあわせたように、ひやりと冷たい風がアリシアの髪をくすぐっていく。風の吹く先を振り返れば、街道の外れに鬱蒼と茂る雑木林が見える。そしてその前には濁った沼が広がっていた。
「あぁ、あそこです」
依頼人の男性が、馬車を止めて沼の方を指差した。
「数日前から見るんですよ。あの沼のそばに、こう……ぼぉーっと浮かぶ青い光を。最初は見間違いかと思ったんですがね、それがだんだんこちらに近付いてきてるようで……。昨日は泣き声も聞こえちまって、もう怖くて怖くて、夜にこの道を通れなくて困ってるんですよ」
畑で野菜を作って生計を立てている男性は、仕事を終えて帰る途中で青い光を見たという。今は昼なのでそれらしい光は見えないが、奥に広がる雑木林が何とも不気味な雰囲気を醸し出している。
「夜まで時間もありますし、家で昼食でもどうぞ。妻が穫れたての野菜でシチューを作って待っているはずです」
シチューという言葉に反応したマンドラゴラが、眠っているのにびくりと体を震わせた。
日が暮れる少し前に、アリシアたちは荷馬車を借りて沼へ向かった。夕焼け色に染まる景色は沼に着く頃にはすっかり暗くなっていて、馬車に付けられたランタンの灯りが薄闇に弱々しく揺れている。
アリシアに馬車で待つように指示し、先に沼の様子を見に行ったノクスが手にいくつかの青い魔晶石を持って戻ってきた。
「魔晶石の大きさから見ても、ここに現れる魔物は下位のようですね」
魔力の結晶化である魔晶石の大きさは、その魔物の強さを表している。青い光の魔物が落としたとされる魔晶石は、小指の先ほどの大きさしかなかった。
「せめて中級くらいなら、お父様の情報が得られたかもだけど……」
下位の魔物と聞いて安心する一方で、父親の情報を得られなかった不満もないわけではない。そんなアリシアの気持ちを一から十まで知り尽くしたように、ノクスがネイビーブルーの瞳を細めて冷たく睨み付けてきた。
「上位の魔物などお嬢様には手に負えません。遭遇せずにすむのなら、それが一番ですよ」
「……シクシク」
「泣いても無駄です」
「え? わたし何も言ってないわよ?」
きょとんとするアリシアとは逆に、ノクスが素早く背後を振り返って
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