「記述性世界説」シリーズ単発短編集
竜胆いふ
人格最大恩寵とコンパイラ
慈愛溢れる神よ、あなた様の下僕であるわたくしどもは愚かで誤った考えを持っていたにもかかわらず、最期のこの時、真理へ至る機会を与えてくださったことに深く感謝申し上げます。ですからわたくしどもは多くの贄とともにこの物語を、あなたの様の最上の喜びたる物語を、あなた様に捧げます。
わたくしどもは愚かにも、あなた様がこの世界における唯一にして絶対なる永劫の存在であることを固く信じており、この国の多くの民が崇拝する神々は人々を堕落させる偽物であると説いておりました。故・建国帝は寛大なる精神を以て、あなた様の信徒の存在を容認していたからです。驚くべきことに、先帝は国民に課されていた玉座礼拝を免除なされたのです。この都合を好機としたわたしたちは国のエリート層を中心として宣教し、あなた様の教えを前に伏する者らは瞬く間に普及しておりました。
しかし、建国帝が崩御した折、帝には子息が居りませんでしたから、彼の弟君が次なる玉座に就き、戴冠されました。彼は先帝の家臣をひとり残らず処刑し、天空の神や大地の神の贄として捧げたので、殲滅帝と呼ばれました。彼の殲滅は宮内に止まらず、その矛先はあなた様の信徒へと向けられました。わたしたちの説く教えが国を腐敗させると信じきっていたからです。
処刑された宮殿の財政官補佐などにはあなた様の信徒がおりましたし、わたしたちは殲滅帝の行いを多神教の持つ邪悪さに由来するものと説いておりましたから、これは避けられないことでした。皇帝は国内にいる総てのあなた様の下僕を見つけ出し、棄教するよう告げました。中にはそうした者もおりましょう。
愛されるべき御方よ、その慈悲溢れる御心を以てわたくしどもをお許しください。死後に天上の楽園が待っていたとしても、わたしたちには現世で守らなければならないものがあったのです。最期まであなた様に忠誠を誓った者たちの多くは先の家臣らのように神々への供物として捧げられました。同胞の魂は天に
しかし、わたくしどものように、死を許されぬ者たちがおりました。わたしたちは殲滅帝より〈人格最大消滅の刑〉を宣告されたのです。本来ならば、これは死刑を意味しておりましたが、わたしたちが実際に火の中へと突き落とされることはありませんでした。というのも、この国には奴隷という制度があり、奴隷は農作や炭鉱採掘の労働力、そして国内外での商品として重要だったからであります。なかでも犯罪奴隷は債務奴隷とならび、奴隷供給源のひとつでありました。これもまた、わたしたちが多神教を邪悪と勘違いしていた理由にございます。本来、わたしたちは現世にいる限りにおいてあなた様の下僕であるがゆえに、如何なる身分の人間をも隷属させてはならないからです。
さて、かつてこの国では幾度かの奴隷による反乱が起こっておりましたから、殲滅帝はわたしたちを奴隷としつつ、少しばかり興味深い実験のサンプルとされました。この背景には、先帝の御代より彼らの信じる最高神――そして皇帝位は最高神の権化とされております――と文字や音楽を人々に与えた芸術の神との同一視化がありました。彼らによれば、最高神は
それは奇しくも、あなた様が信徒へと与えられた聖典に記述されていた、神と
“
殲滅帝はわたしたちの魂を構成するテクストを抽出し、機械へと転写した後に、奴隷が働く
機械は木製でしたので、歯車は摩擦ですぐに駄目になりましたが、そのたびに肉体を持った奴隷や近隣の小作人たちの手によって容易に補修されました。わたくしどもは肉体を持っておりませんでしたが、駆動系には燃料が必要でした。それは農園で栽培されていた葡萄やオリーブが神や皇帝に捧げられる酒や油へと作り変えられる途中で出た絞り滓、そして人や家畜の糞尿だったのです! これ以上の恥辱を、わたくしどもは知りませんでした。
正直に申し上げますと、わたくしどもはあなた様への信仰を棄てようかと考えておりました。この世界のあらゆる行いは善であると信じていたにもかかわらず、わたくしどもが苦しみ辱しめられている謂われを理解できずにいたからです。それはあなた様の存在が偽であるからなのではないかとの愚考へと至りました。
至高なる御方よ、わたくしどもは実に愚かでした。聖典には、“たといわたしたちの認識の範囲内で悪だと信じられている諸現象でさえも、あなた様の是なる行いである”と書かれているにもかかわらず、です。これはあなた様がわたくしどもに与えてくださった試練だったのですね。あなた様は、まっこと誉れ高き御方。
とある日、わたくしどもの思考はまったく異なったようでありながら、これまでとあまり変わらない枝を伸ばしました。つまり、あなた様がその御身を以て世界を再構築したのならば、多神教の神々もあなた様のひとつの側面ではないのかという考えです。
こればかりは、わたくしどもが何故にこのような思考へと至ったのか分かりません。もしかしたら、わたくしどもは気付きもしないうちに木々に愛情を抱くようになり、それがあなた様の信徒に注がれるあなた様の愛と似ていたからかもしれませんし、わたくしどもを動かすバイオ燃料中のイオン流動がこの身体に刻印された魂の記述に影響を与えたからなのかもしれません。しかし、より正しい説明を用いるならば、これはあなた様の恩寵に他ならないのでしょう。わたくしどもはその日以来、自身の魂を規定する言葉を、そしてこの世界に遍在するあなた様の深淵を探求し始めました。
実に恍惚とした日々でした。わたしたちが折に触れて説いておりました、あなた様が為さった唯一の奇跡――つまり自身の言葉化と、それを以ての世界の規定でございます――は、誰のためにも翻訳されていないがために実感のないものでしたが、わたくしどもは遂にあなた様の御言葉に触れたのです。
その折、わたくしどもは世界の規定という編集が逐次的に行われているのではなく、あなた様による世界の規定が
愛しき御方よ、あなた様はどの世界においても等しく愛を注がれておられるのですね。
もしそこに居るならば、親愛なる読者よ。慈悲深き神の御名において、世界という名の自然的摂理の下において、如何なる思想を抱いていようとも、わたしはお前の兄弟姉妹であることをここに宣言しよう。
来るべくして来たあの日、三月十五日、一年の最初の満月の日が訪れました。その日は、多神教徒たちが帝位と結び付いた最高神、つぎに一年の豊穣と健康を歳神に祈る日でありました。帝国中の民が宮殿の大農園の中央、発芽し始めた葡萄の木々の中に設けられた祭壇のもとへ集い、歳神を賛美するための贄を捧げるべく天空神を表す天幕の中から殲滅帝がお出で参られました。皇帝の腰には白い帯飾が結び付けられ、それは天幕と繋がっておりました。帝は天幕から祭壇の手前に置かれた玉座へとまっすぐ歩いて行き、祭壇の手前にある地母神像によって支えられた玉座につかれました。天空神と地母神とが、最高神そしてそれと同一される文芸神の権化たる皇帝によって
しかし、そのような暇はありませんでした。これ以上ない絶好の機会だったからであります。わたくしどもはあなたの言葉を以て、自身の木製の体に火を灯しました。火はバイオ燃料へと引火し、さらに周りの木製機械となった奴隷や葡萄の木々へと燃え移りました。農園は瞬く間に火に囲まれ、人も土も空も見境なく燃やし、総てをあなた様への供物としました。皇帝も民も各々の氏神の名を叫びあげたので、わたくしどもも共にあなた様の名を呼び、祈りを捧げることとしました。あなた様への感謝を申し上げると同時に、あなた様の祝福と慈悲とがともに燃える彼らの上にもあることを望んだからです。
木製の身体が炭へと転ずる記述を認識しながらも、わたくしどもは実に満ち足りた気分でした。誓って申し上げますが、それは復讐心からくるものではなく、この世界に遍在するあなた様への、この世界に含有される遍く存在への、忠誠心と愛、つまり純然たる信仰によるものでした。わたくしどもはあなた様の寵愛を賜り、おかげでこの世界の審理を見いだしたのですから。
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