第四話 働いたら負け、働かなくても負け

 私は使者様のはずだ。


 曲がりなりにも神聖なる存在のはずだ。

 期待されるのも嫌だけど、かといってこうしてトイレでデッキブラシをこするような労働に甘んじて良い立場でもないはずなのだ。



 なぜ使者追い出し運動が起こったかというと、単純に私が人騒がせなうえに役立たずなことが原因らしかった。


「使者が来てからというものの、爆破予告が起こったりパソコンがウイルスに感染したり、とにかく嫌な事ばかりじゃないか」


「爆破騒動のときに不思議な力を持っているらしいということはわかったけど、同時に慎重な行動ができないうえ情緒が不安定な人物だということもわかった」


「この人結局何もやってなくない?」


「曲の趣味が悪すぎる」


 泣きそうだった。いいや、実際ちょっと泣いた。


 だけどヴァルさんが私をかばってくれた。


「うるさいなお前ら! 何と言おうがこいつを城から追い出すことは許さないからな、これは城主としての命令だ!」


 さらっとヴァルさんがこの城の持ち主だと言っていて驚いた。


しかし、城主と言っても信頼はないようで、


「また始まったよ、わがまま坊っちゃんの……」


「お飾りの城主が……」


「学校にも行ってないプー太郎のくせして……」


 頭に血が上った。窓から落ちそうになった私に手を差し伸べてくれた、あのときの言葉が蘇ってくる。あんな風に言ってくれる人を貶されるのは、気分が悪い。


 気づけば、衝動のまま声を張り上げていた。


「ヴァルさんの判断は正しいですっ! なんたって私は使者様で、世界を救うためにやってきたのですから! 必ずみなさんの役に立ってみせましょう!」


 それが、運の尽きだった。


 みんなの役に立つことを証明すべく、労働をすることになってしまったのだ。


 まず最初は事務仕事をやることになった。


「この書類には今月の支出が書いてある。その合計金額が合っているかどうか、電卓を使っていいから計算して確かめて」


 渡されたのは、百をゆうに超える項目と数字がびっしり並んだ会計用紙だった。何で支出したかという項目とその支出金額の表だ。それを一つずつ足していくのだという。


 私は数字と相性が悪い。数字がびっしり書かれた紙なんて目にするだけでめまいがしてくるし、電卓も使い慣れていない。何度も入力し間違えて、そのたびに間違えてリセットボタンを押してしまって最初からやり直しになったり、そもそも入力自体遅かったり、途中で集中力が切れて休憩がてら鼻歌を歌ったら同じ部屋にいた人たちから大ブーイングを食らったり……


「もう、何もやらなくていいよ。他の仕事あたって」


 無能を見る目で追い出されてしまった。


 だいぶ死にたかった。


 普段の私なら実際死のうとしていた。何やってもだめだもんな、私。生きていたって迷惑なだけだもんな。って。


 だけど今の私には立派な使命があるのだ。ヴァルさんを馬鹿にしたやつらを見返してやるという崇高な使命があるのだ。さながら昔ながらのボーイミーツガールもののボーイになった気分である。女の子を助けるために奔走する勇気ある少年。


 そういうものになるのだ、私は!


 第二の仕事場は、厨房だった。


「このスープを、レンジであっためて、塩をちょっと振るだけでいいからね。レンジの使い方は……」


 事務仕事での無能さが伝わっていたのか、懇切丁寧な説明とともに、それ以外のことは何もやろうとするな、という意思が言外に伝わってくる態度で接された。与えられた仕事も、このくらいなら無能にでもできるだろうと考えられたものだったのだろう。


 しかし、私は厨房のスタッフが考えていた以上に無能だったらしい。


 まず、レンジの使い方が覚えられなかった。なんでも一度に説明をされると絶対に一回では理解できないたちなのだ。というか途中から話についていけなくなる。ここまでの段取りってどうだったっけ、と確認している最中に思考が全然別の方向に飛んでいって、気づけば後半何も聞かないまま説明が終わっている。


 かといってもう一度聞いて無能扱いされたくないという無駄なプライドの高さも持っていたからもうどうしようもない。説明が頭から抜け落ちてる部分は想像で補おうという思考に至って、勘でレンジを操作して、誤作動を起こした。


 幸いにもすぐに元通りになったけど、とうとう「レンジはもういいから」と言われて、塩を振るだけの係になった。それも運が悪く、塩が容器の底の方で固まっていたから、力任せに容器を振っていたら、蓋が外れて中身がドバっと出てしまった。これはもはや塩味のスープじゃない、スープ味の塩だ。


 そういうわけで厨房も追い出された。


 その他にもいろんなところを回ったけど、どこに行っても私は役立たずで、それどころかトラブルメーカーだった。


 最終的に、誰も仕事をやりたがらない別館のトイレ掃除を押し付けられて今に至る。


 トイレは汚かった。公園のトイレ並に汚い。臭いもひどくて、鼻がひん曲がるかと思った。


 他の仕事仲間はいなかった。一人ぼっち、社会のゴミとしてこのゴミ箱のようなトイレに追いやられたのだ。


 臭いよぉ。汚いよぉ。狭いよぉ。でもやらなきゃいけない。みんなの役に立ってみせると宣言してしまったからには、それ相応のことをしなければいけない。自分の発言には責任を持たなければいけない。あぁでもやっぱり嫌だよぉ。掃除用具ですら汚いよぉ。なんだこのデッキブラシ。カビの臭いがするし。汚い道具で掃除してもより一層汚くなるだけじゃないか。こんなことに意味はあるのだろうか。でも私は勇者なんだ。ボーイミーツガールのボーイなんだ。情けなくても、たったひとりのために頑張れる、そんな……。


「うわぁぁぁぁん……」


 無理だった。


 気丈に振る舞えなかった。


 世界が憎かった。


 それ以上に、自分が憎かった。


 涙が止まらなくなって、ぐずぐずに顔を濡らしていたそのとき……。


「使者様っ! ああ、おいたわしやぁっ……!」


 この世界で二番目に会った人にして、しばらく顔を見ていなかった警備員の男性……ルーカスさんがトイレの中に入ってきた。


 ちなみにここは、女子トイレである。

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