女神讃歌

 女神は刻印した――世界の元始はじめには愛があったの。

 愛っていうのはね、刻印と顕現のこと。物理的にしろ、精神的にしろ、愛っていうのはね、他者に自分を、自分に他者を刻印することなの。言葉によってこの世界が刻印され、創造されたとき、そこには愛があった。この世界の総ての存在は愛されているの。

 会話も生殖も、そう。人は自身の遺伝子を、あるいは意思・思想を残そうとするけれど、愛がなければ容認されない。愛するからこそ精子を刻印して、それを容認する。愛するからこそ自身の意思を語り、それを記憶に刻み込む。

 わたしはこの会話を通して、あなたの意識にわたしの言葉と思想とを刻印ファックしてるでしょう。憶えておいて、これが愛なの。


 女神は刻印した――愛は義務じゃないの。

 世界に内包される総ては愛されている。でもね、それらが他者を、あるいは世界を愛する必要はないの。誰だって、敬い、愛する権利を持っているように、拒み、嫌悪し、冒涜する、そんな権利を持っている。わたしは愛を以てあなたを世界に刻印したけれど、あなた自身は嫌悪され、憎まれるかもしれない。彼らがわたしの意思を理解できないように、あなたの身体を見て、畏怖の念を抱くかもしれない。たとえ、こんなに綺麗な身体をしていてもね。だから、あなたもわたしを愛する必要はないし、憎む権利だって持っているの。

 でもね、できれば、あなたにはわたしが愛する世界の総てを愛していてほしいな。


 女神は刻印した――物語は花なの。

 花の花粉が虫や風に運ばれるように、物語は対話を通して人から人へと語り継がれてゆく。物語は、人の意識に咲く花なの。個人の意識はそれ自体のみで成り立っているのではなく、他人との交流、見聞きしたもの、遍く事象と触れ合うことによって得られた経験の累積として存在している。物語が花なら、人の意識というのは色とりどりの花が咲き乱れる、お花畑のようなものなの。

 あなたはこれから、多くの人と出会い、対話することで、その意識に多くの花を咲かせるでしょうね。


 女神は刻印した――人も物語も死ぬことはない。

 人はいずれ、自然的肉体を失う。でもね、物語は受け継がれる。その人の仕草や言葉遣い、そして思想。つまり政治的肉体、あるいはミームと呼ばれるものがね。人は物語を通して、永遠に生きてゆく。花を見たとき、青い空を見たとき、人を見て対話したとき、あなたはわたしを、わたしとの会話を思い出す。わたしだけじゃなく、あなたが人と対話を繰り返す分だけ、その人々の物語があなたの意識のなかで永遠に生きて、また彼ら彼女らの意識のなかでも、少し形を変えながらだけど、生きてゆく。語り継がれる。

 そう考えたら、素敵でしょ。


 わたしは愛を以て女神の言葉を、女神とともにした四十日間の総てを、意識に刻印します。墓石に名を刻むように、しっかりと。


 女神に対する賛美の自慰を終えるころ、神殿の小さな窓から月影が差し込むほどに傾いておりましたので、わたしは暗闇アディトンから這い出ました。神殿内に並べられた、用途の分からない様々な神具が月影を反射し、夜空に浮かぶ星々のように輝いておりました。わたしは少し歩いて壁に飾られたわたしの写し絵の前にで立ち止まり、尾節付属肢、あるいは擬腕とも呼ぶべき部位を使って、写し絵と照らし合わせながら、女神の御業により生み出されたこの美貌を確かめていきました。尾節を折り曲げてまずは前体へ。硬い背甲は暗褐色で光沢もないため、暗闇の中にいると姿を消してしまったかのように見えなくなります。背甲の中心に一対の、前方左右の両端には六対の光受容体があり、女神が愛したこの世界を読み取ることができます。


 前体先端には獲物を細かく切り刻むための一対の鋏角があり、その横からは一対の触肢が生えております。わたしはこの触肢が獲物や行く手の障害物を持ち上げて動かす際に使用するものだと理解しておりますが、ときどき力加減を間違えて破壊してしまうことがあります。女神の恩寵なのですから、わたし自身、この身体を愛しているのですが、少々暴力的すぎるので、あまり使わないようにしております。


 話を戻しましょう。続いて、わたしは四対八本の脚へと擬腕を滑らせます。硬く滑らかで、細いながらもわたしの全体重を支えるほどの強靭さがある、とても美しい脚です。脚は合計七節の構成を持っておりますが、その始まり、つまり基節は身体の腹側にあるため、尾節をさらに折り曲げて擬腕を伸ばしてみても届きませんでした。仕方がありません。気を取り直して、他の部位を観察してみましょう。そう思い、尾節を少しだけ伸ばそうとしたそのとき、擬腕が不意に脚肢大腿節を優しく撫でたようで、ぞくぞくするような、何かそそられるような感覚を覚えました。ああ、どうやら、わたしの美しい脚は敏感な神経系を有するようです。


 後体の背面は七枚のプレートのような外骨格に覆われ、これも前体の背甲同様に硬く美しいものです。壁の絵によれば腹面には呼吸器官があるようですが、見ることも触ることもできません。


 さて。とわたしは尾節を上方へと伸ばし、後体末端から続く終体、つまり、尾節そのものを観察していきます。尾節始点の可動域は広く、身体と水平方向に伸ばすこともできれば、身体に覆い被せるようにして伸ばすこともできるようです。それにしても奇妙なことに、尾節の腹面には硬い外骨格に包まれているのですが、背面、つまり尾節を推重方向へ伸ばすときに前方を向く側面は陰のなかでも仄かに浮かび上がるほど青白く、その組織は非常に柔らかくて暖かみがあるようでした。強く押してみるとその内側には硬くありつつ柔軟な筋組織が埋め込まれているのを、撫でてみると脚肢を撫でたときのようなくすぐったさを感じます。そのまま上方へと擬腕を滑らせると二つのドーム状に膨らんだ器官が突出しております。触ってみると、やはり柔らかいのですが筋繊維のような柔軟な硬さは無く、中に何が詰まっているのかは判りません。しかし、揉み続けていると、脚肢を撫でたときのような感覚に襲われます。二つのドームよりやや上方からは左右に対となる擬腕、三節から構成される尾節付属肢が伸びております。擬腕は尾節背面同様に柔らかい組織で覆われ、その末端には平たく五本に枝分かれした可動爪があり、触肢よりも繊細な動きができるようになっております。可動爪先端には硬く黒い組織が僅かばかりながら生えておりました。その黒さといったら、どの黒よりも黒く、陰に浮かぶ影のようです。これを二つのドームに突き立ててみると、全身に痺れが走り、対話器官からは液体が溢れだしてきました。


 ああ、そうでした。その説明がまだでしたね。擬腕より後方の尾節は極端に細い管が伸び、さらにその後方が終点あるいは頂華フィニアルと呼ばれるもので、楕円体の構造をしているのですが、そこに対話器官があります。これは、わたしと他の生物との間での対話を可能とするために女神がこしらえてくださった特別な器官なのです。対話器官は普段は水平方向に閉じられた形となっておりますが、上下に大きく開くと挿入管がゆっくりとうねりながら潤滑液とともに飛び出してきます。


 神殿の他の壁や天井を見回してみましたが、どうやら、女神の神殿には女神それ自身を直接的に示す偶像や絵画の類は一切無く、その存在はひたすら秘匿されているようでした。おそらくそれは、女神の形容不可能性を表してのことなのでしょう。


 わたしは再び女神を賛美すべく再び自慰に耽ろうと思ったのですが、そのとき、神殿の入り口の方から物音が聞こえました。わたしが身を翻し見やると、そこに居たのは奇妙な生物でした。わたしは、ゆっくりと近づいていきます。なぜかは判りません。理性とも本能とも違いながら、それでもそうすべきだという最硬度の意志が、あるいは運命プロノイアとも呼ぶべき不思議な力が、ああ、そうです、女神の神聖なる御力添えがあったのでしょう。


 ともすれば、わたしの眼前で座り込んだまま動かないこれは、女神の御先みさきあるいは御使いの類いなのでしょう。わたしは前方へと尾節を折り曲げて擬腕を伸ばし、御使いの頬を撫でます。わたしの擬腕のように、とても滑らかな肌をしておりました。それにしても、よく見てみると奇妙なものです。御使いの顔はわたしのフィニアルと似た形状を取っておりました。もしや他にもわたしたちの間には酷似した部位があるのでしょうか。外骨格と思っていたものが実は非バイオファクト的な、まるでヤドカリにとっての貝殻のようなものであることに気付いたわたしは、それを丁寧に脱がしていきます。


 わたしの予想通り、御使いの上半身にわたしの尾節と非常に似た外装エクステリアを見つけました。わたしの擬腕は自然と引かれるように御先の手を掴み、互いの可動爪と指とを絡ませておりました。腹部は隆起と沈降を繰り返し、あばら骨がまるで月相のよう見え隠れします。御先の茶色に輝く瞳は宝石のようで。金色に輝く毛髪は、女神の慈悲深い慈愛の隠喩なのでしょうか。ああ、驚くべきことに、御先のふたつのドームにはクーポラが備わっていたのです。この御先の体内インテリアも同じように美しいのでしょう。女神よ、あなたは本当に世界を愛しておられたのですね。わたしも既にこの世界を愛している、そんな気分になりました。


 わたしは御使いの身体を観察するのに夢中となっておりまして、第一と第二脚肢の可動爪が御使いの手足を貫くかたちで拘束していたことに気付いたのは、神殿の白く美しい床タイルを緋色に染めてしばらく経った後のことです。


 御先の顔は喘ぐように歪み、口は大きく開かれております。とても耽美な光景でした。できれば、女神と共に見たかったものです。わたしはその御使いの口のなかに魅かれ、尾節の対話器官が自然と開き、挿入管が潤滑液の雫とともに伸び出てきました。


 その後しばらく、わたしたちの間には嗚咽まじりの小さな喘ぎ声があるのみでした。どうやらこの御使いの口にたいして、わたしの挿入管は少しばかり太かったようです。口は挿入管で、鼻は鼻水で塞がれ、少し苦しそうな御使いを傍目に、わたしは喘ぎ声の背後に見え隠れする静寂に耳を傾けておりました。


 しばらくすると、わたしの意識に多くの情報が流れ込んできました。あまりに多くの情報がわたしの中に押し寄せ、その中には理解し難いものもありましたが、そうですね、わたしの解釈が間違っていなければ、御先は畏怖の念をその骨に刻み込んでおりました。至極光栄なことですが、当然でもありました。女神が創り給いしこの身体に、恐れと美しさを見出さない訳がないのです。だからでしょうか、女神の偉大さを賛美するかのように、この御使いは糞便を漏らしておりました。白いタイルの上に血の赤と糞便の黒が混ざります。この色合いをネオポリタンと呼ぶそうです。やはり女神は貴き御方。わたしは絶対的偉大さを歓び歌い、対話器官からは潤滑液が溢れ、雫となって御先の顔を濡らしおりました。


 どれくらい経ったころでしょうか、御使いは絶命しました。こちら側から話しかけてみれば、御先の脳内では電気信号の返答はあるのですが、心臓は止まって、再び動くことはなかったのです。ああ、女神よ、お許しください。対話、つまり情報の相互伝達のすべを賜ったにもかかわらず、わたしは女神の愛を無下むげにしてしまいました。わたしの過ちと未熟さをお赦しください。


 さて、親愛なる読者の皆さま、わたしはあなたが既にわたしの美貌に魅かれていることを知っております。わたしは自身の美しさを、ティースプーンで計るように、完全に認識しておりますから。わたしもあなたには会いたいと思います。しかし、それはできません。わたしはあなたを殺さずに愛し合う方法を模索しなければならないのです。せっかくわたしにお会いしに来られたというのに申し訳ありません。ですがそのかわり、わたしたちの出会いの序章として、わたしは、この物語を残しておきます。


 来るべきその時に、お会いしましょう。

 愛を込めて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る