マネキンの結婚

@roukodama

マネキンと結婚【短編】

 結婚、という漢字を黒板に書く先生の指はきれいだ。青と緑の間くらいの色が塗られた爪がきれいだ。結婚、という字は、きれいな先生の指や爪が書いたものにしてはきれいじゃなかった。


「読める?」


 振り返った先生の顔はきれいだ。社会の丸山先生の頭の半分くらいの大きさしかなくて、イオンの服が売っているところに立っているマネキンと同じくらいしかない。


 このあいだお母さんとそこに行ったときマネキンは裸で、まるで僕は先生の裸を見ているようで、恥ずかしいけど絶対にこの記憶を失わないようにとしっかり見、その隣に立つ男の形のマネキンを邪魔だなあと思った。


「はい、正解」


 先生のキレイな顔とキレイな目とキレイな長い髪に見とれている間に誰かが言ったんだろう、先生は言って、結婚という字の横にけっこん、とふりがなを振った。


 結婚の婚という字はまだ習っていないけど僕だって読める。日曜日の昼間に見るテレビでは芸能人の誰それが結婚、という話ばかりやっているし、いとこの真美おねえちゃんの結婚が決まったというLINEをお母さんが見せてくれたばかりだ。


 真美おねえちゃんの結婚相手はサッカーのプロ選手で、あんまり有名じゃないけどすごく大きな外国の車に乗っているらしい。「雄二のことも乗せてくれるわよ」とお母さんは嬉しそうだったけど別に僕は車なんて好きじゃない。僕が好きなのは―



「先生ね、結婚することになったの」


 えーっとか、きゃーとか、げーとか、クラスの皆が言って大騒ぎになって、僕はよくわからないけど、おじいちゃんの家でいつの間にか寝てしまって起きたときのような気持ちになった。


 おじいちゃんの家は毎週のように行くからよく知っているけど、目覚めた瞬間はなんとなくどこかがおかしい感じがして、誰かが世界を一時停止して、自分の部屋にいる僕だけをこっそりおじいちゃんの家に移動させて、そして再生したみたいな感じ。


 僕はそういう、おじいちゃんの家で急に目が覚めたみたいな気分で、普段とはちょっと違ってちょっといたずらっ子みたいな表情をした先生が「秘密よ」と言いながらポケットからスマホを取り出すのを見ていた。皆がわーっと言いながら教壇のまわりに集まって、僕もよくわからないけど皆についていって、クラスメイトを押しのけて先生のそばまで行くと、先生からはいい匂いがしていて、そしてスマホには頭がつるっとはげたおじさんが写っていた。


「この人が、わたしの旦那さん」



 家に帰るとお母さんが買い物に行くと行って、イオン? と聞くと「そうよ」と言うので僕は勝手に車に乗った。お母さんが運転席を開けて「あら」と僕を見て、「何も買わないわよ」と言うので、僕は別にいいよと言った。別に何かを買ってほしかったわけじゃないのだ。


 イオンにつくとお母さんは食料品売場に行くというので、本屋にいてもいい? というと、「ああ、そういうことね」と言われた。お母さんは僕がマンガでも読みに行くと思ったんだろう。僕はエスカレーターを駆け上がって二階にのぼり、本屋の前を通り過ぎた。


 マネキンは裸のままだった。


 でも、僕は嬉しくはなかった。隣には男の形のマネキンが立っていた。女の形のマネキンは先生に似ていて、小さな顔と、お母さんよりは小さいおっぱいがついていて、隣に立つ男のマネキンは、先生が今日スマホで見せたあのおじさんのように、髪の毛がなくつるつるだった。


 先生はあのはげたおじさんと結婚すると言った。どうしてあんなはげたおじさんと結婚するのだろう。キレイな先生なら、きっともっとかっこいい人と結婚できるだろう。すごく大きな外車に乗った、Jリーガーとだって。


 マネキンをずっと見ていたらそこに店員さんがやってきて、不思議そうに僕を見ながら、マネキンに服を着せ始めた。男の形のマネキンには、セーターとズボンが着させられた。それは急に人っぽくなった。あのはげたおじさんのようだった。


 隣で先生はきれいなままで、裸のままで、そしてはげたおじさんの隣に立っていた。店員さんが先生に服を着せ始めた。僕は急に怖くなって、何かが自分の中で爆発してしまいそうで、それなのにどこか、あのおじいちゃんの家で目覚めたときのようなぼんやりした感じもあって、その場から慌てて離れると、エレベーターを駆け下りた。


(了)

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