第八話 ごっこ遊びは終わらない
さて、ルーカスさんの一件は一応そこそこ丸く収まったものの、未だ私は問題を抱えていた。そう、使者追い出し騒動だ。
とりあえず何かしらみんなの役に立たないと家なしになってしまう。
そんなところに現れた救世主、それがルーカスさんだった。
「今回は迷惑をかけちゃってごめんね。お詫びになるかどうかわからないけど、城でできる仕事を探してるなら僕と一緒に警備しない?」
ルーカスさんのありがたい申し出により、城内での地位を確立すべく、警備の仕事を手伝うことになった。
仕事内容は簡単。ルーカスさんの番のとき、一緒に警備室に入り、モニターで城の中の監視カメラから見える映像をチェックするだけだ。普段は一人で行っているらしく、ぶっちゃけ人数を増やす意味はないらしいのだが、一応仕事をしたという事実はできる。
早速翌日のシフトに同行させてもらうことになり、緊張を感じつつも警備室に入った。
中はやはり洋装で、高級感あふれるボルドーワインカラーの絨毯やアンティーク調の椅子なんかが目につくけど、壁面いっぱいにはモニターが並んでいて、デジタルな感じがこの城に似つかわしくない。
「まぁ、掛けなよ」
言われた通り、ルーカスさんが座った椅子の隣に腰掛ける。
「警備員はみんなたくさんのモニターを一斉に見てどこかのモニターに異変がないか気づけるよう訓練されている。だけど、確認漏れがあるかもしれない……というていで、君は一つ一つのモニターを順番にチェックしていって」
ルーカスさんはそう言ってたくさんのモニターに目を向けた。言われた通り私は端からモニターを順繰り順繰り見ていく。
ルーカスさんは余裕そうな雰囲気で、
「まぁ、そうそう変なことなんて起こりようもないんだけどね」
「そうですよね。そんな変なことばっかり起こってたらそれは日常じゃなくて異常ですから」
「そうそう、僕たちは日常を生きるごく一般的な人間で、この城も一般的なものの一部にすぎないよ」
「だから、このモニターでヴァルさんがなにやら室内でロケット花火を打ち上げようとしているように見えるのは幻にすぎないですよね」
「そうそう、そんな、もうすぐで導火線に火が付きそうだなんてこと……えええええっ」
ルーカスさんは目を剥いて、右端のモニターに映った光景に絶句した。
そこでは、ヴァルさんがランチャー型のロケット花火をぶっ放そうとしていたのだ。あぁっ、火がついた。発射まで三、二……
「ツァイト・ストップン!」
ルーカスさんが呪文を唱えた。その瞬間、世界が灰色に染まって、モニターの映像が一時停止したように固まる。
「これは……?」
説明を求めてルーカスさんを見ると、ルーカスさんの方が不思議そうな表情をしていた。
「時間停止魔法が、効いてない……?」
なるほど、これは時間停止魔法か。もうそろそろ超現実的なことが起こるのにも慣れてきた。
しかし、ルーカスさんの口ぶりから察するに、この魔法は術者以外のすべての時間を停止させるものらしい。それなのに、私に効いてなくて驚いている、と。
「なんか、あれじゃないですか、異世界人特典で時間停止魔法が効かないとか」
「あぁ、そういえば君、異世界人だったね。そんなに僕らと変わらないから今の今まで忘れてたよ」
ちょっと複雑な気分だけど、それは私もそうだったからなんとも言い返し難い。異世界といっても元の世界とそんなに変わらないから。
なんてことを思っている場合じゃない。ヴァルさんが室内ロケット花火を敢行するのを止めなければ!
「行くよ、ついてきて!」
ルーカスさんは半開きになっていたドアから外に出る。もしかして、こういう非常事態のためにドアを閉め切らないのだろうか。
ルーカスさんの背を追っていると、ヴァルさんのいるところにたどり着いた。こうして見ると銅像みたいに固まった人間の姿というのはちょっとシュールだ。
ヴァルさんの足元には、コンビニなんかでよく売ってる手持ち花火セットの袋が落ちている。他の花火は未使用なところを見ると、ロケット花火は一番最初に選んだ花火らしい。最初の一歩が大きすぎる。
「ロケット花火が一番最初って……」
ルーカスさんも同じことを思ったらしい。
「まったく、こいつらしいね。まっさきにど派手なことからやって、そのたびに大失敗するのさ。あれは六歳のころ、学園の初等部に入学したてのヴァルデマールは学校中の先生たちに挨拶しに行こうとした。先生たち全員と仲良くなるためにね。それで、一番最初に担任の先生でも保健室の先生でもなく校長室に行って、入学式の挨拶の最中にやたらと頭を触っていた校長先生に話しかけたんだ。でも、そのときの一言が『ヅラはえらんだほうがいいぞ!』だったから、かつてないほどに叱られて学校中の話題になったという伝説があって」
「うーん、三つ子の魂百まで」
ルーカスさんはヴァルさんの手からロケット花火を奪い取った。そして、窓の外へぽんと投げ飛ばす。
「ふぅ、これでひとまずどうにかなったかな。戻ろう」
ルーカスさんと警備室に戻る。そして再び、モニターを眺める作業に戻った。
数十分後。
「ルーカスさん。ところでこの真ん中のモニター、ヴァルさんがすごく怪しげな人を応接室に入れているようにみえるのは間違いないですか」
「奇遇だね。僕も同じ光景が見えるよ」
ダボダボのトップスとズボン、星型のサングラスにドレッドヘアーとキャップといった、偏見を承知で言うなら違法薬物をやってそうな若者とヴァルさんが応接室で話している。
「ノナちゃん。モニターだけだとなんとも言えないから、ちょっと応接室のところまで行って中の話を聞いてきてくれる?」
ルーカスさんは、インカムを渡してきた。これで向こうの様子を実況しろというわけか。
早速応接室の前まで向かう。ドア越しに二人の声が聞こえてきた。
「どうだ、それ、俺のお気に入りの茶葉なんだ。うまいか?」
この声はヴァルさんだ。どうやら謎の男にお茶を振る舞っているらしい。
「ちょりーっす。え、マジうまっすよ。まっ、オレっちの大好きな葉っぱよりは全然っすけどね!」
これは謎の男の声。やけに軽薄な口調で、チャラ男のステレオタイプといった感じだ。
「こちらノナ。男は見た目通りのチャラ男のもよう」
『了解。引き続き実況を頼むよ』
インカム越しにルーカスさんに報告する。と同時にドアに耳をくっつけて中の会話を聞き漏らさないようにする。
「そういえば、まだお前の名前聞いてなかったな。なんて言うんだ?」
ヴァルさんが聞くと、チャラ男は、
「ちょりーっす。オレっちの名前は、アヤ・シゲオっていいまーっす」
「こちらノナ。相手の名前はアヤ・シゲオというもよう」
『アヤ・シゲオ……なんて怪しげな名前なんだ! 引き続き注意し続けてくれ』
「イェッサー」
返事をした途端、中からごそごそと音がした。
『こちらルーカス。チャラ男が鞄からなにかの箱を取り出している。モニターだと小さくて細かいところがわからないけど……』
「あれっすよね。オレっちに声かけたのって、葉っぱがほしいからっすよね?」
「葉っぱぁ?」
思わず声が裏返った。
『どうしたんだ、ノナちゃん』
「あっ、いえっ、聞き間違いでなければ、その、大麻の取引をしているようで……」
『嘘だろっ』
ルーカスさんは思いっきり動揺している。
『あいつはそりゃ、昔からルールを守らないやつではあったけど、大麻に手を出すような安易な道の踏み外し方をする人間じゃないんだ。そんなこと、ありえない! もっとちゃんと聞いてみて』
言われた通り、さっき以上に神経を尖らせて耳を澄ませる。
「いやぁ、俺、昔からこれ好きなんだよなぁ。もう、見るだけで夢心地っつうかさぁ」
「こちらノナ。ヴァルさんは昔から大麻が好きなもよう」
『僕に隠れてそんなことをっ』
「五歳のときから大好きでさぁ」
「こちらノナ。五歳のときからやっているようです!」
『若い、いや、幼い、幼すぎるっ』
「誕生日にオヤジがくれたんだよ」
「誕生日プレゼントだったようです!」
『一体どうなってるんだアイゼンシュタット家は!』
インカム越しのルーカスさんはほとんど悲鳴に近い声を上げていた。かくいう私も興奮して、気づけば声が大きくなっていた。
おそらくそのせいだろうな、ドアがきぃ、と開き、中からひょいとヴァルさんが顔を出した。
「おい、どうしたんだ、ノナ。そんなところでうずくまって。体調悪いのか?」
一気に冷や汗が吹き出すのを感じた。まさか大麻取引の様子を盗み聞きしていたなんて言えない。ここはなにか適当なことを言って……
「ええっと、違うんです。そう、これは、屈伸! いやぁちょっと膝に違和感を覚えてですねぇ。歳ですかねぇなんて、はは」
明らかに苦しい言い訳だ。これでは盗み聞きしてたということがバレてしまう。そうするとどうなる? まさか、聞いてはいけないものを聞いてしまった者としてあのチャラ男に始末される? 小指とか詰められちゃったりする?
「顔色悪いぞ、ノナ。とりあえず休めよ。そうだ、こん中入ってさ。せっかく葉っぱも手に入ったことだし」
「ちょっと?」
もしかして流れでヤク中フレンズの仲間入りをしてしまうルートに入ったかこれ?
「ごめんなさいごめんなさい、いろいろもろもろ聞かなかったことにしますっ! だからどうか、大麻には興味ないのでっ!」
「何言ってるんだお前? まぁまぁ、ひとまず入れよ」
半ば強引に応接室に入れられてしまう。あぁ、ダメ人間の私、とうとう薬物に手を出してますますダメ人間になっていくのか……。
そう思いながら室内に入って、目に入ってきたものは……。
「もみじまんじゅう……?」
向かい合わせになったソファの間に位置する背の低い机の上。
そこには、もみじまんじゅうが詰まった箱が置いてあった。
「いやぁ、俺、大好きなんだよな。『はっぱまんじゅう』」
「はっぱまんじゅう?」
すると、ソファに座っていたチャラ男が、
「うぃっす。これ、オレっちの実家の和菓子屋『茂』から出てる有名和菓子、『はっぱまんじゅう』の新作っす。アイゼンシュタットさんは抽選で試食権を得たっす。そんでオレっちは、届けに行く役を頼まれてこちらのお城にやってきたんすよ」
「はぁ……」
全身から一気に力が抜けていく。
じゃあ、葉っぱって言っていたのは、はっぱまんじゅうの略称ってことか。
にしてもドレッドヘアーのチャラ男が和菓子屋の倅って、ギャップがありすぎる。異世界なのに和菓子屋という部分にはもう目をつむるとして。
『こちらルーカス。ノナちゃん、状況の報告を』
「あっ、忘れてました。大麻っていうのは私の勘違いで、はっぱまんじゅうのことだったらしいです」
すると、インカム越しでもわかるほど心底安堵している様子の盛大なため息が聞こえてきた。
『はっぱまんじゅうなら、たしかにあいつ昔から好きだったなぁ。継続は力なりという言葉とはねじれの位置にいるようなあいつが唯一継続できたのがはっぱまんじゅうスタンプラリーで、二週間くらい毎日和菓子屋に通って最後には限定はっぱまんじゅうをもらってたよ。……それにしたって、大麻じゃなくて本当に良かった』
「心配してたんですね」
『なっ……あいつのことなんて他人のペットの自慢話くらいどうでもいいと思ってるから。全然気にしてなんてないから』
「はいはいツンデレ乙」
「さっきからノナはいったい誰と話してるんだ?」
バレないようにインカムをつけていたから、無線通信中だとはわからなかったらしい。ヴァルさんは、目に見えないなにかと会話しているかのように見える私を訝しむ。
「いや、これは……」
なんて答えようか考えあぐねていると、チャラ男が口角を吊り上げ、
「クスリでもやってるんじゃないっすか?」
あんたに言われたくない。
ヴァルさんの追及を適当にかわし、再び警備室に戻ってきた。
ルーカスさんは、頬杖をついてモニターに見入っていた。心なしか微笑んでいるようにも見える。
「まったく、変わらないなぁ、あいつは」
視線の先には、チャラ男が帰ったあとの応接室で一人、ニコニコと満面の笑みを浮かべながらはっぱまんじゅうを口にするヴァルさんの姿があった。
「職務放棄ですか? ちゃんと他のモニターも見てくださいよ」
「うわぁっ」
あまりに驚いたからか今まで聞いたことのないような声を出すルーカスさん。
「なっ、なっ、ななななっ、今のは違う!」
「ええ、わかってますよ」
なるべくルーカスさんと目が合わないよう、壁一面に並んだモニターの数々を見る。ルーカスさんがどんな顔をしているかはわからない。ただ、沈黙が続く。
だけど、お互いに警備そっちのけでヴァルさんの動向に注目していたのは同じだったようで。
「ヴァルさんが今、手に持ってるもの、なんですか」
そう聞いてみると、
「あれは、昔流行ったヒーローものの変身ベルトのおもちゃだよ。ヴァルデマールは昔からヒーローものが大好きでね。今でもよく遊んでいるんだ」
「一緒に遊んだりはしないんですか?」
「まさか。僕はもう十八歳だよ」
それを言ったらヴァルさんだって十八歳のはずなのだ。だけどルーカスさんはこうしてモニター越しにヴァルさんを見守るだけだ。
ヴァルさんは、変身ベルトを腰に巻いて、懐から四角いものを取り出す。それをベルトにセットして、ポーズを取ってみせる。
すると、ヴァルさんの身体は一瞬で光に包まれた。
光はすぐに消え、かわりにヴァルさんは変身ヒーローに姿を変えていた。
「魔法、ですか?」
「うん。昔からあいつは、その魔法の才能を無駄に使った。今みたいに、ヒーローに変身したり、いろいろな遊びに魔法を使ったんだ」
「でも、魔法ってみんなに知られてはいけないんですよね」
「そうだね。そして、あいつと同じ年代の子どもで魔法を認知していい存在は、僕しかいなかった」
ルーカスさんの瞳は、ここではないどこかを見つめていた。きっとそれは、過去の思い出。
モニターの中のヴァルさんは、虚空に向かって飛び蹴りをしたり、シャドーボクシングなんかを繰り広げたりしていた。見えない敵に向かって、何度も何度もパンチをする。周りには、誰もいない。
どうしようもなく一人なのだ、ヴァルさんは。
ルーカスさんは、唇をかみしめていた。だけど、目をそらすことはなかった。大きな黒い瞳に、モニターの青白い光が反射している。
その中に、ヴァルさんの一挙手一投足が映り込んでいる。
ヴァルさんは、戦い続けた。ひたすらに、戦い続けた。
しかし、ふっと、握った拳を突き出そうとして、途中でやめた。ぱっと手を開き、てのひらをしげしげと見ながら、腕を下ろす。
そして、顔を上げた。気のせいだろうか、この映像を移している監視カメラの方を見ているような気がする。
「またか……」
ルーカスさんのつぶやきが聞こえた。
それと同時に、ヴァルさんは両手を挙げた。
そして、手を振った。
「……あいつ、毎日ああしてるんだ。僕が監視当番の時間帯を狙って、城のどこかしら、僕以外の誰にも見えない場所でヒーローに変身する。それで、ああやって手を振るんだ。絶対に」
ヴァルさんは手を振り続けている。
「僕は、仕事だから一緒に遊んであげられないのにね。ううん、それでなくても、きっと僕はあいつとヒーローごっこなんてできないだろうな。いつまでもあいつは子どものままだ。でも僕は、あいつに合わせて歩くには少し先に行き過ぎた」
僕はもう、十八歳だよ。さっきの言葉が脳内で反響する。
ルーカスさんは、モニターから目を離さずにこう言った。
「ノナちゃん。あいつを、よろしくね」
「はい」
返事だけして、私は部屋を飛び出した。何をすればいいのかはわかっていた。
「ヴァルさん」
思い切り走って、ぜえぜえいいながらたどり着いた先には、一人ぼっちの変身ヒーローがいた。
「私が怪人役になりますよ。敵がいないのに戦うのは、苦しいでしょう」
仮面のヒーローがこちらに顔を向ける。マスク越しだから表情は全くわからないけど、きっとそう悪いものではないはずだ、と願いたい。
「ノナに暴力を振るうのは、遊びだとしてもできないぜー」
いつも通りの脳天気な口調でそう言ってきた。ちょっと安心した。
「じゃあせめて、私も一緒に戦いますよ。ヒーローは、一人だけじゃなくてもいいでしょう?」
「マジで? んじゃあ、ノナにぴったりのヒーローになれるベルト、選んでくる! 待ってろ、絶対良いの見つけてくるから!」
なんて言って、自分の部屋に行ってしまう。待っていると、一分と経たないうちに戻ってきて、ベルトを渡してきた。
「これは、シリーズ初の女性ヒーローの変身ベルトだ。真っ白なフォルムとか、マントとか、めっちゃかっこよくて気高い感じなんだ! きっとお前にすっごい似合う!」
「私じゃ役者不足な感じになりそうで気後れしてしまいますけどね。でも、ありがとうございます」
そう言って、ベルトを腰に巻き、ヴァルさんからもらったカードデッキのようなアイテムをセットする……前に、監視カメラをちらりと見やった。
警備室のルーカスさんは、笑ってくれているだろうか。
その翌日から、使者追い出し運動はぱったりと鳴りを潜めた。話によると、ルーカスさんがいろいろな方面に口添えをしてくれたらしい。
そんなルーカスさんは、一緒に遊んで変身することはできなくても、ヒーローのように見えた。
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