凪げ
「お疲れ様でした。」
こころ「お疲れ様でしたー!お先に失礼します。」
「はーい、またね。」
こころ「はい。じゃあまた!」
バイトも終わり、まだ残っている
先輩方に小さく手を振って
その場から離れる。
アパレルのバイトを始めてから半年は経つ。
時々視線であったりクレームだったり
厄介だなと思うことはあるけれど、
それでも服に関わるお仕事は楽しくて
時間も不快感も
あっという間に忘れてしまう。
デパートの中にあるタイプの
アパレルショップのため、
休日となれば多くの人が来てくれる。
それと同時に、行き帰りも
大変になると言うことだけど。
お店を離れて駅の方向には向かいつつ
遠回りの道の方を選ぶ。
こちらの道を進むと、
人通りはそこまで多くなく
快適に進めるのだ。
僕は身長が高いから
人の波に揉まれて呼吸が
できなくなるなんてことはまずない。
それでも人混みはどうしても嫌だった。
その理由もあり、
且つもうひとつの理由があって
こっちの道をあえて通っている。
少し歩くと、コインロッカーが見えてくる。
その隅にいつも彼女はいるのだ。
こころ「ごめーん寧々さん、お待たせ!」
寧々「あ、こころ。」
寧々さんはバイト先で
お世話になってる先輩の1人だ。
寧々さんはバイトが終わると
決まってショートツインテールを下ろす。
そしてつまらなそうに
スマホをいじるのだ。
150cmくらいであろう彼女と
175cmある僕が並ぶ。
側から見たらどうやって仲良くなったのか
不思議に思うかもしれない。
寧々「お疲れ様。」
こころ「お疲れ様ー。もー寧々さんったら今日上がるの早すぎない?」
寧々「そう?いつも通りですよ。」
こころ「あ、そっか。僕が三田さんに捕まっただけかー。」
寧々「災難でしたね。」
こころ「いつものことだしそろそろ慣れてきたよ。捕まったって言ったって雑談だし。」
寧々「三田さん、こころのこと気に入ってるみたいですね。」
こころ「ま、興味半分ってところだろうけど好意なだけまだありがたいかなー。」
寧々「私は?」
こころ「ん?寧々さんに対してどう思ってるかって?」
寧々「そうです。」
こころ「うーん、僕を置いてく卑怯者かなー?」
寧々「意地悪。今日は別で帰りましょうか。」
こころ「やだー待って待って、冗談だからー。」
寧々さんはワンピースを翻し
こちらを振り向いては
可憐な花のように微笑む。
彼女は何でもテキパキこなす
キャリアウーマンというわけでもないが、
愛想が良く人に好かれる人だった。
彼女との距離感は心地が良かった。
茶化し茶化される関係が。
それ以上に、僕たちは互いに
少数派の立場にいるもので、
互いにそれを認め合っているからだと思う。
言い換えてしまえば
お互いに傷を舐め合う仲とも
言えてしまうだろう。
それでもこの距離感が良かった。
酷く心地よくて、
この沼のような場所から
足を引き抜きたくないと思い続けている。
僕たちは駅のホームに向かって歩き、
そして同じ車両に乗り込む。
夜の横浜駅は疲れた顔をした
サラリーマンが多くいた。
そこに混じって、今日は休みだったのか
大学生らしい人もちらほらいる。
数人で集まっていて、
今日はあれが楽しかったなど
賑やかに話していた。
寧々「ねえこころ、これ見てくださいよ。」
こころ「え?なになにー?」
僕たちは運良く隣同士で座ることができた。
途端、寧々さんがスマホを
こちらへと傾けて見せてくれる。
そこには、フリルの多用された
薄桃色とシックな黒色を
いい具合に用いた可愛い服が表示されていた。
こころ「えっ、何これ。可愛すぎ!」
寧々「でしょでしょ。絶対こころは好きだと思いました。」
こころ「だって見てよこのフリル。それに、ここのばってんになってるところも可愛い!」
寧々「しかもここ、強めのピンクでリボンがついてるんです。」
こころ「うーわ最高。ちょっとおしゃれしたい時用にぴったり!これどこで売ってるの?」
寧々「何かのタイアップみたいです。リンク送っておきますね。」
こころ「わーありがとう!寧々さん大好き!今度寧々さんに似合いそうな服探してくるよ。」
寧々「私もこういう可愛いお洋服見るの好きなので、全然気にしないでください。」
こころ「寧々さんはねー、うーん、ゴシック系も似合うと思うんだよね。」
寧々「そうですか?」
こころ「うん!普段は結構清楚めなのが多いから、こう、ビシッとキリッとしたのも見てみたいんだ。」
寧々「それ、こころが見たいだけですよね?」
こころ「あれ、バレた?てへ。」
寧々「機会があったらお願いしようかな。」
こころ「いいよいいよー。僕も最近漸くお小遣いが貯まってきたからさ。これまでは全然貯まらなくて。」
寧々「すぐにお洋服を買うからそうなるんです。」
こころ「だってだって、ビビッときちゃうんだもーん。」
ふらりと軽く寧々さんの方に
体を倒してみる。
すると、彼女は「重たいですよ」
なんて言いながら腰を小突いてきた。
こころ「あー、思いなんてひどーい。」
寧々「こころは元気そうですね。」
こころ「寧々さんに素敵な服を教えてもらったからね!」
寧々「これならもう少しバイト時間延ばしてもいいんじゃないんですか?」
こころ「えー、じゃあ寧々さんも延ばしてくれる?」
寧々「私は嫌です。他の日も出てて疲れますし。」
こころ「じゃあ僕も出ないー。」
寧々「人に合わせてちゃ良くないですよ。」
こころ「だって寧々さんと一緒に帰れなくなるの嫌だもーん。」
それに対して寧々さんは
何かをいうこともなく、
こてんと僕の方に頭を倒してすぐに戻した。
馬鹿なことを言わないで、と
弱く頭突きしてきたように見える。
寧々さんとは話が合う。
可愛いものが好き、
そしてお互い雑に笑うのが好き。
それから、お互いの立場が好き。
悩み抱えていることは違うけれど、
葛藤だって嬉しいことだって
細かく見ていけば違うけれど、
それでもここまでに
共感することができたのは
寧々さんだからだと思う。
寧々さんも僕も、
お互いの好きを侮辱しなかった。
変な目で見なかった。
そして、決まって寧々さんが
先に電車を降りる。
日が伸びてきたとはいえ
既に真っ暗闇の中、
彼女は髪を靡かせて姿を消す。
今日だって変わりなく。
2人できゃっきゃと話していると、
いつの間にか寧々さんの家の
最寄駅に辿り着いていた。
ふしゅー、と音を立てて扉が開き、
滑舌の悪い駅員さんの
アナウンスが鳴り響く。
寧々「あ、やば。」
はっとして寧々さんは立ち上がり、
僕の方を横目で見ては
手を振ってくれた。
寧々「またね、こころ。」
こころ「うん!ばいばーい。」
僕も力を抜いてひらひらと
手を振りかえす。
この時だけ少し寂しさを覚える。
また今度、次バイトに出る時も
寧々さんに会えるはずなのに。
けど、もちろんこれは恋なんてものではない。
ただ友達として、
背を預けられる存在として、
話している時間が楽しすぎるから。
だから、少しだけ寂しいのだ。
寧々さんはとた、と靴音を鳴らして
電車からはね降りた。
ほんの数秒後、アナウンスがあり
また扉が閉まっていく。
1人になって、寧々さんとのLINEを開くと、
さっき教えてくれた服の載っている
リンクが貼ってあった。
こころ「んー…。」
僕が1人になって以降、
彼女が暗闇の中どのような
家路を辿っているのか
想像した時もあった。
けれど最近は、今のように
こうして可愛い服を見ては
買うかどうかを吟味している。
クローゼットに入っている服のうち、
黒を基調とした雰囲気のものは
割と数が増えてきた。
それに、お姉ちゃんは無彩色が
好きなものだから、
言えば少しくらい貸してくれる。
ただ、このピンクの差し色と
袖にあるばってんの装飾がたまらない。
ここだけビビットの
ピンクってのが最高にそそる。
そして多用されたフリル。
布の重なる部分にはもちろん、
袖やあみあみ部分、リボンの近くにもある。
加えて、フリルが一種類じゃない。
多少ごちゃごちゃしているようにも
見えるけれど、
色が統一されているだけで
こんなにもまとまっているなんて。
こころ「…買いかな。」
誰にも気づかれないような
つぶやきをひとつこぼす。
スマホでスクリーンショットをし、
その写真をお気に入りのファイルに
入れるのだった。
改めてお気に入りのファイルを見ていると、
どれほどの好きが
詰め込まれているかを自覚する。
フリル、リボン、ピンクに黒。
それから白に、時々春らしい色や
季節に関連したお洋服が
保存されている。
ここは、僕の大好きが詰まった
僕だけの宝箱だった。
ぎゅっ、と大切そうに
スマホを握る僕がいた。
家に帰り着くと、
お母さんがいつものように
ご飯を作って待ってくれていた。
待つとは言葉ばかりで、
ソファに座ってテレビを見ていたけれど。
お母さん「そこにあるお魚は温め直してね。」
こころ「はあーい。」
お母さん「今日はどうだった?」
こころ「うーん、いつも通りかなー。てかさー、今日バ先の先輩にめちゃくちゃ可愛い服教えてもらったの!」
お母さん「いいねー。あの二つ結びの?」
こころ「そうそう、寧々さん!」
レンジでお魚を温めながら、
その間はお母さんとうきうきとしながら
今日のことを話した。
お母さんも嬉しそうに聞いてくれるし、
それから今日あった
家でのことも話してくれた。
僕の家は1階が床屋なもので、
そのお客さんの話がたびたび話題に上がった。
今日もその一環。
お父さんは仕事終わりで
お風呂に入っていたらしい。
がこんがこん、と不安になるくらいの
大きな音が響いていた。
少し前まではここにお姉ちゃんがいて、
でもお姉ちゃんはつまらなそうに
スマホをいじるだけだった。
でも、自分の部屋はあるのに
ほとんどリビングにいたってことは、
この空間が嫌いじゃなかったって
ことなんだと思う。
ま、結局一人暮らしを始めてしまったけど。
ご飯を食べ終わってから
お父さんがお風呂から上がるまで
お母さんと話していてもよかった。
けれど、少しだけゲームがしたくなって
早々に会話を終えて
自分の部屋に篭った。
白色の壁紙のままだけど、
装飾や小物、カーペットやベッドは
濃淡さまざまなピンクで
統一しているからか
案外まとまった部屋になっている。
自分の部屋は毎日見ているはずなのに
気分がるんっ、と跳ねる。
もうすぐで学校が始まる。
2年目となれば流石に慣れてきた学校だ。
時々気が向いた時にしか行かないけど、
制服は好きだった。
なんて言ったって膝丈の学生特有の
可愛いスカートを身につけられるから。
明日はどんな組み合わせで
お買い物に出ようかな。
ああ、楽しみだ。
外から帰ってきたままの服だし
シワになるのはどうしても嫌で、
おおかた脱いでからベッドに身を投げる。
それからスマホゲームを開いた。
僕のしているスマホゲームは
服飾まで細かく凝っていて、
何時間見ていても飽きなかった。
それを真似して自分の部屋用にと
小さなアクセサリーに落とし込んで
作ったほどだった。
ただ、著作権も含めて色々怖くて
写真を撮ることもなく
自己満足で終えていた。
僕の自信作!なんて
言いふらしてみたかったけど、
それで身バレをしても嫌だし。
°°°°°
「僕っていうの?似合ってないね。」
°°°°°
こころ「…僕、っていう一人称も、可愛いと思うんだけどなー。」
不意に、昔誰かから
言われた言葉を思い出す。
それは貶し言葉だったのか、
それとももっと似合う一人称があるのに
という励ましだったのかまでは
その年の僕にはわからなかった。
今となってはその子の顔も
性別すらも思い出せないのだから、
ニュアンスを思い出そうにも思い出せない。
曖昧なままでこの日までやってきた。
僕の周りは騒々しい。
騒々しいことが多かった。
いっそ静かだったらいいのになんて
愚痴らしい愚痴を吐きながら
今日までなんとか頑張っている。
それでも、僕は僕という一人称が好きだ。
だって可愛いんだもの!
開き直りながら
ゲームを進めていると、
オープンワールドのために
あちらこちらと散歩しては
いろいろなところで写真を撮った。
ストーリーを進めたいと思っていても
景色が綺麗で、そして敵もいるもので
そちらにどうしても目がいってしまう。
オープンワールドに
向いていると言えば向いているのだろう。
いくらか時間が経った頃。
唐突に扉の向こうから
野太い声が響いた。
お父さん『こころ、風呂どうぞー。』
存分に楽しんでいる中、
お父さんが僕のことを呼ぶ声がした。
こころ「はーい今行くー!」
とは言いつつ、そのゲームを閉じて
一度Twitterを開いた。
ゲーム内で撮った写真の一部を
投稿しようかななんて気が向いたのだ。
タイムラインにはとてつもなく
多くの情報が流れてきた。
それはゲームのことであったり、
反面どうでもいい日常のことだったり。
フォローしている人以外の
おすすめの欄から
フォロー中へとスライドした時だった。
こころ「ん?」
そこで漸く違和感に気づく。
フォロー中のタイムラインに、
あろうことか誰もいない。
いくら更新しようとして
下に向かってスライドしても、
しゅるる、すぼ、と鳴るだけ。
微妙な違和感を感じながらも
ツイートをしようとした時だった。
こころ「…え?」
ぱっと見ると、自分のアイコンが
変わっていることに気づいた。
自撮りをしているのか、
可愛くポーズをしウインクまで決めている。
可愛い分にはそれはいいが、
おかしなことに僕が映っている。
これまではイラストだったのに。
それなのにどうして?
顔バレだけならまだしも、
プロフィールへと画面を遷移させると
恐れていたことに本名まで
公開されているではないか。
こんなこと、いったい誰が。
僕自身でやった覚えはない。
こころ「…初期化…でもない。」
どうしようと不安が押し寄せてくる。
プロフィールを直そうとしても
怖いが誰かをフォローしようとしても
何も操作をすることができない。
ぞく、と背筋が震え上がる。
どうしようもなくスマホを握り、
その画面を眺めることしかできなかった。
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