第三話 狂騒、そして転落
「死ぬぅぅぅぅぅぅぅ!」
その日の夕方。
下を見れば真っ平らな地面。高度は地上四階ほど。窓枠から垂れ下がった私の身体は、今にも落下しそうだった。
こうなった経緯を説明しよう。
「小説を書けば、全てが解決するじゃないですか!」
「小説? 俺が書くのか?」
「いえ、アルトゥル君が書くんです。そして、ヴァルさんが挿絵をつけて売る。私が編集やら広報やらをやって、自費出版するんです。それでベストセラーになったら儲けものですよ、文字通り。そうすればヴァルさんの絵を描いて稼ぐという夢も、アルトゥル君の小説家になるという夢も叶いますし、実績を出せばきっとお父さんも認めてくれますよ!」
こんな会話をきっかけに、アルトゥルさんに小説を書いてほしいというお願いをすることになった。
ところが。
「む、無理ですよ」
アルトゥル君の部屋の前まで押しかけ無理やり引っ張り出してそのことを話すと、断られてしまった。
「なんで?」
私が聞くと、アルトゥル君はうつむいた。
「そんなこと言われたって、書きたいことが何も思い浮かびません……」
「なくても書くんだよ」
「何を書けっていうんですか!」
「なんでもいいじゃん。たとえば……恋愛小説とか?」
「れっ、恋愛っ?」
アルトゥル君の顔が真っ赤になる。
「女子から恋愛小説を書いてほしいと言われた……? これってもはや一種のフラグでは……? ここからの選択肢は重要だぞ、慎重に選べアルトゥル、けどいきなりこんな重荷を背負うなんてもうなんか、なんか……ファイヤー!」
アルトゥル君は、聞き覚えのある単語を叫んで辺りを走り回りだす。床がギシギシ言っている。
「あの、ヴァルさん、前も似たようなことあったんですけど、これは一体……」
ドン引きしながらヴァルさんに説明を求めると、
「アルトゥルはずっと男子校でな。女子とちょっとしたイベントが起こるとすぐに舞い上がって所構わず奇行をしだすんだ。ちなみに……」
バタン、という音がした。見ると、床にアルトゥル君が倒れ伏していた。
「持久力ないからこうやってすぐ電池切れ起こすんだ。そんで、いきなり走り出してもすぐに終わるから安心していいぞ」
「はぁ」
こういう系の人に体力がないの、いかにもな感じがして私は嫌いじゃない。
というのはともかくとして、大丈夫かな……でも近寄るとまた例の発作を起こすんじゃないかな……などとどうしたらいいかわからないでいると、アルトゥル君は急に立ち上がった。
「書きます。僕が、小説を書きます」
まるで汎用人型決戦兵器に乗ろうとする少年のような表情だった。
そして私達は城内のパソコン室に移動した。
「恋愛はちょっとハードルが高いのでそれはやめておきます。それ以外のジャンルでなにか……とりあえず、パソコンの前に座ってみれば、なにか思い浮かぶかもしれないです。というか浮かんでほしいです。それを祈ってがんばります」
そんなことを口にしながらアルトゥル君はパソコンとにらめっこを始めた。私とヴァルさんは暇だったのでアルトゥル君を左右で挟んでパソコンをいじりだした。
十分ほど後。
「進捗どうですか」
アルトゥル君のパソコンの画面を覗いてみると、未だ真っ白だった。
「やっぱり書けませんよ……何かお題を与えてくれたら書けるかもしれないんですけど」
確かに、何もないところからいきなり書けというのは無理がある。それなら……
「私達でお題を考えるよ。アルトゥル君もできるだけ一緒に考えてほしいな。何かいい感じの案があったらすぐ共有して」
「わかりました」
「おう!」
アルトゥル君の脇からヴァルさんの声も聞こえてきた。
せっかくパソコン室にいることだし、インターネットからネタを仕入れようと思った。
それはヴァルさんもアルトゥル君も同じだったようで、私達三人はたちまちインターネットの世界に身をうずめていった。
現代人はみんな知っていると思うが、インターネットは麻薬だ。
たとえば、ワラワラ動画。
動画の上を流れゆくコメントたちは、空耳やツッコミで動画を盛り上げる。
たとえば、アンサイクリングペディア。
くだらない嘘が並ぶ記事は実生活に一ミリも役立たないのに、読み始めたら止まらない魅力がある。
たとえば、トイッター。
当選しないとわかっていながらも、後澤社長のアカウントをフォローして十万円相当のお金がもらえないかそわそわしてしまう。
ああ、楽しいな、インターネットは楽しいな。おっ、トイッターアカウントを作ってみたら早速詐欺っぽい副業垢からフォローがきたぞ。ネットビジネスで日給三百万? そんな簡単に稼げたら苦労しないっての。なになに、本気のお金稼ぎに興味がある人はDMください? 別にこんなんで稼げるとは思ってないけど、まぁ今は自費出版に向けてお金がほしいフェーズではある。全く、これっぽっちも、期待なんてしてないけど? やらない後悔よりやる後悔って言うし? ちょっとメッセージを送ってみても……。
『めっちゃお金欲しいです』
返信はすぐに来た。
『メッセージありがとうございます! 詳しい内容はこちらのリンクから↓』
いかにも怪しい。
だけど、リンク踏むくらい許されるんじゃないか……。
震える手でカーソルを合わせる。ええいままよ、クリック。
結果、私の使っていたコンピューターは見事ウイルスに感染し、パソコン室の管理人さんにこっぴどく叱られたあげく三人一緒に追い出された。
「やっぱり、インターネットなんて最低だよ! 別のことをしよう」
私達はネタを探すべく今度は何をしようか考えていた。
ヴァルさんが元気に手を挙げる。
「はいはい、俺、前に聞いたことあるけど、アイデアってよくシャワーを浴びてるときなんかに思い浮かぶらしいぞ」
その一言で次にすることは決まった。
ヴァルさんとアルトゥル君は、大浴場の男湯に入った。ヴァルさんの指示により私は脱衣所で中の声を聞かされてるけど、正直めちゃめちゃ恥ずかしいから一秒でも早く終わってほしい気分だった。
浴室の中からシャワーの水音が聞こえてくる。
しばらくは何も話し声がしなかった。
やがて、ヴァルさんの声がした。
「つまんねぇ……」
そして、何かを泡立てているような音が聞こえてくる。その間にもシャワーの音は続いていた。
「うっし、これで完了」
「ちょ、ヴァル兄さん? どうしたんですかいきなり床をつるつる滑り出して」
「スケートだよスケート。石鹸で床の滑りをよくして、ジャンプを決め込もうって魂胆さ」
「うわぁっ、やめてください全裸で飛び跳ねるのは! 気色悪い!」
「ほぉれ、四回転トーループ! 俺は今氷上の王子だ! はっはっはっは!」
こんなことをしていたから、大浴場の管理人さんに風呂で遊ぶなとか節水を心がけろとかいろんなことを注意されてしまったらしい。
「わかりました、私、わかりましたよ。なんでアルトゥル君もヴァルさんもアイデアが思い浮かばないか。それはつまり、頭の働きが鈍っているんですよ」
「副業垢にひっかかった人に言われたくない……」
「アルトゥル君なんか言った?」
「ヒィィっわかりました僕が悪かったですだからそのバールのようなものをしまってぇぇぇぇっ」
そういうわけで、私が提案したのは運動、それもダンスだった。
「身体を動かすことで気分転換して頭をスッキリさせましょう。まあ基本的に運動なんて苦痛でつまらなくて恥さらしでドッジボールでは真っ先に当たるし持久走は走り終わった人から『がんばれー』という声援を送られながら一番最後にゴールするしチームスポーツではグループに私が入った途端ハズレを引いたような顔されますけど? ダンスなら楽しみながらできるでしょう。オタクって意外と踊れますから」
「限りなく私的怨恨が入った理由で踊らされようとしている……」
「アルトゥル君なんか言った?」
「ハヒィッすみませんすみませんだからそのバタフライナイフをしまってぇぇぇぇぇっ! っていうかさっきも思いましたけどその武器はどこから出てくるんですか」
「俺が出してる」
「ヴァル兄さんのしわざか! 手のひらからニョキニョキ生えてくるの気持ち悪っ」
そんなやりとりもありつつ……。
私はこの世界に転移する前にスマホにダウンロードしていた曲を再生した。スピーカーに繋いで、大音量で、だ。
『獣の遠吠え! 獣の遠吠え! もっと吼えろ! 血に飢えたナイトメアよぉぉぉぉぉ』
「なんですかこのハードロック、ダンスするって感じじゃありませんよ!」
「わかってないねアルトゥル君、ダンスならできるじゃないの、ほらこうやってヴァルさんみたく首を振りまくって」
「それはダンスじゃなくてヘドバンですよ! ヴァル兄さんの首もげそうで怖い」
「ほらアルトゥル君も首を振って振って振りまくって! 明日筋肉痛で乙女ゲームのヒーローの立ち絵みたいなことになるのも恐れずに!」
「いーやーだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
大音量のBGMに負けじと大声を張り上げて言い争っていたら周囲にいた人たちに文句を言われてダンスは中止の運びとなった。
そういうわけで、死のうと思った。
「どういうわけだよ!」
上からアルトゥル君の声が降ってくる。アルトゥル君もヴァルさんも窓から顔を出して私を見下ろしている。
「いやぁ、人が死ぬシーンとかショッキングすぎてインスピレーション湧いてくるかなって」
「湧きません! トラウマになってしまいますよぉぉ」
アルトゥル君は泣きそうだ。
本当のところ、楽しかったのだ。
ヴァルさんやアルトゥル君と一緒に馬鹿なことをして。
しかし、人生は基本辛いことばかりなのだ。良いことがあったら絶対に次悪いことがやってくる。だから、ここが人生のピークだって感じたときには死んでおくに限るのだ。
だから私は死ぬ。そもそも編集と広報を名乗ったけど、小説の完成自体に私はいらない。あぁでも、私がなんとかしないと世界は滅亡してしまうんだっけ。そんなこと言われたって、どうせ私なんかになにかできるわけがない。散々期待させておいて裏切るよりか、最初からいない方が絶対……
「死ぬなっ!」
ヴァルさんが私の手を掴んだ。
今まで見てきた人間の顔で、一番真剣な顔だった。
「俺は、ノナがいないといやだ! 生きていけないんだ! お前が大事なんだよ!」
なんでこの人、こんなに私のこと想ってくれるんだろう。
そんな疑問以上に、一つわかったことがあった。
そっか、私、結局死ぬつもりなんてなかった。
誰かにこんな風なことを言ってもらうことを、望んでいたんだ。
「僕もっ」
アルトゥル君が続く。
「ノナさんを見てると安心するんです。こんな僕でも生きていていいような気がして。なんていうかこう、自分以上にアレな人もいるんだからなぁっていうか」
「ねえアルトゥル君それって私のこと見下してるってことじゃ」
「………………………………………………………まあ」
「陰キャ同士のコミュニケーションじゃん!」
「陰キャ言わないでください!」
「いいえアルトゥル君は同じ穴のムジナですー。陰キャ陰キャ陰キャ陰キャ陰キャ」
「連呼しないでぇぇぇぇぇぇぇ」
やっぱり死んでやる!
とは言わなかった。
逆に、生きてやろうと思った。
ヴァルさんとアルトゥル君に引っ張り上げられて、城の中に戻る。
すると、ヴァルさんに抱きしめられた。
「えっ」
「よかった」
心から安堵していた。
よく、わからない。
なんで私を。
嬉しいような混乱しているような、初めての感情だった。
隣からアルトゥル君のため息が聞こえる。
「全く人騒がせですよ、ノナさん」
「爆破予告した人には言われたくない」
なんて返事がくるかな、と思っていると。
「本当だよ」
第三の声が聞こえた。
ヴァルさんが腕を離す。視界が開けた。
すると、そこにいたのは一人や二人なんてもんじゃなくて……
「使者だかなんだか知らないけど、その女は追い出すべきだ」
大勢の人が部屋の入り口に詰めかけて、『使者を追い出せ!』というプラカードを掲げていた。
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