第二話 珍回答と見えない将来
一時間目は国語だった。
『国語は大丈夫だな。問題文が何言ってるかわかるから』
ヴァルさんはテレパシーでそう伝えてきた。テスト中に喋ることはできないから思念魔法を使うことにした、らしい。よくわからないけど、多分すごいことをしているのだろう。
言った通り、国語はそれなりに解けていた。少なくとも解答用紙が人並みに埋まっていた。
問題は二時間目の外国語からだ。
『やべえ、全然わかんね』
アルファベットに似た、でもどこか違う文字列が並んでいた。私も力になれそうにないし、そもそも私が力を貸すことは禁じられていた。
『ノナ。今から俺は想像で解くことにするぞ』
そう言って設問を読む。
『ふむふむ、なぜジョンはナンシーに平手打ちを食らったか説明しなさい、か。まあ、トラブルの原因の大半はやっぱ金だろ金。だから答えは金を返さなかったから、だ』
「痴情のもつれという線もありますよ」
『おっ、それいいな。なんか後の問題にキャシーとかいう女も出てきてるし。きっとジョンがキャシーに浮気したんだろうな』
「そうなると次の『傍線部の“決定的な瞬間”とは何を表しているか』はジョンがキャシーとキスしている場面でしょうね」
『そんならそこのすぐ近くの文章を翻訳する問題は、「この泥棒猫っ!」で合ってるだろうな』
後からわかったことだが、ジョンとナンシーは幼稚園児の兄妹で、拾ってきた猫を飼うか飼わないかで大喧嘩しているという内容だったらしい。ナンシーはその猫(キャシー)がナンシーの人形を盗んだことを知っていたから反対していた。そういうわけで全然想像と違う内容だったけど、「この泥棒猫っ!」だけは奇跡的に合っていた。
三時間目は世界史だった。
当然異世界の歴史なんてわかるわけないから何も手伝えることがない。
『選択問題はとりあえず全部一を選ぶとして、記述はどうしようなぁ』
手が止まっていたのは、ある政策を打ち出した理由を答える問題だった。
『ま、とりあえず一句詠んどくわ』
そうしてヴァルさんが問題用紙に書き出した俳句は。
『黒すぎる でべそが黒い 黒すぎる』
「不潔!」
『勘違いすんなよ、俺のへそはでべそじゃないし真っ白だぞ』
「だとしてもこの句は下品ですよ! 風流のかけらもない!」
『もうほんと真っ白なんだからな、淡雪のごとく!』
「その表現力を俳句にも活かせ!」
結局このまま提出したら、なんと丸をもらったらしい。理由はわからないが、世界史の先生の奥さんがでべそだという噂があるそうだ。
そして四時間目。
本日最後の教科は、数学だった。
『どうふざけよっかなー』
もはや真面目に解く気はないようだった。前の三教科とは違ってそもそも問題が何を言っているかわからないし、見たことのない記号がずらずら並んでいるらしい。
『全然わかんねーのに記述スペースだけはやけにでかいからな、自由度が高いぜ』
そう言いながらどうしようか考えているようだった。
こうしてみると、なんだか懐かしい。
日々の授業は憂鬱だった。みんな真面目に授業を聞いているから、すわりが悪かった。
数学の授業なんか、近くの席の人とグループを作らされたりした。机を向かい合わせで
四人班にしてくっつけた。周りの人は次々と問題を解いていく。
だけど私は配られたプリントがいつも真っ白で、ときおり目の前の人がこっちに視線をやると、それとなく、なるべく気取られないように、そっと腕で白紙のプリントを隠してうつむいた。バレてるだろうな、と思いながら。
テストもやっぱり憂鬱だったけど、そんな瞬間に比べればマシだった。それにテストは、みんな必死で問題を解いているぶん、物思いにふけってみてもバレないのがよかった。たとえば、カンニングを疑われない程度に顔を上げ、テストに向き合うクラスメイトの背を見て……
『なんでみんな、将来を疑わずにいられるんだろうな』
そうそう、こんなことを思って……。
「え?」
自分がそう言ったのかと思った。
だけど、今の言葉は、たしかにヴァルさんの思念だった。
『なぁ、ノナ。見ろよ、こいつらのこと。みんな、すっげー真面目にテスト解いてる。だけど俺にはわかんねーんだよ。こんなことより、みんなでカードゲームやろうって。鬼ごっこやろう、しりとりやろう、ちっちゃいころみたいにさ……』
それ以降、ヴァルさんの思念は聞こえなくなった。
かわりに、問題用紙の記述欄はどんどん埋まっていく。
そこには、なぐり書きでこんな文章ができていた。
『将来が暗い。
絶対良いことなんて起こらない。
大人にはなりたくない。
明日なんて来なければいい。
俺はずっと、俺のままがいい』
「帰りたい」
ヴァルさんは呟いた。思念ではなく、実際に。
わざとらしくお腹を押さえて、鞄を手に持って、席を立った。
「君っ」
試験監督の呼びかけに、
「お腹痛いんで、帰ります」
と言って、返事を待たずに教室から逃げるように駆け出した。
大勢の教師に追われながら、校門を出た。私もヴァルさんも、息を切らしていた。
「はぁっ、はぁっ……よく考えてみれば、魔法使って瞬間移動でもなんでもすりゃよかったなぁっ……」
「はぁっ、本当、ですよっ……」
もう学校からはずいぶん離れた位置にいた。太陽が南中していた。汗が額から流れ落ちる。
「せっかくだから、空を歩いてみるか」
ヴァルさんの提案に、一も二もなくうなずいた。
私達は手をつないで空に浮かび上がった空を歩くというのは不思議な感覚だった。踏みしめるものが何もないのに、ちゃんと前に進めている。
「怖くないか?」
「大丈夫です、意外と」
下を見たらそりゃ怖いけど、今なら落っこちたってかまわない。
「楽しいか?」
「多分」
「そっか」
話しながら、青い空間を歩いていく。
「あーあ、絶対オヤジに怒られるだろうなぁ」
「お父さん、怖いんですか」
「まぁな、いや、どうだろうな。なんだかんだ、腫れ物扱いされてるからな、俺」
眼下に広がる街並みはお昼時で、活気づいていた。
「アイゼンシュタット家って、やっぱ貴族なんだよ。だから金には困らない。だから生活にも困らない。だから……将来は決まってる」
俺は無能だから、当主にはなれないんだろうけどな、と続けて、
「少なくとも、家のために何かやるのは確定なんだよ。そして、その仕事やってりゃ路頭に迷うことはない」
そして、足元を見つめた。
「だけど、俺は道なき道を歩いてみたいんだ。ちょうど今みたいにさ。たとえば、いろんなところに行って、絵を描いてみたい。毎日が、毎秒が、何が起こるかわからないままに進んでいけば良いんだ。そして一日後が、一秒後が、絶対に今より良いって信じられなきゃ、嫌なんだ」
絶対に、叶いますよ。
未来は、明るいですよ。
そんなことを言えるわけがなかった。
良いことばっかりの人生なんて、あり得ないから。
何を言えばいいか迷っているうちに、ヴァルさんは私の手を引いて走り出した。
「でも、お前は知ってるだろ。この世界も、お前の世界も、自由になるには窮屈すぎて、未来を信じるには果てがなさすぎるんだ。まったく、ムカつくよな!」
ヴァルさんは、笑っていた。泣きそうだった。むちゃくちゃだった。
だから私も、むちゃくちゃになった。
「せめて、爪痕、残してやりたいですよね!」
「お。なんかやっちゃうか、ビッグなこと」
「はい、まさにそれです! ビッグなこと、やっちゃいましょう! 失敗したら、死にましょう! 死んで、一矢報いてやりましょう! どっちにしろ勝ち戦です、乗らない手はないですよ!」
何を言っているのだろう、本当に。
呆れながらも、目の前にいるヴァルさんと、この間のアルトゥル君の姿が重なる。
ふと、脳内に電流が走ったような感覚があった。
「小説……」
「なんか言ったか?」
「小説! 小説を書きましょう! 私達で小説を書いて、ベストセラーにするんですよ!」
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