惰性
朝から起きて準備をし
重たい体を何とか酷使して学校に通う。
そんな1週間が始まりを告げた今日この頃。
授業は聞いてるふりをして、
当てられそうなところだけ
冷や汗をかきながら答えを探し、
小さい声で答えた。
合っていれば汗はすうっと引いていくのだが
間違っていたから大問題、
どんどんと嫌な汗が噴き出てくる。
耳は真っ赤になって、
まるで恋している女の子みたいになる。
それが嫌で必死に答えを探す。
それならば初めから
授業をしっかりと聞いていれば
いいものを、と私でも思う。
しかし、気がつけば頭の中の友達と
会話していることが多かった。
会話というよりかは
一方的に話しているだけかもしれないけれど。
名前はあえて決めていない。
海みたいな人だなとは思うものの、
それが名前かと言われれば違う。
友達は友達。
その子に関してはそれ以上でも以下でもない。
陽奈『今日、篠田さんっていう方がこっちの世界にいるみたいなの。』
友達は海を見ながらゆっくり頷く。
私の方を振り返りなんてしない。
さら、と机の木目をなぞると
そこは自然と砂浜であるかのように思えた。
陽奈『…今ならね、話しかけれそうな気がするんだ。』
「…。」
陽奈『でも…この前の嶋原さんって方にも話しかけられてないし…。』
「…。」
陽奈「やっぱり無理だよね…。」
ほろ、とひと言こぼれ落ちていた。
目の前には帰りの準備をしている
途中の通学鞄があんぐりと口を開けている。
どうやら授業も帰りの
ホームルームすらも全て終え、
教科書を鞄に詰め込んでいたらしい。
「じゃあまた明日。」
陽奈「…。」
「陽奈ー?また明日!」
陽奈「え、あ、ごめん…また明日。」
隣の席の子がこちらに手を
振りながら少し口角を上げた。
私も多少笑ったつもりだったが、
思っている以上にうまくいかず
ぎこちない笑みが浮かんだ。
その子は気にしていないのか
ふいっと背を向けて何事も
なかったかのように歩き出す。
新学期が始まって数週間。
私は何とか隣の席の人とは
話すことができるようになっていた。
とはいえさっきの通り
ぎこちないものでしかなく、
まだまだ距離感はあるけれど。
加えて私から話しかけたわけでは
ないのだけれど…。
それでも私にとっては大きな1歩だ。
たったこれだけのことで
何でもできるのではないかなんて
理由のない自信すら湧いてくる。
今日の部活は頑張れる気がする。
意気込みながら1歩、また1歩と
教室を出てすぐの時だった。
澪「あ。」
陽奈「…ぁ…!」
幸か不幸か、偶然か否か。
見覚えのある顔が目の前で立ち止まった。
名前と顔は覚えておこうと思い
昨晩はTwitterのアイコンと
睨めっこをしていた。
間違いない、篠田さんが目の前にいた。
実際に会ってみると
思っている以上に身長が高く、
ばっと顔を上げては
怯えるように肩を縮めた。
澪「…?」
私と目があったことに対して
疑問に思ったのか
顔を顰めてこちらを見ている。
何かしら話しかけられると
思っていたけれど…。
あれ?
篠田さんって今日は私と
同じ世界線にいるはずだよね。
だからTwitterでアカウントを
確認することができたんだよね…?
彼女の目の前であたふたしていると、
何かを察したのか
その場から去ろうと背を向けた。
たった数秒のことだけれど、
私にとっては何十分も、
下手すれば長いこと時が
止まってしまったのでは
ないかとすら勘違いしそうになった。
でも、このまま話しかけないんじゃ
私は変わることができない。
今日はできるなんて
変な自信を持ってから、
何かしなければという思考へと
変わっていることに気が付かなかった。
陽奈「ぁ……あの…っ!」
思っているよりも
大きく甲高い声が廊下に響いてしまう。
周りの人が一斉に振り返る。
そしてすぐ自分たちの
していたことへと戻っていく。
一瞬のことなのに
耐えることができず、
思わず足が震えてしまった。
内心既に後悔が募り
反省会を開いているが、
勇気を振り絞った成果か
篠田さんは足を止めてこちらへと
半分振り返った。
緩やかに巻かれた髪の毛が
遠心力で綺麗に弧を描いていた。
澪「…うち?」
陽奈「……は…ぃ。その…えっと…。」
呼び止めたはいいものの
何を話すかなんてもちろん何も決めていない。
しかも、変に注目を集めてしまったせいで
頭の中はショート寸前だ。
それ以降言葉が出なくなると、
篠田さんは私の元へと近づいてきた。
いつの間にか俯いており、
顔を上げることもできなかった。
澪「調子悪いと?」
陽奈「あ…いえ…。」
澪「じゃあ、なんね。」
陽奈「ぅ…。」
篠田さんは美人さんで
それゆえに自信があるその
雰囲気のようなものを感じた。
高圧的に感じてしまって
苦手だな、という言葉で
頭の中が染まっていく。
このままひと言謝罪の言葉を口にして
逃げてしまおうと思った時だった。
澪「…焦らんでもよか。時間があるなら別の場所で話さん?」
陽奈「………ぇ…。」
澪「来ると、こんと、どっち。」
2択。
答えの選択肢が絞られてもなお
迷い、そしてどもった。
が、すぐに答えを出さなければと
慌てて口を開いた。
がら、と肩から鞄がずり落ちるのがわかった。
陽奈「い、行きます…っ。」
澪「わかった。そうやな、空き教室でよかね。」
陽奈「はぃ…。」
尻すぼむ声を出す。
掠れるほど振り絞った声が
自分の耳に届いた後のこと。
今日は部活があるということを
不意に思い出したのだった。
篠田さんに連れられて
普通科の棟の一室に籠る。
移動教室用で使われているのか
机は綺麗に並び整っていた。
部活で使用する生徒たちもいないらしく
私たちは1席間を空けて横に座る。
私が篠田さんの方を
向けないままでいると、
「少し待っとって」と言い
そのまま教室から出て行ってしまった。
荷物だけがぽつりと席を
占領している中、
スマホを取り出す気にもなれず
両手を膝の上に置きながら待つ。
少しして部活に遅れる連絡を
していなかったのを思い出し、
慌ててスマホを手にして
合唱部の友達に連絡を入れた。
ちょうど送信ボタンを押した時、
がらがらと出入り口のドアが鳴った。
勢いよく振り返ると、
そこにはペットボトルを手にした
篠田さんが入ってきていた。
スマホなんて触っていなかったですと
言わんばかりに鞄に隠す。
私の唐突な動きを不審に思ったのか、
こっちを見ては不思議そうな顔をしていた。
…というよりも睨んでいるように見えた。
澪「何しとん。」
陽奈「い、いえっ…何にも…。」
澪「そう。はい、これ。」
陽奈「…えっ…?」
篠田さんはそう言うと
お茶のペットボトルを片方差し出していた。
無論、私にだ。
もう片方の手には篠田さん自身のものだろう、
お茶が抱えられていた。
貰うことも申し訳ないが
断ることだってできず、
ぐう、と誰にも聞こえないような声で
ひとつ小さく唸ってから
両手でそっと受け取った。
陽奈「……ぁ…りがとう、ございます…。」
篠田さんはふん、と鼻を鳴らして
荷物を置いていた席に座った。
怖い人だけれど、
思っているほどは怖くなく
むしろ優しい人なのかもしれない。
そんなふうにころころと
他人の印象が変わる私は
ちょろいというやつなのかもしれない。
澪「先週末、うちが話しかけたのは覚えとう?」
陽奈「……えっ…?」
澪「金曜日、たまたま見かけて声かけたったい。覚えとらんと?」
陽奈「声かけ…ぇ…られてない…ですね…。」
澪「やっぱそうとね。」
彼女はどか、と背もたれに
体重をかけて足を組んだ。
足が長いものだから
たったそれだけの所作でも
随分と美麗に映った。
澪「レクリエーションについて、どこまで知っとると?」
陽奈「えっと…2つの…せ、世界線があって…それで、世界線が一緒だとTwitterがおかしいこととか…お話ができる…こと、です。」
澪「片方の世界線では去年も同じような出来事が起こっとったことは知っとうと?」
陽奈「あ、え…っと、それは、何となくそうだろうな…ってくらいです…。」
澪「なるほど。去年巻き込まれたって人とちょっと交流があったから聞こうと思っとったんやけど、こっちの世界じゃどうにもならんの忘れとったんよ。」
陽奈「ぁ…そっか…なら、聞けずじまい…ですね。」
澪「そうやね。まあ、聞こうとしとることもしょうもないことやけん、別によかったけど。」
陽奈「そう…なんですか…。」
澪「…どうやったらレクリエーション含めそもそも全てのわけわからんことが終わるとかいなって思ったと。」
陽奈「……レクリエーション含め…?」
澪「去年まるまる何か異変が起こっとったらしいっちゃん。レクリエーションなんてまだ始まりに過ぎんのやって。」
陽奈「え…。」
澪「たまったもんやない。」
篠田さんはかきかきと音を立てて
ペットボトルの蓋を回しては
喉を鳴らしていた。
私もそれに合わせて
ペットボトルを開けようとしたが
蓋が硬く開けられない。
篠田さんが蓋を閉じるのを見ては
そっとペットボトルから手を離した。
陽奈「あ、あの。」
澪「何ね?」
陽奈「せ、世界線、渡るのって…どんな感じ…何ですか。」
澪「いつ移ったかあんまわかっとらんけんどんな感じって言われても分からんっちゃん。」
陽奈「そうなんですか…。」
澪「どっちの世界の方がいいと。」
陽奈「ぇ…私、ですか?」
澪「しかおらんかろう。」
陽奈「世界線…えっと…。」
どっちの方がいいか。
今のところ私は別世界のこともわからないし
何とも思っていない。
どっちの世界が元々私のいた
世界線なのかすらわからない。
だって1週間前も1年前もずっと
変わらず生き続けているだけだ。
それが、急に「あなたの生きている世界は
嘘の世界なんです」なんて言われても
半ば信じることができない。
異変のない世界があるべき世界なら
私はこのままこの世界にいても
いいんじゃないかと思ってしまう。
ただ、もしもの話。
デスゲームみたいに
生き残る世界線を選ぶ神様がいるとしたら。
そもそも生き残る世界線が
決まっているのだとしたら。
この世界に居続けることで
いつの間に自分の存在が
消えているなんてことがあったら。
それにすら気づかず私が消えたら。
…。
悲しいのかな。
それとも、そっちの方がいいや、
なんて思っちゃうのかな。
澪「あんま差がないように思っとる感じ?」
陽奈「…ぁ………はい…。」
澪「うちらにとつちゃ違いなんてあんまないけんな。」
陽奈「はぃ…。」
澪「多分、うちの知り合いとこういう異変について話ができるかどうかの違いっちゃないかな。」
陽奈「………その…世界線が片方消えるとか…ないですよね…。」
澪「…さあね。なくなる可能性だってあるっちゃない?」
陽奈「えっ…。」
澪「人の多い方の世界線が残るかもしれんし、なくなる方なんて元から決まっとるかもしれん。そもそもそんなことないかもしれんし。」
陽奈「…。」
澪「うちは別に消える世界線に残ったっていいっちゃけどね。」
陽奈「………ぇ…え?」
澪「惰性で生きとうだけやからな。」
篠田さんはそう言い残して立ち上がると
鞄にペットボトルを放っては
気だるげに鞄を肩にかけた。
澪「今から悠里に会いにいってくるわ。」
陽奈「え、ゆ、悠里ちゃん…に…?」
澪「他に話したいことある?」
陽奈「話したい…こと…。」
目的のないままに
呼び止めたものだから
そう聞かれても反応に困った。
うじうじしていると篠田さんは
時計をちらと見て確認した。
それが「遅い」と言われているようで
肩をすくめることしかできなかった。
陽奈「…ない、です。」
澪「わかった。それじゃ、またいつか。」
こちらを振り返ることなく
髪を靡かせては空き教室から出て行った。
またいつか。
もし、どちらかが別グループに選ばれて
もう片方の世界線に行ったら
次はいつになるだろう。
もしかしたら最後のお別れだった
なんてこともありそうで怖い。
そういえば、こころちゃんの提案を
伝えるのを忘れていた。
みんな、学年関係なく話そうって。
先輩やさん付けはなしで、
敬語もとっぱらおうと
言っていたのを思い出す。
それよりも脳の中を占める出来事があった。
陽奈「惰性で…。」
それは、さっきの篠田さんの言葉だった。
怖いけれど、自分の意思が
はっきりとしていそうな
篠田さんでさえ、
消えてしまってもいいなんて思っているのか。
「惰性で生きているだけ」。
今まで生きてしまったから
死ぬ方法もわからず生きているだけ。
その言葉が妙に頭に残った。
ぎゅっとペットボトルを握り
今度こそと力を込めて蓋を回す。
今度は上手に開けることができたのだった。
○○○
奴村と別れてから
普段音楽の授業でしか行かない
音楽棟へと足を踏み入れる。
そこでは音楽科に進んだ学生たちと
音楽系の部活に入っている生徒で
溢れかえっていた。
どこかしらから楽器の声が聞こえてくる。
確か悠里は吹奏楽部だったと言っていた。
うちの知っている時と今とでは
もしかしたら違いがあるのかもしれないと
不安を抱えながら歩いていく。
廊下を歩いていると
ひそひそ声が聞こえてきた。
女子校だしよくあることではあるが、
自分のことについて言われているようで
気のせいかもしれないというのに
無性に腹が立った。
それを深呼吸ひとつで宥める。
昔のうちからすると
考えられない情緒の動きだった。
何かに怒りを覚えるなんて
早々なかった気がするのに、
今ではこんなに惨めだ。
ぐるぐると考えながら
大股で廊下を歩く。
楽器の音が近くなったと思えば
すぐ横の教室で吹奏楽部の一部が
練習をしているようだった。
金管楽器…トランペットだろう、
ぱー、と明るい主役のような音が
耳をきいんと揺さぶった。
教室を覗くと、悠里らしい人は見当たらない。
うちが知っているのは
髪の毛を下ろしている姿だったのだが、
今はどうなのだろう。
教室をじっと見つめていると
不意に肩をとん、と叩かれた。
「何してるんですかぁー。」
澪「…っ!」
足音もトランペットの音のせいで
あまり聞こえなかったのだろう。
飛び上がりそうになりながら
声のする方を見た。
すると、そこには短いポニーテールをし、
不貞腐れた目でこちらを見つめる
悠里の姿があった。
澪「悠里…。」
悠里「え、うちのこと知ってるんですかぁ?って、そっか。フォロー欄から見れば丸わかりでしたねー。」
ちょけたような話し方をするものだから、
少しばかりうちの知る悠里とのギャップに
たじろいでしまう。
悠里「んで、何か用ですかー?」
澪「悠里とよね?」
悠里「え?はい、そうですけど。」
澪「うちのこと覚えとらん?」
悠里「はい?」
澪「だけん、うちと前に出会っ」
悠里「ガチで初対面なんですけどー。人違いじゃないんですかぁ。」
澪「そんなことはないはずっちゃけど。」
悠里「えぇー、そう言われましても。」
悠里はめんどくさそうに
こちらを見つめた。
これ以上突っかかってくるな、
時間を潰すなと言われているようで、
もう1度同じことを
聞こうと思ったものの躊躇われた。
刹那、横の教室から声がした。
「悠里ー」とこちらに手を振っている。
悠里「はぁーい、今行きまーす。んじゃ先輩、ばいばい。」
声をかけて止める間も無く
悠里は笑いながら
「すみませーん」なんて言って
教室の中へ入っていく。
何となくここににいてはいけない気がして
そっとその場を後にした。
さまざまな憶測が頭の中をよぎる。
うちが悠里と出会ったのは
タイムリープした先のことだった。
けれど、うちが覚えているものと
差があるのは一体何故だろう。
もっともっと先の未来の
出来事なのだろうか。
澪「…でも…。」
人が違う。
そう思ってしまった。
むしろ、数日前に出会った
結華側の方がうちが覚えている印象に近い。
けど、確かに悠里と
名乗っていたはずなのだ。
澪「…時間が経って忘れたんはうちの方やったとかいな。」
何だかを落としているような
気持ち悪い感覚に襲われる。
この世界では嶋原に話しかけるも
知っての通り無駄だった。
何をしようにも空回りになる気がして、
静かに音楽棟を後にした。
澪「…。」
いつになったら
レクリエーションは終わるのだろう。
いつになれば別の異変が起こるのだろう。
いつになればうちは…。
澪「…しゃあしか。」
頭の中がざわつく中、
1人呟くことしかできなかった。
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