豪雨

PROJECT:DATE 公式

地続き

私には、たった1人、

ずっと一緒に居続けた友達がいる。

家族や従姉妹とは異なった繋がりを持つ彼女は

私にとって大切な存在だった。

その子はとても綺麗なの。


髪が膝裏くらいまで長くて、

頭部あたりは真っ白な髪、

毛先は蒼で綺麗な

グラデーションになっている。

いつも海に足首までだけ浸かって、

背を向けて私の話を聞いてくれた。

辛くなったら陸まで上がって

近くにしゃがんでくれる。

けれど、決して背を撫でてくれたり、

ましてや涙を拭ってくれたりなど

触れることはなかった。

白い肌だから、

日差しが強いといつも不安になった。

だからかな。

いつからか空は夜と朝の間際のような、

深藍と薄い水色、

そして生まれたてのような浅いオレンジ色が

混ざったような色をしていた。


季節関係なく白いワンピース。

レースが細かく繕われていて素敵なもの。

ここは暖かくも寒くもない。

けれど、海の中は少しだけ

冷たいに違いない。

私は勇気がなくて

そこまで踏み出すことはできないけれど、

きっとそのはず。


私が遠くへ、草原まで行くと、

彼女は海からわざわざそこまで

迎えにきてくれた。

まるで私を海に連れ戻すように。

そこでいつまでも悲しんでいて欲しい。

浜辺で泣いていて欲しい。

そう言われているようだった。

それでも私は彼女のことを慕っていたし、

いつも助けてくれるから恩もあった。


私は彼女に連れられて、

やっぱりさめざめと1人で泣くのだ。





***





陽奈「…あっ…。」


部屋を掃除していると、

春休みになる前に図書館で

借りた本が出てきた。

衣服の下敷きになっていたようで、

表紙を捲ると帯が

折れ曲がっていることに気づく。


陽奈「…やっちゃった……。」


小声でぽつりと漏らす。

表紙を捲らないと見えないとはいえど

謝ったほうがいいよね。

でも、謝る勇気も出ない。

謝らなきゃ、謝らなきゃと思いながら

謝る方が変かも、なんて思ってしまい

そっと返却するのだろう。


折れていた部分を軽く伸ばし、

また折れ曲がることがないように

抑えながら本を閉じる。

そして今度は何かしらの下敷きに

ならないようにと机の上に置いた。


陽奈「…え、と。」


そうだ。

そろそろ新学期が始まるから

その準備をしようとしていたんだった。


この春から私は高校2年生になる。

去年までで仲が良かった人と

今年も一緒のクラスになれるだろうか。

なれなかったらどうしよう。

友達できないかも。

ただでさえまともに話せる人は

1、2人しかいないのに。

それに、その1、2人の友達にだって、

私以外の友達はいる。

ひとりぼっちになるかもしれない。


陽奈「…うぅ…。」


片付けや準備をする手が止まる。

椅子に手をかけたまましゃがみ、

うー、と再度声を上げた。

腰あたりまで伸びた髪が

呆気なく地面にぺしゃりとつく。

うねり癖のある髪は

いつの時期だって手がかかる。

特に梅雨時は大変だった。

それでも髪を切れないのは、

変に注目を集めたくなかったから。


私は極度に人目を気にしてしまうのだった。

人見知りほど簡単に表せるものでもなく、

一種病的なまででもあるのかもしれない。


陽奈「えい、えい。」


椅子から手を離して、

しゃがんだまま手のひらを口角にあてた。

そして上へとくい、くいと持ち上げる。

鏡を見ていないからわからないけれど、

不気味な笑顔が出来上がってるだけだろうな。

そう不意に思っては顔から手を離した。


すると、バランスを崩してしまったようで

後ろへと重心が傾いた。


陽奈「…わっ!?」


気づいた時にはもう遅く、

お尻を強打したのちに手をつく位置も間違え

床に転げている私がいた。


陽奈「いってて…。」


お母さん『ちょっとー、大丈夫ー?』


下の階からお母さんの声が響く。

大きな音を鳴らしてしまったらしい。

自分が思っている以上に

振動もあったのだろう。


陽奈「だ…大丈夫ー…!」


お母さん『そーお?』


のびのびとした声が聞こえてくる。

私とは違って人付き合いも上手で

にこやかなお母さんの声。

親子とはいえど、あまり似ていない。

お母さんはどちらかといえば

私の従姉妹に似ている。

のほほんとしているところだったり、

よく分からないところで勇気があったり。

みんな、私にはないものどころか、

私が一生かけても

手に入れられないものばかり持っている。


お母さん『暇なら手伝って欲しいんだけどー。』


陽奈「えー…。」


お母さん『おはぎ買ってきてあるから、今日はお願いー。』


陽奈「また物でつろうとして…。…はーい、今行く。」


ぐっと手に力を入れて立ち上がる。

ふら、と軽く立ちくらみがしたけれど、

そのくらいなんともなかった。

たかが立ちくらみなんて

何回でもあるものだから。

お昼過ぎのこの時間帯、

遠くからは子供達の声が聞こえた。

今日は嘘をついてもいい日なんだっけ。

エイプリルフール…

その理由があろうとなかろうと

どっちにしろ嘘はつくというのに、

許されているだけで心が軽い。

不思議なことに私も

少しばかり浮かれているのかもしれない。


下に降りると、お母さんは

リボンの確認をしていた。

1階部分は、綺麗に飾られた

花で埋め尽くされていた。

流石に鼻は慣れたが、

時々圧巻だなと感じる。

いくら自分の家が花屋で

何度も見たからと言っても、

不意に自分の肉体から離れて

観察する時があるのだ。

この時だけ私は私の悩み事に感化されず

見たままのものに心を動かされる。

たった今がその状態だった。


お母さん「陽奈、悪いんだけどその辺のお花の様子見えくれない?」


陽奈「うん、いいよ。」


お母さんは一度顔をあげて

私のことをちらと見てから

花の方へと目を向けた。

春にもなり、お花もいつも以上に

元気に顔をあげているような気がする。

日陰と日向の間に位置する花々は

眩しそうに目を細めているみたいに見えた。


こうして花を見ていると、

擽ったそうに笑ってくれるから好き。

私自身、花に心はあると信じ続けている。

アニミズムっていうんだっけ。

物でも霊や魂が宿ってるっていう

考え方だったはずだ。

心はあるけれど、嘘偽りなく、裏表もない。

そして何より、私を見て蔑んだり

逆に大きく褒めたりしない。

心はある、けれど干渉しない。

その関係が何よりも心地よかったのだ。


人と関わると、どうしても

多くのことが気になりすぎてしまう。


あの人、今、私のこと見た。

何を思っただろう。

髪ぼさぼさだなとか、小さいなとか、

肩に力が入っていて姿勢が悪いとか、

ただ純粋に綺麗じゃないなとか、

卑屈そうだとか、性格悪そうとか。

色々思ったのだろうか。


「あ、お姉ちゃんいたいた。」


そんなことを考えながら

花を手入れしていて数十分。

悩み尽きぬ中聞こえてきたのは

従姉妹の西園寺いろはの声だった。


いろは「やっほー。」


陽奈「やっほ。」


お母さん「あ、いろはー。いらっしゃい。」


陽奈「今日は何か用事?」


いろは「ううん、気分ー。」


いつからか定着していた

2つ結びの彼女は、

私よりも2つ年下だけれど

随分と身長が高かった。

…というより、高校2年生になっても

150cmを超えない私が小さいだけか。


いろははこうして時々私の家に

連絡もなしに遊びにきては

少しの間ぐだぐだして帰るのだ。

彼女は従姉妹で、この近辺に住んでいる。

歩いて15分といったところだろう。

従姉妹というより姉妹のような

関係の中育ってきたからか、

いろはに対しては変に

気を遣わなくてよかった。


いろは「ママさんどうもー。あ、これお菓子ー。」


お母さん「あら、ありがとう。いつもみたいにキッチンにあるお皿適当に使って。」


いろは「はあい。お姉ちゃん借りてもいい?」


お母さん「どうぞどうぞ。おはぎもあるから、上に持って上がりなさいな。」


いろは「いいの?やった、ありがとうー。」


陽奈「ありがとう。」


私たちが奥の部屋へと向かうと、

時間帯のせいで日の当たらない

薄暗い台所にたどり着く。

中途靴を脱いで靴下で

廊下部分を歩くと、

春なのにひんやりと体の芯から

冷やしてくるような寒さを感じた。


いろははもちろんのこと

この家の使い勝手をわかっている。

慣れた手つきで電気をつけて、

冷蔵庫の方まで向かった。


いろは「あ、これかなー?」


陽奈「うん。あの和菓子屋さんのパッケージだし、それで合ってるよ。」


いろは「お姉ちゃん、お皿お願いー。」


陽奈「うん。」


食器棚からおはぎ用のお皿と

いろはが持ってきてくれた

スナック菓子用のお皿を取り出す。

お母さんが陶器のお皿が好きで

よく買ってくるせいか、

一般家庭よりも数は多いに違いない。

それに加えてお客さん用のお皿や

コップまである物だから、

あらゆるところに陶器がある。

中にはサイドボードに

飾られているだけのものもあった。


お皿を手にして

食卓におこうとした時だった。

表の方から、お母さんの外用の声が聞こえた。


お母さん『あらー、田崎さんじゃないですか。』


田崎『こんにちは。』


田崎がどなたなのか

私はあまり覚えていないし

多分そもそも知らないのだけど、

お母さんの反応からするに

常連さんのような気がする。

私が店番をすることはほぼなく、

あったとしても今日みたいな

お花のお手入れを少しだけする程度。

私には店番をさせられない理由がある。

それは私が1番よく分かっている。


いろは「お姉ちゃん?」


陽奈「ん?」


いろは「お客さんかな。」


陽奈「だね。さっさと上がっちゃおう。」


いろは「りょーかいー。」


いろはの落ち着いている、

1周回って気の抜けすぎる声に安心しながら

お皿にお菓子を乗せた。

そして2人で分担してそれらを持ち、

2階に上がろうとした時だった。


田崎『最近どう?娘さんの様子は。』


その声を聞いた瞬間、

心臓を打たれたような思いがして

思わず立ち止まってしまった。

先をゆくいろはは気づいていないのか

そのまま階段を数段登っていく。


お母さん『そうですねー、あの子も頑張ってますよ。』


田崎『そうなのね。一時期いなくなったって噂を聞いたものだから。それに、時々すれ違うのだけどあまり浮かない顔をしている時が多くて心配になっちゃって。』


お母さん『確かに、昔はもっと明るかったかもしれないですね。』


田崎『大変らしいけど、生きててよかったじゃない。』


お母さん『自分じゃどうにもできないこともあるんです。だからあとは私含め家族で支えるだけですよ。』


そんな会話が聞こえてくる。

自然と耳を澄ませてしまう。

田崎さんは私のことを知っているし、

時々すれ違ってるとも言った。

その事実にぎょっとする。

見られていたのか、と。

それと同時に、私の事情のあれこれを

知っているのかと思ったら

怖くなって仕方がなかった。


すると、私が立ち止まって

いることに気づいたのか、

いろはがふと振り返る。

それから、彼女もこの会話を

聞いていたのか知らないが、

小さい声で私を呼んだ。


いろは「お姉ちゃん?」


陽奈「あ、ごめん。今行く。」


私も小さい声で返す。

表にいる2人に私たちの声が

聞こえていないことを祈るしかなかった。


私の事情について、ありがたいことに

家族は理解を示してくれてる。

それに、さっきも言ってくれたように

支えてくれている。

もちろんいろはもその1人だ。

安心できる環境で、

周りの支えだってあるのに

私はいつまでも安定することはなかった。

それでも尚、自分が認められなかった。

直したい、普通でいたい。

普通に生きられるようになりたい。

そう願えば願うほど、

悪化することだって多々あった。


でもその願いを忘れることはできず、

今日だって願うことだろう。

今日も勇気も気力も度胸も

全て雨で流し落とし、

川を渡り海へとぷかぷか、

触れなくなるところまで浮かべて生きるのだ。

それを見つめることしかできない。

指を咥えてただ眺めるのだ。


自分の部屋に入ると、

片付けの途中だったことを思い出した。

幸い部屋の隅に小物が

散らばっているだけで済んでいたが、

それでも汚いといえば汚かった。


陽奈「ごめん、さっきまで片付けてて。」


いろは「いーのいーの、綺麗な方だから。」


陽奈「いろはの部屋、もっと汚い?」


いろは「足の踏み場はないねー。」


陽奈「それは片付けた方がいいと思う…。」


いろは「お姉ちゃん、今度は私の家来てくれてもいいんだよ。」


陽奈「綺麗になったら行くね。」


いろは「あ、ここに置いておくよー。」


いろはは都合が悪くなったのか、

私の話を無視して

近くにあったローテーブルに

おはぎの乗ったお皿を置いた。

学習机の上には、

先ほどと同じように

学校から借りた本が置かれている。

例の、帯が少しだけ折れてしまった本。

いろははこんな事なんてもちろん知らずに、

それどころか本に興味すら示さず

私の持っていたお皿から

スナック菓子をひょいと手に取り口にした。

この能天気さに一種

憧れを持ち続けている私がいる。


私もお皿を置き、ベッドを背に床に座る。

いろはは遠慮なく近くにあった

敷く用のクッションを取り使っていた。


いろは「お姉ちゃんっておはぎ好きだよねー。」


陽奈「大好き。」


いろは「いつからだっけー。」


陽奈「うーん、わからない。覚えてなくて。」


いろは「ママさんなら覚えてるかもね。」


陽奈「多分、そう。」


いろは「あ、そういえばさ、片時ちゃんから連絡きてたの見たー?」


陽奈「え、まだ。」


いろは「ほらほら見てー。」


いろははそう言ってスマホを取り出し、

私の方へと身を寄せては

画面を見せてくれた。

すると、片時ちゃん含む

グループLINEが表示されていた。


去年の1月から、いろはの誘いで

音楽制作グループに所属していた。

と言っても、大きなものではなくて

自分たちで作ったサークルのようなもの。

いろははイラスト、

片時ちゃんは作詞作曲、それから映像。

私は歌。

そしてもう1人、秋ちゃんという

MIX担当の子がいる。


事の発端は確か

片時ちゃんがいろはに対して

イラストを描いてくれないかと

連絡したことじゃなかったっけ。

それからいろはの推薦

…というより、情けというべきか、

私がボーカルということになった。

そしてMIX師を探し求めては

秋ちゃんに出会ったのだとか。

私はボーカルとはいえど

結局みんな歌っているから

名前だけだなとは時々思う。

けど、片時ちゃんのオリジナル曲を

歌わせてもらえるのは私が1番で、

それはとてつもなく

嬉しいことであると同時に、

名前のない圧力と恐怖が

腹の底から迫り上がってきていた。


歌が下手で、思ったように歌えない。

そんな私の拙いものを

誰が聞くというのだろう。

私のせいでみんなの完成品の質を

下げてしまってはいないか。

そんなことを考えては

またぐるりと底のない海に

引っ張られるような思いがした。


いろは「それでねー。」


ふと、いろはの声ではっとする。

片時ちゃんから、新曲のデモが

送られてきたという話だったらしい。

覗き込んでいても

目が悪いが故に見えなくて

近くにあった自分のスマホを手に取る。


そろそろ次の曲の

練習を始めなきゃな。

でも歌が下手だし。

昔は上手いとか下手とか考えず

ただ好きで歌っていたはずなのにな。

またぐるぐると思考が

回り出そうとした時だった。


陽奈「…え。」


不意に開いたTwitterは、

とんでもない違和感で溢れていた。


陽奈「…!」


アカウント名が本名に変わっていて、

何よりアイコンが自分じゃないようで

自分の写真になっている。

微妙な顔でピースをしている私が

映っているではないか。

びっくりしすぎて声が出ず、

目を大きく見開いた。

その瞬間だけ、時間はぴたりと

止まったかのように見えた。

長い長い髪の、あの海の友達がちらつく。


いろは「どうかしたー?」


彼女が覗き込むように

私のことを見ている。

Twitterが繋がっている以上、

変に話を逸らしたってどうせバレる。

しかもいろはとは家も距離感も近い。

いずれ問いただされることが

目に見えていた。


陽奈「そ、その…。」


いつの間にかスマホを持つ手が

震えているのがわかった。

その以上に気づいたすぐに

いろはの顔つきが変わるのだった。


いろは「お姉ちゃん、本当に大丈夫?」


陽奈「…っ。これ。」


スマホをいろはに向ける。

私のTwitterのプロフィール欄を

開いた画面を見せた。

すると、初めは何のことだか

理解できていない顔をしていたいろはも、

途端にぎょっとして目を見開いた。

その変化に、私も

驚きのあまりぞくっとしてしまう。


いろは「え、何これ。」


陽奈「わ、分からない、で…えと。」


いろは「乗っ取り?」


陽奈「…かな。」


いろは「報告して凍結させてくださいっていうやつあるよね。それを自分にするとか。」


陽奈「あ、あの、ちょっと待って。そこまでしなくても…」


いろは「え?」


陽奈「だって…今まで一緒にいたアカウントだし…。」


そこで不意に気づく。

私はアカウントに対してすら

存在を感じ、心を見出そうと

しているのではないか。

そうでなくとも、年単位で使っている

アカウントを消すなんてもったいないと

思っているのだ。

私の積み上げたものが

その場で崩れるような思いがする。


いろは「でも、ママさんも心配するし、アカウントは作り直せばいいんだから。」


陽奈「…。」


いろは「ほら、私も永久凍結されちゃって、1000人弱のフォロワーさんが飛んじゃったこともあったけど、今アカウント作って立て直してるし大丈夫だよ。」


陽奈「違うの、フォローフォロワーの人数が気がかりなんじゃなくて。」


そういうと、いろはは少しだけ

目を開いて私のことを見た。

そして、再度変化した私の

プロフィール欄を眺めていた。


陽奈「…居場所を崩したくなくて…。」


いろは「…少しそのままにして様子見る?」


陽奈「…そうしたい。」


私が意見を言うなんて

珍しいなと自分ですら思った。

いろはは再度私を見ると、

困ったように眉を下げた。


いろは「お姉ちゃんがそうしたいならいいけど…でもさ、犯罪に巻き込まれてるかもしれないんだよ。」


陽奈「それは…。」


いろは「…。」


陽奈「じゃあ、プロフィールの文章変えとくよ。少しでもいろはや他のみんなに被害がないように…。」


いろは「それならこれまでのツイートも消したほうがいいってことになるけど…。」


陽奈「それは…嫌だな…。」


いろは「うーん、まあ、わかった。今は様子を見るけど、変なことがあればすぐに相談してね。」


陽奈「いいの…?」


いろは「だってお姉ちゃん聞かないもーん。」


陽奈「ご、ごめん…。」


いろは「いいの、お姉ちゃんに何もなければ。」


陽奈「うん…。」


いろははもう興味がなくなったのか

片時ちゃんからの連絡の話題へと移っていた。

私もそれには乗っかるしかなく、

何も気にしていないかのように

振る舞うことしかできない。


けれど、頭の中はそのTwitterの変化で

頭がいっぱいだった。

もし学校の人に本名を

検索されたらどうしよう。

晒し上げにされないか。

下手だってばら撒かれるに違いない。

それに、合唱部の子になんて知られたら、

何でこんなに下手な私が

活動しているのなんて言われかねない。


いろはが話す中、

そっと自分のスマホに視線を落とす。


どれほどの不安があっても、

私にとっては大切な場所だから

消したくはなかった。

そこまでずっと監視している

アカウントではなかったのだけど、

みんなと出会って作ったアカウントだから

深く思い入れがあったのだ。

この「紅」という活動名も

みんなと一緒に考えて

みんなで名付けたものだった。

紅の存在をここで消すなんて、

私にできるはずがない。


俯いていると、ぽんと肩に

何かが乗る感覚がした。

横を見ると、いろはが私の肩に

手を添えているのが見えた。


いろは「お姉ちゃん、おはぎ食べない?かぴかぴになっちゃうしー。」


陽奈「…うん、食べる。」


こうしているとどちらが

年上なのかわからなくなる。

いろはは未だ困ったように

眉を下げているけれど、

徐々に微笑みも混じっていく。


大丈夫。

アカウントは、すぐに戻る。

そう信じて。

そして、私の心の在りどころの

ひとつを守れたと胸を張るようにしよう。

その方が、きっと心には優しい考え方だから。


そっとローテーブルに置いてある

おはぎへと2人で手を伸ばした。

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