物語と舞台ができるまで

冒頭のシーンは、ゲームでいうところの「ラストダンジョン直前」からスタートする。はじめに主人公がパーティを離脱するシーンを作ると決めた。「追放もの」のアンチテーゼなので、そちらでよく見るようなシチュエーションを設定したというわけだ。


本作の39話までの舞台は、馬で移動すれば2日で回れるようなごく狭い範囲である。これは長いストーリーの中の、いわば始まりにして最後のエリアであるからで、作中では「南方」やら「中央都市の港」やらで、物語の範囲外の世界の存在をほのめかしている。


物語はエルフの里から始まり、西に移動して中央都市にとどまって、さらに西のゴルド領を目指し、再びエルフの里を経由して東の果て『禁断の地』を目指し、再び中央都市に戻って大団円となる。この舞台設定は早期に思いついた。大きな移動を東西の反復運動に限定したので、イメージもしやすいかと思う。


トムには何度も「喪失」が訪れる。冒頭で仲間を背にして去り、飛竜の血を浴びて意識を失い(23話)、《帰還》の代償として装備と(一時的にせよ)記憶を失う(38話)。喪失と再生の物語である。


作中でも割とあからさまに語らせたが、禁断の地の地底深くから《帰還》によって裸で戻ってくるのは、胎内回帰と生まれ変わりの暗喩。エルフの里での沐浴は洗礼であり、白き衣は婚礼衣装である前に「産着」である。もともと、ライラを裸にするシーンが序盤に目立つのはエロ短編の名残なのだが、結果として物語上の理由を持たせられたのは成功だったと思う。


39話でエルがトムにマントを貸し出す場面は、露骨に『走れメロス』のラストシーンのパロディである。男が裸になるシーンは油断するとギャグになるのだが、逆説的に言えばギャグにでもしないと見ていられないということでもある。ならば、どうせ笑われるならと日本人に(ジャンルや世代の壁を越えて)親しまれている超有名文学作品を持ってきた。エルの発言の後にその場が笑いに包まれるのは、読者も一緒に「メロスじゃねーか!」と突っ込んで一緒に笑って欲しいという、第4の壁を明確に意識したシーンである。もしこのシーンで、読者であるあなたの口角が少しでも上がったのであれば、作者の意図が伝わったということであり大変うれしい。


39話と40話のラストでも、「物語」をテーマにしたメタフィクションじみた流れを取り入れた。これは完全に後付のアドリブである(ついでに言えば「アルフとライラ」の言葉遊びからの連想でもある)。39話ラストの「冒険者」とは、われわれ創作者にほかならない。先人たちの冒険=物語から新たな物語を紡ぎ、その物語からもさらなる物語が生まれるという創作の連鎖をイメージしている。本作が『ウィザードリィ』を始めとするファンタジーの影響を強く受けているように。言ってみれば、私が出会った創作に対する最大の愛情表現である。


物語の最後はトムの署名である。自分の預かり知らぬところで付けられた「風炎」の二つ名(第10話参照)と、神官長から認められた「聖騎士」の身分を受け入れたところで「挫折ヒーラー」の物語は幕を閉じ、ようやくトムは一人前になって歩みを進める。新大陸歴の「39年」は、読者に向けた「サンキュー」である。

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