第四話 激励

 ヴァルさんの住む寮は走り抜けた先にあった。


 さて、ここからどうやってヴァルさんの部屋まで辿り着こうか……と考え込んでいた矢先、ふとこの前この学校に来たとき出会った金髪の青年が思い浮かんだ。


 まさか、とは思う。


 だけどもしかしたら、あのときと同じように、屋上で空でも見て、物思いに耽っていたりするかもしれない。


 寮の脇には外階段があった。そこを上っていけば寮の屋上に行ける。


 私はなるべく静かに、でも急いで、コンクリート製の階段を駆け登った。


 そして、屋上に出た。


 校舎の上とは違って、少し面積が狭い。だけど、張り巡らされたフェンスの感じといい、前来た屋上とそっくりな雰囲気ではあった。


 そして、やはりそこには、フェンスに背を預けてぼうっと星を見上げている生徒が居た。


 月明かりでぼんやりとしか見えないけれど、キラキラ輝く金髪と、ほのかに漂うタバコの香りが、彼の存在を確かなものにしていた。


 彼は、ゆっくりと首だけこちらに向ける。


「……侵入者って、やっぱりあんたのことだったんだ」


 声を聞いて、確信した。


「この暗い中、よくわかりましたね」

「俺、一度見た女の姿は忘れないンだ」

 あいも変わらず軽薄そうな口調だった。

 彼は改めて私に向き直る。


「にしてもあんた、髪伸びんのずいぶんと早いな。それともエクステかなんか? それか前話してくれた不思議パワー?」

「どれかっていうと不思議パワーですね」

「へぇ。ま、なんにしたって、いー女」

「あ、ありがとうございます……」


 この人はお世辞らしさを感じさせずにこういったことをさらっと言えてしまう。やっぱり美容師に向いているような気がするのだけれども。


 そういえば、その後どうなったのだろうか、美容師になるという夢は。


 気になったが、彼はすぐに別のことを話しだした。


「侵入者のアナウンス聞いてさ、ふっとあんたのことが思い浮かんだんだ。そういや前、この学校に入らせたくないヤツがいるって言ってたなって。まさか、そいつ、ヴァルデマールって名前だったりしない?」


 いきなり聞き慣れた名前が予想外な人物の口から飛び出したので、ドキッとする。


「なんでわかったんですか」


「ついこないだうちのクラスに編入してきたからさ」


 これはまた、ずいぶんな偶然もあったものである。


「どんな感じですか、ヴァルさん」


 ここまで来て退くつもりはない。


 しかし、もしヴァルさんが今の生活に満足していたら、という気持ちも、ないわけではない。


 金髪男は、うーんと少し唸ってから、

「ヘンなヤツだな。編入初日は、なんか明るい感じに自己紹介してたし、いろんなヤツに話しかけてたけど。周りとノリが合わないのかねぇ、ぼっちだし、だんだん喋らなくなってきた。休み時間は課題に追われてるっぽいし」


「あなた自身が話してみたことは?」


「なんで俺がむさ苦しい男にわざわざ話しかけなきゃなんないの」


 そういえばこの人、そういう感じだったな……。私のことを男だと思ってたときはすごく無愛想だったし。


「ま、一応話しかけてみはしたよ。あんたのことが気になったしさ。でも、なんか答える前にあいつが教師から職員室に呼ばれて結局それきり。ああ、そういや初日は結構授業態度悪かったかもなあいつ。椅子に行儀よく座ってらんないっぽくてさ、気ぃ抜くと椅子の上であぐらかいてんの。そんでめちゃくちゃ教師に怒られたりとか」


「ああ……」


 それはまあ、予想通りではあった。


 ヴァルさんはおそらく、普通の学校生活になじめない。一般的な社会生活ができないのだ。


 やっぱり、迷っている暇なんてない。


「私、あなたの言う通り、ヴァルさんに会いに来たんです。というか、取り戻しに来たんです。拉致りに来たと言ってもいいでしょう。どうか、ヴァルさんを呼んできてくれませんか」


 私は金髪男に詰め寄る。

 金髪男は少したじろぐ。しかし、すぐニヤリと笑って、


「ああ、いいよ。……にしても、全くうらやましー話だよなぁ。こんなド田舎まで来てくれる女の子がいるなんてさ、セーシュンかっての。嫉妬で気ぃ狂いそうだから、さっさとあいつ連れてって、そんで二度と戻ってくるなよ、ここには」


「でも私、あなたに専属美容師の依頼しちゃいましたよ」


「あぁ、アレ?」


 金髪男は目をパチクリさせたあと、柔らかく笑って、


「その場しのぎの口約束かと思ってたわ。あんた、律儀なんだ、ケッコー。……そんじゃ、もし髪切りたくなったら、このアドレスにメールしなよ。なんとか外出許可もらって駆けつけるからさ」


 と、懐からなにやら紙を取り出した。暗くて文字は読めないが、紙の質感やサイズからして名刺を連想させた。


 その連想は当たっていて、


「それ、チョーシ乗って作っちゃった名刺。俺が美容師になったとき用の。……なんだかんだ言ってさ、俺、美容師になる夢捨てられないんだわ。あんたが気づかせてくれた。だからまあ、色々あるけど、なんとか夢見失わずにがんばってみるわ」


 私には、この人のことも連れ出すことはできない。そういう立場にはないし、力もない。


 けれど、この人なりに現実に負けないよう、戦っている。


 願わくは、負けないでほしいと思う。


「楽しみにしてますね」


 私が言うと、金髪男は「あんたも、負けんなよ」とだけ言ってくるりと背を向け、屋上から去っていった。

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