第四章 終わりのはじまり

第一話 ヒーローが守るもの

 ある朝、起きて共用の娯楽スペースに行くと、ヴァルさんがテレビの前を占拠していた。


「何見てるんです?」


 ソファの隣に座ると、パジャマ姿のままのヴァルさんは、


「特撮。部屋にもテレビあるんだけどさ、この時間の誰もいない娯楽スペースで見る再放送の特撮って、なかなかに特別感あって好きなんだよな。お前も見るか?」


「途中からでもわかりますかね?」


「わかんねーな、多分。でもま、こういうのってヒーローが変身して、戦ってるの見るだけでも楽しめるもんだから」


「それはわからなくもないです。魔法少女アニメでも、変身シーンってそれ単体で心躍りますから」


 画面の中では、今より画質の悪い、若い二人の男性が何かを言い争っているシーンが展開されていた。


『そんなもの、ヒーローとは言えないだろ!』


『いや、正義というのはお前の言うほど甘っちょろいもんじゃないんだよ』


 ヴァルさんは言い争いをぼうっと見ている。


「ヒーローってなんだ。正義ってなんだ。同じシリーズでも、毎年毎年、作品によって違う視点からでっかいテーマについて問いを立てては答えを出す。だけど、その答えだけでは終われない。延々と、悩んでは答えを出し、悩んでは答えを出しの繰り返し。でも、いいよな、でっかいこと考えてると、今ある現実とかが、全部ちっぽけに思えてくるからさ。学校がどうとか、労働がどうとか、そんなこと、どうだっていいって思えてくるからさ。いいよな、本当に」


 言い争いはいつの間にか終わり、若い男性二人は変身してヒーローになっていた。怪人と戦いながら、ヒーロー同士でもなぜか戦っている。対立するそれぞれの正義のぶつかり合い、といったところか。


 結局、怪人との戦いに片はついたが、ヒーロー同士の戦いは決着がつかないまま終わった。変身は解かれ、ヒーローたちはいがみあいながらもそれぞれの日常に戻っていく。二人のうち主人公の方は仕事もしているようで、職場に戻って同僚と笑い合っていた。


 ヴァルさんは、目を伏せて、柄にもなくぼそぼそと喋りだす。


「でもさ、結局、着地点って日常なんだよな。この作品もそうなんだ。ヒーロー同士で争ったりもしながら、正義に対する答えも出しながら、だけど最後は日常に戻る。なにごともなかったかのような日々に。それは少し寂しいけど、だけど正しいことだって毎回見るたび思う。結局、平穏な現実が、一番尊いんだろうな。んでさ、つまりさ……」


 ポケットの中に手を突っ込んで、中からぐしゃぐしゃになった紙を取り出す。それを開いて、私に見せた。


「俺は、どうすりゃいいんだろうな」


 そこには、『明日、城へ訪ねに来ます』というそっけない一文だけが記されていた。


「これ、オヤジからの手紙だ。昨日届いた」


「ということはつまり……」


 今日、ヴァルさんの父親がこの城に訪ねに来る、ということである。




 アイゼンシュタット家の当主が来るとあって、城内は緊張感に包まれていた。そういえば昨日清掃員さんたちが急に城内を大掃除しだしたりしていたけど、こういう事情があったのか。


「なんとかしてエスケープできねーかなー。オヤジが来た途端、さっきのヒーローみたいに分身しまくって、どれが本物の俺だかわからなくさせて、ドサクサに紛れて逃げたりとかさぁ、なんて」


 能天気を装ってはいるものの、ヴァルさんは明らかに父親との対面におびえていた。


「ま、そんなことしてもオヤジ、洞察魔法ですぐに俺を見抜けちまうんだよな」


「お父さんもヴァルさんみたいにすごい魔法使いなんですか? 空とか飛べたりします?」


「いや、オヤジはできない。なーんかあの人、実用的な魔法以外はてんでだめでさ。派手な魔法使えないんだよな」


「人によって得意不得意があるんですね」


 私にできることといったら、せいぜいいつも通り雑談をするぐらいだった。他人の家族事情に首を突っ込めるほど勇気のある人間じゃないから。


 そうこうしているうちに、ついにヴァルさんのお父さんが城門の前に来たという知らせが入った。


「そんじゃ、俺は迎えに行ってくる。ノナは、アルトゥルんとこ居てやってくれ」


「え、アルトゥル君も挨拶に行くんじゃ」


 聞こうとしたらもうすでに行ってしまっていた。取り残された私は、しょうがないから指示通りアルトゥル君の部屋に行くことにする。


 コンコン、と扉をノックする。


「アルトゥル君、いるー?」


 すると、中から悲鳴が聞こえた。


「ひぃぃっすみませんすみません僕なんかが存在していてすみません当主様っ」


「いや、私、ノナだけど。ヴァルさんから聞いてない?」


 扉がわずかに開いた。アルトゥル君が隙間から顔を出す。レモン色の瞳が弱々しく輝いていた。


「ヴァル兄さん……? は、どうだかわかりませんが、あっ、もっ、もしかして、例の盗聴作戦の話ですかっ」


「盗聴作戦?」


「説明は中でします……って言いたいんですけどなにぶん部屋が汚くて、片付けてからでもいいですか?」


 返事を言う前に引っ込んでしまった。ドタドタ、と部屋を駆けずり回る音が聞こえてくる。ビニール袋特有のカシャカシャした音とともに、「これは捨てて、これも……あぁっ、これは駄目だ」なんて独り言を言うアルトゥル君。焦ってるときほどなぜか独り言が出るのはわかる気がした。が、それにしてもあんまり片付けがうまくいっている様子とは思えない。極めつけは、ばったーんとまるで本棚が倒れたかのような音とアルトゥル君の悲鳴。「たすけてーっ」なんて言っているので、


「ごめん、入るよ!」


 と断って部屋に入った。


 そこに広がる惨状は、まぁ見事なものだった。


 まるで本棚が倒れたかのような音は本当に本棚が倒れた音だったらしく、茶色い背を天井に向け、中から出たと思われるたくさんのライトノベルが床に散乱している。アルトゥル君はその下敷きになっていて、白いビニール袋片手に「ノナさん、助けてー!」となんともみじめなSOSを出している。


 とりあえず本棚を起こしてどうにかしようか、と思って持ち上げようとしたものの、身の丈より大きなものを持ち上げるのは非力な私には無理だと悟った。


「ごめん、アルトゥル君、このまま下敷きになってもらっても」


「いやですよ! 肺が潰れそうです!」


「長男だから我慢できる!」


「なんで勝手に長男って決めつけてるんですか! いやまぁ一応長男といか一人っ子ですけど!」


「私も一人っ子だよ!」


「ノナさんのことはどうでもいいのでとりあえずここから出してください!」


「どうでもいいって失礼な! それに何度も言っているように重すぎて無理なんだって!」


 なんて言い争いをしていたら、背後からぽんと肩を叩かれた。「うわぁっ」と今まで出したことのない声を出して振り向くと、そこにはルーカスさんがいた。


「この間のお返しだね」


 にっこり笑うルーカスさん。そういえば一緒に警備したとき似たようなことをルーカスさんにやって、全く同じ驚き方されたな……。


 なぜ彼がここにいるかわからないけどナイスタイミングだ。


「ルーカスさん、一緒に本棚起こすの手伝ってください!」


「あぁ、この本棚?」


 するとルーカスさん、本棚の角を持ち、片手でひょいと起こし上げてしまった。棚の中に残っていた文庫本がどさどさアルトゥル君の背中を直撃したけどそんなことよりルーカスさんの意外な一面に驚愕している。


「力持ちなんですねぇ、ルーカスさん」


「あぁ、まぁね。バイトで色々鍛えたから」


 これもまた、彼の苦労の証なんだろうな。


 それにしたって、本棚を起こしても部屋の惨状は改善されたわけではない。部屋が汚くて、というのは謙遜なんかじゃなく本当に汚かった。


 本棚から散らばってしまったラノベ以外にも、ベッドの上にラノベや漫画が山積みになっていたり、床にもふせんやメモ用紙が落ちていて、そのくせ壁一面に二次元美少女のタペストリーがかかっていたり美少女フィギュアは丁寧にショーケースに入れて飾ってあったり、カーテンはほとんど閉め切っているのに照明はついていなかったりと、まぁ典型的なひきこもりオタクの部屋だった。


「今ノナさん失礼なことを思いましたね」


「他人の心盗聴しないでよ」


「冤罪ですよ! あとやっぱり失礼なこと思われてたんですね!」


「ところで、盗聴といえば、なんだけど」


 ルーカスさんが私達の言い合いに口を挟む。


「早速例の作戦、決行するよ」


「作戦?」


 さっきからその単語が引っかかっていた。盗聴作戦ってなんだ?


「え、ノナさん知らないでここに来たんですか?」


 アルトゥル君が目を丸くする。


「まぁいいや、ノナちゃんも誘おうと思っていたし」


 ルーカスさんはそう言って、部屋のドアを閉めた。そして、私達に思いっきり顔を近づける。


「ここからは絶対外に聞こえちゃいけないから小声で話すよ。……盗聴作戦っていうのはその名の通り、ヴァルデマールとご当主の会話を盗聴する作戦のことだ」


「えぇっ」


 驚く私をよそに、ルーカスさんは懐からインカムを取り出した。


「向こうはヴァルデマールの魔力に警戒していろんな対策をしてくるはずだ。だからあえて、現代科学の産物を使って盗聴することにした。さっき、小型の盗聴器をそれとなくヴァルデマールの服につけてきた。それを使えばどこに移動されても二人の会話は丸聞こえってことで」


「そんなにヴァルさんのことが心配なんですね」


「失礼な! 別に僕はあいつのことなんてなんとも思ってないんだから! これだってただ暇だったからやってみただけで」


「小声で話さないと聞こえますよぉ……」


 アルトゥル君が気弱な注意をする。その姿を見て、ふと疑問がわきあがってきた。


「なんでアルトゥル君はこの作戦に参加してるの?」


 ルーカスさんがヴァルさんのことを心配して盗聴してしまうというだけなら、わざわざアルトゥル君を巻き込む理由はない。アルトゥル君にこういう機械類をうまく取り扱う能力があるようにも思えないし……。


「うわ、ノナさんまた失礼なこと考えてる」


「心の盗聴器そろそろ外したら?」


「だから冤罪ですって。……僕がこの作戦に協力しているのは、当主が絶対僕の部屋には近寄らないという保証があるからです」


「ああ……」


 そういえば、アルトゥル君は絶縁されているんだった。


 あのときのことが思い浮かび、やりきれない気持ちになる。そもそもアルトゥル君のお母さんのことはアイゼンシュタット家が悪いんじゃないか。どうにも許しがたい。


 いや、他人の家の事情に首を突っ込むべきではないというのはわかっている。わかってはいるけれど、どうしても納得がいかない。


「わかった。私もこの作戦に参加する。それで当主の弱みでも握れたら存分に利用してやろうよ、ね、アルトゥル君」


 アルトゥル君に微笑みかけると、


「おお、いいですね、ナイスアイディア。僕も乗り気になってきましたよぉ」


 とサムズアップ。ルーカスさんもうんうんうなずいていて、私達三人はニヤニヤ笑った。完全に小悪党の集まりだ。


 ルーカスさんが用意したインカムをつける。


もうすでにヴァルさんと父親は会話を始めていたようで、会話が聞こえてきた。


『おう、オヤジ、久しぶりだな! これ、新作のはっぱまんじゅう。めっちゃうまいぜ!』


 応接室で会話しているらしい。ヴァルさんはいつもの三割増しくらいに明るい声で話している。


 一方、お父さんはというと、


『甘いものは嫌いだ。食べたければ一人で食べていなさい。それよりも、私が言いたいこと、わかるだろう?』


『……』


 ヴァルさんが黙り込んでしまった。しかし、そうなっても仕方ないくらい、ヴァルさんの父親の声は、冷酷な威厳に満ちたものだった。


『お前の口から言わないようなら私が言ってやろう。お前はこの前のテストでとんでもない点数を叩き出した。全ての教科において、落第だ。そのうえ、途中で学校から逃げ出した。これまでだったら私の口添えでどうにかしてやれたが、三度目ともなるとそうはいかない。そうして、お前の退学が決まった。……その話は一週間以上前にしたよな?』


『……はい』


「うそ……」


 そんな話、知らない。


 アルトゥル君とルーカスさんに視線を送ったけど、ふたりとも首を振るばかりだった。


 つまり、ヴァルさんはこの話を誰にもしていない、のか……?


 ヴァルさんの父親は話を続ける。


『これまで私はお前を放任してきた。学校に行かないのも、許してきた。しかし、条件は提示したはずだ。きちんと進級できるほどの成績を出すこと。大学には必ず一流のところへ合格し、通学を続けること。しかし進級はできず、大学など今の調子ではどこを受けても合格なんて夢のまた夢だろう。

 いいか、ヴァルデマール。自由とは、責任を伴うものなのだよ』


『はい……』


『そこで、お前には責任をとって、この城から出ていってもらう』


『は……?』


 ヴァルさんは呆然としている。


「ヴァルデマールが……」


「出ていくって、そんな」


 しかし、それはルーカスさんも、アルトゥル君も、そして、


「そんなのって……」


 私も、同じだった。

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