エピローグ 最後のメッセージ

エピローグ 最後のメッセージ

 二週間が経った。


「えー、こんなんわかんねーよ」


「深く考える前から投げ出すなんてヴァルデマールはずいぶんと脆弱な精神性の人間なんだね」


「ルーカスお前煽りうまいな」


「誰のせいでこうなったと思ってるの」


 ヴァルさんはこの世界でいうところの高卒認定試験に向けて、ルーカスさんに教わりながら勉強していた。


 

 結果から言うと、寮の屋上から落下した私たちは怪我一つしなかった。


 というのも、落下している最中、ヴァルさんが魔法で下にネットを張ってくれたのだ。


 私たちは、地上二メートルもない高さに作られた、淡く光るリボンで編まれた受け皿に揃って仰向けに転がった。さっきよりも星空が遠かった。


「……よかった」


 ヴァルさんが上体を起こし、私を見た。


「生きてて、よかった」


 そうやって、涙目で微笑んだ。




 

 それからヴァルさんはいろいろ考えた結果、高校に行かないかわりに高卒認定試験に準ずるものを受けて、大学には必ず行くという約束をアイゼンシュタット家当主ととりつけた。


 当主はなかなか首を縦には振らなかったけれど、ヴァルさんが土下座までして頼んだらようやく承諾してくれたらしい。


「ま、問題を先送りにしただけなんだけどな、実際」


 そもそも高校生活もまともに送れないヤツが大学で生活できるかって話でもある、ともヴァルさんは付け加えた。


 しかし、こうしてルーカスさんに教えられながらも真っ当に頑張っている姿を見ていると、案外うまくいくんじゃないかな、という気がしてくる。私が置いていかれるような感覚すらするくらいには。


 そう、未来に向かって歩き始めたヴァルさんとは対照的に、今の私は一種の燃え尽き症候群に陥っているのだ。


 ヴァルさんを取り戻すという一世一代の大舞台を完遂してしまい、何もする気が起きない。絶望粒子がらみの事件も最近はめっきりなくなったし、城の中では相変わらず厄介者扱いだ。


 そんなわけで、こうやって日がな一日、中庭のベンチに座り込んで日光浴をしているわけである。そういえばここ数日のうちにだいぶ暖かくなってきた気がする。もう春か。草花が芽吹く、はじまりの季節。何もかも、新しく変わっていく季節。


 私は、変われたのだろうか、結局。


「ノナさん、ここにいたんですね」


 なんとなく、鬱々とした気分になりかけていたところに、アルトゥル君がやってきた。


「いい天気ですね」


 当たり障りのないことを言って、隣に座る。


 あの夜、足止めをしてくれていたアルトゥル君は学校の警備員たちに捕らえられていた。


 警備室にたどり着いたときにはアルトゥル君が大声で泣きじゃくっていたのでびっくりした。いわく、


「こっ、怖いおじさんたちに怒鳴られて、う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!」


 らしい。


 周囲にいた警備員たちもアルトゥル君の過呼吸にならんばかりの泣き方に若干引き気味だった。


 最後の最後でかっこがつかないところがいかにもアルトゥル君らしいけれど、だからこそほっとした。


「ねえ、アルトゥル君」


 泣きじゃくるアルトゥル君に私は話しかけた。


「ありがとう」


 すると、アルトゥル君は鼻をすんすんすすりながらも、


「……どういたしまして」


 と言って、ちょっとだけ笑ってみせたのだった。


 それ以降もアルトゥル君の方は変わりがない。依然としてアイゼンシュタット家からは絶縁されたまんまだし、学校にも当然行っていない。


 しかし、それでもやりたいことは続けている。毎日毎日どんな内容かはわからないけれど小説を書いている。がむしゃらに、諦めずに。なんでも新人賞に応募するための原稿らしい。


 アルトゥル君ですら夢に向かって歩いているというのに、私はこの体たらくだ。まったく、暗い気分になってしまう。


「ちょっと、僕ですらって言い回し引っかかりますよ」


「恨むなら自分の日頃の行いを恨んでね」


「ノナさんの毒舌も最近じゃ慣れてきました」


 ……だけど、こうしてアルトゥル君なんかと話していると、ちょっとは気分がましになる。


 私はやっぱり情けない人間で、とうてい完全無欠のスーパーヒーローとはいえないけれど。


 おしゃべりできる人がいる。いなくなったら悲しいと思える人がいる。


 それだけで、ずいぶんとマシなんだと思う。


「そういえばさ、アルトゥル君」


「なんですか?」


「私は君に、納得のいくハッピーエンドを見せられた?」


 アルトゥル君はしばらく黙り込んだ。何かを深く、考えているようだった。


「……ハッピーエンドでは、ないですよ」


「……」


「だってまだ、終わりじゃないから。僕は社会の底辺のままですし、将来は見えないですし。それにそもそも、生きている限り、人はよりよい幸せを貪欲に求め続ける生き物ですから」


「……じゃあ今も、死にたいって思ってる?」


 恐る恐るそう聞いた。


 だけどアルトゥル君は、それを笑い飛ばしてこう言った。


「はははっ、いえ、それはないですよ、安心してください。確かに何一つ解決してないけど、今はそういう気分じゃないので」


 また死にたくなるときが来るかもしれませんけどね、と付け加えた。


 きっと、そうなのだろう。


 生きている限り、死にたさとは切っても切り離せないのかもしれない。


 問題は、どうやってやり過ごすか、だ。


「そういえば僕、最近小説書いているじゃないですか。つい昨日、完成したんですよそれが」


 アルトゥル君はそう言って、小脇に抱えたノートパソコンを開く。


「えーっと、このファイルなんですけど」


 と言ってテキストファイルをクリックし、ノートパソコンごと渡してきた。


 しかし、文字を読む前に、遠くから声が聞こえてきた。


「こらっ、ヴァルデマール! 勉強ほっぽりだして何をするつもりだ!」


「休憩だよ休憩! 息抜きに中庭でメントスコーラやるんだよ!」


「なんでそんな一昔前の動画投稿者みたいなことを!」


 ルーカスさんとヴァルさんの声だった。


 少ししないうちに二人共中庭に降りてきて、私達を見つけてこう言い出す。


「ちょっとノナちゃんとアルトゥル君! この馬鹿を止めて!」


「馬鹿じゃねーし! 少年心を忘れられないだけなんだよ俺は! なあ?」


 私は思わず吹き出してしまった。対してアルトゥル君は、「全くなんでこうタイミングが悪いかな」と言いながらも、口元は緩んでいた。


「小説はあとで読むからさ。今は、メントスやっていい?」


「えっ、ノナさん止める側に回らないんですか? 正気ですか?」


 そんなことを言いながら、私たちは立ち上がる。


 ノートパソコンを閉じる直前、アルトゥル君が書いた小説の、冒頭の一文だけが目に入った。


 それを見て、ちょっとだけ前向きな気分になった。相変わらずかっこつけだけど、そこがアルトゥル君のいいところだ、と密かに思う。


 そのフレーズを脳内で反芻して、私はみんなのもとへ向かう。


『――全ての現実に苦しむ人々に捧ぐ』

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異世界が現実的すぎる。 苺伊千衛 @moyorinomogiri

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