巣の屑籠
茉莉「あ、やべ。洗濯物干し忘れた。」
そんなおっちょこちょいな事件から
今日は始まった。
普段は洗濯しっぱなしで
干し忘れるなんてしなかった。
それなのに今日、ついに初の失敗を飾った。
飾ってしまった。
スマホとパソコンの前から
体を何とか引き剥がし、洗濯機の中を開く。
すると、数時間前に洗濯機を回したままで
時は止まっていた。
ひとつバスタオルを取り出して
すん、を匂いを嗅ぐ。
茉莉「うぇ。」
生乾きの匂いが鼻の奥を突く。
ものすごい勢いで手を離し、
洗濯洗剤と柔軟剤を手にしては
慣れた手つきで投入し
入のボタンを押すのだった。
時刻は既に17時を回っていて
外干しをするにはもう遅い。
室内干しを余儀なくされる。
茉莉「やっちゃったなー。」
耳の横の髪の毛を少しだけ手に取り
くるくると捻ってみる。
ショートヘアなものだから、
あまり捻ってやったぞという感覚はなく、
やっているだけ何故か
虚しくなってきたので手を離した。
洗濯が終わるまで何をしよう。
そう思うと決まって
ゲームか作曲することだった。
趣味、と言うより好きなことが
ないにも等しい茉莉は、
いつしか何となく始めたこの2つを
ぼんやりと続けていた。
それは今日でも同様で、
この先もきっと同じなのだろう。
茉莉「んー…ご飯どうしよう。」
真っ暗な画面ばかり茉莉に見せてくる
スマホを手に取ってはLINEを開いた。
にーちゃんから連絡はない。
茉莉「今日、夜外食?…っと…。」
いつものことで慣れているが、
念の為夜ご飯は外で
食べてくるのかを聞いておく。
今回は珍しく即既読がついた。
そして、これからバイトであり、
その後サークルの飲み会に
参入するとのことだった。
茉莉はもちろん何も文句は言わない。
「分かった、気をつけて」とだけ
メッセージを残す。
すぐに既読にはならなかったけれど。
茉莉「ふぁー…ぁ…曲作ろ。」
再度パソコンの前に座る。
受験が終わってからは
することも大幅になくなって
宙ぶらりんな毎日だ。
もう4月にもなったし入学式までの
時間は少ししかないけれど、
まだまだ実感は湧かない。
それは、その生活にも
慣れてきたからというのもある。
茉莉がにーちゃんと2人で
暮らし始めたのは1年と2、3ヶ月前。
元より茉莉の家は転勤が多かった。
にーちゃんが大学受験中、
まさに冬のことだっただろうか、
宮城県への引越しが決まった。
そんな中にーちゃんは
東京の大学に進学が決まり、
神奈川県に残ることになった。
大学生だし1人暮らしをしても
大丈夫だと許可してくれたのだ。
茉莉は親についていくことも選べたけれど、
神奈川県に友達ができたものだから
ここに残りたくなったのだ。
そうしてにーちゃんとの
2人暮らしを始めたのだった。
茉莉「…。」
スマホでの音楽制作アプリを開いて
しばらくぼけっとしていたらしく、
時間が少しだけ経ている。
何かしなきゃ、何かしなきゃと
思えば思うほど動けなくなっていく。
もういいや、と思い
両手を天井へと伸ばして
だらりと力を抜いた。
その時だった。
唐突にスマホが鳴り出した。
茉莉「おあっ。」
びっくりして間抜けな声が出る。
慌てて画面を見てみると
秋という文字が浮かび上がっていた。
普段、それこそ最近は
電話がかかってくるなんてなかったから
何の用だろうと思いながら出る。
すると、一間置いて
息を吸う音が聞こえた。
秋『あ、もしもーし。』
茉莉「もしもし。聞こえてるよ。」
秋『よかったー。うっす、元気?』
秋は音割れしそうなほど
元気な声でそう言っていた。
相変わらずハイテンションで
煩いを超えてむしろ微笑ましいまであった。
秋、というのは偽名だ。
というのも、茉莉は18月の雨鯨という
音楽サークルに所属していた。
メンバーはイラスト担当の白。
作詞作曲、映像担当の茉莉。
活動名は片時となっているが、
一人称が「茉莉」なせいで
本名バレはしている。
そして歌唱担当の紅、MIX担当の秋だ。
白…茉莉はさとと呼んでいるのだが、
さととは県内引っ越しをした先での中学校で
出会うことになった。
偶々同じ学校に通うことになったのだ。
受験勉強期間中、
さとは時々茉莉にくっついて
図書館まで向かった。
茉莉が勉強する中さとは
本を読むやら絵を描くやらして
1日を共に過ごすなんてことも
あったのを覚えている。
そのさととの繋がりで紅とも
顔を合わせたことはある。
ただ1人、秋だけは本名も顔も知らず
1年以上付き合いを続けていた。
だが、今度茉莉の入学する高校には
秋がいるらしい。
本当、不思議な縁だと感じる。
そんな秋から電話がかかってきたものだから
何かしら高校の関係での用事かなと
想像している茉莉がいた。
茉莉「元気元気。」
秋『今時間いい?』
茉莉「いいよ。んで、どうしたの。」
秋『秋さんにさ、今度学校紹介させてくれちょ。』
茉莉「あー、ん?秋が、茉莉に学校探検させてくれるってこと?」
秋『そー!』
茉莉「え?何で?」
秋『いやいやー、そんな理由とかどーでもいいじゃないっすか!』
茉莉「怪しすぎるって。」
秋『別にそんなことないよー?』
明らかに裏声で言っていて、
嘘だと主張しているようなものだった。
ひとつため息を吐こうとして
何とか喉の奥に閉じ込める。
秋『いやー、あのね。マジで一部分だけ勉強わかんないから教えて欲しくって。』
茉莉「…まあ秋、留年したもんね…。」
秋『来年から同級生よろしくよ!』
茉莉「何で焦ってないんだか…。」
秋『気楽だからじゃない?背負ってるもんなくなったし!』
茉莉「リセットってわけじゃないからね?来年も留年する可能性はあるんだからね?」
秋『はいはあーい。』
秋はまるで自分のことでは
ないかのように間延びした声で
そう答えていた。
秋は茉莉のひとつ上、
本来なら高校2年生になる予定だった人だ。
しかし、高校1年にして早々留年し
来年度も1年生…
つまり、茉莉と同じ学年になる。
それなのに秋は全く気にしておらず、
それどころか背負ってるものが
なくなったとまで言い出す。
茉莉じゃ考えられないことだった。
だって高校はお金がかかるから。
だから、親のことを考えると
申し訳なくなって仕方がない。
受験直前まで就職するかどうかで
悩んでいた茉莉にとって
秋の感覚は理解し難かった。
そこ以外は元気ないい子なんだけど。
秋『んじゃ、入学式の後に会えたら会いましょーや!』
茉莉「ん、そうだね。」
秋『おっけ!もーほんとにありがとー。』
茉莉「でも茉莉、先取りで高校の勉強なんてしてないから教えられないと思うけど…。」
秋『あー大丈夫大丈夫!どっちかっていうと感覚的なやつだから!』
何が大丈夫なのかわからないが、
とりあえず秋には会ってみたいし
別にいいか、と話を聞き流す。
秋『そーいや、作曲の方はどうよ?』
茉莉「ぼちぼち。次の曲のイントロだけ終わった。」
秋『仕事早いねぇ。』
茉莉「でも全然まだ粗削りだし、時間かかりそう。」
秋『でーじょーぶでーじよーぶ。どちらかっていうと詰まってんのはれーなっぽいし。』
彼女のいうれーな、とは紅ことだ。
茉莉は片時からとってたっとー、
さとは白からとってろぴ、と呼ばれている。
秋のセンスはどこかズレていて
少しだけ面白いなんて思う。
大抵は何を言っているのか
わからないけれど。
茉莉「あー、紅今詰まってんだっけ?」
秋『そ。4曲分くらい?』
茉莉「紅なりに頑張ってくれてるんだよ。」
秋『秋さんもそー思うぞー!ってことでたっとー。』
茉莉「ん?」
秋『うち、MIXしたい欲がぼちぼち出てきたんだけど歌みたまた投稿しない?』
茉莉「しない。じゃあ秋は暇ってことでいいね?」
秋『あえ?え、いやー…』
茉莉「作詞とかー、これまでのオリ曲のボカロ打ちとか」
秋『ごめーん用事できたわー。んじゃねー!』
茉莉「あ、ちょっと!」
と口に出した時には既に遅く、
ぶつりという音が耳に残った。
耳からスマホを離してみると
たった数分だけ話した記録のみ
ぽうん、と浮かんでいる。
茉莉「…ったくー。」
秋はこんなふうに
子供っぽさで溢れてあるけれど、
困った時には意外にも頼りになった。
相談事をするにうってつけといえば
いいのだろうか。
社交的な性格から多くの人と
出会い関わってきたのだろう。
それ故か、ひとつ上だとは思えないほど
わんぱくで、そして人生経験を積んでいた。
秋自身いい意味でおせっかいなのだが、
反面秋をそのまま放置して置けない
危なっかしさと愛嬌がある。
それから人間観察力が優れているあまりに
なんでも見透かされているような
気持ちになる時も多々あった。
…1度ドキッとしたのは、
「たっとーは人の頼り方が
分からないんだと思う」と言われた時だ。
茉莉「たまに痛いとこ突くんだよなぁ。」
人には隠し事のひとつやふたつくらい
平気であるっていうのにね。
もちろん茉莉だってそう。
このもやもやをどうやって晴らせばいいのか
今になって迷いわからなくなってしまう。
なんでもいい。
なんでもいいから少し
心が軽くなればいい。
そう思い、スマホを手に取って
fpsゲームの画面を開いたのだった。
茉莉「よし、やるか。」
最近シーズンが変わりランクが
下の方へと修正されていた。
またここから這い上がり
1番上のランクまで行こう。
…期間は1ヶ月半くらいでいけそうだ。
茉莉「…そういえば最近は1人でゲームしてばっかりだな。」
アカウントを作った時は
クランに入れてもらって、
ゲーム友達とボイチャを繋ぎながら
夜中までゲームをやっていたっけ。
今では解散してしまい
当時のメンバーで
集まることはなくなったが、
一部の人とは今も時々リプし合っている。
拾ってもらった時のこと、
今でもなんだかんだで覚えてるもんだな。
茉莉「…懐かしい。」
そんなことを口にしながら、
銃声の鳴り響く境界線を跨いだ。
***
茉莉「あーだめだ、勝てない!」
スマホを放りながら両手を上げたのは
ゲームを始めて1時間半ほど経た頃だった。
敵が強いし、何より自分が
思っているように動けない。
反射速度が遅いのだ。
使う指を2本から4本に変えたって
視野が開くなきゃ敵をすぐに
見つけられやしない。
今日はだめだ、ここまでだ。
脳内でわんさかと喋り倒しながら
徐にTwitterを開いた。
ちょうど先週あたりに
始めて自分の歌ってみたを投稿したんだっけ。
茉莉は歌うのは好きでも得意でも
できるわけでもないから
正直気は乗らなかった。
けれど、秋のMIXによって
ぎりぎり聞けるか聞けないかくらいの
レベルにはなってるんじゃないかと思う。
もちろん茉莉自身は自分の歌なんて
聞けやしないけれど。
茉莉「ふんふー…。」
突然脳裏に流れてきたのは
今作っている曲の一部。
歌うことは苦手でも
鼻歌くらいなら確かに歌っていた。
そんなことに今更ながら気づく。
音楽は意外なところで
茉莉の生活と密接に関わっているらしい。
改めてTwitterの画面を見る。
すると、左上のアイコンが
どうやら変更されているようだった。
おかしいなと思い自分の
過去のツイートを見てみると、
名前まで変わっているじゃないか。
茉莉「国方…フルネームじゃん。」
茉莉という名前は前々から
ユーザー名にしていたから
そんなにダメージはないけれど、
フルネームとなれば話は別だ。
学校側に知られたら大事に違いない。
別にやましいことはしていないから
アカウントを見つけられるまではいいが、
そこで何をしていたかを
知られるのは嬉しくない。
茉莉「…フォローも、1人…。」
いや、これまではもっといたはずだ。
雨鯨のメンバーから
普段応援してくれている人、
仲のいい友達、ゲーム友達。
色々な人をフォローしていたはずなのに、
それが今や1人になっている。
誰がいるのか気になって見てみれば
そこには茉莉と同じように
本名のアカウントが存在していた。
三門こころと篠田澪。
茉莉「何これ。」
これが何を意味するのか、
茉莉には全くわからなかった。
ぞく、と嫌な予感が
足の爪先から背中、そして頭まで
びりっと伝わるのが嫌なほどわかった。
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