第二話 責任、感性

 私達は今、ルーカスさんがいる警備員室を訪れていた。


 というのも、ここに至るのには実に情けない経緯がある。


 ヴァルさんの学校へ行く交通費について、私はまったく考えていなかった。


「どうするんです、一体!」


「いやぁ、その、魔法少女らしく空をひとっ飛びして華麗に校門の前に着地するイメージしかしてなくって」


「それで、ノナさんは飛べるんですか?」


 アプリ内のヘルプで調べた。飛べないらしかった。


「アルトゥル君にまたお金貸してもらうことは……」


「できませんよ。前回ノナさんに貸したぶんで全部って言ったじゃないですか」


「……無から生成することは」


「できないに決まってます! そんなんできてたらとっくにやってスロットにつぎこんで倍々にしてますよ!」


「いや、スロットにつぎこんでも倍々にはできないと思う」


「うるさい!」


 そんなわけで、一文無しの大貧民である私達は、誰かしらにお金を借りるしかなくなった。


 借りれる相手と言ったらお互いに一人しか思い浮かばず、こうして今ルーカスさんのもとに押しかけ、土下座をしている。


「「お金、貸してください!」」


「とりあえず、ふたりとも顔を上げて、事情を説明してくれないかな?」


 お金を貸してほしい一心で、それ以外のことがすっかり頭から抜け落ちていた。私達は二人揃って馬鹿である。


 ルーカスさんに、ことの一切合切を説明した。普段の私達なら話すかどうか迷っているところだったと思うけど、今はどうしてか躊躇のかけらもない。


「……君たちの言いたいことはわかったよ」


 ルーカスさんは私達の話を聞き終わった後、静かにそれだけ言った。


「だけど、安易に了承するわけにはいかない」


 厳しい返事がくるのは百も承知だった。金銭の貸し借りはそれだけでトラブルのもとだし、ましてやそれがヴァルさんに絡むことだとしたら。


「そもそも、君たちは僕にお金を借りて、その返すあてはあるの?」


 私はすぐに答えた。


「バイトでもなんでもして働いて返します」

 アルトゥル君も追従して、

「ぼ、僕もそうします!」

 しかしルーカスさんの表情は依然冷めていた。


「できるの? 君たちに。ノナちゃんは普通の労働ができなくて城じゅうたらい回しにされたよね。そして、アルトゥル君はアイゼンシュタット家に絶縁されて、この城に半ば軟禁状態だ。一般的なところに就職するのも、アイゼンシュタット家の恥だから禁止されてる」


「「うっ……」」

 痛いところを突かれた。たしかにそれはそうだ。そして、こうして他人の口から聞くと、ずいぶん私達の人生はハードモードな気がする。まともな一生を送れる気がしない。


 だが、不安になっている暇もなく、ルーカスさんは続ける。


「君たちはもうちょっと現実的なことを考えて行動したほうがいい。あれがしたい、これがしたい、それだけでは生きていけないんだ。社会には、利害とか、責任とか、そういう面倒くさいものがいっぱい絡みついているんだよ」


 優しく、諭すような言い方だった。だからこそ、心に来るものがあった。


 ルーカスさんは、そういう面倒くさいものと毎日戦っているのだ。いいや、戦わされているのだ。


 そんな人に、頼ろうとしたのが間違いだったのだ。


 私は立ち上がり、再び深く頭を下げた。


「変なこと言って、すみません。もっと他の方法探すので。それに、何も公共交通手段を使う必要はありませんよね。歩きだけでもたどり着くことは、できないわけじゃないだろうし」


「ええ、歩きって……そりゃ無茶じゃないですかノナさん」


「おくのほそ道ごっこだと思えば良いんだよ。私芭蕉で、アルトゥル君は曽良ね」


「おくのほそ道ってなんですかぁ」


 そういえばここは異世界で、松尾芭蕉ネタは通じないんだった。


「まぁ、わかりましたよなんとなく。旅ってことですよね、要するに。文明の利器を使おうという発想が最初から甘えてたんですよね」


 アルトゥル君も、そう言って私と一緒に立ち上がる。


 すっかり諦めモードに入っていたそのとき、


「待って!」


 とルーカスさんが制止した。


「まだ話は終わってないよ。ちゃんと人の話は最後まで聞いた方がいい。そうしないから無能扱いされるんだよ、君たち」


 またも辛辣なことを言われたが、まったくその通りだから何も言い返せなかった。


 ルーカスさんは、瞳に真剣な光を宿らせて、私達を見据えた。


「色々厳しいこと言ったけどさ。僕も、それだけで生きてるわけじゃないんだ。……現実を見ずには生きていけない。空想だけの、甘い世界に浸っていると、すぐに後ろから刺されて死んでしまう。そんな過酷な世界で、誰しも自分を削りながら社会に適応していくわけなんだけど。……それが良いことか悪いことかは別として、君たちはまだ、削られるには早すぎると思うんだ」


 その言葉には、たしかな重みがあった。それは、未だ齢十八のルーカスさん自身が実感していることだからかもしれない。


 ルーカスさんは続けた。


「僕はもう、削られてしまった。もうもとには戻らない。……だからこそ、君たちに、そしてヴァルデマールに、夢を見ているんだよ」


 ルーカスさん本人はそう言うけれど、私には、ルーカスさんがもとに戻れないとは思えない。


 だって……


「ルーカスさん、泣いてますよ」


 大きな左目から一滴、涙が頬を伝っているから。


「えっ、うそ」


 全く気づいていなかったようで、警備員服の袖で拭おうとする。けれどその前に、涙はあっという間に乾いて消えてしまった。


 それは、消えゆく感性があげた悲鳴の、儚い結晶だったのだ。


 ルーカスさんはほんの数秒だけぼうっとして、だけどすぐに現実に立ち返ってこう言う。


「ともかく、ね。僕はきっともう、夢を見ることはできないけれど、まだ、夢を託すことはできると思うんだ。だから、君たちを応援させて。責任とか、規則とか、そういうのを抜きにして」


 そして、ポケットから財布を取り出し、必要なぶんの交通費を私達の手に握らせた。


「僕は君たちと一緒にヴァルデマールの学校に乗り込むことはできない。だけど、心の奥で祈っているよ。君たちが、くだらないものを全てぶち壊してくれることを」


 それは、とても無茶振りだった。


 だけど、良いのだと思う。若い時くらいは、ちょっとくらい大きなことを夢見たって。


「「ありがとうございます!」」


 私とアルトゥル君は揃って頭を下げた。


「ヴァルデマールを、よろしくね」


 ルーカスさんはそう微笑んだ。澄み切った笑みだった。

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