第3話 それを許すとお思いですか?
テーブルの上にはアリシア自身が書いたビラが一枚と、黒水晶のついたステッキが置かれている。昨夜アリシアが墓地へいく時に護身用として持っていったものだ。
宣言通りノクスはアリシアがお茶を飲み終えるまでは待っていてくれたのだが、その間ずっと背中に冷ややかな視線を感じていたので、正直お茶の味を楽しむ余裕はなかった。
「昨日買い物へ出かけた際に、これを見つけました」
白手袋をした長い指が、テーブルの上のビラをトンッと叩く。声はとても静かなのに、まるで雪解け水に触れたみたいにアリシアの体がびくんと震えた。誤魔化そうとして曖昧に笑うと、余計にノクスのネイビーブルーが冷気を纏う。
「あなたが昨夜クランジール共同墓地に向かったのはこれが理由ですか?」
「そ、そうなのよー。毎夜、墓地の奥からベルの音が聞こえてくるって、墓守のおじいさんが怖がってて」
「ベル? あぁ、昔は誤診で死亡したと勘違いされることが多かったようですしね。本当なら仮死状態であるにも関わらず死亡と判断され、生きたまま埋葬される。そういう者たちが棺の中で蘇生した場合に、外へ合図が送れるよう、棺にベルが取り付けられたと聞きます。もちろん医学の発達した今は、そんなことはないようですが」
そんな昔のことまで知っているとは、さすがノクスだと感心する。墓守に聞くまで、ハンドベルを持ったかわいい
「昨夜の骸骨は、ベルを鳴らすも気付いてもらえず亡くなった者の霊かもしれませんね。一人がさみしくて、一緒に棺に入ってくれる者を探していたのでしょう。そこに愚かなあなたがちょうど居合わせた」
「愚かって……」
「愚か以外の何ものでもないでしょう。戦う術を持たず、意気込みだけでどうにかなると思っているのですから」
「ちゃんと黒水晶のステッキは持っていったわ!」
「派手に転んで放り投げていましたがね」
「で、でも……ノクスが来てくれたし、最終的には丸く収まっ」
「お花畑の脳味噌は一度死なないと治りませんか? 骸骨と一緒に棺に閉じ込めて差し上げても構いませんよ」
ノクスの毒舌は聞き慣れているのだが、今日はいつもに増して棘が鋭い。アリシアを見つめる瞳も冷たすぎて凍っているのではないかと焦るほどだ。
言い返したいのに口では負けるのが目に見えていて、アリシアは子供のように頬を膨らませることしかできなかった。
「あなたがセドリック様の真似事をする必要はありません。屋敷でおとなしくしている方が、よっぽど捜索も捗るでしょう」
「でも……行方不明になって、もう一ヶ月よ。何の連絡もないし、もしかしたら異界に迷い込んでしまったのかも……。お父様が消えた日は新月の夜だったから」
人の住むこちら側と、魔性の者が住む異界。二つを繋ぐ扉はあらゆる場所に点在しており、新月の夜にだけそのすべてが一斉に開かれると言われている。それを裏付けるように新月の夜には魔物関連の事件が倍増するし、彼らの持つ魔力が結晶化した魔晶石もあちらこちらで発見されるのだ。
その魔晶石の性質を調べる者のことを魔晶石学者といい、魔晶石を加工して武器や道具を作る技術を持つ者を魔石職人という。
セドリックはその界隈では有名な魔晶石学者であり、自身で魔晶石同士を掛け合わせて強力な武器を作れる魔石職人でもあった。魔物を狩ることを生業とするゴーストハンターに同行することもあるのだが、一ヶ月前顔馴染みのゴーストハンターであるフレッドと出かけたきり、セドリックだけが戻ってこなかった。
「蟻さえ踏み潰せないような顔をしていますが、セドリック様はああ見えて意外と
「ノクス……」
言葉は決して優しくないが、彼なりにアリシアを気遣ってくれているのがわかる。墓地へ一人で向かったことに怒っていたのも、アリシアの身を案じてのことなのだろう。
ノクスの言い分も痛いほどわかるし、それが正解だということも理解はしている。だがそれをおとなしく承諾するかどうかは、また別の話だ。
「確かに私はゴーストハンターでも魔晶石学者でもない、ただの非力で可憐な女の子だわ」
「可憐は余計です」
「んもう! 話の腰を折らないで。要するに私が言いたいのは、そんなに心配ならノクスも一緒に手伝ってくれればいいじゃないってことよ」
「どうして私が手伝わなければならないんですか」
「だって私はお父様を探すことを諦められないもの。ノクスだって、本当はわかっているんでしょう? 私がおとなしくできない性格だってこと。だったらもう最初から容認してくれた方が、お互いの」
「却下です」
すげなく断られ、アリシアの言葉はまたしても宙ぶらりんのまま喉の奥に消えていく。今度はさすがに頬を膨らませるだけでは終われなかったアリシアが、テーブルをバンッと叩いて椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった。
その拍子にテーブルの上からステッキが転がり落ち、先端についた黒水晶が淡いダークブルーに輝いて――。
「お……お嬢。み、水を……」
「オナ、カ……スイタ……」
心なしか干からびた様子の美声マンドラゴラと、既に干からびて肉すらない骸骨が床に倒れ込んだ状態で再び姿を現した。弱っているからなのか、それともノクスがそばにいるからなのか、昨夜ほどの恐怖はもう感じない。
「ノクスが黒水晶に吸い込んでたの、忘れてたわ」
昨夜アリシアが武器として持っていったステッキは、セドリックが作った魔法具のひとつだ。魔晶石から生成した黒水晶には、一時的だが魔物を閉じ込めることができる。力の弱い魔物にしか効果を発しないが、ハンター初心者には必須のアイテムだ。
「処分しますか?」
いつの間に用意したのか、ノクスの手にはカトラリーのナイフが握られている。
「ちょっと待って、ノクス。見たところ、ずいぶんと弱っているようだし……それに何かお父様に繋がる情報が得られるかも」
「雑草とガラクタに有益な情報があるとは思えませんが」
そう言いつつも、アリシアに従ってノクスがナイフをテーブルの上に置いた。代わりに水差しとグラスを手にして、アリシアとマンドラゴラとの間に割って入る。
「不用意に近付かないで下さい。弱っているとは言っても魔物です」
「ノクスが雑草とガラクタって言ったんじゃない」
「その雑草とガラクタに、あなたは手も足も出なかったことをお忘れですか?」
「うっ」
反論の余地もなく、アリシアはただ悔しげに呻くだけだ。けれどもノクスのそういう態度も、裏を返せばすべてアリシアを思ってのことだとわかる。けれどアリシアには刺々しいのに、マンドラゴラを水につけてやる手つきが意外と優しかったので、アリシアはほんの少しだけマンドラゴラに嫉妬してしまった。
「いやはや……助かりました。おいしい水を感謝致します、ノクス殿」
根っこの足を水の中でちゃぷちゃぷと揺らすマンドラゴラは、恐ろしい勢いで水を吸っていく。あっという間にグラス一杯分の水を吸収してしまったので、ノクスが水差しから追加の水を注いでやった。そのおかげで彼の髪の毛である三枚の葉っぱも生き生きとよみがえってきた。
骸骨はと言えば、朝食の残りのパンをマンドラゴラの隣で貪っている。食べたものがどこに消えているのかわからないが、骨の間からこぼれて落ちていないので、ちゃんと栄養にはなっているのだろう。心なしか血色……骨色もよくなっている気がする。
「あなたたちに聞きたいことがあるんだけど、お父様……セドリック・ロウンズという人物を知らないかしら。もしかしたら異界に迷い込んでいるかもしれないの」
「さきほどのお二人の会話にこっそり聞き耳を立てておりましたが……残念ながら、そのような話は耳に入っておりません。我々のような下位の魔物に、そういった情報はあまり流れてきませんので……」
「キョウミ、ナイ」
「はっきり言いすぎです!」
ぴちゃんっと、マンドラゴラが水を飛ばすと、骸骨が「キャッ」と存外かわいらしい声を上げて顔を両手で覆った。
「下位ということは、あなたたちよりももっと位の高い魔物なら、何か情報を持っているかもしれないのね」
「お嬢のお父上が異界に迷い込んでいるというのなら、ですが」
「それを知るためにも、上位の魔物に聞いてみるのはアリよ。何もわからないより一歩前進だわ」
何もわからず闇雲に探すよりかは、目指すものがある方が動きやすいし、何よりも気の持ちようが違う。ようやく得た手がかり……にはほど遠いかもしれないが、その先っぽを掴むことができて、アリシアの頬が自然と緩んだ。
「それを許すとお思いですか?」
「許して」
首を軽く傾けて、アリシアが思うかわいらしいポーズでおねだりしてみる。これで落ちるとは思わなかったが、予想以上にノクスのネイビーブルーが冷気を増した。
「色仕掛けのつもりですか? それで落ちる男がいるなら見てみたいものですね」
「フレッドはこれで落ちるもの!」
「……なら、その目は後で潰しておきましょう」
「何でよ! そもそもノクスが落ちてくれたら全部解決するのよ。ねぇ、お願い。一緒にお父様を探す手伝いをしてちょうだい」
「できません。何度も言わせないでください」
「ノクスの石頭!」
「お嬢様こそ、もう少し脳味噌を詰めてください」
ぎゃあぎゃあと言い合う二人の足元では、マンドラゴラと骸骨が呆れたようにため息をつきながら、互いに水とパンを味わっている。
「夫婦喧嘩は魔物も食しませんね」
「マズイ、マズイ」
アリシアを心配するノクスと、どうあっても父親を探したいアリシア。平行線のまま永遠に続くかと思われた喧嘩は、第三者の声によって強制的に終了した。
「あのぅ……勝手に入ってすみません。呼び鈴を鳴らしたんですけど」
扉を少しだけ開けて顔をのぞかせたのは、不安そうな表情をした見知らぬ男。その手に握られているのは、アリシアが街の広場と酒場の掲示板に貼っていた魔物退治のビラだった。
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