第七話 ごっこ遊びの終わり

「出てって……」


 ルーカスさんが低く唸るように呟く。


「君たち全員、ここから出てって!」


 そう言って、ヴァルさんの脛を蹴飛ばした。


「はうぁっ!」


 脛は弁慶の泣きどころとも言う。相当痛かったのだろう、ヴァルさんは膝を折って床にうずくまったのち、駆けずるように部屋を出ていった。


「ちょっと……!」


 一体何してるんだ、と言おうとした。しかし、ルーカスさんの眼光は近寄る者全てを射殺さんばかりだった。到底話ができそうもない。


 私とアルトゥル君は、ヴァルさんを追って話を聞くことにした。


「一体何したんですか、ヴァルさん! ルーカスさんが旅人病予備群になってしまいましたよ!」


「いや、俺はあの絵について聞いただけだが……」


「絵? ……ってもしかして」


 あの祭壇に飾られた絵のことだろうか。

 ヴァルさんは頷いて、


「ああ。お前らがあいつの部屋で最近コソコソやってるっていうのは聞いてたからな。仲間外れが寂しくて、お前らがドアから出てくるのと同時に部屋の中に忍び込んだんだよ。そしたら俺の絵が飾られてたからびっくりした」


「あれ、ヴァルさんが書いたんですか?」


「おうよ。七歳くらいのことだから、ガキの絵って感じで恥ずかしいけどな。ルーカスに頼まれて、あいつの親父さんを描いたんだ」


「お父さん? ってあの、汚職で没落の原因になったっていう」


 すると、ヴァルさんは渋い顔をした。


「あー、あれな。胸糞悪りぃ話だけど、貴族の間で大きなゴタゴタがあってな。このままだとみんな不幸になるからって理由で、あいつの親父さんに全部の罪が被せられたんだよ。全くの無実なのにな」


 そのことはアルトゥル君も知らなかったみたいで、


「そんな経緯が……」


 なんて口をあんぐりしている。


 ヴァルさんはいつになく表情に影を落とし、近くの壁に背をもたせかけた。


「お前らの話が本当なら、あいつは亡くなった親父さんを神様に祭り上げていることになる」


 すると、部屋からルーカスさんが出てきた。


「いやぁ、お見事」


 ルーカスさんは引き攣りすぎて笑みになっていない笑みを浮かべていた。


「本当に、君はいつもいつも見事なまでに僕の神経を逆撫でしていくねヴァルデマール。まっ、君みたいな世間知らずのボンボンには僕の苦労なんて想像すらできないだろうからそれも仕方ないことだと思うけどね? 生活に苦しむという言葉の意味を知らないような顔をして平気で親の脛を齧りながら生きている君を見ると、反吐が出るよ」


 そして、今にも唾を吐きかけてきそうな表情に変わる。瞳は絶対零度の冷たい鋭さを孕み、ヴァルさんをめいっぱい睨みつけたあと、私とアルトゥル君のいる方へとスライドされた。


「ところで……君たちは我が宗教の敵と接触したうえ、知ってはいけないことを知ってしまいました。これは立派な背信行為です。よって……」


 言いながら、胸の辺りで手のひらを天に向けた。


「異端者として火炙りの刑に処します」


 その途端、ヴァルさんが血相を変えて、

「逃げるぞっ」と叫んで走り出した。言われた通り後についていくと、少し離れたところから


「ブラウ・フランメ」


 という言葉が聞こえてきた。


 振り返ると、ルーカスさんが右手で空を切ったところから蒼い炎の玉が現れ、私たち目掛けて飛んできた。咄嗟に目を瞑ると、ヴァルさんの


「ブラウ・ヴァッサー!」


 という叫びが聞こえた。


 恐る恐る目を開けると、ヴァルさんの手から高圧水流が繰り出され、ルーカスさんの火の玉を消火していた。


 しかしルーカスさんの手のひらに宿った蒼炎は未だ消えず、顔色一つ変えずに空を切り続ける。


「教義その一、守護神は絶対に僕らを守ってくれる」


 そんな言葉と共に飛んできた火の玉を、ヴァルさんが消火する。


「教義その二、守護神は聖なる存在であり、誰一人として傷つけることは許されない」


 飛んできて、消火。


「教義その三、守護神を冒涜する者は須く悪であり、断罪しなければならない」


 飛んできて、消火。


「教義その四、教義に疑いを抱くことは背信行為であり、処罰の対象となる」


 また、飛んできて、消火。


 私たちもルーカスさんも、走り続けて疲れていた。アルトゥル君なんかいまにも膝を折りそうで、かくいう私も喉から笛のように甲高い息が漏れていた。ヴァルさんは多少息を乱しているもののまだ幾分か余裕がありそうで、ルーカスさんは後ろにいるからよく見えないけど、声がだんだん震えてきている。


 もう何度も、廊下を端から端まで走り、階段を上ったり降りたりして、ヘトヘトだった。


「教義その五ぉ!」


 悲鳴のような声が背後から聞こえてくる。


「教義、教義なんて知るかぁ! むしろ教えてくれよ! なんで父さんが死ぬ必要があったんだぁ!」


 その瞬間、アルトゥル君がとうとう倒れ込んだ。それを見て私も力が緩んでしまい、転ぶように倒れ伏した。ヴァルさんはそこで止まって、ルーカスさんと正対した。


 ルーカスさんはヴァルさんめがけ走ってくる。右手から青い炎を飛ばしながら。


「教えてくれ! なんでみんなを憎めないんだ!」


 ヴァルさんが水流で炎を消し去る。


「教えてくれ! なんでどこにも悪者がいないんだぁ!」


 火の玉が繰り出されて、ヴァルさんが止めて、


「教えてくれ! なんで君を憎まなきゃならないんだぁ!」


 飛んできて、消して、


「教えてくれ! なんで僕は縋るものと、悪者を、求めてしまうんだぁ!」


 とうとうヴァルさんの目の前までやってきて、蒼炎に包まれた右手で拳を作り、直接ヴァルさんに殴りかかろうとするのをヴァルさんは、


「ブラウ・レーゲン」


 と唱えると、ルーカスさんの真上から、バケツをひっくり返したような雨が局地的に降り注いだ。


 ルーカスさんは濡れ鼠になり、糸が切れてしまったように床に膝をつく。


 そして、ヴァルさんを見上げ、頼りない子供のようにこう聞いた。


「教えてくれ……。なんで、君と過ごした昔に、戻れないんだ……」


 ヴァルさんはそれに対して、何も答えなかった。ただ無言で、ルーカスさんを見下ろしていた。


 無限にも思える張り詰めた静寂が、ほんの数瞬だけ続く。


 ようやく口を開いたのは、ヴァルさんの方だった。


「お前、守護神なんて信じてないんだろ」


 淡々と告げられた言葉に、ルーカスさんは自嘲気味な笑みを浮かべた。


「悔しいことに、あたり。……僕たちを救ってくれる都合の良い存在なんて、本当はどこにもいないんだよ」


 きっと、最初からわかっていたのだろう、ルーカスさんは。


 結局、彼もまた、盲目になれない側の人間だった。


 ポケットからカノンもどきのメロディが流れる。ルーカスさんが諦めた証だった。


 否応なしに、世界は虹色に包まれる。私は地雷風スタイルに変身し、空間の遠くの方に浮かんだルーカスさんの影を見つけた。その途端、右手が勝手にホルスターから銃を抜き取った。照準を合わせ、グリップ。無力感が襲い来る。どうしようもない。私は何もできず、ただ生きるのが苦しい人間を生かすのみ。


 ばきゅん、撃ち抜く。


 ルーカスさんの身体から絶望粒子の白い飛沫が噴き出す。


 この瞬間が、一番嫌いだ。




 虹色の空間が正常化する。


 床の上には、変わらずルーカスさんが膝をついていた。


「パンフレットづくりは、中止だ」


 そして私とアルトゥル君を見る。


「君たちも信じていなかったんだろ。大丈夫。守護神なんてもう、やめにするから。もう、自由だよ」


 こうして、宗教の真似事は終わりを告げた。ちゃちだけど、楽しかった遊びは。


 言いしれない虚脱感に満ちた空気を壊したのは、ヴァルさんだった。


「ところで、さ」


 ヴァルさんがしゃがみ、ルーカスさんの肩に手を置く。


「お前、もしかして寂しかったのかぁ? 昔に戻りたいなんて言って」


 子どもをあやすみたいな視線に、ルーカスさんは慌てる。


「しっ、失礼な! それは言葉のあやだ。いいかい、僕は貴族として栄華を極めていた時代に戻りたいという意味で言ったのであって君のことなんてぜんっぜん考えていなかったんだからなっ! 君の絵を飾ったのだって、たまたま手元にあったからっていうただそれだけだからなっ! 君のものを捨てるなんて焼却炉のエネルギーの無駄だと思ったから、仕方なく飾ったのであって、そう、エコロジーのためなんだ! だから君の絵が好きなんてことは全然全くこれっぽっちもないわけで」


 聞いてないことまでベラベラ喋る。なんて古典的なツンデレなんだ……。


 しかし相手はあのヴァルさんだった。


「おおっ、すげえなあエコのことまで考えて。超サステナブルじゃんお前。よっ、次世代人間っ」


 おそらく素で言っているのだろうけど、煽ってるようにしか聞こえない。ルーカスさんはブチギレて、


「ヴァルデマールぅぅぅぅぅ! やっぱり君は生かしておけない!」


「あぎゃあっ」


 ヴァルさんに右掌底を食らわし、ヒット。


 暴力オチかよ! と心の中でツッコんだ。

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