枷鎖

「三門さん」


こころ「はあい。」


「そろそろ下校時刻だし、少し時間をずらして帰りましょうか。」


こころ「えへへ、ありがとうございまーす。」


医薬品の匂いを含む独特な香りが

僕の鼻をつんと突く。

足をぷらぷらと力を抜いて前後させた。

保健室の先生が


今日は土曜日だが

午前中だけ授業がある週だった。

出席日数を取るためだけに

学校に来たはいいものの、

気分的に教室に入りたくなくて

保健室に逃げてきた次第だ。

外では体育が行われているのだろう、

女子たちがきゃーきゃーいいながら

戯れている影が見えた。

僕はあんなことできないなと

窓の外を眺めながら思う。


こころ「先生さようなら。」


「はい。またいつでもきていいからね。」


保健室の先生は若いのに

生徒とは優しく真摯に向き合う人だった。

僕はこの先生のおかげで

ここまで学校を続けられている節が

少しだけあった。


下校時刻が被らないようにと

4限目の半ばで保健室から出てきたのに、

心が燻っていた。

ただ、この学校をぐるぐると回っても

寧々さんも陽奈もいない。

数歩教室の方へと向いたが、

それに気づいては靴箱の方へ

とぼとぼと歩くことしかできなかった。





***





こころ「ただいまぁー。」


お母さん「おかえりなさーい。」


遠くからお母さんが声を飛ばす。

僕は帰って早々制服を脱ぎ

室内着に着替えてからベッドにダイブした。


今日はバイトもなく

寧々さんに会えるようなきっかけもなかった。

声をかければ会えるだろうけれど、

今日ばかりは自分から

動きたいとは思えない。

だって学校に行くはいいものの

保健室へと逃げ込むほどだ。

精神的に何も圧がかかっていなければ

へらへらしながら

教室に入っていったことだろう。

今日の僕はどうしても

いろいろなことを気にしてしまうようだ。


スマホを見ても、

交換したはずの陽奈の連絡先は

登録されていないことになっている。

きっと世界線が違うからだろう。

もちろんTwitterでフォローしている

人だってがらりと変わっていた。

寧々さんに篠田澪さん、それから結華。

茉莉や陽奈に無性に会いたくなったけれど

しがみつくことを覚えなかった僕は

スマホを持った手をだらりと垂らす。

誰かに、どこかにしがみついたり

縋ったりすることが出来れば

きっとまた人生は大きく違った。

寧々さんも、僕のお姉ちゃんもその類だろう。


こころ「あーあ。ゲームする気も起きないや。」


寧々さんとゲーム友達になれれば

こうしてだらだらしている間にも

誘って互いの家の中で

遊ぶことができるのに。

なんて夢物語を描いた。


寧々さんの家庭環境はそれとなく

聞いたことがあった。

親御さんが厳しい方らしく、

ゲームをしているところを見ることはあっても

することはなかなかしないらしい。

やるとしても数独だとか。

文系の寧々さんから予想外な言葉が出てきて

思わず笑った記憶がある。


だから寧々さんとはあくまで

バイト仲間でしかなかった。

バイト仲間で、かつお互い少数派である。

正しく分別すれば全然違うが、

それでも少数派という同じ箱の中にいる。

骨付き肉を食べ

最後の最後、骨に残る肉を

突きあっているような、

慰め合うだけのような。

そのような関係だけで成り立っている。


同じ世界線になったからか

寧々さんのことをやたらと

考え続けていると、

不意に僕の部屋の扉が開いた。

お母さんかお父さんが

ノックするのを忘れたのだろうと思い、

顔だけをそちらに向けると。


こころ「…えっ!?」


歩「よ。」


そこには無表情のままこちらに

片手だけ上げたお姉ちゃんがいた。

今日帰省するなんて連絡してたっけ?

いや、いつも通り前日にはなかったけど。

たった今慌ててスマホを見ると、

LINEでは5分ほど前に

「もうすぐ家着く。一泊する」と

雑に1行で連絡が来ていた。

通知をオフにしていたらしく

気づかなかったらしい。


再度、上体を起こしてから

お姉ちゃんを凝視していると、

不気味に思ったのか

訝しげな顔をしながら僕の部屋に入り

ゆっくりと扉を閉めた。

まるでこれから拷問でも

始まりそうな空気感の中、

お姉ちゃんは遠慮なく

僕の学習机とセットになっている

ピンク色の椅子に座った。


こころ「ちょっとちょっと、手洗ったのー?」


歩「それはした。」


こころ「それはって…まあでも、突然ベッドに座らなくなっただけマシかな。」


歩「今からそっちにいってもいいけど?」


こころ「絶対やめて!ベッドの上は綺麗にしておきたいの!」


歩「誰を呼ぶわけでもないでしょうに。」


こころ「僕のこだわりなのー。お姉ちゃんだって今から真っピンクでフリフリの服着てなんて言われたら怒るでしょ。」


歩「絶対無理。縁切る。」


こころ「でしょ?そんな感じ!」


歩「はいはい。わかってるからやってないでしょ。」


お姉ちゃんは足を組んで

おまけに肘までついて

偉そうにそう言った。

こういう態度が大きいところだけは

全く変わっていない。


こころ「そっちはどうなの。大学生ー。」


歩「この前間違って3年に話しかけた。」


こころ「あっはは。それガチ?」


歩「ガチ。でもいい人だったよ。」


こころ「カツアゲされなくてよかったね…。」


歩「いつの時代を生きてるんだか。」


こころ「でもお姉ちゃんだったらいつかありそうで怖いんだよね。」


歩「どういう意味。」


こころ「ほら、口悪いし態度でかいじゃん?」


歩「最低限の常識はあるから大丈夫。」


こころ「実際そうなんだよなぁ。外ではいい顔できるっていうかさ。笑いはあんまりしないけど。」


歩「うっさ。」


お姉ちゃんは緩やかに

上にくる足を変えた。

机から肘を外し、

ポケットに入っていたらしい

スマホを手に持ち出したけれど、

その画面を見ることなく

僕を見つめるだけだった。


こころ「ん?僕の顔に何かついてる?あ、わかった。最近肌の艶感がよく」


歩「あんたさ、今はどっち?」


こころ「…はい?」


歩「話通じる方?通じない方?」


こころ「えっと…」


急に話が変わったものだからぞくりとした。

それと同時に、空気ががらっと

変わったのを感じ取った。

僕は自然と背筋を伸ばし、

足をベッドから出して床に着けた。

正面からお姉ちゃんに

向かう形で姿勢良く座る。

それを見たからか、

お姉ちゃんははあ、と息を吐いた。


こころ「…多分、通じる方。」


歩「何それ。多分って。」


こころ「その…何に対して言ってるのか半分分かってない感じでさ。」


歩「あー、もういいよ。大丈夫。」


こころ「え?」


歩「前回と明らかに反応違うから大丈夫。今のこころは話ができる方だよ。」


話ができる。

何の、とは聞かなかった。

聞かずとも答えはすぐに

返ってくることがわかっていたから。


歩「あんた、今奇妙なことに巻き込まれてんでしょ。」


こころ「…うん。僕も、お姉ちゃんが去年同じ目に遭ってたって聞いた。」


歩「あそ。」


こころ「全然知らなかった…。」


歩「まあ、話してなかったしね。」


こころ「僕もさ、1回お姉ちゃんに話したんだよ。Twitterのアカウントがおかしくなったって。」


歩「んで、駄目だったと。」


こころ「そう。」


歩「今回は裏ルールみたいなのはないの?」


こころ「裏ルール?」


歩「去年のレクが宝探しで、宝のうちの1枚に「仏の顔も三度まで」ってあったの。宝探しに3回欠席したら行方不明になるっている裏ルールがあった。」


こころ「何それ!?」


行方不明。

その言葉の不穏さは

僕の心をざわめかせるには十分すぎた。


歩「それで私たちの時は1人行方不明になった。3ヶ月後くらいに帰ってこれたけど。」


こころ「犯人もうわかってるんだよね?」


歩「全然。」


こころ「犯罪者を放置してるってこと!?」


歩「こころ、聞いて。」


こころ「だって、行方不明が普通に起こるんじゃ殺人だっていつか」


歩「この問題はそう簡単じゃない。」


こころ「…っ。」


歩「だってあんたさ、今の状況見てみなよ。世界線が変わってるっていうんだよ?」


こころ「でも…。」


歩「少なくともこれは現代だけの話じゃない。これだけは絶対そう言える。」


こころ「お姉ちゃんは悔しくないの。」


歩「…。」


こころ「僕は今のところ何ともないけど、今後周りの大切な人や、それこそ僕自身だって、いなくなったり傷つけられたりするのは嫌だ。」


僕は自分の胸ぐらをぎゅっと掴んだ。

そうだ。

神隠し同然のことができてしまう、

世界線すらも変えられてしまう

得体の知れない何かにとって、

僕の秘密を暴くことなんて

意図も容易くできるだろう。

それをクラスどころか

学校中にだって伝えることは

容易にも程があるはずだ。


他にも、例えば僕と仲良くなった人を、

寧々さんや陽奈を僕から離すとか、

家族の仲を元々悪かった風にさせるとか。

未来が関わって今を変えているのなら

そういうことだってできるに違いない。


こころ「今の生活全てに満足してるわけじゃないけど、それでも僕は」


歩「殺してやりたいよ。」


こころ「えっ…。」


歩「悔しいなんて生温いものじゃない。犯人がわかってるのであれば手をかけてやりたい。」


お姉ちゃんは、僕と目を合わせることなく

自分の組んだ膝へと視線を注いだ。

その目が異様に冷たく、

青色すら透けて見えそうだと

恐怖にも近い何かを感じていた。


歩「ま、犯罪者になるのは嫌だからしないけど。」


こころ「……何か…あったの…。」


歩「ま、友達が少し。」


こころ「…友達いたんだね。」


歩「はあ?うざ。黙れ黙れ。」


こころ「ちょっとー、真剣な話してるんでしょー!?」


歩「今回は100%あんたが悪い。」


こころ「え!?僕のせい?」


歩「はいおしまいおしまい。ご飯できたから呼びに来ただけだし、さっさと行こ。」


こころ「え、待ってよー。」


躊躇うことなくそのばをすっと立ち

僕の部屋から出ようとした。

慌てて背中を追おうとすると

刹那、扉の前でぴたりと止まったのだ。

僕も伸ばしかけた手を

その場で止めた。


歩「こころはいつまでこっちにいられるの。」


こころ「え?」


歩「今のこころに会えるのはいつまでって聞いてんの。」


こころ「ああ…わからなくて。2日に1回、別のグループに選ぶか選ばれるかで残れるか決まるから…。」


歩「そ。なら、もし今後も長くこっちに残れそうで、かつまだ異変が続きそうなら言って。できることはする。」


こころ「お姉ちゃん…!」


歩「いい出会いにはなる。けど、全てがいいものとは限らないから。」


こころ「…どういうこと?」


歩「言葉のまんま。」


お姉ちゃんは僕の部屋から出て数歩進み

こちらをちらと一瞥した。


歩「早く行こ。冷める。」


ひと言だけ残して

走ることもなく僕を置いていく。

お姉ちゃんに友達が

いたこと自体驚きだった。

それも去年の一環の出来事の

おかげ…というべきかせい、

というべきか…だろう。


今のところはただ遊んで

仲良くなろうとしているだけだけれど、

今後悪い出来事も出てくるのかもしれない。

それこそ行方不明になるだとか。

そんなもの、防ぎようがあるのだろうか。

人生と同様に時には

流されるしかないことだって

あるのではないだろうか。

それなら…何だって

受け入れられるのではないか?


こころ「…。」


この平和な日常にすら

しがみつくことを諦めてしまいそうだった。

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