当たり前

今日は気が向いたから

図書館に向かって歩いていた。

何気ない日々に変化を見出すことなんて

当たり前だが早々にできない。

気怠げに春の生ぬるい日差しに

降られながらコンクリートの上を歩いた。


100円ショップで買った

数百円のトートバッグを肩にかけながら

スニーカーで小石を蹴る。

トートバッグにはこの前

図書館で借りていた

数冊の本が入っていた。

春休みだからと意気込んで

数週間前に借りたはいいものの、

読み切ることなく今日まで至る。


そんなことをしている暇があれば

さっさと受験勉強しろ。

高校3年の春休みなのだから

そう思われること間違いない。


澪「はぁ。」


巻いていない髪の毛を

手櫛を通しながらため息を吐く。

これから髪を巻く時間も

惜しむようになるのかもしれないと思うと

何とも言い難い気持ち悪さが湧いた。


図書館に入ると、

近くで暮らしているのであろう子供と

その母親、そして職員が

話しているのが見えた。

きっと何度もここに通い

親しくなったのだろう。

生憎、うちはそんな風にはなれない。

というよりもならなかった、かもしれない。

誰もがうちのことを気にかけない中、

足早にカウンターに向かい

借りていた本を取り出す。


澪「本を返しにきました。お願いします。」


「はい。ありがとうございます。」


まだうちが小学生の頃、

受付のところに本を持って行ったはいいが

返すか借りるかを優しく問われて以降、

自分から口にするようになっていた。

こういう部分、うち自身は好きじゃない。

自分がするのも、

他人がそうしているのも

見ていていい気分にはならなかった。


本を返してから用事もないのに

図書館をふらりと歩く。

小説から政治、倫理、芸術。

普段触らない分野の本も

それなりに取り揃えられていた。

そのあたりをざっと視界に入れ、

向かうは物理学など

理工系の本が取り扱われているコーナー。

中でもタイムマシンについて

あれこれ書かれているものを見に行く。


澪「…これ…も…」


誰にも聞こえない声量で呟く。

マスク社会でよかったとつくづく思う。

そうでなければ今頃うちは

変な人として見られていただろうから。


タイムマシンやタイムリープについて

取り扱われている本を手に取るも、

中は奇怪な言葉だらけ。

そのほとんどを理解することはできない。

数ヶ月前に借りたけれど、

読む気が失せて返したのだっけ。

賢ければ分かったのだろうか。

何故うちがあの夏に

タイムリープしたか、

知ることができたのだろうか。


澪「…なんで縋り付いとるとかいな。」


本を棚に戻し、

そそくさとその図書館を後にする。

すると、春のもたつく日差しが

うちの頭上から降ってきた。


肩にかかったトートバッグを持ち直す。

重たさからも解放され、

随分と身軽に感じた。

タイムリープのことは

もうそろそろ忘れるべきなのかもしれない。

何せ数年前のことだ。

なのに、何故こんなに執着しているのだ。


澪「はぁ。」


疲れた。

けれど、ここで立ち往生している方が

疲れるに決まってる。

すぐに家へ帰ろうとして

駐輪場へと向かおうと時だった。


「あれ、篠田さん…?」


と、声が響いてくる。

思わず振り返ると、

図書館の前にある小さな道路から

大きく片手を振りながら

こちらに走ってくる影があった。


梨菜「わあ、本当に篠田さんだ!」


そこには、にこにこと

満面の笑みを浮かべる嶋原梨菜がいた。

彼女とは去年同じクラスで、

秋あたりからうちのいるグループ

…とはいえうちを含めて2人だったけれど

…とよくつるむようになった。


当時、急に話しかけてきたと思えば

近くに居座るようになって、

鬱陶しさや気持ち悪さを感じていたが、

半年も経つとあまりそう感じなくなっていた。

どうしてうちらのところに来たのかは

今でも謎のまま。

この前理由を聞いたけれど、

「何となく…?」としか返ってこない。

結局卒業前には

元いたグループに戻って行ったが、

それでも双方のグループに

話しかけるようになっていた印象がある。

元々のグループの人たちは

うちらのことを見て苦笑いしてたけど。


澪「なんね。しゃーしか。」


梨菜「しか?…まあいいや、篠田さんってお家この辺りなの?」


澪「そうやけど。」


梨菜「そうだったんだ!私もこの近くで。」


澪「嶋原も図書館に用事があったと?」


梨菜「そう!勉強しようと思って。」


澪「えらかー。」


梨菜「でしょ、偉いでしょ!」


澪「受験生やけん?」


梨菜「うーん、それもあるし…ちょっと別の理由もあって。」


澪「ふうん?」


梨菜「そうだ。少しだけそこの公園で話して行かない?」


そう言いながら背負っている

リュックを背負い直した。

ぴょんと軽く反動をつけたからか、

と、とす、とリュックの中身が

揺すられている音がする。


澪「うちは構わんけど。」


梨菜「やった!波流ちゃんと叔母さん以外の人と話すの久しぶりだから嬉しい!」


嶋原は大層喜びながら

るんるんとスキップしながら

目の前の小さな公園へと向かっていた。

リュックがうわんうわんと

上下するものだから、

見ているだけでうちの肩にまで

負担がかかりそうだった。


公園は滑り台ひとつとブランコ、

そしてベンチが2つあるだけの

質素な作りだった。

しかも周囲の木や建物のせいで

大部分が日陰となっている。

鬱蒼とした雰囲気が漂っていた。

もちろんそんな小さく暗い公園では

子供が遊び回るなんていう絵もなく、

いるのはレジ袋を手にし、

タバコを吸っている若いお兄さんだけ。


嶋原はその雰囲気を感じないのか

臆することなく立ち入り、

ブランコに腰掛けてた。

うちもとぼとぼ歩いては隣のブランコに座る。

ジャージのパンツにトレーナー姿を

見られた時は流石に後悔したが、

ブランコに乗るのであれば

この格好で来て正解だったとも思う。

ブランコは誰かが立ち漕ぎでもしたのか

砂をかぶっていたものだから。


梨菜「はー。ブランコ久しぶりだなぁ。」


澪「高校生になったらほとんどの人はもう乗らんっちゃないと。」


梨菜「そーだよねぇ。あーあ、春休み終わって欲しくないなぁ。」


澪「春休み明けたらひたすら受験のこと言われるやろうね。」


梨菜「あーもう、やだ!」


澪「それは誰もが思っとうって。」


梨菜「篠田さんもそう思う?」


澪「当たり前やろ。」


梨菜「へえ、意外。」


澪「この見た目やし予想通りやない?」


梨菜「え、そう?話してる感じしっかりしてそうって思ったけど…。」


嶋原はこちらをちらと見ては

大きく足を前後に振り、

ブランコを漕ぎ出した。

まるで小さな子供のよう。


うちは学校では髪を巻いているし

スカートは何回か折ってる。

くるぶしの出るような靴下を身につけ、

お化粧だってばれない程度に

薄くして通学していた。

それは優等生とはいえないはずだが、

嶋原からすればまだ

しっかりしている範疇に入るらしい。

早くその枠からはみ出ようとしても

お化粧をばれない程度にしかしなかったり、

風紀点検の時にはスカートを下ろしたりと

部分的な真面目が抜けなかった。


正真正銘の不良になりたいわけではないが

真面目であることをやめたい。

しかし、不真面目によって

成績が下がると、

あーあ、真面目にやっておけば

よかったなんて思う。

うち自身、一体どうなりたいのかが

いまいち掴めていない。

ただわかるのは、八方美人をするような

人間にだけはなりたくないということ。

そして、そのような人とも

関わりを持ちたくないということだった。


嶋原と接する中で、

彼女は八方美人云々以前に

自然体であることが多く、

どちらかといえば天然のような

部類に入りそうだなんて思うようになった。

関わる前まではいい子ぶっていそうと

思っていたのを覚えている。


梨菜「来年は波流ちゃんとは絶対違うクラスになるの、寂しいな。」


澪「波流…?あー、遊留やったっけ、苗字。」


梨菜「そう!あの髪長い人!」


澪「そんなんいくらでもおるやろ。何で絶対って言えると?」


梨菜「私、理転したんだ。」


澪「…はっ!?3年に上がるのに?」


梨菜「うん!」


そういうと、ずずー、と音を立てて

嶋原はブランコを漕ぐのをやめた。

ぷらんぷらんと足が床を滑る。


澪「…頭おかしいっちゃないと。今理転したら、2年の時の勉強はどうするとね。追いつかんやろ。」


梨菜「だから今頑張ってるの。数Bと、あと理系科目!」


澪「それで図書館に来とったと。」


梨菜「そう。自分で問題集は解いてみるけど、全然わからないから時々学校の先生に聞いてる。」


澪「まあ…ここからは近い方やけど、それでも歩いて2、30分くらいするやろ。」


梨菜「する。でも雨じゃない限り歩きやすいし全然平気!」


澪「真面目…というよりかは、努力家やな。」


梨菜「えへへ。」


澪「何で理転したと。」


梨菜「えっとね、叶えたい夢ができて…それは文系じゃ絶対進めない道だったの。」


澪「夢か。」


夢。

理転して、環境を大きく変えてまで

叶えたい夢があるらしい。

…いいな、と羨ましく思った。

うちにはそんなものない。

タイムリープのことだって

真相がわかればそれでいい。

ましてや、自分がタイムマシンを

作ろうなんて思わない。

興味があることもなく、

やりたいこともない。

そんな中進路を選ばされるのだ。

きっとうちのことだから

適当な大学に入って

そのまま卒業するんだろうなと思う。

就職で苦しみながら、

ああ真面目にやっておけば

よかったとかほざきながら。


…それはあまりに自虐的すぎるか。


澪「どんな夢なん。」


梨菜「内緒!まだ誰にも言ってないの。」


澪「へえ。」


梨菜「あ、嘘。妹には言った。」


澪「エイプリルフールはすぎとるっちゃけどね。」


梨菜「てへへ。」


頭の後ろを掻くフリをしながら

やっちまったと言わんばかりの

笑顔を見せてくるだけだった。

それからは春休みの思い出や

宿題の進捗についてを

ああだこうだと話し続けていた。

その中でも多く上がるのは

どうしても受験の話。

もう高校3年生になり、

その話題が多くなるのは

分かっているつもりだった。

覚悟しているつもりだった。

それでも時々うっとくる時がある。

未来に目を向けなければ

ならないからだろう。


しばらく嶋原と話すと、

突如スマホが鳴った。

通知が来たのだろう、短い振動と音のため

電話ではなさそうだった。


梨菜「って、話しすぎちゃった!急ぎではないって言ってたけど長かったよね…。」


澪「確かに長かったけど、別に楽しかったしよかよ。」


梨菜「ほんと!?よかったぁ。」


ブランコから飛び降りる彼女の背を

自然と目で追いながら

うちもブランコから降りる。

からんからんと鎖が歯を鳴らした。


澪「じゃあうちは帰るわ。」


梨菜「うん、またね!」


澪「また。」


学校で会うことはあるだろうけど、

これまでほどではないことには違いない。

それでも嶋原は前を向いて

明るい方へと歩いていく。

こんな薄暗い公園にとどまらず

彼女だけが1歩1歩進んでいく。

ここにはもう煙草を吸っていた

お兄さんもいなくなっていた。


澪「…帰ろ。」


うちは勉強することもなく

本を返して家に帰るだけ。

それに劣等感を感じていた。

間違いない。


うちはうちのことが好きではなかった。





***





雫「おかえりなさい!」


家に帰ってくると

決まって姉が顔を覗かせる。

玄関までくることはようやくなくなったが

それでもまだ名残が残っている。


澪「…。」


うちは毎度のことながら

それを無視して自分の部屋に籠る。

姉がどんな顔をしているかなど

一切見ることもないままに。

それが、今やうちの

当たり前となった生活。


うちの姉の篠田雫は愛想が良かった。

誰にでも好かれるような笑顔、

困っていた人がいたら助けるその精神。

それこそ、八方美人なんて言って

囃し立てる人もいるだろう。

そんな姉のことが好きだったのは

高校1年生の時までだった。


自室に入り、扉を閉める。

そして、布団が散らかったままのベッドに

身を投げるのだった。

重く軋むベッドに対して、

今日ばかりは可哀想だと思えた。

トートバッグの中からスマホだけを取り出し

頭の上へと放る。

数回バウンドして、

やがてうちと同じように寝転がった。


澪「…鬱陶しか。」


うつ伏せのまま枕に顔を押し付ける。

ふと、姉を嫌いになった

理由を思い浮かべていた。

今でも思い出せる。

2年前の夏に起こった出来事を。


私はー。


その時、スマホがふわっと光った。

何かしらの通知が来たのだろう。

そちらが気になってしまい、

思い出すことなんて忘れて

目の前に転がるスマホを手に取る。

春なのに随分と冷えていて、

何だか奇妙だなんて思った。

直前までスマホを触っていたわけでは

ないのだから、冷えているのが

普通なんだけれど、

今日に限ってはそう感じていた。


何気なくTwitterを開く。

ほとんど機能していないアカウントだけが

ぽつんと表示された。


タイムリープして以来、

その原因を知りたくてアカウントを作った。

しかし、それも長続きはせず

今ではただ存在するだけ。

うちもうちで、その出来事を

不思議だな、謎だなと思いながら

抱えるだけだった。


澪「…ん?」


不意に、ひとつしかないアカウントが

変化していることに気づく。

知らないうちに赤の他人の

アカウントにログインして

しまったのだろうか。

そうは思ったけれど、

やはりログインしている

アカウントはひとつだけ。


それは、プロフィールを見た途端

とてつもないことが起こっていると

気づいてしまった。

気づかざるを得なかった。


名前が本名に変わっている。

アイコンだって、自分の写真だ。

しかし、髪は下ろしていないようで、

過去こんな写真を撮ったかと言われると

正直覚えがなかった。

制服姿で撮影されており、

今の高校のものらしい。

高校生活の中でこんな写真なんて

いつ撮ったのだろう。


澪「…いや、そうやなくて。」


改めてTwitterのアカウントを見る。

ユーザー名までご丁寧に変更されいて

悪質なのか几帳面なのか

てんでわからなくなっていく。


元よりこのアカウントは

あまり使っていなかったのだから

削除したりログアウトすれば

いいんじゃないか。

そう思って双方行ってみたものの

エラーが出てしまう。

まるでこのアカウントというもの自体に

縛られているみたいだった。


澪「…放置してれば何も起こらん。」


害はない。

そう自分に言い聞かせることしかできず、

Twitterの通知だけオンに変更して

またベッドに突っ伏すのだった。


ああ。

人生変なことばかりだ。

でも、きっとタイムリープよりは

マシなのだろうな。


あの夏に到達するまで

残り4ヶ月となっていた。

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