第二話 アキバトルロワイヤル

 お互いの顔を見合わせて、びっくりした。

目がやけに大きく、ハイライトが小さめで、頬がふっくらとした美少女ハンコ絵のような姿になっていたのだから。近くのショーウィンドウを見たら、自分もそんな絵柄になっていたから余計驚きだ。


 それだけじゃない。街中が萌えな絵柄に変わっていた。


「どうしましょう、萌えになってしまいましたよ、世界が!」


「へぇ。これが萌えってやつなんだな、興味深いぜ」


 ヴァルさんはいつもどおり能天気にニコニコしているけど、私としてはアイデンティティ・クライシスというか、とても呑気ではいられない。


 混乱していると、すぐ後ろから悲鳴が聞こえた。


「きゃあっ」


 振り返って見ると、セーラー服を着た萌え美少女が、お嬢様風の姿をした萌え美少女に殴り飛ばされていた。周囲の人はなるべく見ないふりをしつつ、足早にこの場から離れていく。


 地面に投げ出されたセーラー美少女に、ヴァルさんは躊躇なく近寄った。


「おい、大丈夫か!」


 絶対に関わるべきじゃないだろう、と思いつつ私も追従すると、セーラー美少女は立ち上がってヴァルさんの手を取った。


「逃げるよっ。ほら、そっちの人も!」


 私の手も取って、ものすごい勢いで駆け出した。


「待てっ!」


 お嬢様美少女が追いかけてくる。セーラー美少女は、慣れた足取りで路地に入ったり大通りに出たりを繰り返し、何度目かの路地裏で無事お嬢様美少女を撒いた。


 セーラー美少女は毅然とした足取りで、パイプが張り巡らされ室外機が低い唸り声を上げる狭苦しい道を行き、路地の奥を目指す。


 しばらくすると、道が開けた。


 そこにあったのは、小さな神社だった。賽銭箱の両脇にお稲荷さんが鎮座している。


 セーラー美少女は、石段に腰掛け、


「君たち、見たところヘルブラに来るのは初めてだね。まぁ、とりあえず座りなよ」


 ヘルブラって略すんだ、ヘルプストブラッドフェルト……というのはさておいて、彼女の隣に座ると、ヴァルさんが続いて私の隣に座った。


 セーラー美少女は、意味深にゲンドウポーズをして、粛々と語りだす。


「その様子だと、ヘルブラ特有の現象についてもわかっていないようだから、まずそこから話すこととしよう。


 今君たちが“萌え”になっているのは、ヘルブラに来てしばらくすると誰にでも起こることなんだ。理由は解明されていない、ということに表向きはなっているけど、長い間王家や貴族が隠匿してきた、この世界に暗躍する特殊な力と無関係ではないというのが裏社会での通説だ」


 ヴァルさんがなにか言いたげに口をもごもごさせている。多分、特殊な力というのは魔法のことを言っているのだろう。


「でも、問題はそこじゃない。どうして“萌え”になれるかなんてボクたち庶民には関係ない。ボクたちを取り巻く問題は、どうやって“萌え”を継続するかなんだ」


 おお、ボクっ娘かこの子は。萌え萌えだ。


「ヘルブラに長くいればいるほど、“萌え”は板についてくる。君たちはせいぜい絵柄が変わったくらいの変化だろうけど、ここに住み着くと体つきも女の子らしくなり、髪が伸び、アホ毛が生え、萌え声になる。より理想の萌えっ娘に近づける。ちなみにボクはもう半年はヘルブラから出ていない」


「へぇ。んじゃ、もともとのお前はどんな感じだったんだ?」


 興味本位でヴァルさんが聞くと、セーラー美少女はシニカルな笑みを浮かべて、


「四十代も半ばの薄らハゲ親父だよ。脂ぎった肌の中年太りで、万年平社員のサラリーマンさ」


 それは……衝撃的だ。相手を美少女だと認識していただけに、本人の言うもともとの自分とのイメージがあんまりにも合致しなくて脳がバグる。


 だけどヴァルさんは、


「ちゃんと働いていたんだなぁ、その歳まで。すげぇな、お前」


 なんて、おそらく素直な感想なんだろうけど、ちょっとずれた感じもすることを言う。セーラー美少女(中身を考慮するとセーラー親父か?)もたじろいで、


「いや、別に一般的だと思うけど……」


「そうか? 俺は絶対、そうなれそうにないぜ。どんな見た目だろうと、会社で働き続けられる人って、普通に見えても実はかなり労力使ってるし、とんでもなくすごいことなんだよ」


 それは、学校に行けていないヴァルさんが言うと余計に説得力があった。一見当たり前でも、普通でいるということは、案外難しい。


 セーラー美少女は、目を伏せて何か考えているようだったが、咳払いをして、


「話が逸れたね。それで、人々は“萌え”な自分で居続けるためにヘルブラに住もうとするんだ。お金持ちの上級国民は、家を持つ。だけど、そんな金もない人はネカフェに住み着く。そして、ネカフェ代も払えないほどになったら、ホームレスになる。今のボクはどの立場かというと、ホームレスだ。萌え補正で全然そんな感じになっていないけど、ヘルブラから一歩でも出たら、ひげは伸び放題、体臭は生ゴミみたいで、まともなものを食べていないから肌色も健康状態も最悪だろうね。はっきり言って今のボクは世間的に見て普通には到底足りていない」


「世間的にってことは」


「うん、ボク自身は満足しているんだ。生活は最悪でも、鏡を見たら憧れの美少女が映っている。ヘルブラ上級者同士のコミュニティで、疑似百合プレイもできる」


「疑似百合プレイ……」


 思わず復唱してしまった。世の中には思いもよらない世界があるものだ。


「だけど、良いことばかりじゃない。その理由の最たるものが、ホームレス同士の縄張り争いだ。さっきのお嬢様も、ボクが縄張りを侵略してきたという理由で攻撃してきた。現在、主にこの抗争をしているホームレスは十三人だ。その中でボクがよくエンカウントするのはせいぜい二、三人ぐらいだけどね」


「おお、どんどん話が壮大になってきたな! 戦わなければ生き残れない! すげぇ面白そうじゃん! 俺にも関わらせてくれ!」


「ちょっと?」


 どう考えても厄介そうだ。下手に首を突っ込んで大変なことになったら困る。


 しかし、わくわくしているヴァルさんを見ていると、到底止めるなんてできない気がしてくる。期待でキラキラ輝く銀の瞳を曇らせるようなことがあっては、いけないと思うのだ。


 何か危険なことが起こりそうなときは、私がどうにかしよう。こんな私が何かできるような気はしないけど、でも、やるんだ。


「……わかりましたよ、付き合いますよ、私も」


 すると、ヴァルさんはくしゃっと笑って、


「マジかよ! 楽しさ倍増だぜ!」


 と無邪気に言うので、ますます後に引けなくなった。その方が都合がいいっちゃいいけど……。


 問題なのは、セーラー美少女のほうだ。彼は(彼女は?)渋い表情をして、


「関わるって言ったって、ボクたちの戦いに加わるには天から賜った『萌え萌えウェポン』略して『もえぽん』が必須なんだ。たとえばボクならこれ」


 と言ってプリーツスカートのポケットからハートのチャームがついたピンクのシャーペンを取り出した。


「一見これはただのシャーペンに見えるよね。でも、これがもえぽんなんだ。これをノックすれば、芯の代わりに萌え萌え光線が出てきて、光線を浴びた相手はボクに萌え萌えになり、ボクの言うことをなんでも聞くようになる」


「そいつはすごいアイテムだな」


「うん。でも、向こうも形は違えどもえぽんを持っていることに変わりない。もえぽんに対抗できるのはもえぽんだけ……もえぽん無き者にこの戦いに関わる資格はないのさ」


「なるほど。なら、それちょっと貸してみろ」


 ヴァルさんの言葉にセーラー美少女は訝って、


「盗る気?」


「ちげぇよ! あーじゃあ、渡してくれなくていい。じっくり見せてくれるだけでいいから」


 セーラー美少女は渋々といった様子で人差し指と親指で持ったシャーペンをヴァルさんに近づける。


 ヴァルさんは、目を伏せ、シャーペンに手をかざしながら、「アナリューゼ」と呟いた。


 その瞬間、シャーペンが光り出し、ヴァルさんの手も輝き出す。


「君、一体何者……?」


 セーラー美少女はあっけに取られていた。そりゃ当然だ。目の前で都市伝説みたいなパワーを使われたのだから。


 セーラー美少女の問いには答えず、ヴァルさんはしばらくそのままでいた。そして、「解析完了」と呟き、目を伏せたまま輝きっぱなしの手のひらを下に向け、「エルシュテーレン」と呟いた。


 信じられないことに、その言葉に呼応するように、シャーペンと同じくらいの大きさの渦が巻き起こり、徐々に棒状の何かを形作っていく。


 しまいに浮かび上がったのは、シャーペンより長さがある絵筆だった。


「これは一体……」


 あんぐりと口を開けているセーラー美少女にヴァルさんは、


「ああ、まずもえぽんとやらの構造を解析して、そのデータをそのまま基本骨子にしてガワだけ違うもんに変えたんだ。いわゆる換骨奪胎ってやつだな」


「ヴァルさん、四字熟語知ってて偉い!」


「へへ、だろ?」


 照れ笑いをして鼻の下を擦るヴァルさん。

冷静になって考えてみると四字熟語ぐらいヴァルさんでも使うか。


 セーラー美少女は、理解できないといったふうに頭を抱えている。それだけこの世界の人にとって魔法というのは馴染みがないのだろう。いいのか、そんなものをこうもほいほい使っちゃって。


 なんて思っていたら、ヴァルさんの手のひらにもえぽんを模した絵筆が落ちる。


「試しに使ってみるかぁ」


 ヴァルさんは絵筆を握った。


 と、その途端、急にヴァルさんの身体が傾いた。同時に、私も頭を強く打たれたような衝撃を感じる。視界がちかちかして、しばらくじんじんとした鈍痛が続いた。


 鈍痛がやみ、正常な状態に戻ったとき……


「あん?」


 口が勝手に動いた。


「なにがどうなってやがんだ、一体?」


 やけに乱暴な口調だが、声は私のものだし、私の声帯から発せらている感覚もある。


 しかし、私は全く、こんな言葉を喋るつもりじゃないのだ。なのに、私が何かしようとしても私の身体はうんともすんとも言わない。


 極めつけは、どこかから聞こえたヴァルさんの一言。


『俺、ノナの中に入り込んでるぅぅぅぅ?』


 ああもう、今日は本当にアイデンティティクライシスだ!

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