第四話 孤独な戦い
一昨日の晩にすっきり整理してしまった自室は、いつにもましてしんとしているように感じた。
壁際に備え付けられた机の上にノートパソコンを置いて、文章を入力していく。
『「と、いうわけで、この世界はもうすぐで滅びそうなのじゃ」』
これは、この世界に来る前に神様から言われたセリフだ。
私は、物語をゼロから創造するつもりはなかった。設定はあくまで現実に忠実に。アルトゥル君がしたように、自分を美化するような設定を入れるといつまで経っても救われない。
同時にこれは、今までの自分を整理するという目的もあった。
『目が覚めて、真っ先に飛び込んできたのは、黒いスパッツを履いた半裸の猫耳男の姿だった』
そういえば、この世界で一番最初に会ったとき、ヴァルさんは半裸でしかも猫耳だったんだっけ。なんともまあ、マヌケなスタートダッシュだったなと思う。
ヴァルさんは、このときにはすでに私を元飼い主だと認識していたのだろうか。
『「前置きは面倒くさいのではぶかせてもらいますが……この城は、あと数時間で爆発します。つまりみなさん、仲良く一緒に死ねるのです」』
あのときのアルトゥル君は絶望粒子に感染しているからといって今じゃ考えられないくらい大胆な行動に出ていた。ともすればあのときの方がちょっとかっこよかったまである。刹那的な衝動に身を任せられていたというか。それも、絶望粒子がもたらす精神性への影響なのだろうか。
考えてみれば、今のアルトゥル君は心の隙間だらけなのに絶望粒子に感染していない。それはきっと、免疫力が下がっているからといって必ずしも風邪を引くわけではないのと同じで、心が弱っているからといって必ず絶望粒子に感染するわけではないということなのだろう。
いっそ、狂ってしまえればアルトゥル君も楽だろうに。そうはなれないから、もどかしい。
『自分の意思とは無関係に手が勝手に動き、脚のホルスターから黒々したハンドガンを取り出す。私の右手は勝手に狙いを定め、勝手に撃鉄を起こし、勝手に引き金を引いた』
絶望粒子を除去するときはいつもこうだ。私は自分の意志で動けない。自分の無力さを象徴するワンシーン。
『大人にはなりたくない。
明日なんて来なければいい。
俺はずっと、俺のままがいい』
ヴァルさんは子どもの頃に戻ることを望んでいた。感性が削り取られていくことを何よりも恐れる人だった。がさつそうに見えて繊細で、相当素敵な人だった。
『「小説! 小説を書きましょう! 私達で小説を書いて、ベストセラーにするんですよ!」』
ああ、そういえばこのときから不毛な創作活動を始めたんだっけ。いや、この言葉を言った当時は、根拠もなしになんだかんだで何もかもうまくいくような気がしていた。
今じゃもう、なにもかもがガタガタだ。
『「教えてくれ……。なんで、君と過ごした昔に、戻れないんだ……」』
ルーカスさんは既に現実に迎合していた。生きるためにそうならざるを得なかった。だけどそれを悔やむ感性は残っていた。ヴァルさんと遊んでいたあの頃を、望んでいた。
『「ノナちゃん。あいつを、よろしくね」』
だけど私は、結局ヴァルさんを守れなかった。ヴァルさんは学校という社会の大きな波に沈んでいった。
……一体どうやったらハッピーエンドになるというんだ?
もう、おしまいじゃないか。
結局私は何もすることができなかった。図らずも現実から逃げるような形で異世界に転移しても、そこにはまた違った現実があるだけだった。私は何も変われず、ただ状況に流されるがままここまで行き着いた。
そりゃあ、自分の意思で行動したこともあった。城で労働したり、髪を切ったり。でもそれも全部解決には繋がらなかった。城から追い出される問題はルーカスさんがどうにかしてくれたし、髪はヴァルさんが伸ばしてくれた。そして代わりにここからいなくなった。
『ヒーローになってくる』
なんだよ、ヒーローって。現実に負けて、何がヒーローなんですか。
『違うでしょ、本当に言いたいことは』
それは、誰の言葉でもない、自分自身のものだった。
『情けないんでしょ、自分自身が』
『本気で大事に思った人を救うどころか、逆に離れていってしまったから』
『何一つ大切にできない自分が、大嫌いなんでしょ』
「やめて!」
そんなことはわかってる。
大好きだった友達に拒絶されたあの日から、わかっている。
なにも改めて言う必要はないじゃないか。
『このままじゃ駄目だって、わかってるんでしょ』
「でも、どうすればいいのかわからない」
『そんなの知らないよ。自分で考えなよ』
「考えたって答えが出ないから言ってる」
『じゃあもう何も考えず、好きなようやればいい』
「それじゃエゴだ」
ヴァルさんは、あくまでも自分で望んで学校へ行った。社会に組み込まれることをヒーローになる、と表現した。それはきっと、感覚の違いだ。私は許せない。けど、ヴァルさんがそれを望んだならそれで良いはずなのだ。
『それは、逃げですよ』
もう一人の自分は、気づけばアルトゥル君のイメージを伴って肥大化していった。
暗く閉ざされた、狭い空間。そこでアルトゥル君は、地べたに座り込んだ私を見下ろしている。
『「それは感覚の違いだ」って断じて、思考停止してるだけなんじゃないですか。確かにその言葉は、世の中のままならないことから目をそらせる、魔法の言葉です。でも僕は認めない。認めないからな、そんな安易で、陳腐な解決方法は』
その言い様は、ヘルブラのときの、あるいは小説に行き詰まったときのアルトゥル君と同じだった。
『「あなたがそれを望んだなら、それでいいんです」そんなふうに言って、大切なものがどこかへいってしまうのを、みすみす見逃すんですか』
「そばにいてほしいっていうただそれだけで、ヴァルさんの決意を踏みにじるの?」
『じゃあ逆に自分はこれでいいって言うんですか。自分の気持ちは踏みにじってもいいって言うんですか』
「いいよ、ヴァルさんが望んだ通りになりさえすれば」
『ほら、また逃げてる。自己犠牲に陶酔して、本題から目を背けてる』
どこまでも虚しい脳内議論だった。もはや議論なんて高尚なものじゃない。喧嘩だ。対立するエゴとエゴのぶつかり合いだ。
ううん、それよりも……
『結局あなたは、なにがしたいんですか』
叱られている、と言った方が正しいか。
「私が、したいこと……」
幼い頃からの夢。魔法少女になること。
可愛く変身して、空を飛びながら、悪いやつをやっつけるのだ。そうして、大事な人達の笑顔を守る。
それはつまり、女の子版のヒーロー。
だけど現実はどうだろう。せっかく魔法少女に変身できても、どこまでも無力でしかない。
『いらいらして仕方ないでしょう』
『許せないでしょう』
「うん」
絶望粒子に侵されたみんなは、自分で折り合いをつけて、諦めて、勝手に救われていった。
それが現実だ、とは思う。そうでもしなければ生きていけない、とも思う。
だけどそんなことを続けていたらすり減っていくだけだ。
そして今、大切な人が、そして私を大切にしてくれた人が、今まさに、すり減ろうとしている。
『なら、やることは一つしかないでしょう?』
私はうなずいた。
今度こそ、自分の意志で動いて、自分自身で成功してみせる。
この世界に、反旗を翻してやる。
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