第二話 それは優しさか、それとも怯えか
『驚いているようだな、ヴァルデマール。しかし、これは当然の報いだ』
インカムの向こうの声は、淡々としていた。
『この城には、お前の療養のために住まわせてやった。だがそれは、療養の後には社会に復帰するという前提のもと交わされた約束だ。それをお前は、毎日毎日ぐうたら過ごしてばかりで、全く生産性のない。おまけに、最近はあの、名前を出すのも憚られる汚らわしい裏切り者とつるんでいるそうじゃないか』
『アルトゥルを悪く言うな!』
思わずアルトゥル君を見る。彼は、いつになく鋭い眼差しで虚空を睨みつけていた。
絶縁されたとは言っていたけれど、まさかここまで悪く言われるなんて。
そんなのって、おかしいじゃないか。
『いいかヴァルデマール。働かざる者食うべからず、だ。責任を果たさない者に生きていく資格はない。そしてお前は、ヤツとは違い責任を果たすだけの能力がある。わかっているな? 魔法の才能だ。その才能に惚れ込んで、ある組織からスカウトが来ている』
ぴら、と紙の音が聞こえる。
『これは……』
『ああ。見ての通りだ。我が国にとって都合の悪い存在を消す仕事……お前の魔法があれば即戦力になれるだろう』
『つまり、暗殺者ってことじゃないか!』
『そうだな。しかし、何もなさないよりずっといい。実際、我が家系からも何人かはこの組織に所属したことがある者が出ている』
『でもっ』
『安心したまえ。お前に残された選択肢はこれだけではない。もう一つは、全寮制の学校に入り直し、心を入れ替え、再び勉強し直すことだ。こちらは見学の日程をもうすでに組んでいる』
『……それ以外の選択肢は?』
『絶縁だ』
さらりとそう言った。
『しかし、お前ほど魔法の才能を持った危険な人間を、みすみす逃すわけにはいかないからな。実質、選択肢は二つだ。明後日、学校見学を行う。その日から数えて一週間だ。その間に決めろ。暗殺者か、真っ当な人間か』
当主は、すぐにこの城から去っていった。
「すごいでしょ、あの正論マシンガン」
アルトゥル君は笑いながら言った。
「正論だから、こっちは反撃できないんです。でも、マシンガンだけあって、確実にこっちの心に傷をつけていく。僕たちにとっては、一番厄介かもしれない相手です」
「まったく、変わらないね、ヴァルデマールのところの親父さんは」
ルーカスさんは諦めの境地に達した様子でうなずいている。
「それで、ヴァルさんがこの城からいなくなってしまうということなんですが」
「「……」」
私が切り出すと、二人は黙り込んだ。当主の話をしたのも、その話題を避けていたからなのだろう。
「………………………………いいんじゃない?」
やがて、ルーカスさんが口を開いた。
「全寮制の学校に行くんでしょ。あいつも社会復帰ができて、将来が安定するはず。そのほうが、きっとあいつにとってはいいんだよ」
早口で、そう言い切った。それきり、唇を固く引き結んで一言も言葉を発しようとしない。
「いいんですか、それで」
私が聞いても、答えようとしない。
「いいんですか!」
「……」
「私はよくありませんよ。ヴァルさんがこの城からいなくなるなんて、そんなの、許せないじゃないですか。ありえないじゃないですか」
空を歩いたときの記憶が蘇る。道なき道。絵を描いて、好きなように生きる。
そんな素敵な夢が、叶わないなんて嘘だ。
「アルトゥル君もなんかないの? ヴァルさんがいなくなっちゃうんだよ!」
「……僕は」
アルトゥル君は、微笑んでいた。
「僕は、羨ましいんです。ヴァル兄さんは、まだ存在を忘れられていないんだなって。醜いことに、そう思ってしまいました。自分と、比べてしまいました」
「それは……」
何も言えなかった。アルトゥル君の微笑みは、つまるところ諦めだった。
しかし、私は諦めてはならないのだ。
ヒーローだからとか、そんなもの抜きにして、ただただ、ヴァルさんの夢を守りたい。
今までの私は、誰も救うことができないままここまで来た。それが、情けなくて仕方ない。
だから、今こそ変わる。
大事な人の夢も守れなくて、何がヒーローだ、何が魔法少女だ。
私は、二人に向かって宣言した。
「一人でも、やりますから。ヴァルさんがいなくなるのを、止めてみせます」
返事はなかった。私は部屋から駆け出した。
とりあえず、やるべきことを考えよう。
たしか、明後日に学校見学があると言っていた。
それなら、尾行しよう。もしかすると、ものすごく良い学校で、ヴァルさんの気が変わるなんてこともあるかもしれない。そうなったとしたらもう私にできることはない。ヴァルさんがいなくなるのを受け入れるのみだ。
だけど、もし悪い学校だったら? たとえば、見学生には明るい雰囲気を装っているけれど、裏ではいじめがあるというような実態があったとしたら?
そこらへんを審査するためにも、やはり尾行、さらに校内への侵入は必須。
となると、学校の中にいてもおかしくない服を調達する必要がある。流石に制服を調達するのは、行く学校がどこなのかもわかっていないし、無理がある。
それなら、スポーツウェアかなにかを着ていこう。そうすれば、他校との合同練習で来た者だと言える。
考え始めると、意外と明確なビジョンが見えてきた。なんとなくイメージが固まってくる。
しかし、スポーツウェアといい、おそらく必要になる交通費といい、やはり誰の協力も得ないというのは無理がある。
ルーカスさんかアルトゥル君に頼むほか、道はないんじゃなかろうか。
啖呵を切ってしまった手前、頼みにくい点はあるけれど致し方ない。いや、わざわざ事情を言うこともないか。スポーツウェアに関してはちょっと運動したいから貸してくださいとでも言えば良い。交通費は……なんだろう。株を始めたいから元手が欲しい? いやいや、流石にクズすぎるか?
と、思ったが、アルトゥル君に話せばあんまり劣等感を覚えずにすむか……なんてそれこそクズなことを考えた。
そもそも最初からお金を貸し借りできるだろうなと思えるのはアルトゥル君しかいない。持っているかどうかわからないが、スポーツウェアも借りれたら万々歳だ。
これしか道はないのだと割り切って、翌日、アルトゥル君の部屋を訪れた。
「アルトゥル君、いる?」
できるだけ、いつも通りであろうと心がけて扉をノックする。すぐに扉は開き、例のごとく隙間からレモン色の瞳を見せた。
「なんですか、ノナさん」
目が泳ぎまくっていて、いかにも気まずそうな雰囲気だ。私も全く同じ心境だが、ここは名演技でどうにか押し切ろう。
「いやあ、ちょっとアルトゥル君に貸してほしいものがあるんだよね。とりあえず、部屋に入れてもらえない? ね、お願い」
少し距離を近づけ、上目遣いで両手を合わせてみたりする。アルトゥル君はこういうのに弱いと織り込み済みだ。
予想通りアルトゥル君は顔を少し赤くして、「どっ、どうぞっ」とうわずった声で私を中に入れた。
部屋は相変わらず汚いままだった。なんなら、汚さが増している気がする。
アルトゥル君は昨日以上に緊張した様子で、手近な椅子を引いて、「お、お座りくださいっ……」と言うので、床に散らばった本類を踏まないよう気をつけつつ、遠慮なく腰掛けた。アルトゥル君は少し離れた場所に所在なげに突っ立っている。アルトゥル君も座ればいいのに、と思ったが、椅子は私が座っているものしかないようだった。
やはり気まずいので、単刀直入に話を切り出す。
「ジャージとお金、貸してくれない?」
「ひえっ」
思いっきり飛び退かれた。
「なっ、何する気なんですか一体!」
「いや、ジャージに関しては最近運動したくてさ。だけど私、この世界に来たばっかりだから運動着って呼べるものがなくて。それで、アルトゥル君が持ってたら貸してほしいなーって」
「いやいやいや、無理ですよ! 大体、サイズが合いませんよ!」
それもそうだけど、だからといってもう頼れる人がいない。
「お願いっ」
必死で頭を下げてみた。
「頭上げてくださいっ。……とりあえず、ジャージは保留として、お金はどうしたんです一体」
「株に興味があるんだけど元手になるお金がない」
「株ぅ? やめといたほうがいいですよそんなの! ギャンブルって一度やると戻ってこれないんですよ、僕が身をもって証明してるでしょう?」
「そ、それはそうだけど! 私はアルトゥル君よりうまくやるもん! それに、そんなたくさんの額欲しいってわけじゃないの。せいぜい一万ってところで」
言いながら、かなり無茶なことを頼んでいるなという自覚がようやく芽生えてきた。一万ってよくよく考えたらかなり大金だし、もう、なんだかものすごく申し訳ない。
だけど、このお金とジャージがなければどうしようもない。でもそれをアルトゥル君に借りるのは筋違いじゃないか? だってアルトゥル君は、この件に関しては複雑な思いでいて……あぁ、考えれば考えるほど申し訳ない。もう、こうなったら土下座だ土下座。こうやって、ほら、膝を床について、身をかがめて、手をついて、床から三センチほど離した高さまで頭を下げて、
「お願いっ。お願い、します」
「うわぁノナさん土下座はやめてくださいお願いします、わかりました、貸しますから!」
「ほんと?」
顔を上げると、アルトゥル君がほとんど泣きそうな表情で私を見下ろしていた。
「はい、本当ですよ。とにかく今すぐ頭を上げてください、ジャージとお金、探してきますのでっ」
と言ってクローゼットの中を探り出した。
私は頭を上げ、また椅子に座る。必死にクローゼットの服を漁っているアルトゥル君の背中を見ていると、申し訳無さが再びこみ上げてきた。
「はい、どうぞ」
ジャージはすぐに見つかって、アルトゥル君はぐちゃぐちゃになったそれを私に渡してきた。
「中等部のときの、ちょっと汚いやつですけど……。あぁ、大丈夫です、ちゃんと洗濯はしてますし変なことはしてないのでっ」
「変なこと?」
「あ、いや、なんでもないですよ、なんでも……あっ、そ、そんなことよりお金ですね。えっと、一万でしたっけ?」
次は財布を漁りだす。あまりにも素直なその姿に、強烈な罪悪感を覚えた。
「ごめん、ごめんね、ごめん……」
ひたすら謝った。謝ればいいってもんじゃないのに謝った。そうじゃないと心が持ちそうになかった。
アルトゥル君は、財布の中のお札を数えながら、
「いいんですよ、べつに。……僕にできることなんて、これくらいしかありませんから」
その響きは妙に自嘲的だった。
もしかして、気づいているのか?
だけど、聞くのもためらわれて、小さいポケットの中に入った小銭まで確認する指先を見つめることしかできなかった。
「はは、一万なんてなかなかないもんですね。ちょっと前にパチスロで勝ったから、結構あると思ったんだけどなぁ。……今、僕、全部で五千くらいしか持ってませんが、よければ」
アルトゥル君は、へらへらしていた。へらへらしながら、私に四千と、硬貨を数枚渡してくる。これで合わせて五千、なんだろうけど。
「……やっぱり、もらえないよ」
手のひらに置かれたそれを、そのまま突き返す。そんなふうに笑われては、たとえなんだろうと、このお金を使うわけにはいかないと強く思ったから。
だけどアルトゥル君は、私が突き返してきたお金を見るだけで、手に取ろうとはしなかった。
そして、へらへら笑いじゃない、さみしげなあの微笑みを浮かべる。
「ノナさん。変なこと言いますけど、僕、なんでだか、ノナさんの考えてること、わかっちゃうんです。わかってるつもり、なだけかもしれないですけど。ノナさん、ヴァル兄さんの学校見学についていこうとしてるんでしょ。運動とか株とかは大嘘で、このジャージとお金は、ヴァル兄さんのために使うんですよね?」
透き通るようなレモン色の瞳で、顔を覗き込まれた。目と目が合う。見透かされてるんだな。
見透かし合ってるんだな、お互いに。
私は、素直にうなずいた。
すると、アルトゥル君は、私の手にお金を握らせた。
「僕にできることって、これくらいしかありませんから。これは、何もできないなりの、せめてものあがきっていうか、体裁整えてるっていうか……まぁ、そんな感じに、受け取ってください。これじゃあ足りないかもしれないけど」
アルトゥル君は笑った。にっこりと笑った。素敵な笑顔だった。気を抜くとドキッとしてしまうくらいには。
胸がいっぱいだった。身体中が、じんわり暖かい。
私はアルトゥル君に負けないくらい、にっこり笑って言った。
「ありがとう!」
こうして、準備は無事整った。
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