第五話 僕たちの宗教へようこそ

「本当に許せないね、使者様にこんな汚らわしい労働をさせるなんて。全く、この城の人間は腐っている!」


 穢れを祓うため、風呂に入れと言われた。


 風呂から出たら白くゆったりとした清楚な感じのするワンピースが用意されていた。


 髪を乾かしたりもろもろのことを終えると、ルーカスさんの部屋に連れて行かれた。


 一応こんな私でも年頃の娘だ、なにかよからぬことをされるのではないかと身構えたけど、部屋の中に広がっていた光景はまたベクトルの違う『よからぬこと』を思わせた。


 カーテンが閉め切られた、薄暗い一室。


 光源となるのは、部屋の両脇に並べられた、古めかしいろうそく。


 部屋の奥にある祭壇じみた場所には、クレヨンで天使のような何かが描かれた画用紙がでかでかと飾られていた。


 ……ヤバい気配がする。


 ルーカスさんは祭壇へ駆け寄り、私に向いて、両手を広げてみせた。


「僕の宗教へようこそ!」


 ヤバい!


 かつて感じたことのない危険を感じた。


「いや、えっと私、ちょぉっと持病のしゃっくりが止まらなくてですね、ヒック、ほら、出てますでしょうしゃっくり。ヒック、ですから今日はちょっと部屋でしゃっくり、じゃなくてゆっくり休んで」


 適当な嘘をついて逃げようと背を向けた。


 しかし、ルーカスさんは音もなく背後に立ち、私の肩を掴む。


「神の御前で嘘をつくとは。使者様じゃなければ今頃神罰が下っていたよ。まぁとりあえず僕の話を聞いていきなよ。きっと君にとっても悪くない話だからさ」


 半ば無理やり引きずられ、祭壇の前に座らされる。


 向かい合ったルーカスさんの顔を、床に置いたろうそくの光がぼんやり照らし出している。優しげに垂れ下がった大きな目が、今はこんなにも不気味だ。


 一体どうなってしまうのだろう、私。


 未知の恐怖感で手のひらに汗がにじむのを感じながら、ルーカスさんの話を聞く。


「守護神様がどれだけ素晴らしいかという話はおいておくとして、君にとって有益な話をしよう。人は基本自分の利になることでしか動かないからね。


 ひとまず、君の状況は調べさせてもらった。なんでも城内でみんなの役に立とうとしているみたいだね。その理由がヴァルデマールのためとかいうことも聞いたけど……全くあんな男のために行動するのは愚かとしか言いようがないな。まぁでも咎めはしないさ。


 それで、どうやら君は無能で逆に城内での株を下げているようだ。このままだとヴァルデマールのためというのはおろか、下手したら城を追い出されかねない。そこまではいかなくても、暮らしにくくなることは確定だろう。そこでだよ」


 ルーカスさんは身を乗り出してきた。怖い怖い。


「僕と一緒に宗教を広めることで、城の人々を救いに導こう! 君は使者様だし、不思議な力を持っている。これは僕たちの宗教が信用を得るのに大きなプラスとなる!」


「僕“たち”ってなんですかたちって!」


 仲間になった覚えはない。


 だけど、このまま最底辺の労働をしてもジリ貧なのは事実だ。できることならトイレ掃除は勘弁してほしい。


 もし、宗教を広めることに成功して、今まで失ってきた信用を取り戻せたら。


 あわよくば、みんなを救えたら。


 ヴァルさんの言ったことは真実になり、私たちは将来への不安に悩まされることもなくなり、全てが解決する。下手したら、この世界にやってきた目的である、絶望粒子の除去も一足飛びにクリアできるかもしれない。


 考えれば考えるほど、この話……おいしい!


「のった」


 私はルーカスさんの手を取った。


 ルーカスさんは本当に心から喜んでいるようで、大きな瞳にきらきらした輝きを宿しながら、


「うん、これからよろしく、相棒!」


 こうして私達の布教ライフが始まった。




「守護神様というのは本当にすごい神様なんだ。いつも僕を見守って、僕を助けてくれる。ヴァルデマールのファンシーな猫耳だって、あいつを呪っていたら守護神様が生やしてくれたんだ」


「えっ、あの猫耳、ルーカスさんの呪いだったんですか」


「そうだよ。どう? これで僕の守護神様がすごいってこと、わかってくれた?」


「そうですね。実際に奇跡の証拠があるというのは強みだと思います」


 ルーカスさんから守護神様の話をいっぱい聞いた。


 ルーカスさんが守護神様の姿を見たのは、七歳のころのことだったという。祭壇に飾ってある絵はそのときに描いたものらしい。


「みんなこの世界の真理を知るには目が曇りすぎているから、今は信者が僕と君しかいない。でも、だからこそ、僕たちには広める義務があるんだ! 真理を知ってしまった、選ばれし者として!」


 私達は布教の方法について話し合った。


 その結果、パンフレットを作ろうということになった。


 そこで真っ先に浮かんだのはヴァルさんとアルトゥル君のことだった。パンフレットづくりが何か刺激になって小説の創作に役立つかもしれない。


 そのことをルーカスさんに話すと、


「ヴァルデマールはちょっとなぁ……。あんなやつに頼るぐらいならまだそこらへんのアリンコのほうが役に立つよ。それに僕自身あいつには関わりたくない。あっ、アルトゥル君の方はいいよ。今はヴァルデマール以外なら一人でも多くの信者が欲しい状況だ」


 一体ルーカスさんとヴァルさんの間に何があったのだろう。気になるけれど、聞いてはいけない気がしたのでスルーしておいた。


 ひとまず、アルトゥル君を呼びに行く。


「アルトゥル君」


 ノックして呼びかけるとすぐに部屋から出てきた。相変わらず無造作に結んだ長髪といいゆるいグレーのトレーナーといい、見た目からしてダメ人間感があふれている。


「今、ノナさんすごく失礼なこと思いましたよね?」


「思ってないよぜんぜん」


「……」


 疑惑の眼差しを向けられた。


 けれど、アルトゥル君は何かに気づいたのかさっと顔を赤くして、


「って、ててててて、ていうか、ノナさんそのワンピースなんですかっ! あっ、えっと、いや、似合ってないとかそういうわけじゃなくてあのあのあのむしろ僕の好みというかいかにも童貞陰キャオタク受けしそうな清楚感というかっ」


 合間にちょっとけなされたような気がする。


 が、どうやらアルトゥル君はこの宗教ルックが気に入ってくれたようで、それはまぁ、嬉しい。素直に。絶対本人には伝えないけど。


 ……ちょっと気持ちが乱れたので切り替えよう。


「えー、こほん。それでだよアルトゥル君。ひとまず穢れを祓うためにお風呂に入ってきて」


「おふっ、お風呂っ?」


「うん。あ、あとこの服渡しておくから着替えて」


 持っていたビニール袋を渡す。その中には聖衣が入っている。


 ルーカスさんに言われていた。あの部屋は神聖な場所だから、汚れた状態で入ってきてはいけないのだと。


 アルトゥル君はさっきにも増して顔を真っ赤にしている。というか鼻血が出ている。なんてだらしない顔なんだ。


 鼻血を垂らしたまま、アルトゥル君はいきなり敬礼した。


「はいっ! ……アルトゥル・アイゼンシュタット、十六歳、一世一代の大勝負に向け、それ相応の準備をしてくる所存でございます!」 


 猛スピードで去っていった。


 それから一時間弱後。


 聖衣……白いワイシャツとグレーのスラックスでかっちり決めた、ともすれば学生の制服のようにも見える格好に身を包んだアルトゥル君は、ロボットのようにぎこちない動きで大浴場から出てきた。


「ずいぶん長かったね」


「はひっ、いやっ、準備が、必要ですからっ! ……その、ノナさん」


「何?」


 アルトゥル君はもじもじして、視線をあらぬ方向に泳がせまくり、いろいろ悶々としたあと、顔を近づけてこそっとこう言った。


「優しく、しますからっ……」


「恥を知れ!」


 力の限りビンタしてやった。


「あひんっ」


 アルトゥル君はビンタの衝撃で転がっていった。


 なんとなく、お風呂と言ったあたりからよからぬことを考えているのではないかと思ったけど、まさかその通りだったとは……。


 まぁ、私もルーカスさんにお風呂うんぬん言われたときは怪しいなにかを感じ取ったので、そうなってしまうのも仕方ないかもしれない。ビンタはちょっとかわいそうだった。


 床に転がっているアルトゥル君のもとへ向かう。


 よし、ビンタのお詫びにためになることを言ってあげよう。


「私、そんな軽い女じゃないから」


 ガビーン、という効果音がよく似合う顔でアルトゥル君がフリーズした。





「死にたい……恥ずかしい……死にたい……」


 落ち込みまくっているアルトゥル君を連れてルーカスさんの部屋に向かう。


「はい、アルトゥル君、入って」


 扉を開け、半ば強引に手を引いて部屋に入れた。ろうそくが並ぶ重厚な雰囲気の空間が出迎える。


 その途端、今までうつむいてぶつぶつ言っていたアルトゥル君が急に身体を強張らせた。そりゃあ、この部屋にはそれだけの迫力があるから、初見ならこうなるのは当然だ。


 ここは一つ、緊張をほぐすために挨拶をしてあげよう。


 にこっ、と口角を上げ、私はこう言った。


「私たちの宗教へようこそ!」


「あっ、すっ、すみませんっ! 僕、ちょぉっと持病のしゃっくりが止まらなくって、ヒック、ほら、しゃっくり。だから、その、今日はここでっ」


 思考回路がとことん同じで嫌になった。


 逃げようとするアルトゥル君を捕まえる。


「待って、これはアルトゥル君にとってもチャンスになるんだよ。ここでキャリアを積み上げておこうよ」


「キャリアってなんですかぁ! 善行ですか、徳のある行いってやつですかっ、嫌ですよそういう宗教臭いのっ!」


「確かに宗教臭いというかぶっちゃけ宗教そのものなんだけど、アルトゥル君にしかできないことなんだ!」


 すると、アルトゥル君の雰囲気が変わった。


「僕にしか、できない……」


 やっぱりそうだ。


 アルトゥル君はこういう、自分を必要とされる状況を好む。「君じゃないとだめだ!」みたいなセリフに弱い。


 なんでわかるかというと、私もそうだからだ。


 半分試してみる気持ちでいたけど、案の定思考回路が一緒で微妙な気分だ。ヴァルさんとは違う意味で、この人も他人に思えない。


「わっかりました! 僕にしかできないんなら仕方ないですね、いいですよ、やってあげます、宗教活動!」


 アルトゥル君が拳を思い切り振り上げた。

 滑稽だなぁ、と思いながら、パンフレットづくりは始まった。


 

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