第三話 素晴らしきかな虚弱萌え

 私の身体にヴァルさんが憑依してきたということ。それは、ヴァルさんが作ったもえぽんが半分失敗作であるということを意味していた。


 今、私の身体の制御権はヴァルさんの魂にある。私の意識も私の身体にあるものの、できることといったらヴァルさんの意識に訴えかけて指示を出すことぐらいしかない。いわば、私がカーナビでヴァルさんが運転手だ。


 そんな状況で私達がしていることといったら、もえぽんを使った戦いに参加するということだった。


『見えましたっ! 向こう側にお嬢様美少女の背中が!』


 セーラー美少女の仲間になり、さきほどセーラー美少女と戦闘していたお嬢様美少女を追うことになった。セーラー美少女の方はまた別のホームレス美少女を追っているらしい。


 私(と、その体に入ったヴァルさん)は、金髪縦ロールを揺らしながら走るお嬢様美少女の背を追いかけ、中央通りを全力疾走する。通りを歩くたくさんの萌え美少女たち(おそらく中身は違うんだろうけど)が何事かという目でこちらを見てくる。


 お嬢様美少女は、とある店の前で立ち止まった。そこは、さっきアルトゥル君が入っていったパチンコ店だった。


 ちょうど、自動ドアが開く。ガチャガチャとした爆音とともに、中から人が出てくる。


「あー、ヘルブラくんだりまで来てまたスロットでボロ負けって……」


 なんと、その人はアルトゥル君だった。萌えな絵柄に変わっていてもわかる。ただ、その様子は、嬉々として入店したあのときとは反対に、目は落ちくぼみ、顔はげっそりとしている。


 そんなアルトゥル君の行く手を阻むように、お嬢様美少女がアルトゥル君の真正面で仁王立ちして、


「オーッホッホッホ! なぁんて無様な姿なのでございましょう、庶民の方ったら!」


「ひっ、ひぃっ! なんてベッタベタなお嬢様キャラっ! まぁ、ヘルブラならこんな人がいるのも普通か……」


 アルトゥル君は目をそらして素通りしようとする。しかし、お嬢様美少女はアルトゥル君の手を掴み、


「お待ちなさい。今日はあたくし、哀れな庶民の方々に対しての義務……ノブレス・オブリージュを果たしにやって参りましたの」


 そして、懐から束になった万札を取り出し、


「受け取りなさい、札束アタック! ほわたたたたたたたたたたたたぁっ!」


 ものすごいスピードでアルトゥル君の両頬を交互に叩き出した。手に持った札束で、である。


「おぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼっ」


 アルトゥル君は情けない悲鳴を上げながら札束アタックを甘受する。


『おい、なんだ、あの攻撃……』


 さしものヴァルさんもドン引いている。


 と思ったら、お嬢様美少女は急に攻撃をやめた。それと同時にアルトゥル君の一言。


「萌え萌え~」


 天にも昇る心地、といった声音だった。目からハイライトが消え、かわりにハートマークが浮かんでいる。


『もしかして、あの札束がお嬢様美少女のもえぽんなのでしょうか?』


『ああ、だろうな』


 まさか、私達がアルトゥル君の身内なのを知って、アルトゥル君を狙って萌え萌えにしてしまったのだろうか。


 ともかく、アルトゥル君を助けなければいけない。このまま萌え萌え廃人にされていては見るに堪えない。


 アルトゥル君に駆け寄る。お嬢様美少女は「オーッホッホッホッ」と高笑いをして去っていってしまったけれど気にしない。


「おい、大丈夫か?」


 ヴァルさんはそう言ってアルトゥル君の肩を揺さぶるけれど「萌え萌え~」とうわごとのようにつぶやくのみ。


『ここはひとまず、私達のもえぽんでアルトゥル君の萌え萌え状態を上書きしましょう』


『ああ、そうだな。そういやもえぽんなんてもんがあったんだっけ』


 手に持った絵筆を見る。


『にしてもこれ、どうやって使うんだろうな?』


 言いながら、適当にアルトゥル君に向けて振るけれど効果なし。試しにアルトゥル君の頬を筆先で撫でてみるけど、これまた効果なし。


「ひとまず解析してみるわ。アナリューゼ」


 そして、絵筆に手をかざし、目を伏せた。今は私の身体に入っているのに魔法を使えるのだろうか……と思った次の瞬間、脳内に絵筆の形をした青白い物体が投影された。その周囲には矢印とともに解読不可能な文字でなにやらメッセージが記されている。


「解析完了」


 目を開く。


 途端に、投影された光景は消え失せた。私には何がなんだかわからなかったけど、ヴァルさんには全部理解できたらしい。


『どうやらこれ、攻撃手段としての機能も半人前なようだな。さっき本物のもえぽんを解析したら、基本的にもえぽんは適当に使うだけで相手を萌え萌えにできるみたいだけど、これはちょっと特殊な手段をふまないとだめっぽい』


『なんでも海賊版はだめってことですね。して、その特殊な手段というのは?』


『相手の好みに合わせて自分を萌え萌えにカスタマイズする、だな』


 なるほど。絵筆というアイテムに合った特性だ。


『それなら、ちょうどいいじゃないですか。もともとヘルブラには萌えを理解するために来たわけですし』


『そうはいっても、俺、アルトゥルの好みなんてわかんねーぞ?』


 それはたしかにそうだ。他人の好みなんて結構わからないものである。たとえば真面目な秀才君が実は大人のセクシーなお姉さんが好きだったりとか、それがうっかり露見してみんなからいじられてたり、ああ元気だろうか山本くん。ほとんど関わりのなかった山本くん。特段なんの感情も抱いてなかった山本くん。


『ヤマモトって誰だよ?』


『クラスメイトだった人ですよ。……っていうか今の聞こえてましたか? 意図的に思念を飛ばしたつもりはなかったんですけど』


『あれじゃね? 同じ肉体に入って魂の距離が近づいてるから、心の声もうっかりすると聞こえちゃうんじゃね?』


『マジですか。迂闊に変なこと考えられませんね。精神統一心頭滅却煩悩よ消えろ……』


 なんてやりとりをしているうちに、アルトゥル君の口から涎が垂れてきた。まずい、着々と廃人化が進んでいる。早く助けないと。


『ともかく、アルトゥル君の好みについてはまぁたかがしれてますよ。なんだかんだ言ってアルトゥル君、単純ですから』


 それに、私にはアルトゥル君に対して不思議な信頼感があるのだ。連帯感といってもいい。なんとなく、相手がどんなことを考えているのかわかってしまう。


『そんじゃ、指示出してくれ。その通りにお前の見た目を書き換えていくからよ』


『オッケーです。それじゃあ……』


 アルトゥル君が好みそうなタイプ……。


 まず、アルトゥル君は基本的に自分より下の立場の相手にしか安心して喋ることはできないはず。それなら、先輩や姉などの年上キャラは却下だ。さらに、前私が宗教風の清楚なワンピースを着ていたらウケがよかった。おそらく、どこか儚い感じが刺さったのだろう。

とすると、この場合の最適解は……。


『前髪ぱっつん黒髪ロング色白病弱儚げ妹です!』


『おう、まかせた!』


 ヴァルさんが絵筆を身体に向け、「マーレン」とつぶやく。すると、みるみるうちに身体が変わっていく感覚があった。しかし、全体がどうなっているかわからないな……と思っていると、目の前に鏡が現れた。これも魔法のひとつかはわからないけれど、鏡の中には注文通りの儚げな萌え美少女が映っていた。


『おおおー、すごいです、理想通りです!』


『へへっ、ありがとよ。イメージをそのまま投影したんだぜ』


 となると、ヴァルさんの想像力は相当なものだということになる。


 さて、アルトゥル君の反応は……?


「も、萌え~?」


 こちらを見て首を傾げている。もうひと押しでなにかが変わりそうな気がする、頑張れアルトゥル君!


 しかし、再びぼぉっとして、


「ロリっぽさが、足りない……」


 とだけ残し、また「萌え萌え~」と言い出した。


『ヴァルさん、ロリっぽさです! 小学生ぐらいの見た目にしてください!』


『おう、任せとけ!』


 再び呪文を唱え、大改造。鏡の中には頭身が低くなり、頬がよりぷっくりと膨らんだまごうことなき幼女がうつりこんでいた。


「どうだ、アルトゥル」


 アルトゥル君が再びこちらを見る。一瞬、目にハイライトが戻った。これは、もしかしていけるか?


 しかし、すぐにハイライトは消え、


「病院服を、着てほしい……」


『病院服です!』


『おうよ!』


 真っ白な患者服に変身。


「血を、吐いてほしい……」


『血です!』


『了解』


 血糊を口の周りに塗り、手のひらにも塗り、咳き込んで吐血した風を装う。


「お兄ちゃんって呼んで……」


『お兄ちゃんって呼んでください!』


『もう指示いらねぇよ! でもわかった!』


「お兄ちゃん」


「うへぇ、なんか男に呼ばれた気がしていやだ……。まぁいいです今度は全身管に繋がれて集中治療室へ」


「もうお前正気に戻ってんだろそうなんだろ」


「えーなんのことですか萌え萌え~」


「うーん、まだ萌え萌え言ってるし正気じゃないのか?」


『ヴァルさん騙されないでください』


 目からはハイライトが戻っているしハートマークも消えているし、全く正気な様子だ。


『ここでもえぽんの効果を解いてみてください。そしたら観念するかもしれませんよ』


 私の言う通り、ヴァルさんが魔法を解くと、たちまちアルトゥル君は目を見張り、


「わっ、あっ、あっ、ノナさんじゃないですか! いやっ、べつに僕は虚弱萌えなんかじゃぜんぜん」


 すると、純粋なヴァルさんは首を傾げ、


「キョジャクモエ? ってなんだ? まさか、まだ正気に戻ってないのかアルトゥル!」


「いやいや、ちゃんと正気に戻りましたよ。それにしてもノナさん、なんか雰囲気変わりましたね。ガサツになったというか、能天気になった? なんか今までのノナさんっぽくないですよ。それに、ノナさんなら虚弱萌えの良さをわからないなんてことはないでしょうし……」


 なんかものすごく失礼な偏見を持たれていたというのはともかくとして、そういえばアルトゥル君はヴァルさんが私の身体に入っていることを知らないんだった。


 ひとまず、ヴァルさんに頼んで今までの経緯を説明する。


「はぁ、なるほど。そういえばヘルブラのホームレス問題がどうとか、よくネットニュースでも聞きますねー。トイッターとかでも結構話題になりますし。でもまさか、そこに魔法のような力が関わっていたとは」


「あぁ、そうだな。でももう俺はいいや」


『へ?』


 いいやって、どういうことだ?


 と思っていると、ヴァルさんの声が聞こえてくる。


『ノナを変な風に変えるのは、いやだ』


 とくん、と心臓が高鳴った。


 それって、どういう意味だ。いや、どういうもなにもそのままの意味なんだろうけど、それにしても、いやいや。


「何いやいや言ってるんだ、ノナ?」


『あぁっ、また聞こえてましたかっ』


 とりあえず、いろいろ考えるのはあとでもできる。今は精神統一心頭滅却……。


「まっ、とにかく俺はもうこの戦いからは降りる。セーラーのあいつを探して言わなきゃな」


 そして、セーラー美少女が敵を探しに行った方向へ足を向けると、遠くの方でなにやら人だかりができていた。


 もしかして、戦闘だろうか?


 ヴァルさんも同じことを思ったらしく、


「行くぞっ」


 と駆け出した。「ちょっと、なんなんですか!」と言いながらアルトゥル君もついてくる。


 案の定、そこではホームレス美少女同士の戦いが巻き起こっていた。ただし、その構図は公平とはいえない。片方はお嬢様美少女とブルマ美少女の二人組、もう一方はあのセーラー美少女一人きりだ。そして、セーラー美少女のほうが明らかに疲弊していた。


「オーッホッホッホ。観念したらどうですの? セーラー庶民さん?」


「そうだ。そしてプロテインを飲め。筋肉は裏切らない」


 札束を持って高笑いするお嬢様美少女とプロテインを片手に持ったブルマ美少女。セーラー美少女は地面に膝を付きながらも、


「まだ、ここで終われないっ……」


 するとヴァルさんは一歩踏み出し、


「おい、お前ら! 二対一って卑怯だろ! やるなら正々堂々勝負しろよ!」


 それを聞いたブルマ美少女、腕を組みながらすごんで、


「ほう。それなら貴様もこの戦いに加われば良い」


「それは……」


 ヴァルさんは黙り込んだ。また思念とは違う声が聞こえてくる。


『黙って見過ごしたくはない……だけど、俺は、ノナを……』


『ヴァルさん』


 なんて言えば良いのだろう。ヴァルさんに気負わせたくない? それは本当だけど、おしつけがましい気もする。聞こえてますよ? なんだかおちょくってる感じで気に食わない。

なんて、こんな葛藤もヴァルさんに伝わってしまっているのかもしれないけど。


 一瞬のうちにいろんなことを考えた。そして結局、ここにたどり着く。


『私も、見てるだけはいやです。ヒーローに、ならせてくださいよ』


 返答は、しばらくなかった。普段なら表情が見えたから何かが伝わってきたけど、身体を失ってしまった今、心の声が漏れ聞こえなければ、何もわからない。けれど、きっと嫌なことは思われていない、はず。


『そうだよな。お前は昔から……』


 それは、思念だったのだろうか。それとも、心の声だったのだろうか。わからないけど。


「わかった! 俺もこの戦いに加わる!」


 ヴァルさんは、ホームレス美少女たちのみならず、観衆全員に伝わるような大声でそう宣言した。


「本当ですか、ヴァル兄さん?」


 アルトゥル君が聞いてくる。それにうなずくと、アルトゥル君は、「どうなっても知りませんよー」と言いながらも、


「僕にできることはなにもないですけど、これ、せめてもの応援です」


 と、スポーツタオルを渡してきた。ただし、美少女イラスト入りだから爽やかさはない。


「これは僕の大好きなロボットアニメに出てくるヒロイン、ヒメノちゃんです! ヒメノちゃんは世界の命運を託された部隊のエースパイロットで、ツンデレ具合がたまらないんですよね。あと、クスリを打たれてどんどん弱っていく描写もなかなかにそそられ」


「おう、なんだかわかんないけどありがとよ」


 アルトゥル君の言葉を最後まで聞かず、タオル片手にお嬢様美少女とブルマ美少女に向かい合う。それが賢明だ。オタクは語りだすと長いから……。


「君、ありがとうね」


 セーラー美少女がそう言った。


「いーえ」


 口角を吊り上げる。なんだか、私までヒーローになった気分だ。


「さぁ、始めようぜ、戦いを!」


 こうして、ヘルブラに住まう権利を賭けた仁義なき戦いの火蓋が切って落とされた。

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