第三話 愚か者の咆哮
こうして私達はとうとう、ヴァルさんのいる学校へ突入することとなった。
アルトゥル君と城を出て、駅まで手をつないで走った。私は魔法少女化して身体強化されているから、いつもの何倍の速度で走ることができた。ひょっとすると今の私はチーターにも匹敵するんじゃないだろうか。
「それは流石に思い上がりですよ」
駅についてそんな話をしたら、アルトゥル君がそう言った。
「うるさいな、お姫様抱っこされてたくせに」
最初は一緒に走ったわけだけれど、途中でアルトゥル君が私の速度についてこられなくなり、私がお姫様抱っこして運ぶことにしたのだ。これも身体強化の影響か、それともアルトゥル君が羽のように軽いからなのか、軽々と持ち上げることができた。
「だいたいなんでお姫様抱っこにしたんですか、普通におんぶでよくないですか? 悪趣味すぎませんか?」
「はいはいゴタゴタ言ってないで行くよ」
最初の乗り換えまでの切符を買って、電車に乗った。それからもう何度か乗り換えをすることになるのだけれども、どの電車も空いていた。あの学校は結構な僻地にあるから、おそらく住んでいる人自体が少なくて、電車の利用者数も少ないのだろう。
ほぼ私とアルトゥル君以外に誰もいないほど空いた車両の中で、こんな話をした。
「僕ね、ヴァル兄さんが最初は苦手だったんですよ」
「ほう」
「あの人、妙に能天気で、なんか嘘っぽく見えたんです。キャラ作ってるんじゃないかって。加えて魔法の才能も絵の才能も抜群です。僕が何より欲しかったものを持っていたんですよ。そりゃあ、嫉妬して、いけ好かないやつだと思っても仕方ないでしょう」
無言で先を促す。
「でも、あの人はあの人なりに、寂しさを抱えていたんです。親との不和とか、僕と同じところもあったので。何度か会っているうちにだんだん好きになっていきました。
僕がアイゼンシュタット家を絶縁されて、本当に辛いときも、親族の中で唯一ヴァル兄さんだけは僕に関わろうとしてくれた。それは、次期当主という特権あってのことかもしれませんが、僕にとってはまさしく救世主でしたよ。あの城に住まわせてもらっているのも、ヴァル兄さんの厚意からなんですよ。そういえば、ルーカスさんも縁故採用といえば縁故採用ですからね。
……そう考えると、ヴァル兄さんって、実は結構有能ですよね。いや、有能っていうか、人と人とを結びつける力があるってことでしょうか。ちゃらんぽらんに見えても、僕のような本当の無能とは、やっぱり全然違いますよ」
それは、心からの称賛だった。同時に屈託でもあった。私はそんなアルトゥル君を好きだと思った。だけど、言わないでおいた。
「いると色々複雑な感情を抱いたりしますけど、いないと絶対に物足りない。そういう人ですね、僕にとってヴァル兄さんっていうのは」
まとまらない話ですみません、とアルトゥル君は言った。私は、「いつものことじゃん」とだけ返した。アルトゥル君はショックを受けていた。
ヴァルさんは、良くも悪くも特別な人なのだろう。この世界に住む人からは、どうも愛憎混じった感情を向けられがちなように思える。
だけど、私にとっては、たしかに特別な人だけど、それは他の人のいう「特別」とは違う。それはヴァルさん個人より、私達の関係値を指しているのだろう。お互いに、純粋に心の底から助けたいと思い合える。それはとても美しく、守られるべきものなのだ。
だから、今から守りに行く。守るために、壊しに行く。
ようやく学校の最寄り駅についた頃にはすでに夜の九時代になっていた。辺りは真っ暗で、田舎だからか空にはちらちらと星がまたたいている。
駅から歩いて十分少々で、学校は見えてきた。高くそびえ立つ校門は固く閉ざされている。
「で、どうやってここから侵入するっていうんです?」
「跳ぶ」
「は?」
私はアルトゥル君をお姫様抱っこした。
「ちょ、ちょ、何するんですかぁ」
「振り落とされないよう掴まって!」
助走をつけ、思い切り踏み込む。
そして、五メートル近くはありそうな校門を軽々と飛び越えた。
「うぉっ、うひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
アルトゥル君は悲鳴をあげている。逆の立場なら私もそうなっていただろうけれど、今は浮遊感が心地よくて、恐怖なんてどこかへ行ってしまった。
すたっと地面に着地する。
と同時に、ビービーとサイレンが鳴った。
「侵入者だ!」
検問所からだみ声が聞こえてきた。警備員が敷地内に非常用アナウンスをしているのだろう。
「行くよっ」
私はアルトゥル君を抱いたまま走った。
「ノナさんっ」
「何?」
「おろしてください」
「おろしてもアルトゥル君私と一緒の速度で走れないでしょ」
「でも、このままじゃお荷物になるのは事実です」
後ろからは、「待てーっ」と怒鳴る声が複数聞こえてくる。そしてその声は、だんだん近づいてきているようにも思えた。
「いくら身体強化されてるからといって、ノナさんの体力は僕のせいで余計削られているはずです」
「だからってここで見捨てるわけにはいかないよ」
「だけど、最良の決断です。それに、相手はこの暗闇で侵入者が複数人いるとは思っていないかもしれない。僕だけ捕まえて、それで満足する可能性だってあるんです」
「それでもだめ」
アルトゥル君を犠牲にするのは、違うと思う。それにこの厳しい学校のことだ、捕まった侵入者が何をされるかわかったもんじゃない。
だけどアルトゥル君は強情だった。
「……こうしてお姫様抱っこされたままでいるのって、すごくかっこがつかないじゃないですか。みじめでしょうがないじゃないですか。僕にも、かっこつけさけてくださいよ。なけなしのプライドを守らせてくださいよ」
それは、切実な言葉だった。
「いやなんですよ、いつまでも変われないままなのは」
そして、唐突に身じろぎした。びっくりして思わず腕の力を緩めると、アルトゥル君は私の腕の中から抜け出した。だけどうまくいかず、地面に背中を打ち付けられるような形で不格好に転がる。
「痛ぁっ……」
情けない悲鳴を漏らす。
それでも、アルトゥル君は立ち上がった。傍目に見てもわかるくらい足が震えていた。
遠くからいくつか足音が聞こえてくる。すごみのある怒鳴り声とともに。
アルトゥル君はその、現実の、権力の象徴とも言えるノイズに向かって、心の底から吠えた。
「僕は、痛くて、無力で、みじめで、本当にどうしようもない人間です。家族もいない、友達もいない、みんなからは疎まれています。……だけどね、それって言いかえれば失うものが何もないってことなんです。だから、最底辺の人間っていうのは一番無謀で、一番勇猛果敢で、そして、無敵なんですよ!」
アルトゥル君は走り出す。迫りくる大人たちに向かって、力いっぱい。
「かかってこい、現実! 僕が相手をしてやる! この、最強の戦士の僕がっ! 殴るなり、蹴るなり、なんでもすればいいさ! だけど僕は決して負けない、屈しない! なぜなら僕は最強だから! ……そして、最強のまま、誰か僕を、殺してくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
その慟哭は、なかなか心にくるものがあった。
どんなにかっこつけたって、アルトゥル君にはいつでも苦しい現実がのしかかってくる。単純な解決ともカタルシスとも無縁なまま生き続けるしかない。希望も持てないまま、窒息しそうな停滞のなかで。
そんなアルトゥル君の生き方が、そして月夜に浮かび上がる右手首の包帯の白さが、いやに目に染みた。
「……いってくるね」
だからこそ私はアルトゥル君とは真反対の方向に駆け抜けた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
背後から聞こえる絶叫も振り切って。
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