第三章 リアルとモラトリアム

第一話 駅前のメイド喫茶のテーマソングは中毒性が高い

「ヘルプストブラッドフェルトへ行きましょう」


 きっかけは、アルトゥル君のそんな一言だった。


「僕の書きたい小説のジャンル……それは、ラノベです」


 ラノベというと、やはり想像するのは今の私みたいに異世界に転移だとか転生だとかをして、無双したり、強い敵とバトルを繰り広げたりといったものだ。


 そのラノベを書くのに、ヘルプストブラッドフェルトはおおいに参考になるらしい。


「まあ、僕はともかくとして、ヴァル兄さんはこういうのに疎いのでヘルプストブラッドフェルトへ一緒に行ってもらった方がイメージが湧きやすいでしょう。早速明日にでも、僕らで行きましょう」


 そうやって、ヘルプストブラッドフェルトへ行くことが決まった。


 それにしても、ヘルプストブラッドフェルトってどんなところなんだろう……。きっとゴツい名前だし、ここは異世界らしく、とんでもないダンジョンなんだろうな……。


 あいにく私は絶望粒子を除去するぐらいの力しか持っていないから戦いの役に立つことはないだろうけど、ゴブリンやスライム、果てはドラゴンなどに向かってかっこよく魔法を放つヴァルさんとアルトゥル君が見れるかもしれないと思うとワクワクする。アルトゥル君は「魔境です」なんて言っていたし……よおし、期待が湧いてきたぞ。


 そうして向かったヘルプストブラッドフェルトは、なるほど確かに魔境だった。


 なにせ、街中を覆う、萌え、萌え、萌え、そしてリュックを背負ったチェックシャツの戦士たち。


 元の世界にもこんな場所があったが、もしかして……。


 スマホを開き、神様からもらったアプリの翻訳機能を使う。


 ヘルプスト=秋

 ブラッド=葉

 フェルト=野原

 つまりここは……


「秋葉原じゃん!」


 思わず声に出してツッコんでしまった。


 なーんかおかしいと思ったんだよな。基本的に異世界らしく西洋風の建築で溢れたこの世界が、いきなりビルで覆われ出し、駅中のミルクスタンドといい、ラノベやアニメの柱広告といい、妙に見覚えのある雰囲気に仕上がってきたから……。


「アキハ、バラ?」


 私の言葉にアルトゥル君は聞き馴染みがないみたいな顔をしたが、ヴァルさんは「それなー」と同意してみせた。いやあんた異世界人だろうが。適当に返事してるなこれは……。


 ヘルプストブラッドフェルトは、紛れもなく秋葉原だった。通りの感じとかもそっくりそのまま。


「僕が書きたいジャンルというのは、萌え系です」


 アルトゥル君は品定めするような目つきでラーディオ会館を眺めた。


「僕の見立てでは、次にくるジャンルはガールミーツガールです。男性の存在しない環境で可愛いヒロインたちが親睦を深めあう……そのさまは一種の聖性を孕んでいます。この疲れた世界を浄化するのはもはや純度百%の“萌え“だけなのです!」


 そして、ラディ館の入り口前に並べられた萌えグッズに群がるオタクたちを指さした。


「見てください! あれが萌えを求める人間たちですよ! 素晴らしい熱量でしょう! いっぱい搾取できそうでしょう!」


「確かに、すげえな。みんな萌えが好きなんだな」


 にこにこして答えるヴァルさんの鼻先にアルトゥル君は指を突きつける。


「そうっ! わかりますかヴァル兄さん! 萌えのなんたるかが!」


 ヴァルさんはにぱーと笑う。


「ぜんぜんわからん!」


「オーマイガッ」


 アルトゥル君は頭を抱え思い切りのけぞった。


 が、すぐに持ち直して、


「いえいえ、わかってはいました。ヴァル兄さんは萌えに疎い。だからこそ萌えの聖地ヘルプストブラッドフェルトで萌えを体感しつつ、僕とノナさんで萌えを解説してヴァル兄さんに素晴らしい萌え絵を描いてもらおうというのが今回の主旨でして」


「ちょっと待ってアルトゥル君。さりげなく僕とノナさんって言ったよね」


「言いましたが?」


「なんで教える側に回されてるの私」


「だってノナさん萌えに詳しそうじゃないですか。僕にはわかります」


「すごい偏見!」


 一度も萌えについて言及したことはなかったと思うけど……。


 確かにヴァルさんよりかは萌えをわかっている自信はある。やはり、私がアルトゥル君にシンパシーを感じているように、アルトゥル君もまた私に対して何か第六感的なものを働かせているのだろうか。


 アルトゥル君は、いつになくテンション高めで中央通りへと歩き出す。


「さぁ、行きましょう! 萌えの探求へ!」

 私とヴァルさんは、引き気味ながらも、ほんの少しの期待を胸についていく。アルトゥル君の萌え解説、どうなるんだろうなぁ……。


 通りは、大手家電量販店やゲームセンターといった大きな店から、アニメ作品とのコラボショップ、ガチャポン専門店に昔ながらの電気屋まで、混沌の様相を呈していた。薄着のメイドさんがビラを配っていたり……見れば見るほど完璧な秋葉原だ。


 アルトゥル君は宣言通り、街のあちこちを指差してはペラペラと蘊蓄を垂れていく。


「見てください、あの広告。あれは流石に知ってるんじゃないですか? 最近流行りのソシャゲー、ヌマ娘です」


 うわ、すごく聞き覚えがある。


 ヴァルさんは食いつき、


「どんなゲームなんだ?」


「えーと、あの広告の萌え美少女たちが沼にはまりかけてしまうんですけど、それをプレイヤーがパズルを解いて助けるんです。ピンとか引き抜いたりして」


 内容は広告がうざいタイプのクソゲーだった。


「何が面白いんだ、それ?」


 至極真っ当な反応を示すヴァルさん。


 アルトゥル君は咳払いをし、すぐそばの萌え絵を指す。


「ま、まあ、ヌマ娘の話は置いておきましょう。ほら、これを見てください、有名ロボットアニメ、イヴァンゲリオンのヒロイン、ムスカの……」


 いやいやムスカだとまた違う作品になるだろ……と思ったけど、アルトゥル君が急にピタッと説明を止めてしまったのでそっちに意識が向く。アルトゥル君の視線は、萌え絵よりもその下にでかでかと書かれた文字の方に注がれていた。


「し、新台入替!」


 アルトゥル君は、件の萌え絵が飾られた店……パチンコ店に吸い寄せられる。


「ちょ、ちょっと?」


 アルトゥル君って私より年下のはずだよね? つまりはれっきとした未成年だよね?


 マズイ。倫理的によろしくない。


 止めようとしてアルトゥル君のあとを追おうとした私の肩を、ヴァルさんが掴んだ。


 振り向くと、やけに大人な微笑みを湛えて、


「異世界クオリティだ」


 とだけ言われた。


「いやでもここ、パチ屋」

「異世界クオリティだ」

「みせいねn」

「異世界クオリティだ」


 RPGのモブ並に同じセリフしか返ってこない。


 これ以上踏み込むと危険な気がしたので、パチ屋に入っていくアルトゥル君の背を見送ることしかできなかった。


 それにしても、アルトゥル君が行ってしまい、ヴァルさんと二人きりになってしまった。


「それにしたってどうしような。この土地に慣れたアルトゥルはいなくなっちまったし」


「とりあえず、どこかの店に入ってみましょうか……」


 駅前に戻って、ラディ館を冷やかしにでも

行こうか……などと考えていると、急に視界がぐにゃりと曲がった。


「おぉっ?」


 ヴァルさんも同じ感覚がしたようで、こめかみのあたりを押さえてうんうん唸りだす。


 目に見えるものがやけに鮮やかだ。めまいがする。重心が揺らいだ。倒れそうになって、ヴァルさんが受け止めてくれた。だけど、そのままヴァルさんも一緒になって地面に倒れる。


 何が起こっているのだろう……そんなことをぼんやりと思いながら、目を閉じた。


 そして、次に目を開けたとき……。


「な、なんじゃこりゃぁ……」


 私とヴァルさんは、ゼロ年代の萌えアニメみたいな絵柄になっていた。

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