第六話 進まない日々


 ルーカスさんは絵に描いたように敬虔な信者だ。


「守護神様は言っていたんだ。好き嫌いせずに食べなさい、と。だから……そこ、にんじん残さないっ」


 そういうわけで、私とアルトゥル君の食事にもついてくる。


 城内のシステムとしては、夕食の時間は何時から何時までというのが決まっていて、その時間内の好きなときに食堂に行って用意されたメニューをもらう。


 私とアルトゥル君は一緒に行動する関係からご飯も共にしていた。


 しかしルーカスさんとはそんな流れもないのにいつもいつのまにか食堂に現れては、私たちが残さず食べているかを確認していく。


 現に今、にんじんを避けてパスタサラダを食べていた私は注意された。こういうサラダとかの生っぽいにんじんって癖の強い味がするから嫌いなんだよなぁ……とか思いながら、息を止めていやいや口にする。


 同じ長机で私の隣に座ったアルトゥル君は、 


「子どもですねえ、ノナさん。にんじんなんて定番すぎて笑っちゃいますよ」


 なんて煽ってくるからクソムカつく。


 するとルーカスさんが、


「アルトゥル君も、パセリ残さない!」


 見ると、確かにパセリが皿の隅っこの方に避けられていた。人のこと言えないじゃんアルトゥル君。もっと言ってやってくださいルーカスさん!


 アルトゥル君は口を尖らせながら、


「いやいや、パセリはいいでしょ。だってこんなの食べ物じゃありませんよ。良いですか、こんなの皿の上の観葉植物です。食べられるけど、おいしさのかけらもない、ただの飾りです。彩りのために添えられたアクセサリーなんです。食べるためのものじゃないんですよ本来。食べられるという理由だけでがっつくなんて、とてもスマートとは言えません。だからパセリを食べるのは僕の美学に反して痛い痛い首が取れちゃう!」


 ルーカスさんは話の途中からアルトゥル君にチョークスリーパーを食らわせた。おお、怖い。私も概ねアルトゥル君と同じ理由でパセリを残そうと思っていたため、良い反面教師になった。ありがとう、アルトゥル君。君の犠牲は忘れない……。

 



 その他にも、ルーカスさんは度々いろんなところに現れた。


 例えば、自室でくつろいでいるとき。


「守護神が言っていたんだ。部屋はまめに掃除しないといけない、と。だからほら、はたきかけて!」


 窓からにゅっと顔を出し、当たり前かのように私の部屋の中に入ってきて、はたきを渡してきた。適当に掃除すると、そこらへんの棚なんかを指ですっとなぞり、ついた埃に「ふっ」と息を吹きかけてこれみよがしにため息をつく典型的な姑ムーブをするから手を抜けない。


 例えば、就寝前。


「守護神様が言っていたんだ。寝る前にスマホをいじってはいけない、と」


 ベッドの上でスマホをいじっていると、天井裏からスタッと降りてきて心臓が止まるかと思った。思わずスマホを投げてしまうと、ちょうど額に命中してルーカスさんは気を失った。


 例えば、廊下で誰かとすれ違ったとき。


「守護神様が言っていたんだ。挨拶は万札より大切、と」


 無理矢理頭を下げられ、挨拶を強要された。


「ルーカスさんの守護神様ってずいぶん庶民的な教えを授けるんですね」


 あるときそう言うと、ルーカスさんは微笑んで、


「アルトゥル君にもおなじこと言われた。確かに庶民的かもしれないけど、基本的なことだよ。これを守っていれば、健やかな生活を送れる」


「それはまあ。でも、言うことがなんだか神様っぽくないです。まるで、親みたいで」


「親、ね……」


 ルーカスさんは目を逸らした。ふっと、別のことを考えているかのように。


 すぐにぱっとこっちを向き直って、


「当たり前だよ。だって、守護神様は僕ら人間を作ったのだから。親と言っても差し支えないよ」


 心なしか、ソワソワしているようにも見えた。


 

 ルーカスさんの敬虔エピソードなら、他にもある。


 偶然警備員室を通りかかったとき、ちょうどルーカスさんと他の人とのシフト交代の時間にあたった。大して興味はなかったけど、


「ねえ、君は神様に興味ある?」


 なんていうルーカスさんの声が聞こえてきたから思わずドアに近づいて聞き耳を立ててしまった。


「いや、ないけど……」


 聞かれた方は困惑していた。当然だ。


 ルーカスさんは得意げな声で、


「それはもったいないなあ。信じるだけで救われるんだよ。これ以上明快なことはない。日々の辛いことも、いつか神様が救ってくれるって思っていると耐え忍べるでしょ。どう、俄然興味湧いてこない?」


「いや、湧かないけど」


「それは間違っているよ! 僕の神様はすごいんだ。奇跡を起こすことも容易だ。何か言ってごらん、絶対叶えてくれるから」


「それじゃあ、億万長者になりたい」


「わかった。今祈るからね。祈っていたら、すぐここに大量のお金が降ってくるから」


 それからしばらくの間、何も聞こえてこなかった。


「……あれ、おかしいな」


 ルーカスさんの声は、震えていた。


「大丈夫、すぐ降ってくるから」


 大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫……。


 ルーカスさんは、ちょっと異常だった。


 すると相手は、


「もう、わかったからさ」


 ルーカスさんは「大丈夫」と呪文のように唱え続けるのをやめる。


 相手は、


「お前、なんか変になっちゃったな」


 心底失望している様子で言って、


「今は俺のシフトだ。出て行ってくれないか」


 と迷惑そうな声音でルーカスさんを追い出した。


 中からルーカスさんが出てくる。逃げ遅れた私と目が合った。肝が冷えた。


 ルーカスさんは怒るでも泣くでもなく、ただうっすらと笑って、


「神様は、いるさ……」


 と呟いて、ふらふらといずこかへ去っていった。


 可哀想、と一瞬でも思ってしまった自分があまりにも醜くて、頭を思い切りぶん殴った。



 一方で、アルトゥル君とのパンフレットづくりも本格的なスタートを切っていた。


『あなたは神を信じますか?』


「ダメダメ、ありきたりすぎる……」


『救済の守護神、ここに降臨!』 


「ちょっと中二病っぽくない?」


『もうダメだ、僕には才能がない、いっそのこと殺してくれ、頼む』


「ストップ、アルトゥル君ストップ」


 ディスプレイに現れては消えていく文字列。


 私とアルトゥル君は早速パンフレットのキャッチコピーづくりに取り掛かっていた。私がやっていることなんてアルトゥル君が考えたものにダメだしすることくらいだけど。


 私たちは、ルーカスさんの作った祭壇の前に座って、ルーカスさんから貸してもらったノートパソコンにパンフレットに載せる原稿案を書いている。アルトゥル君が打ち込んで、私がそれを横から見るような形だ。


「キャッチコピーから考えるから難しいんじゃない? 本文を書いてからのほうが書きやすそう」


「あー、言われてみればそれもそうですかね。でも、なにを書けばいいんでしょう? 守護神を信仰するとこんないいことがありますよー、とか?」


「そうだねぇ。こういうのって一番わかってるのはルーカスさんのはずなんだけど、当の本人がいないからね」


 ルーカスさんは仕事のシフトで抜けている。


「なんだかんだ、宗教にハマってる以外はしっかりしてるよね、ルーカスさんって」


 思わずそう言うと、アルトゥル君が、


「そりゃあの人はしっかりしてますよ。なんたってもともと貴族だったんですから」


「そうなの?」


 初耳だ。


 アルトゥル君はうなずいて、


「ええ。我がアイゼンシュタット家とも深いつながりがあったんですよ。僕の家庭の方は跡取りじゃないっていうのもあってあんまり関わってなかったんですけど、ヴァル兄さんのとことは家族ぐるみで付き合いがあったみたいですね。ヴァル兄さんとルーカスさんも幼い頃は仲が良かったみたいで、かなり長い間親交があったようですね」


「でも、元貴族ってことは」


「はい。二年ほど前に当主――ルーカスさんにとっては父親ですね、彼の汚職が発覚して没落しました。その直後に当主は病死してしまうし、一時は一般庶民よりもひどい暮らしをしていたそうです。ルーカスさん本人も暮らしのためにいろんなアルバイトをやったりしてなんとか食いつないでいたって、ヴァル兄さんが言っていました」


 なんというか、壮絶だ……。私と一つしか歳が違わないはずなのに、私以上の苦労をしてきて、私以上にしっかりしている。


 この世界に転移してくる前も学校にこんな感じの子がいたな。学費を稼ぐために毎日バイトに励んでいるのに、私より成績も性格も良くて大人びていた子。もちろん仲が良いわけではなかった。そばにいたら自分の情けなさが余計浮き彫りになる気がしたから、むしろ避けていた。


その子とルーカスさんが重なる。今まで感じていた安心感がぐっと揺らいだ。


「ショックですよね」


 アルトゥル君が言う。


「自分より下だと思っていた人が、実は自分より偉かったなんて知っちゃうと」


 図星だった。


 恥ずかしかった。情けなかった。


 アルトゥル君は、うつむいて何も言えなくなった私に笑いかける。


「大丈夫ですよ。僕も、一緒ですから」


 アルトゥル君が言うと、不思議と薄っぺらい慰めには聞こえなかった。


「なら、よかったよ」


 私はそう呟いた。ノートパソコンの光が青白かった。



「守護神様はすごいんだ」


 ルーカスさんは毎日、私達に守護神の話をした。


「僕らは守護神様を信じることで生きていける。どんなに辛いことがあったって。なぜなら、守護神様は信じる者に恵みを与えてくれるから」


「なら、明日への不安も、信じていれば守護神様がなくしてくれるんですか」


 私が聞くと、ルーカスさんは屈託のない笑みを浮かべた。


「うん、必ず」


 本当だろうか。


 それで、私も、アルトゥル君も、ヴァルさんも、救われるんだろうか。


 そして今、ルーカスさんは救われているのだろうか。


 いや、救われなきゃいけないんだよな。


 みんなを救うためには、私達がまず信じなきゃいけないんだよな。


 会話を聞いていたアルトゥル君が、ふいに立ち上がった。


「それなら、こんなことをしても守護神様は救ってくれますかね」


 そう言って、手近にあったろうそくを手に取る。アルトゥル君は震える手でろうそくを太ももあたりに近づけた。


 ろうが滴り落ちる。


「熱っ……!」


 アルトゥル君はろうそくをぶん投げた。


「危ないっ」


 ルーカスさんがキャッチしたから火事にはならなかった一方、アルトゥル君は未だに太ももを抱えてのたうち回っている。


「だっ、大丈夫?」


 とりあえず、適切な処置をした。


 一段落した後、アルトゥル君に尋ねる。


「いきなり一体何してるの?」


「いや、セルフろうそくプレイを……」


「馬鹿なの?」


 変態を超えて狂人だ。


 アルトゥル君は熱さに苦しみながら、


「お、面白くなかったですかね?」


「陰キャ特有のちょっと間違ったウケ狙いじゃんこれは」


「陰キャゆうな!」


 なんて話していると、ルーカスさんは急に何かスイッチが入ったのか「あっはっははははっ」と笑い出した。私もアルトゥル君も「いやお前が笑うのかよ」という気分だったけど、次第になんかシュールに思えてきてわけのわからない笑いがこみ上げてきた。深夜テンションならぬ宗教テンションだ。


 ルーカスさんは、笑いながらこう言った。


「ああっ……きっと、こんな馬鹿者たちのことだって、救ってくれるに違いないよ」


 それは、自分に言い聞かせているようにも思えた。



パンフレット作りは遅々として進まない。始めてからもう一週間は経っていた。


 そこでとうとうルーカスさんに罷免を言い渡されてしまった。


「もういいよ。君たちは僕の宗教の信者になってくれたってだけで十分だから。パンフレットは、僕が作る」


 そんな言葉と共に部屋を追い出された。部屋の外は、目が痛くなるほどに眩しかった。


「言っておきますけど、僕は信者になったわけじゃありませんから」


 アルトゥル君は負け惜しみっぽい口調でそう言った。


「だいたい、自分が信じてもいない宗教の紹介なんて、どうすれば筆が乗るっていうんですか。しょうがないじゃないですか」


 いかにも不満そうだが、一理ある。


「それに、僕は無神論者なんですよ。何かを盲目に信じることができないんです。できてもそれは信じるフリだけです。信じた方が救われるのにね」


「そうだねぇ……」


 神様でもなんでも、いる、いないという話じゃなくて、大切なのは信じるか信じないかなのだ。


 私もアルトゥル君も、信じられない側の人間だったと言うだけだ。


 そんなことを思っている矢先、スマホからカノンもどきのメロディが流れ出す。小説やら宗教やらのことですっかり忘れていたけど、そういえば私は絶望粒子を除去するためこの世界にやってきたのだった。


「またアルトゥル君?」


「また……って、旅人病のことですか? いやいや、そんなわけは」


そんなやりとりをしていると、通知が続けてやってくる。


『今回はルーカスじゃ』


「ルーカスさん?」


 何があったのだろうか。


 私とアルトゥル君は来た道を引き返し、ルーカスさんの部屋に戻る。


「お邪魔します!」


 事態は一刻を争う。返事を待たずに扉を開けた。


 すると、そこにいたのは……。


「お前ら、どうしたんだ?」


 何もわかってなさそうな顔をしたヴァルさんと、その正面でなにやらただならぬ表情をして仁王立ちするルーカスさんだった。

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