予定調和
春のはずなのに
気温は夏日とも言われる
25℃を記録していた。
4月のため、まだ長袖のままの制服。
この気温となればしっとりと
肌にくっつくほど暑かった。
教室内では微かながら
冷房がついていた。
「じゃあね。」
寧々「はい、また明日。」
友人に手を振ると、
今は放課後なのだと思い知る。
去年から積み上げてきた友人関係は
幸いにも続いている。
1年生だった頃は
関係も何もなかったものだから、
みんなよりも遅いスタートに
苦労したのを思い出す。
寧々「ふぅ。」
教室はまだざわめいているもので、
ため息をついても誰にも届かなかった。
離れた席では、篠田さんも
帰りの準備をしている。
話しかけようかとは思ったが、
嫌われているのがわかっている上に
今日の篠田さんは異変に
関わっていない側の彼女なので、
声をかけるにもきっかけがなく
気が引けてしまった。
そんなことを考えている間に
彼女は鞄を持って教室から去って行く。
私はそれを追いかけることすらできず
ただ眺めることしかできなかった。
部活に所属していないので
そのまま帰路に着く。
今日はバイトだな、
こころがいる日だな、なんて
ぼんやりと思いながら歩いた。
こころと会える。
その僅かな幸福のために
残りの泥のような時間を仕方なく過ごす。
明日だって、明後日だって。
つまらないとは思う。
もし私が私じゃなくて、
こんな生活をしている子を見かけたら
同じようにはなりたくないなんて
失礼ながら思ってしまうかもしれない。
でも、これが私であり
私の生活だった。
嘘みたい、物語みたいと言われようと
実際にいるのだから。
私にとっては、毎日希望で溢れていて
普通でありきたりな幸せに
文句を言いながらも過ごす日々の方が
よっぽど物語みたいだった。
歩いていると、真横を通った教室から
わなわなと生徒が溢れ出してくる。
ちょうど帰りの会が終わったらしい。
青色のリボンはまだ艶々としている。
新1年生たちは嬉々として
友達と話しているのを見ると、
なんだか輝き過ぎていて
直視出来なくなってくる。
そのまま目を伏せて
早いけれどバイト先まで向かおうと
思ったその時だった。
「待ってください。」
寧々「…!」
突如、手首を掴まれる。
どくん、と衝撃のあまり心臓が跳ねた。
恐る恐る振り返ると、
そこにはおかっぱの女の子がいた。
前髪は直線で切られておらず
横に流しているため、
正確にはおかっぱとは言わないだろうなと
驚きのあまり頭の中で
整理し始めている私がいた。
その子は見たことがあった。
Twitterで時々見かけたアイコンと
ほぼ相違ない顔があったのだ。
アイコンよりかは幾分か
髪が短いことに気がつく。
結華「私、結華です。吉永寧々さんですよね。」
寧々「はい、そうです。」
結華「急に止めてしまってすみません。」
寧々「全然大丈夫ですよ。」
結華さんは丁寧に頭を下げた。
礼儀正しい人なのだという
第一印象が既に定まりつつあった。
頭を上げながら耳に髪をかける。
それすら大人びていて
綺麗な所作に見えたのだった。
結華「突然ですみませんが、悠里を見てませんか。」
寧々「悠里さん…いえ、見てませんね。」
結華「そうでしたか。ならいいんです。」
寧々「何かあったんですか?」
結華「向こうのグループにいた時のことを聞こうと思ったのですが、もう教室から出ていたみたいで。それだけです。」
寧々「結華さんと悠里さんって姉妹…ですよね?」
結華「はい。双子です。」
寧々「双子だったんですか。」
結華「よく見分けがつかないって言われるんですよ。だから髪型で見分けてといつも言うんです。」
寧々「悠里さんは髪が長いんですっけ。アイコンを見てる感じそうでしたけど。」
結華「いや、とても長いわけじゃないです。ぎりぎりポニーテールもどきができるくらいの。私より少し長いくらいじゃないですかね。」
結華さんはくるりと
自分の髪の毛を指に巻いた。
ふたことくらいで
済んでしまう会話だと思ったが、
意外にも結華さんは話してくれる人だった。
物静かそうではあるが、
人見知りというわけではないようだ。
珍しいタイプのようにも見える。
寧々「姉妹、いいですね。」
結華「全然。私、姉のことは嫌いなんで。」
姉。
ということは結華さんは妹なのかと
咄嗟に理解する。
ただ、大学生くらいのお姉さんが
いる可能性もあるなとふと思い、
自然のうちに口を開いていた。
寧々「姉って悠里さんのことで合ってます?」
結華「はい。」
そのくらい聞いていれば
わかるだろうという顔もせず、
表情を何ひとつ動かさぬまま
こちらを見据えて言った。
礼儀正しく落ち着いていそうに見えるのは、
この表情の冷淡さが理由かと
はっとするのだった。
結華「会って早々こんな話もなんですが…姉は他人を見下すことを生きがいとしてるような最低なやつなので、もし関わることがあれば気をつけてください。」
寧々「…は、はい。」
そんなに姉の悠里さんを
卑下することを言うなんて、
よっぽど悠里さんが酷いか、
結華さんが嫌っているか、
はたまたその両方なんだろうと予想できた。
私はお兄ちゃんのことは好きだったし
尊敬もしていたくらいなので、
正直その感覚はあまりわからない。
一体何があったら
そんなに考え方が変わるのだろう。
そう疑問に感じた時、
結華さんはゆっくりと口を開いた。
が、また閉じてしまう。
結華「…別に今話すことでもないですね。」
寧々「えっ…?」
結華「いえ。なんでもないです。また今度、ゆっくりと時間が取れる時に話します。」
寧々「そしたら、今週末はどうですか。」
結華「今週末?」
寧々「はい。結華さんの予定がなければ、ですけど…。」
結華「私は…そうですね、日曜日であれば構いません。その時までもしグループが一緒だったら、ぜひ。」
寧々「本当ですか!ありがとうございます。」
もし同じグループなら。
その言葉の重みを
段々と感じなくなっていた。
グループの移動には回数制限が
あるとわかっているのに、
それを忘れかけているような感覚に陥る。
慣れというものかもしれない。
人間って恐ろしい。
その後ほんの少しだけ
言葉を交わした後、
結華さんとは別々の方向へと進んだ。
彼女は深々とお辞儀をしていたのを
何度も何度も思い出していた。
何故だろう。
ただただ礼儀正しいだけであるはずなのに
その姿には自戒という言葉が
当てはまるように思えた。
***
バイト先へは早めに入り、
裏で休憩させてもらった。
暫くしてから制服から
バイト着に着替えて表へと立つ。
学校後の数時間は
休日、バイトだけの数時間とは異なり
酷く疲労が溜まった。
が、平日にもかかわらず
多くの客が訪れたもので、
自然と時間の流れは早く感じた。
その分、こころと
横並びで電車の席に座った時には
足からじんわりと力が
抜けていくのがわかった。
こころ「今日お客さん多かったねー。」
寧々「ですね。こんなに多いことなんてなかなかないんじゃないですか?」
こころ「平日だとそうかも。ほら、今日暑かったしさー、慌てて夏物買いに来る人が多かったんだよ、きっと。」
寧々「なるほど、ありそうですね。」
こころ「でしょ、名探偵って言ってくれてもいいからね!」
こころはバイト後だというのに
疲れを感じさせない笑顔でそう言った。
こころも今日は学校に
行っていたとツイートしていたはず。
どうしてそんなに元気なのだろう。
こころ「そーだ、寧々さん。」
寧々「何ですか?」
こころ「僕の特大妄想を聞いて欲しくって。」
寧々「ああ…昨日ツイートしてましたよね?」
こころ「おあっ、見てくれたの!」
寧々「はい。たまたま見つけたもので。」
そう言いながらスマホを手にして
ツイートを遡る。
これまでネットの有名人を
フォローしていたので、
その時に比べると随分と
タイムラインが大人しい。
すぐに見つけ出すことができた。
改めて目で追う。
こころはこのレクリエーションに
結構熱心に向かっているようだった。
『僕の特大妄想聞いて!
今世界線が二つあるじゃん?
片方は去年も同じようなことがあった世界、
もう一つは何もなかった世界。
そもそもレクリエーションの
終わりについて考えてみたの。
1つは、全員が片方の世界に寄るでしょ?
もう一つは回数制限を超えるかじゃん?
それは一旦置いておいて、
次にレクリエーション終了後の世界線の話ね。
1つは世界線は両方残る、
もう一つは片方消える。
今回は両方消えることは考えないでおくよ。
消えちゃったら考えるまでもないし
いいかなってことで…
かつ、片方消えることを仮定して
妄想を広げたよ。
消える世界線は元から決められているのか、
それとも人が少ない方が消えちゃうのか。
1つ目なら、消えない世界線に
みんなを集めればいい。
本物の世界線ってネットの人なら
わかってるのかなーなんて思っちゃった。
去年のことも色々知ってるみたいだし、
なんだかんだ頼りにしちゃってます。
1つ目の話じゃなくて
2つ目の話にも繋がるね。
消えない世界線にみんなを
集めちゃえばいいってこと。
そこでね、僕思ったの。
もし人が少ない方の世界線が
消えちゃうとして、
人が少ない側が去年異変が
あった側の世界線だったら、
お姉ちゃんは消えちゃうのかなって。
存在ごといなくなるのかとか
その辺りはわからないけど、
僕たちのせいで去年の色々を
経験して友達までできたお姉ちゃんの
過去が無かったことになるのは
それはそれで嫌だな。
別世界の僕が可哀想とか言っちゃったけど
こっちの方が大問題。』
こころの等身大の気持ちが綴られていて、
ただの妄想が書かれているだけのはずなのに
読んでいるだけで心細くなるような
気持ちがふと湧いて出た。
こころ「昨日の間ずっと考えてたらさ、歯軋りしてたみたいで朝頭痛くって!」
寧々「考え過ぎは良くないですよ。」
こころ「でもでも、気になるじゃん?」
寧々「そうですか?」
こころ「もー、寧々さんは自分の将来に頓着なさすぎ!」
顰めっ面をしながら
こちらを覗き込んでくる。
寧々「実感が湧いてないだけですよ。」
こころ「あーね。それはわかるかも。でもね、やっぱ聞いて。」
寧々「ふふ、いいですよ。」
こころ「もしもの話ね、お姉ちゃんが色々と経験した世界線が消えるくらいなら、僕は異変のある世界に残った方がいいと思ってるんだ。」
寧々「どうしてですか?初めは別の意見でしたよね。」
こころ「うーん、多分同じかな。もし異変のないグループに僕が行っても、もう1人の僕がどっちにしろ異変に巻き込まれるんじゃないかって思ったんだ。」
寧々「もしも別のグループに行って、それ以降異変がないのだとしたらどうします?」
こころ「その世界線は消えるって可能性もあるでしょ?」
寧々「意地悪なこと言いますね。」
こころ「実際問題、両方考えられるんだよ。」
寧々「まあ…確かにそうですけど。」
世界線と大っぴらに話しているが、
周囲の人はゲームの話とでも
思っているのだろう。
つまらなさそうに下を向いて
スマホをいじっていた。
皆、揃って、淡々と。
こころ「もしもレクリエーションがなんらかの形で終わって、両方の世界線が消えたとして…それでも僕ってどこかにいるのかな。」
寧々「…?どういうことですか?」
こころ「なんていうんだろう。2つ以外の、他の世界線もあるのかなって。」
寧々「パラレルワールドと考えるなら、あり得るとは思います。無数に広がっているって言われていますし。」
こころ「そっかぁ。じゃあもし僕が消えても、どこかの僕は今と同じように悩んでるんだろうなぁ。」
駅員のアナウンスが響く。
すると、人々は何事もなかったかのように、
当たり前のように自分の足で歩いて
電車から降りて行った。
人が多く乗り換える駅だったため、
周囲は一気にがらんとした。
囁き声で話していれば
1番近くの人にすら
聞こえないのではないだろうか。
こころは少し俯きながら、
それでもうっすらと笑みを浮かべて
そう言っていた。
寧々「…そうですね。でも、悩んでいない世界線だってあるはずです。」
こころ「確かに。そもそも、この個性を持ってない僕だってどこかに入るだろうし。」
寧々「個性無くして、かつ悩んでいることだってあり得ますよ。」
こころ「うわ、それ嫌だなあ。」
寧々「1番嬉しいのは、個性を持ったまま周りに受け入れてもらうことですかね。」
こころ「そうだね。でも、いつの時代だって少数派はいて、何かと生きづらい世の中だったんだよね。」
その時代があってこそ
今の時期があるんだよね。
こころはそう言いたげな目をして顔を上げ、
こつんと後頭部を窓辺に当てた。
こころ「報われないね、僕たち。」
頭を傾げて、ややこちらを見ながら
今にも息絶えそうな声で囁いた。
私も、こころとは違えど
気持ちは痛いほどわかる。
だから友達にも親にも
話せなかったのだから。
相談なんでできたものじゃないから。
寧々「いつかは報われたいですね。」
こころ「あーあ。もし片方が報われてる世界線なら、僕は迷わずそっちを選んだのにな。」
寧々「お姉さんのことはいいんですか?」
こころ「うん。だって人間ってみんな自分が1番可愛いじゃん?」
寧々「…それもそうですね。」
こころ「今日も僕ら、よく生きたもんだよ。」
正面の窓の外を見ていると、
刹那トンネルに入ったらしく
私たちが反射して映った。
こころは白と黒で統一された
フリルの可愛いワンピース。
私は2年強使い古している制服。
それぞれ、お互いの今を表していることに
違いはなかった。
凸凹な私たちに、
救いの場があるのかどうかなんて
私たちも、あなたも、世界すら
きっと知らないのだろう。
○○○
結華「悠里。」
声を荒げながら部屋に入る。
すると、床に寝転がりながら
暇そうにギターを弾く悠里の姿があった。
悠里「なーにー。」
結華「向こうのこと、色々聞きたいんだけど。」
悠里「あー、別世界線のほーぉー。」
ちゃらら、とギターを鳴らしては
オペラ歌手のように歌い出す。
呑気にも程がある。
何周も回って怒り以上の何かが
頭の中で沸々と煮えたぎっている。
それでも悠里と同じになんて
どうしてもなりたくなくて、
何度も心の中で深呼吸をして
自分を落ち着かせるのだった。
結華「…レクリエーションの詳細、私はあまり聞いてなかったんだけど、悠里は知ってた?」
悠里「知るかよー。結華と同じ情報しかありませーん。」
結華「Twitterで過去の分を振り返った。向こう側は親もいないの?」
悠里「いなかったよ。考えればわかるだろ。」
結華「何で言わなかったの。」
悠里「聞かれなかったし、それにお前が向こう側に行ったわけじゃないし。」
結華「何でいないの。」
悠里「だからぁ、自分で考えろって。どうせ答えわかってるくせに。」
結華「…っ。」
悠里「何でしてそこまでうちにこだわるんだか。わーけわーかりーまーせーん。」
ぱら、ぱらら。
楽しそうな曲調から一転、
短調を奏で出した。
向こう側の世界線では両親も、
同じ世界線でなければ双子の片割れだって
いないことは何となく想像ついてはいた。
けれど、こうも気味が悪く
不快感でいっぱいになるとは
思ってもいなかった。
私たちが邪魔だと言わんばかりじゃないか。
悠里「そんなに言うんならもこちゃんにでも聞けよ。おんなじ答えが返ってくるからさ。」
結華「…今のままで幸せ?」
悠里「は?」
これまで陽気になっていたギターが
床に打ち付けられる音を聞いた。
その姿を見た。
幸い粉砕することはなかったが、
鈍い音を立てたものだから
ヒビが入っていそうで、
私の方がひやひやしてしまった。
悠里は眉をこれでもかと顰め、
舌打ちを1度鳴らし
私の前へと立った。
悠里「うちがこうして頑張ってるから、お前らはここで暮らせてんの。わかってない?」
結華「…全部が全部悠里のおかげじゃ」
悠里「わかってないよね。なら早く出てけよ。邪魔すんな。」
肩に優しく手が置かれたと思えば、
ありったけの力を込められて
派手に突き飛ばされた。
何が癪に障ったのか
いまいちわからないまま
床へと転げて扉にぶつかった。
防音性の優れているこの家でも
流石に振動は伝わったのだろう。
ばたばたと階段を駆け上がる音がした。
お母さん「ちょっと、何してるのよ。大丈夫?」
結華「あ…うん。」
お母さんは私に駆け寄ってきた。
しかし、悠里を見るなり
穏やかな笑みを浮かべてこう言ったのだ。
お母さん「悠里、あんまり強くあたっちゃだめよ。」
悠里「はぁーい。お母さん、今日の晩御飯カレーがいいなー。」
お母さん「よかった。ちょうど材料が余ってるから、すぐ作るわ。」
お母さんは優しく私に手を回して
立つのを支えてくれた。
悠里が一瞬肩に触れた時の
あの温度に似ていることが怖かった。
同じ母親から生まれた姉妹で、
双子なのに、どうしてこんなに
変わったのだろう。
悠里の部屋から出て扉を閉める。
リビングまで降りて、
そっとお母さんの手が離れた。
お母さん「ごめんね、結華。」
お母さんは泣きそうになりながら
いつものようにそう謝った。
お母さん「ちゃんと結華のこと、大切に思ってるからね…。」
結華「分かってるよ。大丈夫。」
私はそっけなく
いつもの言葉を返すだけだった。
この家は悠里がいるせいで
狂っているように見えるだろう。
けれど実際は、悠里が、
私たち家族が選ばれてから
大きく変化してしまったのだと
今振り返れば思う。
結華「…。」
よく転ぶか、悪く転ぶかは分からない。
ただ、今以上に大きな変化が
待っているであろうことは
容易に想像できてしまって、
この運命をどうしてか呪いたくなった。
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