第三話 自傷と自嘲と美容師志望
明朝八時、ヴァルさんは城を出た。周囲を黒服のいかついお兄さんたちに囲まれながら。
私はジャージを身にまとい、アルトゥル君からもらったお金を入れた財布を握りしめ、そのあとを気付かれない程度に尾行する。
尾行自体は意外にうまくいって、何度も電車を乗り継いだりするヴァルさん一行の背をぴったりマークすることができた。土曜日だから、満員電車に乗らなくてすんだというのも大きい。
その学校は、あの城から電車と徒歩で二時間ほどのところにあった。
ヴァルさんが以前まで通っていた学校とぱっと見はそう変わらず、西洋風の校門の先に見えるレンガ造りの校舎は、いかにもファンタジー世界の魔法学校といった趣だ。まぁ、この学校では魔法は教えていないが。
ヴァルさんと黒服の男たちは、門の前にいた教師らしき中年男性と挨拶を交わしている。どうやら彼が今日の学校見学のナビゲーターらしい。「では、早速行きましょうか」たぶんそんなようなことを言って、男性はヴァルさんたちを先導する。
ある程度遠くまで行ったのを見計らい、私は校門の前まで進んだ。門は開いている。不用心だな、なんて思いながら校門をくぐり抜けたそのとき。
「おい、君」
脇から声をかけられた。
見ると、校門のすぐそばには小さな検問所のような建物があり、その中から警備のおじさんが出てきて私を呼び止めたのだった。
「見慣れないジャージだが、何をしに来た?」
心臓が跳ねる。しかし、これは予想済みだ。前々から考えていた言い訳を話せばいい。
「実は私、この学校との合同練習で来たんですよ。そう、マネージャーで。まだ選手たちは来てないですけど、マネージャーとして、先に練習相手であるこの学校のみなさんに挨拶しておこうと思いまして」
早口で、しかし堂々と喋り切る。
警備員の反応は、いまいちだった。思いっきり眉根を寄せて、渋い表情をしている。
そして口にした言葉は、とんでもないものだった。
「君、知らないで来たのか? この学校は、女子禁制なんだよ。部活動にかける熱意は買うけど、出ていってもらうよ」
なんて、無理やり背中を押して校門から私を押し出す。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 私は部のみんなのためを思ってここに」
聞く耳を持たれなかった。
門は容赦なく閉まっていく。校舎が、さっきよりも遠いところにあるように見えた。
これって、潜入作戦失敗ってこと? 女子禁制だから?
「そんな……」
足から力が抜け、地面にへたりこむ。石畳の道路は、硬く冷たい。
どうすればいいのだろう。これで失敗だなんて、ありえない。こんなバカバカしい理由で……。
おそらくこの学校は男子校なのだろう。だからといって女子禁制だなんてそんな旧弊的な。
この時点でヴァルさんがこの学校に通うべきでないのは言うまでもない。
だからといって調査をやめるという選択肢は考えられなかった。ポケットの中の財布を握りしめる。無駄にするわけにはいかないのだ、何もかも。
私は立ち上がった。何をするかは決めていないが、とりあえず立ち上がった。うんうん唸ってみた。
そうして考えるふりだけでもしていたら、天啓を得た。
そうか、女子禁制なら、男子の姿になればいいのだ。
鎖骨を覆うくらいまで伸びた髪を見る。おそらく、私が女だと判別されたのは髪の長さだ。体格はだぼだぼのジャージでカバーされているから、髪さえいじってしまえばなんとかなる。
そして、財布が入っているほうとは別のポケットに忍ばせたカッター。護身用に持ってきたそれは、今の今まで役に立つんだかわからない気持ちでいたけれど、まさかこんな形で使うことになろうとは思わなかった。
そう、答えは一つだ。
髪を、切ってしまえば良い。
気づいたら笑いがこみ上げてきた。なにやってるんだろうな、本当に。バカなんじゃないだろうか、私は。ニヤニヤが止まらないまま、ひとつ結びをするときみたいに、首の付け根あたりで髪を一本にまとめる。左手でまとめた髪を持ったまま、ポケットの中を探ってカッターを取り出した。カチカチカチ、と刃を出す。日光を反射して、キラリと光っていた。
やるのか、本当に。
この世界に来る一ヶ月ほどまえに、美容師さんに切ってもらった。もう何年も担当してもらっている、この間一児の母になった人。「真っ直ぐで綺麗な髪だねー」と切るたびに褒めてもらっていた。可愛く切ってくださいね、と冗談交じりに頼むと、本当に可愛いセミロングにしてくれる。「ノナちゃんはすごく髪質いいから、長い方が映えるよね。ほら、可愛い」と、毎回鏡で見事に切りそろえられた後ろ髪を見せてくれるのが楽しみだった。お手入れの方法を聞くと、丁寧に教えてくれて、「髪は女の命だからね」なんて笑っていた。そんな風に褒めてくれるのもあって、私自身、自分のセミロングヘアにはこだわりがあったのだ。
本当に、切るのか。
もう一度問いかける。
「いやいや……いやいやいや」
ためらいが出てきた。こんなクズな私だって女子だし、可愛い自分でありたい気持ちはある。男子と見紛うほどのベリーショートなんて絶対に似合わないと周りにも言われ続けてきたし一度もやったことないしああでも!
髪なんて、いくらでも伸びる。取り返しがつかないなんてこと、ない。
だけど、ここで潜入をやめてしまったら、きっと後悔する。自分がやると決めたこと一つ成し遂げられない自分に、嫌気がさす。
きっとここは、一つの分岐点なのだ。私の人生における、大事なシーン。
ここで進めなかったら、今度こそ本当に死ぬべきなのだ、私は。
歯を食いしばった。髪なんて切ったところで痛みはないのに。
カッターの刃を、髪をまとめた部分に近づける。
ひと思いに、ザクッと。
想像以上にあっけなく、髪は切れた。切ったあとの毛束を見るのが怖くて、そのまま手を離す。背後でファサッと髪が落ちる音がした。
「ひひひっ、ひひっ」
妙な引き笑いが止まらなかった。今更になって、なにか別の方法はなかったんだろうか、と考えを巡らせる。
しかし、これで良かったのだ。いいや、これが良かったのだ。
心の何処かで思っていたのだ。なんらかの形で自分を罰したい、と。情けない自分を、傷つけてやりたい、と。いや、そうでなければならないのだ。
その結果としての、断髪だ。いわばこれは、ヴァルさんのためでもアルトゥル君のためでもない、自分のための、自己満足だ。
後ろは振り向かず、再び校門に向かって歩き出す。もしかすると背中に切った髪がついているかもしれないから、必死ではたきつつ。
校門の向こう側に、「すみませーん」と声をかけた。先程より低い、少年らしい声を意識して。
「なんだ」
さっきの警備のおじさんが門越しにこちらを見る。何を言うか考えていなかったが、脳内はかつてないほどクリアで、嘘みたいにすらすらと言葉が出てきた。
「先程、運動部のマネージャーを名乗る女子が来ませんでしたか? ぼく、あれの代理で来ました」
すると、警備のおじさんは鋭い眼光で私の顔をまじまじと見る。
「へぇ。それにしたって、ずいぶんと女っぽい顔立ちだな。声変わりもしていないようだし、何よりさっきの女子にそっくりだ」
さすが歴戦の手練(かどうかは実際わからないけど)、私の正体を早々に見破っているようだ。
しかし、ここで怯むような私ではない!
私は、目を伏せ、唇を噛みしめ、切なげな表情を作り出す。
「ひどいっ。ぼく、自分が女っぽい顔立ちなことを気にしているんですよ。なんならここで話してみせましょうかっ、ぼくがどのようにしていじめられてきたかをここで。そうですね、最初は小学校五年生のころ、みんな思春期に入り男女の垣根を意識しだして」
「ああ、もういいもういい、わかったから」
おじさんはこめかみのあたりを押さえて眉間にシワを寄せていた。
「悪かったね変なこと言って。お詫びってわけじゃないけど、中に入れてあげるよ。ただし、色々自己責任で頼むよ」
やれやれ、といったふうに門を開けてくれた。「ありがとうございます」と素直にお礼を言うと、「いーえ」と手をひらひらさせて、検問所に引っ込んでしまった。
さて、これでようやく第一歩だ。早速ヴァルさん一行がどこに行ったか探そう。
校舎内は、いたって普通だった。男子校だからやはり男子生徒しかいない。
教室を覗いてみるとみんな真面目に授業を受けているようだった。今日は土曜日だというのに、授業があるらしい。流石に半日授業だとは思うけど、どちらにせよ教育に力を注いでいる学校であるのに間違いはなさそうだ。
ぱっと見、ただの進学校だった。あんまり問題らしき問題は見つからない。
少し歩くと、廊下の向こう側から黒服に囲まれた銀髪の男の姿が見えた。間違いない、あれはヴァルさんだ。
柱の陰に隠れ、一行が通り過ぎるのを待つ。ちらちらと様子を伺っていると、一行は柱の前の角で曲がった。
抜き足差し足、一行のあとをつける。耳を澄ませ、どんな会話がなされているか聞き取りながら。
「どうですかな、この学校は」
これはおそらく、先導役の教師の声だ。
「美術室ってあるか?」
ヴァルさんは質問に質問で返す。先導役は戸惑いながらも、
「はぁ、まあ、西棟の端にありますが」
「美術部は?」
「もちろん、ありますよ」
「そっか」
心なしか、満足げな声音だった。
見た感じ、この学校は、良い学校だ。校舎内も綺麗だし、特に荒れている様子もない。
行けるなら、行くべきなんだろう。ヴァルさんだって、まんざらでもなさそうだ。
だけど、なんだろう。この、心に棘が刺さって抜けない感覚は。ヴァルさんのためなら、この学校に行くので間違いはないはずだ。
でも、許せない。
許せないでいるのは、私だけなのか。
今すぐ、ヴァルさんのもとに駆け寄って、聞きに行きたいくらいだ。
そんな思いを込めてヴァルさんの背中を見つめていると、ふと、ヴァルさんが振り返った。あわてて近くの柱の陰に引っ込む。
私に気づいているような気がしたのは、気のせいだろうか。
気づいていたら、いいな。いやでも、やっぱり気づかれないでいるべきなのかもしれない……。
そうやって、立ち止まって物思いに耽っていたからだろうか、いつの間にかヴァルさん一行の姿を見失っていた。
まだそんなに遠くには行っていないはずだ、追おう。
と足を一歩踏み出した途端、ポケット……カッターを入れているのでも財布を入れているのでもない、ジャージの上着のポケットに入れておいたスマホから、久々に聞くカノンもどきのメロディが流れ出した。
「絶望粒子か……」
こんなときに都合が悪い、と思いながらスマホを開くと、『屋上に行くがよい』という通知が来ていた。
私は、廊下に貼ってあった校内の地図を参考にして、この校舎の屋上へと向かった。
階段を登り、屋上に着く。珍しいことに鍵はかかっておらず、ドアノブに手をかけたらすんなりノブが回って拍子抜けしつつ、扉を開いた。
そこには、一人の生徒と思しき人物が立っていた。
金髪の、ウルフカットの男子。制服は着崩した風で、人差し指と中指で挟んだタバコの先端からは細い煙が立ち上っている。
「何?」
けだるげにこちらを振り向く。妙な威圧感に気圧されながら、後ろ手に扉を閉めた。
「いや、その、なんで屋上にいるのかなって」
とりあえず、適当な話題を切り出す。事実、気になるところではある。今は授業中なのに、これはサボりではないのか。
金髪男は眉をピクリと動かす。
「いちゃ悪いわけ?」
見るからに不機嫌そうだった。心臓がバクバクいっている。こういうタイプの人と話すのは苦手だ。相手としてはそんなつもりないのだろうけど、いちいち責められているような気分になる。
しかし、絶望粒子に侵されているなら見捨てるわけにはいかない。
「わ、悪くないですよ、全然。……あっ、そうだ、ぼく、この学校に来たの初めてなんです。だから、案内してもらえたらなー、なんて、はは」
無理矢理作り笑いを浮かべる。うまくいけばこれで話を聞く口実もできる。
しかし、金髪男はますます不機嫌そうに私を睨みつけて、
「なんで俺がそんなことしなきゃいけないんだよ。いいからどっか行けよ」
かなり堪えた。
アウェイの不安感も相まって、泣きそうになった。
「うっ、す、すみません」
目が潤んできたので、目元を拭う。やっぱり私は情けない……。
と思ったら、急に金髪男が態度を変えた。
「今気づいた。あんた、もしかして女?」
距離を近づけ、私の顔を覗き込んでくる。アンニュイな雰囲気の目元がやっぱり少し怖くて、震え上がりながらも、
「ち、ちゃいますよ。ぼくは小学校五年生のころから女顔ゆえいじめを受けてきて、しかし六年生の終わりにベイブレードの才能に目覚めクラスの男子を圧倒、一躍人気者になりはしたもののやっぱり女の子に間違われるのは変わらず思い切って坊主にしてみたら似合わなすぎてなぜかいじめの対象に舞い戻るというひどい人生を送ってきて」
「何言ってるかわかんないけど、俺の目に狂いはないよ。あんたは女だ」
「何言ってるかわかんないとはなんですかっ! せっかく入念に考えた設定を遮りやがって!」
「ほら今設定って言っただろ?」
「あ……」
墓穴を掘った。
まったくなんて馬鹿なのだろう、私は! 死のうかな!
頭を抱えている私を見て、金髪男は、ふっと柔らかな微笑みを浮かべた。
「いやあ、久しぶりだな、女に会うのは。こんな牢獄みたいなむさ苦しい男だらけの環境、飽き飽きしてたとこなんだ」
「望んで、通っているわけではないんですか?」
「まさか。ど田舎の全寮制男子校ってだけで地雷でしかないのに、おまけに自称進学校だろ。クソ親に命令でもされなけりゃこんなとこ行くわきゃないって」
金髪男はタバコをくわえ、ふぅー、と細い息を吐き出した。副流煙が気になって、それとなく距離を開ける。
とはいえ、これはチャンスだ。絶望粒子の件もあるし、なによりこの学校の実態もわかるかもしれない。
「学校に、馴染めないんですか?」
私が聞くと、金髪男はきゅっと目を細めて、
「なになに、俺の話聞いてくれんの? へー、あんたいー女じゃん。髪型はヘンだけど」
「や、やっぱり、髪型変ですかね?」
「そーだね。切り口もガッタガタだし、もしかしてセルフカット? あとあんた多分ロングのが似合うね。俺の目に狂いはない」
傷口に塩を塗りまくられた。
まぁ、いい。とにかく、いい。聞かなかったことにしよう。
「はは、そうですか、参考にします。……それで、あなたのお話、聞かせてくださいよ」
「そ。じゃあ、エンリョなく話さしてもらうよ」
金髪男はけだるげに語りだした。
「この学校、マジで生徒にきびしーんだ。宿題の量だってハンパないし、授業は超退屈。けど、生徒が寝てたりすると頭ひっぱたいて起こすの。まったく、いつの時代だっての。そんでも、そこそこ名門なんだよな、ウチの学校。だから、俺には理解できないけど、ここを志願して猛勉強するようなヤツだっているし、ここできちんと勉強すりゃ進学も確実だし安定した将来も望めるってワケ。でも、俺のなりたかったものは全然方向性違うんだよ」
「何に、なりたかったんですか?」
「美容師」
これはまた、タイムリーな。
金髪男は、再びタバコを口にくわえ、今度は私からは顔を背けて息を吐き出した。
「よくいるじゃん、こいつ、磨けば光りそうなのにもったいないなーって女子。そういう女子を俺の手で可愛くすんの。そんで、感謝される。サイコーの職業だろ? でも、ウチの親は息子をそんな職業につかせるのは反対だったらしくってさ。強制的にこの学校入れられて、毎日勉強勉強。宿題もきちんとやんなきゃセンセーに叩かれるし、気づけば夢も、感性も、どっかいってんの。それが、ヤでさぁ。イヤでイヤでしかたなくってさぁ、だから」
フェンスに近寄る。そして、思いっきり身を乗り出した。
「死んじゃおっかなー、なんて」
手に持っていたタバコが、地面に落ちる。靴底で火を消して、
「なーんて、ジョーダン」
からから笑い、フェンスに背中を預けた。
「一つ、アドバイスですけど。……屋上から飛び降りるの、難しいですよ」
金髪男は、目をパチクリさせる。
「なに、あんた実際やってみたことあんの」
「はい。まず、フェンスを跨ぎ越せなくて、フェンスの上にまたがったまま、その状態で人が集まってきて、見世物状態に」
すると、金髪男は、クククッと忍び笑いをして、
「あんた、ずいぶん鈍臭いんだなぁ。まっ、そのアドバイス、ありがたく受け取っとくわ」
空を見上げる。つられて私も空を見上げた。気持ち悪いくらいの快晴だった。
「仕方ないよなぁ、ぜーんぶ。どうにもできないよなぁ、俺一人じゃ。結局、テキオーするしかないの」
なんて言いながら、今度は屋上の隅へと歩いていく。そこには、なにやら黒いケースが置いてあった。
金髪男は、ケースを持ってきて、私の前で開けてみせる。
「でも、俺、まだ未練あんだよなー。ほら、この通り」
中身は、カット用ハサミ、すきバサミ、手鏡など、髪を切るためのセットだった。
彼は、カット用ハサミを何気なく手にとって、閉じたり開いたりしてみせる。そうすると、ふと、なにかを思いついたようで、
「そーだ。あんたの髪、整えさせてよ。切り口揃えるだけでもさ」
「へ」
いきなりの申し出に、私は目を丸くするばかりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます