第三話 ふたりの黄昏

「アルビーナは呪文を唱えた。


『フラム・レーゲン』


 すると、周囲の異形たちは業火の炎に焼き尽くされ、跡形もなく消え去った。その様子を見た村の人々は口を揃えて言った。『アルビーナは天才だ』と」


 アルトゥル君が思いついた文章を口にしていく。私は隣に座って机の上のパソコンと向かい合い、その通りにタイピングする。


 ここはアルトゥル君の自室。退院してすぐ、アルトゥル君は執筆に取り掛かった。ただし、右手が動かないので、私を仲介とした口述筆記の形をとって、だ。


 昨晩、病院に泊まり込みでアルトゥル君と熱い議論を交わした。


「まず、何を変えるべきか。それはもう、わかっています。僕自身です」


 小説の設定を考えるうえで、アルトゥル君はまずはじめにそう言った。


「ですから、まず徹底的に自分を改革するんです。たとえば僕は無能です。魔法も使えない、勉強も運動もできない、コミュニケーション能力もない社会のゴミです。なら、小説の中の僕はそれらウィークポイントをことごとく反転させれば良い。魔法の天才で、頭が良くて俊敏な動きで敵と戦うみんなの戦士。そういうものにしてしまえばいい」


「でも、それって書いていて辛くならない?」


「そうですね。もしそんな完璧な男が現実に居たら悔しくて悔しくて毎晩そいつを呪っていることでしょう」


「醜い嫉妬だね」

「うるさい!」

「お、やんのかこらぁ」

「上等ですよやってやりますよこらぁ」

 お互いにメンチを切り合う。


 睨み合うだけ睨み合って、結局なにもしないんだけど。


 アルトゥル君が咳払いをする。


「けほん……完璧超人が憎いのは、男だったらの話です。ならば、答えは一つ。僕自身を、萌え美少女にしてしまえばいいのです」


 そうして生まれたのが、この世界にはびこる異形と戦う美少女戦士主人公、アルビーナだった。全くアルトゥル君要素はないがともかくそれをアルトゥル君の分身と信じ込むことから設定作りは始まった。


 私をモデルとしたキャラは、アルトゥル君の相方として設定された。最強にクールな魔法少女、リナである。これまた私らしい要素はないが、考えたら負けだ。


 アルビーナとリナは二人でタッグを組んで世界にはびこる異形と戦う。


 サポート役にはヴァルさんをモデルにした大魔法使い、ヴェルナーを加えて三人で諸国を旅している。


 ルーカスさんをモデルにした、行動を同じくしているわけではないけれどばったり会うことが多い行商人ルドルフも入れた四人が繰り広げる王道冒険ファンタジーだ。


「村の人々は異形の脅威から救ってくれたアルビーナを胴上げして祝福する。『アルビーナ万歳、アルビーナ万歳、アルビーナ万歳』……ってやってられるかぁっ!」

「正気に戻っちゃダメだよアルトゥル君!」


 アルトゥル君は早速やるせなさに押し潰されそうになっている。私はなだめながら、アルトゥル君の言ったことを一語一句違わずにタイプする。パソコンに表示された文字数は現在一万字を超えた。朝八時からこの作業を始めて四時間でこれだから、なかなか好ペースで進んでいる。


「そういえばお昼の時間ですね……ってノナさんそれはタイプしなくていいです」


 バックスペースキーを押しながら、「食べる?」とだけ聞くと、


「僕は食欲ないです」

「ん、私も」


 一応朝に固形の栄養食品を口にしたけれど、正直それすらも食べるのが億劫だった。寝食を忘れる、とはこのことを言うのだろうか。


 人間らしい生活から離れた状態で、創作活動初日は終わった。




 全身にだるさを覚えながら、二日目を迎えた。


「ヴェルナーは防御壁を張り、リナとアルビーナを守る。離れたところから見ていたルーカスは」


「ルドルフ」


「あっ、そうでしたね。……ルドルフは、うっすら笑みを浮かべながら言った。

『やっぱりすごいや、ヴェルナーは』」


「この世界の二人は仲がいいんだね」


「はい。だって、すべてのしがらみから解放されたのですから。ヴァル兄さんとルーカスさんは、仲のいい幼なじみです。本来、そうあるべきだった姿の」


 この物語では、人々は異形の脅威にさらされているかわりに、現実的な問題からは遠ざかっている。


 生きる意味も、意地汚い欲望も、どうにもならない鬱屈も、全て関係なしに、ただ今を楽しんでいる。漂白された、夢の世界。


「リナとアルビーナは二人で手を合わせ、毎日毎日修練を積んでようやく得た技を繰り出す。空から雷鳴が轟く。異形は雷に打たれ、丸焦げになって死んだ。四人はハイタッチをして、勝利を喜んだ。『がんばってきたかいがあったな!』『これで街の人達を助けられたね』」


 登場人物たちはみんな真人間だ。真っ当に努力し、真っ当に社会貢献をする。憎らしいほど素晴らしい人格者たちだ。


「これは、僕たちと言えるのでしょうか」


「気にしたらだめだよ。私達は、小説を書くことを通して生まれ変わっているんだ」


「それは、僕たちの救済と言えますか?」


「……」


 答えられなかった。


 これ以上、嘘をつくことはできなかった。


「消しますね」


 アルトゥルくんは、怪我していない方の左手の人差し指でバックスペースを長押しした。文字数カウンターが巻き戻されていく。


 今日はずっと、こんなことばかりしている。書いては消し、書いては消しの繰り返し。おかげで総文字数は依然一万字前後で固定されている。


「都合が良すぎる展開なんてね、反吐が出るんですよ。いっそのこと、この素晴らしい、嫌味なほど神に愛された人々を痛めつけてやりましょうよ」


 早々に、当初の目的からは外れてきた。


「幸せな世界にするんじゃなかったの?」


「無理です。それだと僕たちは僕たちの原型を留めなくなる。現に、ここにいるのは形を整えられた量産型の善人たちじゃないですか」


「じゃあ、主人公の設定から全部やり直そう。アルトゥル君のまんまで、幸せになればいい」


「それでも駄目なんですよ。僕の目にはどんな世界も綺麗には映らないんです。だから僕は一生、幸せになれないんです」


 その背景にあるのは、自己否定だった。


 私達には、幸せになれるだけの余裕が無いのだ。


「余裕がないから、自分より下の人間を見つけようと必死になる。それで、相対的な幸せを得ようとする、そうでしょ」


「その通りです。でも、現実じゃ自分より下の人間がいなかったので。だから、そうだ、僕は書きますよ。現実よりもっとすごい絶望を。それも一種の代償行為でしょう」


 反論は、できなかった。




 一度スイッチが入ったアルトゥル君は止められなかった。物語の中で、たくさんの血しぶきと臓物が飛び交った。まさに戦慄のスプラッタだった。そこにあるのはもはや展開などといったものではなく、ただの殺戮だった。


 ふと壁掛時計に目をやると、すでに五時を指していた。窓から夕日が射し込んで、部屋が橙色に溶けていた。隣には右手首に包帯を巻いたままのアルトゥル君が座って、思いついた文章を朗々と喋っている。


「そのとき、リナは、体長三メートルをゆうに超える怪物に圧倒されていた。こんなものに勝てるわけがない、そう思った」


 そのとおりに文字を打ち込んでいく。アルトゥル君は語り続ける。


「ふと見回せば、周りは怪物だらけだった。どこを見ても、敵の姿しかない。足場はぬかるんで、不安定だ。空は世界の終わりみたいな紫色で、希望なんてどこにもなかった」


 部屋の中はしんとして、アルトゥル君が喋る声と私がキーをタイプする音だけが響いている。


「『わたしたちの未来みたいだね』アルビーナはリナの隣で笑った。『この世界のどこに、希望というものがあるんだろう。わたしたちはそれを探すには、少し疲れすぎてしまったように思える』」


 ここで、アルトゥル君が黙り込んだ。文章を打ち終えて手持ち無沙汰になった私は、かといってせかすこともなく、キーボードの上に指を置いたままで続きを待つ。


「『ねえ』」


 ふっと、耳に熱を感じた。鼓膜をくすぐった、ささやき声。


「『キス、しようか』」


 目を閉じた。


 予定調和みたく、唇が重なった。

 不思議と、驚きはない。むしろ、あるべき姿にすら思えた。


 ゆっくりと、柔らかい感触が名残惜しさを残して離れていく。思わず、唇に指を当てた。


 アルトゥル君も同じ仕草をしている。夕暮れが、彼の伏し目を縁取る長い睫毛を染め上げていた。


「そういうこと、だったんですね」


 なぜか、彼がどんな言葉を続けようとしているか、わかってしまった。


「ノナさんは、僕自身だった」


 私は、ただ何も言わずにうなずいた。


 だって、初めてなのに、心臓は眠っているみたいに穏やかな拍動を続けている。


 私たちは、触れ合うことでわかってしまった。似すぎているからこそ、二人で真っ暗な袋小路に閉じ込められるしかないのだと。


 身体が、重い。唇から離した指は、キーボードに戻ることはなく、だらんと力なくぶら下がった。もう、指一本も動かす気力がない。気怠く、鈍い空気だけが私達を包み込む。


「もう、疲れました」


 アルトゥル君は、背もたれに身体を預け、天を仰いだ。


「こんなことしていても、虚しいだけです。なんにもならないです。やっぱり、物語の中くらいは幸せな方がいい」


 全くその通りだった。


 アルトゥル君は、机の上に置いたノートパソコンを、怪我していない左手で指して言った。


「それ、しばらくお貸しします。僕じゃあ、幸せな話を書くにはいろいろなものが足りないので」


「私に、代わりに書けと?」


「はい。設定も展開も、好きなように書き換えちゃっていいですよ。主人公も、ノナさんでいいので」


「その間、アルトゥル君は何をするの」


「何もしませんよ。少なくとも、死にはしません。ノナさんが、もうひとりの僕が、幸せを描けるのか。それを見るまで、死ねません」


「なんていうか、すごく重い役割を押し付けられちゃったな」


「でも、断らないでしょう?」


 私はうなずいた。


ノートパソコンを折りたたんで、充電器をその上に載せてセットで抱え込む。そうしてアルトゥル君の部屋を後にした。


 太陽が、沈んでゆく。

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